80章 ティベリアス湖畔の顕現
                   21章1〜14節
■21章
1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。
2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。
9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
                   
                   【注釈】(1)
                   【注釈】(2)

                                    【講話】
■21章の復活を読む
 今回もイエス様復活の物語です。この部分についても、文献的に詮索すればいろいろな矛盾や疑問が生じてきます。それらの問題点はほぼ注釈にまとめてありますので、そちらでお読みください。しかし、そういう「詮索」は、言わば学問好きな現代人の視点から見た解釈であって、必ずしもこの部分を書いた作者が意図したことではありません。解釈というものは、本文それ自体と、その本文の送り手(作者)と、本文の受け手(現在の読者)の三つの相互作用によって成立するものですから、現代の受け手の視点ばかりにとらわれては、せっかく本文が伝えようとしている大事な点を見失います。だから、細かな詮索は注釈にまかせて、ここでは、もっぱら、本文それ自体に心を向けて、聖書の御言葉が、わたしたちに何を語ろうとしているのかを聴き取りたいと思います。注釈で頭が混乱したら、どうぞそういうのを忘れて、もう一度、あるがままの聖書本文をお読みください。それが一番いい方法です。すると、そこから、辞義どおりだけでない霊的な意味で、二重にも三重にも深い語りかけが響いてきます。
■大漁の奇跡
 最初に目につくのは、ペトロとほかの弟子たちの7人が、ガリラヤ湖へ漁に出かけることです。ヨハネ福音書には、彼らが漁師だったとはそれまで書いてありませんが、読者たちは、ペトロを始めイエス様の弟子たちの多くが漁師であったことをすでによく知っていたのでしょう。ペトロが「さあ、漁に出かけよう」と言ったのは、イエス様が十字架におかかりになったその後で、弟子たちは再びガリラヤへ戻り、元の漁師の仕事を始めたからです。だから、ペトロの言葉は、彼らがほんらいの職業に戻ったことを表わします。しかし、ヨハネ福音書の受難記事には、今回の漁の場面にも、弟子たちへの非難めいた所は見受けられません。
 わたしは、人それぞれの職業もまた、主様から与えられた「召命/天職」(英語"calling"/召命・職業)だと思っています。ヨハネ福音書のここの記事からは、漁師に戻った弟子たちを非難している様子が読み取れません(そういう解釈もありますが)。それが証拠にイエス様は、わざわざ弟子たちに、網を舟の右に打てばたくさんの魚が捕れるよ、と助言しておられます。プロの漁師でも魚が捕れないことがあるように、どんな職業の人でも、仕事がうまく行かないことが必ずあるものです。そんなときに、自力に頼ろうとせずに、イエス様に助言を求めると、きっと助けが与えられて、思いがけなく仕事がうまくいくものです。「こんな事まで、イエス様はちゃんと見ていてくださった」と、はっと、気がつくのです。ここでもペトロは、イエス様の愛弟子に教えてもらってはじめて、自分たちを助けてくれた方が、復活のイエス様だと気がつきました。本文をそのまま読めば、与えられる第一印象はこのことです。
 もう少し注意深い読者なら、漁も魚も網も含めて大漁の物語全体が比喩性を帯びていること、何か霊的な意義を象徴していることに気がつきます。書かれてある本文は、これを書いた作者とつながりが深いものの、書いた作者それ自身と同じではありません。画家が一つの絵を完成させると、できあがった作品は、その時から、これを描いた画家自身の手を離れて、言わば「一人歩き」を始めます。その絵は、画家自身さえ想像もしなかった仕方で、これを見る人たちに様々な解釈を呼び起こすからです。
 この大漁の奇跡も、ヨハネ福音書以外の聖書の箇所と結びついて、読む者に「大漁」が象徴していることを伝えてくれます。大漁の奇跡は、ルカ5章にもでてきて、そこでは、イエス様が、ペトロに「わたしに従ってきなさい。そうすればあなたを人間を捕る漁師にしてあげよう」と言われますから(ルカ5章10節)、ここでペトロが、イエス様の福音を伝える使徒に召命されます。おそらくヨハネ21章の作者も、ルカ福音書の場面と共通する意味をこめてここを書いています。読者のほうも、大漁の奇跡が、ペトロたちを使徒へ召し出すきっかけになったことをすでに知っていたでしょう。だから、わたしに言わせると、ペトロたちは漁がうまくいかなかったから使徒に転職したのではない。事実はその逆で、イエス様のお言葉によって、自分の仕事が驚くほどうまくいったから、思い切ってイエス様に従った。伝道の業に自分を捧げる決心をしたのです。
 この世の仕事を軽蔑し、その尊さを理解しない人が、神の僕としてほんとうに人を正しく導くことができる人間になれるとは思えません。また、この世で、自分の職業をうまくやれない人が、神様のお仕事をうまくやれるとも思いません。立派な伝道者、成功した牧師さんたちを見れば分かりますが、そういう人たちは、どんな仕事をやっても成功する人たちです。人間として優れた人でなければ、優れた牧師になることはできません。牧師もクリスチャンも例外なく人間ですから、人間として良い人間で<ない>人が、良い牧師、良いクリスチャンになることはありえません。誠実で人を騙すことをしない人。ペトロもほかの弟子たちもそういう人だったのです。俺はエライと思い込んで人を見下したり、人を犠牲にして自分の利益を図ろうとする人ではなかったのです。だからイエス様は彼らをご自分の弟子にされました。「信仰的霊的な生活では、常識ほど大事なものはない」〔C・H・Spurgeon〕のです。
 では、イエス様の福音を伝えるとは、どういうことでしょう?
(1)伝える内容は復活のイエス様です。この事が<伝わる>ためには、イエス様の御霊のお働きが欠かせません。だからイエス様は、ご自分を通して、弟子たちに聖霊を授与されました(20章22節)。大漁の奇跡は、直前のイエス様の復活顕現とつながっています。
(2)それは、復活のイエス様に<出会った>弟子がすることです。では、直接出会うことが<なかった>人たちはどうなのか? 彼らもまたイエス様の福音を伝えることができます。その人たちは、使徒とされた人たちの証しを受け継いで、「見ないで信じる」人たちです。このような人たちもまた、イエス様から召命された人たちです。しかも彼らは、「見ないで信じるから、もっと幸い」なのです(20章29節)。
(3)復活のイエス様を伝える仕事は、人間がどんなに努力してもできることではありません。「イエス様の復活」は、人間が伝えようとして伝わる出来事ではないからです。イエス様が、その人にご自分を顕してくださらなければ、信じることなど到底不可能です。プロの漁師だろうとアマの釣り人だろうと、イエス様が御言葉を与えてお働きくださってはじめて、人は「信じない者でなく、信じる者になる(20章27節)」のです。
 キリスト教とは、徹頭徹尾、神様がその御子であるイエス様を通じてこの地上でお働きになる宗教です。そうでなければ、こんな不思議な信仰が二千年もの間人々に信じられ、しかも、これからもますます広まっていくことなどありえません。人をイエス様に導くのは、イエス様の御霊(ヨハネ福音書のパラクレートス)のお働きがあって初めて可能なのです。
■イエス様との食事
 今回の箇所では、大漁の後で、イエス様と弟子たちが、パンと魚で食事をするところがでてきます。これは夜中漁をした後のことですから、朝の食事です。今回の「パンと魚」の食事は、6章で、イエス様が五千人の人に与えた食事の奇跡を思い出させます。そこでは、イエス様が「パンを採りあげて、感謝の祈りを捧げてから、人々に分け与えた」(6章11節)とありますから、これは聖餐(ユーカリスト)を執り行なうときの仕草を思わせます。五つのパンと二匹の魚が、今回の7人の弟子たちと一致するという説もありますが、この一致は偶然でしょうか、何らかの意味があるのでしょうか?
 大漁の話と食事の話は、ほんらい別個の伝承だったのが、21章で結びついていると見ることもできます。だから、今回イエス様が備えてくださるパンと魚の食事にも、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしの内にあり、わたしもまたいつもその人の内にある」とある6章54〜56節と同じように、聖餐が反映していると見ていいでしょう。アウグスティヌスは、「焼かれた魚は苦難を受けたキリストであり、パンは命のパン(6章35節)である」と言いました〔『アウグスティヌス著作集』(25)ヨハネ福音書第123説教〕。
 聖餐はイエス様がお与えくださるものですから、イエス様のほうは、聖餐をご自分で口にすることがありません。だから、6章のパンと魚の奇跡にせよ、エマオでの食事にせよ、これを辞義通りの「聖餐」だと解釈するのなら、イエス様自身は一緒に食事を<しなかった>ことになり、「供食」であって「共食」ではなかったことになります。わたしは、今回の食事が聖餐を象徴していると見るのは誤りでないと思いますが、「象徴」は比喩の一種ですから、これをあまり厳密に解釈しすぎると、かえって比喩としての象徴の真意からそれてしまうおそれがあります。比喩そのものに含まれる「比喩の論理」を取り違えて比喩を辞義通りに解釈して「論理化」しすぎると、おかしなことが起こるのです。
 イエス様は、在世中、家々にお入りなると、そこで<食事を共にして>、病気を癒やし、集まってきた人たちに神の御国を彼らに身近な譬えでお語りになりました。だから、復活以後も、弟子たちは、イエス様の在世中と同じように、<御臨在のイエス様と共に>食事をしたのです。これが基になって、復活直後から、原初教会において、信者が集まってする「会食」(「愛餐/アガペー」と言います)が行なわれました。これは最後の晩餐で制定された聖餐とは別です。聖餐は朝行なわれることが多かったのに対して、愛餐は午後行なわれました。ただし、聖餐と愛餐が続いて行なわれる場合もあったようで、その際には愛餐→聖餐の順でした(後に聖餐→愛餐になる?)。この愛餐は4世紀末頃まで続きましたが、その後廃れたようです。
 今回の21章の食事も、イエス様と共に食べる「交わりの食事」だと見るほうがいいでしょう。復活のイエス様との交わり、それも聖霊の授与による交わりが、ここでのイエス様との食事の意味です。だから、ヨハネ福音書のここの「食事」は、イエス様伝承の最初期の頃の「食事」を受け継いでいるのかもしれません。ヨハネ福音書では、イエス様が行なわれた業が、カナの婚宴の席での弟子たちとの食事に始まり、復活以後の弟子たちとの朝の食事で終わります。20章では、復活のイエス様が弟子たちに聖霊を授与されました。続く、21章の食事は、多くの魚(信仰者)を獲得した教会に復活のイエス様がお与えになる「交わりの」食事を象徴しています。それが聖餐であるとすれば、ヨハネ福音書がわたしたちに伝える「パラクレートスの聖餐」です。
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