【注釈】(2)
■21章
[1]【その後】この言い方に続いて、「再び」を加えて、20章の復活顕現と今回の顕現とを結びつけています。
【ティベリアス湖畔】原語は「ティベリアスの海」。ヨハネ福音書ではこれが「ガリラヤ湖」と同じ意味で用いられていて「ガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖」(6章1節)とあります。ティベリアスは、パレスチナのガリラヤの「首都」としてヘレニズム世界に知られていたから、「ガリラヤ湖」の代わりに「ティベリアス湖」を用いるほうが、ヘレニズム世界では分かりやすいからでしょう。
[2]シモン・ペトロとトマスとナタナエルは、すでにでてきました。ゼベダイの子たち(十二使徒のヤコブとヨハネ)は、ヨハネ福音書ではこの箇所だけですから、それだけ注目されています。また、「ほかの二人」は名前がでてきません。このことから、ほんらいの原文には「ゼベダイの子たち」がなくて、「ナタナエル、それに二人の弟子」と続いていたのではないか、この「二人の弟子」の説明として、欄外に「ゼベダイの子たち」と書き込まれたのが、そのまま本文に挿入された、という推定があります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。このために、「ゼベダイの息子たち」と、「ほかの二人の弟子たち」との関係に混乱が生じることになったのです。「ゼベダイの息子たち」=「ほかの二人の弟子」だとすれば、二人の弟子の一人は使徒ヨハネになります。また、続く文脈から見て、その使徒ヨハネが「イエスの愛弟子」である可能性が強くなります。ルカ5章4節以下の大漁の奇跡でも、シモン・ペトロのほかに、「ゼベダイの息子たち」としてヤコブとヨハネが登場します。このことから、「二人の弟子」の一人は、使徒ヨハネであり、「イエスの愛弟子」だという推定が成り立ちます。しかし、現在のままの本文では、もしも「二人の弟子」の一人がイエスの愛弟子であるのなら、彼はゼベダイ息子ヨハネ(使徒ヨハネ)ではないことになります。しかしながら、「ゼベダイの息子たち」が、後からの挿入であるというのは、あくまで「推定」であって、本文のテキストに、そのような痕跡はいっさいありません。本文には、「ゼベダイの者たち」「ゼベダイの息子たち」という異読があるだけで、これに、「ほかの二人のイエスの弟子たち」が、ごく自然に続いています。したがって、本文から判断すれば、7節の「イエスが愛しておられたあの弟子」は、「ほかの二人」よりもペトロに近い「ゼベダイの息子たち」の一人である可能性のほうがより高いと言えましょう。21章の編集者は、この福音書の最終にいたって初めて、「イエスの愛弟子」とは誰のことかを示唆しているのかもしれません。
[3]【漁に行く】「行く」も「言う」も現在形です。「漁に行く」は、一回的な行為でなく漁師としての元の仕事に戻ることを意味するとも解釈できます。だとすれば、ペトロは、復活のイエスに出会って「再び心を入れかえた」ことになりましょう。ただし、ペトロたちが漁師であったことは、ここまでのヨハネ福音書に一度もでてきません。時期的に考えると、21章の顕現のほうが、エルサレムでのイエスの顕現に先立つと見るべきでしょう。だから、21章の出来事を20章の終わりの顕現の<後の出来事>だと判断することはできません。なお、「共に行く」とある「共に」の原語は「シュン」ですが、この前置詞は共観福音書には75回ほどでてきますが、ヨハネ福音書で珍しく、通常「メタ」が用いられます。これらの点でも、ここの記事がルカ福音書の記事と共通することがうかがわれます。ただし、どちらかがどちらかを踏まえているとは考えられません。ヨハネ福音書とルカ福音書以前の共通する伝承から出ていると見るほうが適切です〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。なお『ペトロの福音書』(2世紀半ば?)では、十二弟子たちが、イエスの十字架刑の後に、「悲しみながら自分の家(ガリラヤ)へ帰って行った」とあり、「さて、シモン・ペトロとわたしの兄弟アンデレは、自分たちの網を取って海へ出て行った。そして、アルファイの子レビがわたしたちといっしょにいた・・・・・」(小林稔訳『ペトロ福音書』14章)とあります〔『聖書外典偽典』(6)新約外典(Ⅰ)〕。「アルファイの子」とありますから、この作者は、マルコ福音書(2章14節参照)を念頭に置いているのでしょう。
【舟】原語「プロイオン」は冠詞付きですから、通常漁のために用いる舟を指します。なお、8節では「プロイアリオン」(小舟)とあります。しかし、6章では、「プロイオン」(17節/19節)と「プロイアリオン」(22節/23節?/24節?)の両方がほぼ同じ意味に用いられています。ルカ福音書には「プロイオン」だけしかでてきませんから、ヨハネ福音書の伝承は直接ルカ福音書から出たものではないと推定されます。
【とれなかった】原語「ピアゾー」は「とらえる/逮捕する」です。ルカ5章5節では「ランバノー」(つかまえる)が用いられていますから、この点でもヨハネ福音書はルカ福音書と異なります。なお、ガリラヤ湖での漁は、通常昼間よりも夜間に行なわれることが多かったようです。
[4]「夜明け」も「岸<に>」"stand into"とある前置詞も「だが/にもかかわらず」もヨハネ福音書の特徴を帯びた用語です。
【分からなかった】20章でのイエスとの出会いの後でも「見分けられない」とあるのは不自然です。時期的にガリラヤでの顕現のほうが先であったことを示唆します。
[5]【子たちよ】原語「パイス」(男の子/少年/家来/弟子)は、ヨハネ福音書では、ここと4章49節/16章21節で、1章12節/13章33節では「テクノン」(親に対する子)です。第一ヨハネ2章14節/同18節では「パイス」の複数形ですが、第一ヨハネの手紙では「テクノン」の複数形が多いようです(第一ヨハネ2章1節/同12節/3章18節など)。
【食べる物があるか】原文は「食べ物はないだろうね?」で、相手に否定を予想させる問いかけですが、この問いかけは、何もとれなかった弟子たちへの配慮から出たものでしょう。また「食べ物」は、通常パンに添えて食べるもの、特に魚を指します。
[6]【舟の右側に】原文は「舟の右の部分に網を打つ/投じる」で、ここはルカ5章にはありません。「右」は通常利き腕なので「幸運」を意味するという説もありますが、ここはそのような象徴的な意味ではないでしょう。なお、イエスの命令の後に「しかし彼らは言った『(主よ)わたしたちは夜中働きましたが、なにもとれませんでした。しかし、あなたの名によって(網を)打ちます』」が挿入されている異本があります。これはルカ5章5節からの挿入です。
【網を引き上げる】ルカ福音書では「網が破れそうになった」です。なお「そこで」はヨハネ福音書でよく用いられます。「できる」"is possible/have power to"という用語は、ヨハネ福音書ではここだけです。
[7]【あの弟子】これは、ゼベダイの兄弟の一人のことでしょうか? それとも「ほかの二人の弟子」の一人のことでしょうか? あるいは、ほんらい、ここは、ゼベダイの兄弟ヤコブとヨハネは二人の弟子と同一だったのでしょうか?
【主だ】原文は「主が居られる」で、この言い方はイエスの「わたしがいる」(エゴー・エイミ)にあたるという解釈もあります。
【上着をまとって】原文は「裸であったので、上着をまとって/巻き付けて」です。「裸」とは、上半身だけのことです(ユダヤ人は全身裸体を嫌います)。しかし、その場合でも、薄いものを着ていたと見ることもできます〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。「主/師」に挨拶するのは宗教的な行為ですから、上着をまとうのが礼儀です。しかし、海へ飛び込むのにわざわざ上着をまとうのは不自然ですから、ペトロは上着を腰に「巻き付けて」(あるいは上半身にまとっていたものを腰に巻いて)海へ入ったと読むことが可能です〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
[8]【網を引いて】捕れた魚全部を舟に入れることができなかったので、網に魚を入れた状態で、網を引きながら舟を漕いで戻ってきたのです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。魚を全部舟に入れて戻った〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕のではありません。
【ペキス】原語「ペーク(ヒ)ス」は、肘と手首との間の長さのことで、これが長さの単位として用いられました。1ペーク(ヒ)スは、旧約聖書では1アンマ(キュピド)で、約45センチです。しがたって、200ペキスは約90メートルです。
[9]~[10]【炭火】原文は、弟子たちが陸に上がってみると、そこに「一山の炭(単数)が置かれてあって、その上に魚(単数)が置いてあり、パン(単数)があった」です。「置かれてあった」には「(炭が)燃えていた」という異読があります〔新約原典テキスト欄外注〕。しかし、「炭が置かれていた」には、すでに炭火が燃えていたことも含まれていると見ていいでしょう。「魚」が単数なのは、必ずしも1匹の意味ではなく、集合的な意味であり〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、パンがひとつなのは大きなパンだったからでしょう。パンも炭火の上に置かれていたのかどうかは確かでありません。「魚」と「パン」は、6章9節の奇跡と同じです。ただし、今回の箇所では、6章と異なりどちらも単数であることから、教会が「一つ」であること現わす主の聖餐を象徴しているという解釈があります。
【魚】原語「オプサリオン」は、パンに添えて食べるおかず用の(塩漬けの)魚のことで、ほんらいの「魚」(イクソス)のことではありません。9~10節では「オプサリオン」ですが、8節と11節では「イクソス」です。しかし、イエスが「捕れた多くの魚(「オプサリオン」の複数)の中から何匹か」持ってきなさいと命じていますから、ここでは、ふた種類の「魚」を区別する必要がなさそうです。
 すでに炭火の上に魚が置いてあるのに、イエスが魚を持ってきなさいと命じているのは不自然な感じがします。また、イエスが命じる「持ってきなさい」が命令法アオリスト(過去)形であること(通常は命令法現在形)、「とれた魚の中<から>」の前置詞が、ヨハネ福音書で通常用いられる「エク」ではなく「アポ」であることなどから、ここには元の資料と編集とが重なって内容的にやや混乱している感じがします〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。この混乱は、弟子たちが魚を捕って戻ったことと、イエスがパンと魚との食事を用意したこととが重ねられた結果でしょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。ここでは、ルカ5章の大漁の奇跡と共通する伝承が、編集によって、イエスの備える「神秘の食事」(聖餐につながる)を表わす象徴性を帯びているのです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
[11]【舟に乗り込んで】イエスの命令を聞くと直ちに、ペトロが、魚の入ったままの網を陸に引き上げたということなら〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、彼は舟に「乗り込まなくても」いいはずです。おそらくペトロは、自分も舟に乗り込んで、ほかの弟子たちと一緒に網を引き上げたのでしょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
【百五十三匹】この数字は、数秘的に解釈されて、以下のように様々な説があります。
(1)数字の1から17までを加えると全部で153になりますから、アウグスティヌスはこれを完全数と見なして、「恵みに与るすべての聖徒を象徴している」と解釈しました。彼はまた、モーセの十戒を表わす「10」と聖霊を表わす「7」の意味をも読み込んでいます〔『アウグスティヌス著作集』(25)ヨハネ福音書第123説教〕。
(2)ヒエロニュムスは、ギリシアの動物学者の説を引いて、「153」は全世界の魚の種類の総数を表わすと解釈しました。
(3)エゼキエル書47章9~10節には、水が増えて川になり、多くの魚が住むようになり、漁師たちは「エンゲディからエン・エグライムまで」網を干すとあります(エンゲディは死海の西岸の中程にあり、エン・エグライムはその北で、クムランの遺跡の南にあります)。「エンゲディ」「エン・エグライム」の子音の文字を数字に変えると「17」と「153」になるから、ヨハネ共同体は、このことを指していると見る説があります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
 はたしてヨハネ共同体が、これらの説のどれかに準拠していたのか、確かでありません。また、これら諸説は相互に矛盾するものではありませんから、「153」がある種の完全数を表わすと見ていいでしょう。結局アウグスティヌスの言うように、全世界のキリスト信者を魚にたとえているというのが適切な解釈でしょう。
【網は破れなかった】ルカ5章6節では「網が裂けそうになった」とあります。「裂ける」は「分裂する」と同じ動詞ですから、信者が増すに連れて教会が分裂の危機にさらされたことを言おうとしていると解釈されますが、逆に、今回のヨハネ福音書では、教会のメンバーが増え広がっても、「網は破れることがなく」一致が保たれたと解釈することができます。この編集者は、ヨハネ共同体が使徒的教会と一つになったことを言おうとしているという見方もあります。
[12]~[13]【朝の食事】原語は「食事をする」で、ここでは朝食のことです。ただし、同じ言葉が夕方の主な食事をも指します(マタイ22章4節/ルカ11章37節)。
【問いただす】原文は「(だれも)あえて問いただそうとはしなかった」です。今回の箇所には、二つの異なる資料が重なる、と言うより「混在」していると見られています。したがって、ここでも「魚」とは、弟子たちが捕ってきた魚のことなのか?それとも、すでに弟子たちが来る以前に、イエスのほうが魚を用意して弟子たちを待っていたのか? この二つの記事が混在しているようです。したがって、この食事の場面では、弟子たちは、そこにいるのがイエスだとは分かっていても、はたしてほんとうにイエスなのかどうか確信が持てないままに怯えて、だれも「あなたはほんとうにイエスなのですか?」とあえて問いただす勇気がなかった。このように解釈する説があります〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。しかし、このような解釈に対して、弟子たちは、復活したイエスに出会った今、もうそれ以上何も尋ねる必要がない状態にいると解釈することができます(16章29~31節参照)〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
【弟子たちに与えた】先に指摘したように、ここの食事は、6章11節と類似しているので、復活したイエスを記念する聖餐が反映していると見なされています。この解釈を推し進めると、聖餐はイエスの血とからだを象徴しますから、これを<イエス自身が食べる>ことはしないはずです。そうだとすれば、ここでも6章の場合と同様に、イエスはパンと魚を与えるだけで、自分は食べてはいないことになります〔ブルトマン前掲書〕。
 しかし、今回の食事のパンと魚をそこまで徹底してパンとぶどう酒の聖餐と一致させる必要があるのかどうか疑問です。イエスが弟子たちに与える「魚」を弟子たちが捕ったものと区別するのも、聖餐だからイエスがこれを食べることがありえないという解釈も、「聖餐象徴」をあまり辞義どおりに今回の食事にあてはめるのは行き過ぎの危険があります。イエス在世中の家々での「会食」でも、イエスは食事を共にしました。今回の場合も、聖餐の象徴性を強調しすぎるのは危険でしょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。また、復活したイエスが共に食事に与ることはありえないという解釈も行き過ぎです。今回の場合は、6章の供食あるいは13章の最後の晩餐とは異なって、イエスも弟子たちと共に交わりの食事を採っていると見ることができます(ルカ24章30節参照)〔エレミアス『イエスの聖餐のことば』田辺明子訳〕。
[14]原文は、「これでもう三度にわたって、死者たちの中から復活させられたイエスが、弟子たちに顕されたことになる」です。
【三度目】20章19節以下の弟子たちへの顕現と同24節以下のトマスへの顕現に続いて、今回が三度目だという意味です。マグダラのマリアへの顕現が省かれているのは「弟子たちに」とあるからで、これで判断すると、マグダラのマリアは「(男性の?)弟子」とは見なされていなかったのでしょう。「三度目」とあるのは、今回のガリラヤでの顕現が、エルサレムでの顕現の<後のこと>だと言おうとしている、という解釈もあります。ただし、すでに指摘したように、実際の顕現伝承では、21章のガリラヤでの大漁の奇跡とこれに伴う顕現のほうが、20章でのエルサレムでの顕現よりも時期的に先ではないかと思われます〔バレット『ヨハネ福音書』〕。おそらく編集者の意図は、ガリラヤとエルサレムの優先順位にあるのではなく、この14節によって21章を20章と結びつけることにあったのでしょう。
 大漁の奇跡をイエスの復活顕現から切り離して、これをルカ5章1節以下と同じイエス在世当時の奇跡だと見なすなら、この大漁の奇跡は、ほんらい「奇跡物語」に含まれていたことになります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。もしもそうだとすれば、編集者は、この大漁の奇跡をルカ福音書同様に「使徒への派遣命令」だと見なして、これをイエスの復活顕現と結びつけ、さらにペトロへの司牧命令へ続けることで、ヨハネ福音書全体の「エピローグ」(結び)にしたことになります。しかし、注釈(1)で述べたように、この奇跡は、ほんらい復活顕現に関連していたのでしょう。ルカは、これをペトロの召命と結びつけたと思われます。
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