【注釈】(1)
■21章について
〔21章の書き加え〕
 ヨハネ21章は後からの追加だと見なされています。それは次のような理由からです。
(1)20章が完結した終わり方をしています。
(2)「見ないで信じる者が幸いだ」とあるのに、顕現の物語が続くのは不自然です。
(3)20章はエルサレムでの出来事ですが、21章はガリラヤでの出来事で、しかも弟子たちは元の漁師の仕事に戻っていますから、20章終わりの派遣をも示唆する言葉と矛盾します。
(4)以下のように、20章までには出てこない用語が用いられています。漁の場面では、浜/漁をする/漁の網/網を降ろす/遠くに/上に着ていた/裸で/など。食事の場面では、パンと付け合わせの魚/食事をする/など。ペトロと愛弟子へのイエスの言葉の場面では、牧する/小羊/振り返る/元気である/など〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
 したがって、この部分は、20章までの作者によるものとは思えません。この追加は、特に「大漁の奇跡」から見ても、復活のイエスによる派遣命令を明確にするために行なわれたと考えられます(ルカ5章1~11節参照)(20章21節がその派遣命令にあたるという見方もありますが)。
 以上の理由から、21章は、後からの追加だと考えられます。物語の本体が終わった後で、あえてその内容を訂正したり、場合によっては、それまで語ってきた内容を「取り消す」(この手法を"recantation"と呼びます)意図で「後書き」を加えることは、古代からヨーロッパの中世にいたるまでの文学作品で行なわれてきました。だから、今回の場合のような追加は、ヘレニズム世界で珍しいことではありません。今回の追加には、20章までの内容を受け継いで、これ補い、以後の教会の歩みへの指針とする意図がこめられています。結果的に見ると、今回の部分は、20章30~31節と21章24~25節の二つの「結び」に囲まれて構成されています(このような手法を"inclusio"と呼びます)〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。 では、この21章は、20章までとどのような関係にあるのでしょうか?
(1)「付記」だという見方があります。「付記」とは、通常本文の内容と直接関係がないことを記すためのものですが、ここでは、ペトロの否認、羊飼いの比喩、主の愛弟子など、内容的につながっています。
(2)「補遺」だとする見方があります。これは「後から」の出来事を追加するためのものですが、21章は内容的に見て、20章の後からの出来事かどうかが、問題になります。
(3)「結び」(エピローグ)だとする見方があります。「エピローグ」は、ドラマなどの物語が終わった後で、その物語について述べる「結び」のことです。21章は、ヨハネ福音書の始めの「序の言葉」(プロローグ)と対応させるために加えられた「エピローグ」だと見ることができましょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
〔21章はだれが書いたのか?〕
 21章は、いったいだれの手によるものでしょうか? これについては(1)ヨハネ福音書の作者自身による、(2)ヨハネ共同体内のヨハネ福音書の編集者による、(3)ヨハネ共同体以外のキリスト教会の編集者による、これら三つの場合が想定されます。
(1)の作者自身による追加説は、ブルトマンなどによって否定されています〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。理由の一つとして、20章までと21章との文体と語法と語彙の違いがあげられます。しかし、それよりも重要なのは、エルサレムから突然、なんの前触れもなく舞台がガリラヤに変わることです。しかも弟子たちは元の漁業に従事しています。また21章22~23節には、ヨハネ福音書本文には表われないイエスの「間近な再臨」への期待がでています。ブルトマンは、特にペトロと愛弟子との序列に注目して、「ここでは教会的権威の序列についての時局の問題が反響している」〔ブルトマン前掲書〕と見ています。「時局の問題」とは、ヨハネ共同体が主流派の教会と合同する際に、ヨハネ福音書の内容を主流の使徒的教会の信仰内容に合致させる目的で、ヨハネ共同体の外からの第三者の手で、この福音書が再編集されたという想定に基づくものです。この場合、20章までの本体と21章とは、内容的に見て、相互の継承関係が断ち切られることになります。
(2)これに対して、ヨハネ共同体内の編集者説が現在では最も有力です。21章は追加であり、本体の作者自身によるものではありませんが、作者を師と仰ぐ弟子によって21章が書き加えられたと見るのです。その理由としては、20章までの本文と21章との密接な継承関係をあげることができます。まず、「本文批評の視点から」見て、21章全体が後からの追加であるということを示す証拠はいっさい存在しません。このことは、21章が、ヨハネ福音書全体へのエピローグとして、きわめて早い時期に書かれたことを意味します。また、ブルトマンたちが指摘する用語や文体の違いは、主として漁の場面に集中しています。したがって、これらの違いは採り入れた資料から来ていると見ることができます。逆に、「シモン・ペトロ」「ディドモと呼ばれるトマス」「ナタナエル」「魚(原語はオプサリオン)」「愛弟子とペトロの競合関係」、6章11節との類似性、愛弟子がヨハネ福音書の作者自身であるという前提、復活顕現の回数(14節)、「アーメン」の二重用法などが20章までとのつながりを示しています。
(3)したがって、21章の追加は、作者自身によるものではありませんが、ヨハネ共同体の外からの第三者の手によるとも考えられません。編集は「ヨハネ共同体内の弟子であって、福音書の作者と同じ思想的な世界にいる者で、福音書の内容を変えるのではなく、その影響を強く受け継いでいる者による」〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕と見ることができます。
〔なんのために書いたのか?〕
 では、このエピローグは、何を訴えようとしているのでしょうか? 一つには、本文から漏れた内容を補うためであり(20章30節参照)、大漁の奇跡などの資料をも取り込むためです。また、ペトロと愛弟子との対照とその関係を明らかにすること、すなわち、ペトロには使徒的な派遣命令を明確に示すため、また愛弟子が伝承の担い手であることを確認すること、そして最後に、ペトロと愛弟子との最期を比較することと、これによって、愛弟子がイエスの再臨まで生き延びるという誤った期待を訂正するためです(だから、21章は、ペトロが逝き、おそらくその後で愛弟子が逝った後で加えられたことになります)。その上で、ヨハネ共同体と使徒的教会全体との関係をも改めて定義し直すことを目指していると考えられます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
■21章の構成
 21章は、大きく三つに分けることができます。(1)大漁の奇跡と復活後のイエスとの食事(1~14節)。(2)ペトロと愛弟子への命令(15~23節)。(3)結び(24~25節)〔スローヤン『ヨハネ福音書』〕。この分け方に対して、15節以下をさらにイエスとペトロ(15~19節)、イエスと愛弟子(20~25節)のように二つに分けることもできます〔新共同訳〕〔ギリシア語原典〕。21章全体を結ぶ主題が、ペトロと愛弟子との組み合わせであるとするならば、15~23節は一つのまとまりと見るべきでしょう。この解釈のほうが、前半の魚の象徴と後半の羊の象徴、前半の大漁の奇跡と続く後半のイエスと二人の対話のように、奇跡に続く対話とイエスの言葉、というヨハネ福音書の語りに合致します。
 ただし、文献批評の視点から、21章のさらに細かい資料を想定するならば、21章全体は、1~6節(大漁の奇跡)/7~14節(復活のイエスとの食事)/15~19節(イエスとペトロ)/20~23節(イエスと愛弟子)/24~25節(結び)のように五つに分けることもできます。
 筆者(私市)は、前半の大漁の奇跡とこれに続くイエスと弟子たちの食事は、一貫してまとまった伝承だと見ています。この出来事に続いて、イエスと二人との「対話」が続くという構成も、ヨハネ福音書全体の語り方から見て自然な構成だと思われます。前半の大漁と食事、後半のイエスと二人との対話、これらを結ぶのは、ペトロと愛弟子の二人の存在です。この見解にしたがって、1~14節/15~23節/24~25節の三つに分けて見ていくことにします。
■21章の復活顕現
 今回の箇所でも、20章2~10節の場合と同様に、ペトロと愛弟子が共同してイエスの復活を証ししています。原初の教会で、ペトロがイエス復活の重要な証人であったことが、共観福音書と使徒言行録からも知ることができます。イエスが<最初に>ペトロに顕れたという証言は、第一コリント15章5節に「ケファに現われ、その後12人に現われた」にあります。パウロのこの箇所は、ルカ24章34節の「主はほんとうに復活して、シモンに現われた」と同じ伝承から出ていると推定されます。どちらにもペトロだけが特定されていますが、実際は、ペトロ<一人だけ>が顕現に立ち合ったのではなく、複数の不特定の弟子たちも同時に顕現に与ったと考えるのが自然でしょう。ルカ福音書では、顕現の場所がエルサレムですが、マルコ福音書とマタイ福音書では、ガリラヤでの出来事になっていますから、ペトロへの<最初の>顕現が起こったのは、エルサレムなのかガリラヤなのかは特定できません。
 このことは、今回のヨハネ福音書の顕現との比較で注目される点です。なぜなら、今回の21章での顕現も、ペトロへの<最初の>顕現だと見ることができるからです。一つには、ペトロたちがガリラヤで漁をしていて、彼らは元の仕事に戻っていたと考えられることです(二度目の顕現だとすれば、このようなことはありえません)。もう一つは、ペトロが、最初イエスだと見分けることができなかったことです。また、ここでもペトロは、複数の弟子たちと共に顕現に与っていますが、ペトロ(とここでは愛弟子)だけに注目が向けられている点で、パウロやルカ福音書の伝承と共通しています。ただし、今回の場所はガリラヤ湖畔です。
 今回の顕現記事では、マタイ14章28節以下で、ペトロが、イエスの招きに応じて水の上を歩く奇跡との関連が指摘されています。イエスの水上歩行の記事全部がそうだという意味ではありませんが、少なくとも、マタイ14章28節以下のペトロの水上歩行の部分には、ペトロへのイエスの復活顕現伝承が反映していると見ることができます。ヨハネ21章で、ペトロが水の中に飛び込んでイエスのもとへ行ったことと、マタイ福音書で、ペトロが水の上を歩いてイエスに近づいたことを直ちに結びつけることはできませんが、そこに共通する顕現伝承があったと想定できましょう。同様に、ピリポ・カイサリアで、イエスがペトロを「教会の土台となる石」(マタイ16章18節)と呼んだ記事も、ヨハネ21章15節以下で、イエスがペトロに「羊を飼う」ように三度命じていることと共通する伝承が、両者の背後に存在したことをうかがわせます。以上を総合すると、今回のヨハネ福音書の復活顕現記事は、共観福音書と共通の伝承から派生したものであり、しかも、ヨハネ福音書の記事は、それらの諸伝承の中でも、最初期のものに属していると判断することができましょう。
■大漁の奇跡
 今回扱う1~14節は、大漁(1~7節)と、復活のイエスとの食事(8~14節)に分けることができます。21章1節は編集者の手によるもので、これによって、この章全体にまとまりを与えています。大漁の奇跡は、ほんらいこれ自体で一つの伝承であったと考えられます。この部分はルカ5章1~11節と共通するところが多く、ルカ福音書では、これが使徒としての派遣にあたります。ヨハネ福音書の復活顕現物語のほうがほんらいの伝承で、ルカ福音書のほうは、これにルカによる編集が加えられているというのが大方の見方ですが、確かなことは分かりません。大漁と食事とは、ほんらい別個の資料であったのをヨハネ福音書の編集者が二つを結んだという説もあります。もしもそうだとすれば、10~11節が説明できません。だから、これら二つが、すでに結びついていたと見るほうが適切でしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
 今回のヨハネ福音書の大漁の記事と、ルカ5章1~11節との間には多くの共通性があります(夜中漁をしていた/網を降ろすようイエスが命じる/網がいっぱいになる/イエスを「主」と呼ぶ/「シモン・ペトロ」という呼び方/イエスに従うなど)。ルカ福音書では、大漁の奇跡に対してペトロの応答が来ます。ルカ福音書の記事の後半で、ペトロがイエスの前でひれ伏す場面は陸上での出来事だと想定するほうが適切でしょう(「わたしから<離れて>ください)。また、ヨハネ福音書でもルカ福音書でも「ゼベダイの息子たち」が共にいます。これらの共通性から見れば、同じ復活顕現伝承が、ルカ福音書とヨハネ福音書とに、それぞれ別個に取り込まれたと考えることができます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
■21章の食事
 復活したイエスが弟子たちと食事を共にするのは、ルカ24章で復活したイエスがエマオに向かう二人の弟子と共に「パンを裂いた」(同30節)とある箇所と、今回の21章12~13節の場合だけです(ルカ24章41~42節は、イエスの復活のからだが亡霊ではないことを証しするための行為ですから、弟子たちとの食事のことではありません)。ルカ福音書ではエルサレム近辺のことであり、ヨハネ福音書ではガリラヤ湖畔でのことですから、場所の違いが注目されます。
 イエスの十字架以後に、弟子たちがガリラヤで漁師の仕事へ戻っていたと推定すれば、彼らはそこで最初の復活顕現を体験し、その後で、再びエルサレムへ集まったと考えることができます〔Sanders.?The Historical Figure of Jesus.?278〕。だとすれば、復活顕現が最初に起こったのは、エルサレムよりもむしろガリラヤのほうだと考えるべきでしょう。
 ヨハネ21章では、大漁の奇跡とイエスと弟子たちとの食事が一つながりになっていますが、この結びつきが、編集者によるのか、あるいはそれ以前の伝承ですでに成立していたのか、確かなことは分かりません。物語が緊密に結ばれていますから、ここは全体がすでにまとまった形でヨハネ共同体に伝えられていたと考えることができましょう。だとすれば、先の大漁の奇跡の場合に指摘したと同じように、この食事の場面も、復活したイエスと弟子たちとの食事の初期に属する伝承だと言えます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
                       戻る