208章 イエスの葬りと見張り
(マルコ15章42〜47節/マタイ27章57〜66節/ルカ23章50〜56節)
【聖句】
■マルコ15章
42すでに夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、
43アリマタヤ出身のヨセフが、思い切ってピラトのところへ行き、イエスの遺体の引き取りを願い出た。この人は高名な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人であった。
44ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、すでに死んだかどうかを尋ねた。
45そして百人隊長に確かめたうえで、遺体をヨセフに下げ渡した。
46ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入り口に石を転がしておいた。
47マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの納められた場所を見届けた。
■マタイ27章
57夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。
58彼はピラトのところへ行って、イエスの遺体の引き取りを願い出た。そこでピラトは、渡すように命じた。
59ヨセフは遺体を引き取ると、きれいな亜麻布に包み、
60岩に掘った自分の新しい墓に納めた。そして、墓の入り口に大きな石を転がしてから立ち去った。
61マグダラのマリアともう一人のマリアは、そこに残り、墓に向かって座っていた。
62明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人たちは、ピラトのところに集まって、
63こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを思い出しました。
64ですから、三日目まで墓を見張るよう命じてください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』と民衆に言い触らすかもしれません。そうなると、人々は前よりも、もっとひどくだまされることになります。」
65ピラトは言った。「番兵を出してやるから、行って、思うとおりに見晴らせるがよい。」
66そこで、彼らは行って石に封印をし、番兵と共に墓を見張った。
■ルカ23章
50さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、
51同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。
52この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、
53遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。
54その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。
55イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、
56家に帰って、香料と香油を準備した。
【講話】
今回は、イエス様のご遺体の降下とその埋葬です。ベルギーの北部の都市、アントワープの大聖堂には、イエス様のご遺体の降下を描いたルーベンスの有名な絵があります(1611年〜1614年の作)。そこでは、降下されるまさにその時に、傍らで、3人の女性たちが、哀しみをこめた表情で遺体に手を差し伸べています。
ところで、今回、共観福音書が、イエス様のご遺体を納めた墓が、「まだ誰も入ったことのない新しい」ベット様式の立派な墓であったと証言していますが、これは、とても大事なことです。なぜなら、その墓は、「復活が生じた」墓だからです。ご遺体は、当時も、しばしば行われていたように「土中に埋められた」のではありません。しかも、誰も入ったことがない新しい墓ですから、その墓からの復活は、初めて納められたイエス様のご遺体だけに生じたことになります(ほかには例がありません)。また、これも、教会で伝統的に言われていることですが、アリマタヤのヨセフの登場は、実に、神の不思議なご計画によるものです。なぜなら、もしも、使徒たちが自分たちでイエス様を埋葬したならば、「使徒たちは、イエスの遺体を盗み出すことで、イエスの復活を偽造した」と見なされたに違いないからです(F・ボヴォン『ルカ福音書 3』ヘルメネイア:335頁)。
ご遺体の降下と埋葬を含めて、イエス様の受難の出来事は、これを比喩的に、すなわち「霊的に」解釈することと矛盾しません。例えば、アリマタヤ出身のヨセフが、ピラトから、イエス様の「体を受け取る」というその行為が、復活のイエス様の「体を受け取る」聖餐の儀式にも通じるという解釈があります〔ルツ『EKK新約聖書註解』(Iの4)466頁〕。テルトリアヌス(2世紀後半〜3世紀前半の教父)は、イエス様の受難を詩編やアモスやイザヤの預言と関連づけています。テルトリアヌスは、また、イエス様の受難による死と埋葬が、太陽の運行に関わる「時ならぬ闇」を伴っていることに注目して、その受難と復活が、神の創造による大自然の働きによっても「確認されている」と指摘しています(F・ボヴォン『ルカ福音書 3』ヘルメネイア:335頁)。4世紀のミラノの司教アンブロシウスは、十字架こそ「復活の凱旋への記念品」だと見ています。彼は、マタイとマルコの受難物語からは、「わが神、わが神、なにゆえわたしをお見捨てに」を読み取り、ルカの記述からは「十字架上のイエスからの罪の赦しの言葉」を受け取り、ヨハネ福音書からは、イエス様の母とイエス様の愛する弟子とが共に居たことに着目しています(前掲書)。ヨーロッパの中世では、金曜日の十字架の後で、遺体となったイエス様は、安息日の土曜には静かに「休息した」と言われました(前掲書)。神殿の幕が裂けたのは、かつては、高位の聖職者だけに示された「特別の恵み」が、一般の人たちにも授与されることのしるしと見なされました。
イエス様の受難の解釈においては、留意しなければならないことがあります。イエス様の受難とその死は、以後のキリスト教徒の間で、とりわけ迫害時代には、「殉教者の英雄的な死の模範」だという見方がなされました。日本では、17世紀の後半、佐倉藩(現在の千葉県)に、木内惣五郎(きうちそうごろう)という人が居ました。彼は、領主の堀田氏の重税に苦しむ農民のために、将軍へ直訴をおこなったために処刑されたことで知られています(
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐倉惣五郎: 参照 2025年9月4日)。
日本では、イエス様の死を、こういう名高い「義民の死」と同類に見て、比較賞賛する場合があるようです。しかし、イエス様の十字架における死には、「暗闇」と「神殿の幕が裂ける」という二つの出来事が伴っています。これは、イエス様の十字架の受難の出来事には、「贖いの力の源となる受難」の働きが潜んでいることを示すものです。だから、イエス様の十字架の受難は、そこに働く「贖いの力」をわたしたちが体感するためです(F・ボヴォン『ルカ福音書 3』ヘルメネイア:340頁)。どうぞ、この事を忘れないでください。
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