【注釈】
■ヨハネ福音書の復活物語
ヨハネ福音書の復活物語は七つに分けることができます。
(1)マグダラのマリアと、ペトロと愛弟子が空の墓を訪れる(20章1~10節)。
(2)マグダラのマリアへのイエスの顕現(20章11~18節)。
(3)弟子たちへの顕現(20章19~23節)。
(4)トマスへの顕現(20章24~29節)。
(5)ティベリアス湖畔で七人の弟子に顕現(21章1~14節)。
(6)ペトロへの司牧命令(21章15~19節)。
(7)愛弟子への言葉(21章20~23節)。
(1)~(3)は共観福音書と共通するところがあります。しかし、ヨハネ福音書では、ペトロのほかに愛弟子が墓の中に入って亜麻布と顔覆いを確認してイエスの復活を信じたとあり、さらに、二人が墓を訪れたその後で、マグダラのマリアだけにイエスが顕現した有様が語られていて、これらが、共観福音書とヨハネ福音書との最大の違いです。(4)~(7)はヨハネ福音書だけの記事です。
ヨハネ福音書の復活物語は、全体を3幕7場のドラマにして見ると、これを第一幕(1)(2)、第二幕(3)(4)、第三幕(5)(6)(7)のように構成することができます。1幕1場ではマグダラのマリアとペトロと愛弟子が空の墓を確認します。2場ではマグダラのマリアにイエスが顕現します。2幕1場では内弟子たちにイエスが顕現し、2場ではトマスに顕現します。3幕1場では7人の弟子たちに顕現します。2場ではペトロに司牧の使命が授与され、3場では愛弟子にイエスからお言葉が与えられます。これらを通じて見ると、三幕を通じて、先ず複数の人たちへの告知/顕現があり、続いて個人への顕現/言葉という構成を採っているのが分かります。
(1)から(3)までの項目は共観福音書と共通しますので、これらを比較して見ていきます(マルコ福音書の「長い結び」は省いてあります)。
(1)では、「週の初めの日」が四福音書に共通します。しかし、共観福音書では訪れたのが複数の女性たちですが、ヨハネ福音書では、女性はマグダラのマリア一人です。空の墓は弟子たちに知らされます(マルコ福音書を除く)。ルカ福音書では、ペトロが走って墓を訪れたとあり、ヨハネ福音書ではペトロに愛弟子が加わります。だからヨハネ福音書では、共観福音書と異なって、<その後で>マグダラのマリアが墓の中にいる二人の天使に出会うことになります。
(2)マタイ福音書とヨハネ福音書では、イエスは<最初に>マグダラのマリアに顕れます。しかし、復活のイエスとマグダラのマリアの出会いを詳しく描いているのはヨハネ福音書だけです。
(3)マタイ福音書では、弟子たちへの顕現がガリラヤで行なわれますが、ルカ=ヨハネ福音書では、エルサレムで、内弟子たちの集まりの中にイエスが顕現します。ルカ福音書とヨハネ福音書は状況が似ていますが、ヨハネ福音書では、復活顕現の場で「聖霊授与」が行なわれることが、ルカ福音書と決定的に違います。これに対してマタイ福音書では、女性たちを通じて弟子たちが「ガリラヤへ行くように」告げられますから(同28章10節)、この時点でエルサレムでの弟子たちへの顕現は語られません。しかも、マタイ福音書では、弟子たちは、ガリラヤで、昇天の時に初めてイエスと出会います。ただしヨハネ福音書でもガリラヤ(ティベリアス)の岸でイエスが7人の弟子たちに顕れます。
ここで、ドラマの第一幕に限って、ヨハネ福音書の伝承を整理してみると、次の(A)(B)二組の伝承の混成があり、これらの混成に加えてヨハネが追加編集したことが見えてきます。
(A)
・マグダラのマリアは空の墓を見て、これを弟子たちに告げた(マタイ28章1節/同8節/ルカ24章10節と共通)。
・マグダラのマリアは空の墓の中に二人の天使を見た(マルコ16章5節と共通)。
(B)
・ペトロは空の墓に亜麻布が残されているのを見たが、復活を信じるまでにいたらなかった(ルカ24章12節と共通)。
・イエスがマグダラのマリアに顕現して、彼女はイエスに触れた(マタイ28章9~10節と共通)。
以上の伝承の混成に、ヨハネ福音書は次の3点で独自の編集を加えています。
(イ)マグダラのマリアから弟子たちへの伝言の内容。
(ロ)愛弟子もペトロと共に墓に行き、彼のほうはイエスの復活を信じた。
(ハ)イエスがマグダラのマリアに昇天について告げた。
〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)による〕
■ヨハネ20章
[1]【週の初めの日】土曜の午後6時から日曜の午後6時までのことです。原語「サバタ」は安息日「サバトン」の複数形で「週」を表わします。ここのギリシア語はアラム語「サバタ」(単数)から出たのでしょう。ヘブライ語「シャバート」(安息日)には「週」の意味はありません。なお、四福音書の復活記事には「三日後に/三日目に」という言い方はでてきません。
【まだ暗い】マルコ=マタイ福音書では朝早く、夜がすっかり明けてからですが、ルカ=ヨハネ福音書では、まだ「薄暗い」夜明け頃になりますから、午前3時~6時の間です。
【マグダラのマリア】マルコ福音書では3名の女性たちで、マタイ福音書では2名、ルカ福音書では3名と「その他の女性たち」です。ヨハネ福音書ではマグダラのマリア一人だけですが、夜明け前に女性が一人で行動するのは不自然ですから、共観福音書の記述のほうが正しいと考えられます。ヨハネ福音書でマグダラのマリアが出てくるのは、十字架と空の墓の証人と復活顕現の場面だけです。4章のサマリアの女はサマリアでの福音伝道の象徴であり、11章のマルタとマリアの姉妹は、ラザロの復活の証人です。同様に、復活の場面では、マグダラのマリアが言わば最初にイエスの復活を告げられた女性たちを象徴する代表として登場するのです。
【石が取りのけてある】ヨハネ福音書では葬りの場で「石」のことが出てきませんが、ここで初めて石が置かれていたことが分かります。共観福音書と異なり、それ以外石について何も言われていないのは、おそらく読者には周知のことだったからでしょう。
[2]【シモン・ペトロ】マルコ16章7節にもペトロだけが名指しされています。ペトロのユダヤ名が「シモン」であることは共観福音書にもしばしばでてきますが、四福音書で「シモン・ペトロ」のようにユダヤ名とギリシア名とが一つになってでてくるのは、マタイ16章16節とルカ5章8節で1回ずつで、どれもペトロにとって重要な場面です。ヨハネ福音書には16回もでてきますが、これは特に外の弟子たちに比べてペトロを意識した用法です。ここでペトロが名指しされているのは、先にペトロがイエスを3度拒んだからかもしれませんが、この後で、復活したイエスがペトロに「わたしを愛するか」と3度尋ねることへもつながるのでしょう。
【もう一人の弟子】この弟子のことを「イエスが愛しておられた」とあって、「もう一人の弟子」(18章15節)がイエスの「愛弟子」であることがここで初めて明かされます。「イエスが愛しておられた」は後からの挿入ではないかという説もありますが、ブルトマンはこれを否定しています〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【取り去られた】原文は「彼らが取り去った」です。「彼ら」とは誰なのか分かりませんが、この文は新共同訳のように受け身に訳すほうが適切です〔バレット『ヨハネ福音書』〕。この当時、墓荒らしや墓の盗掘がしばしば行なわれましたから、おそらく彼女は、イエスの遺体が盗まれないように、園丁が遺体をどこかへ移したと思ったのでしょう。なお、マリアが危惧した「遺体が盗まれる」事態は、復活以後に、キリスト教に反対する人たちが、イエスの復活が偽りだと主張したことの根拠になりました。
ここで「わたしたち」と主語が複数になっているのが注目されます。おそらく、これが元の資料が伝えていることでしょう。資料では、訪れたのは複数の女性であったのを、ヨハネ福音書では、マグダラのマリアだけを代表としてここに登場させているのです。これは続く11節以下で、彼女がイエスの顕現に最初に接したことを語るためです。同じように、彼女がペトロと愛弟子の二人に知らせたとあるのも、彼らに他の弟子たちを代表させているのでしょう。ヨハネ福音書の読者たちは、空の墓の出来事が、十一弟子たちに伝えられたことをすでによく知っていたからです。なお、1~6節では、「石が取りのけられているのを<見る>」「(弟子たちのところへ)<走る>」「彼らに<告げる>」「ペトロも<着く>」「亜麻布を<見る>」など、動詞の現在形が用いられていて生き生きした描写になっています。
[3]マルコ=マタイ福音書には、ヨハネ20章3~10節の記事がありません。ルカ福音書では24章12節が簡単にこの出来事を伝えています。内容と語句から判断して、ヨハネ20章3~10節は、ルカ24章12節を拡大したと言われています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
【外に出て】原文では「外へ出た」(3人称単数アオリスト形)が文頭で、主語のペトロが来て、次に「もう一人の弟子」が続きます。動詞が単数形なので、この文は、ほんらいペトロだけが墓へ向かったとある資料に(ルカ福音書と共通する?)、「もう一人の弟子」が主語として後から加えられたと見ることもできます。なお「(墓へ)行った」は動詞が不定過去ですから、正しくは墓へ「出かけた」です。なお、11節のマグダラのマリアの状況から判断すると、ここで、彼女もペトロたちと一緒に再び墓へ行ったことが想定されているのでしょう。
[4]二人が墓を訪れたという伝承は、おそらく女性たちが空の墓を発見した出来事に後から加えられた記事だと思われます。しかし、女性たちが空の墓のことを弟子たちに伝えたのであれば、弟子たちが自分で確かめに行ったのは当然予想されることです。ルカ24章12節から判断すると、ほんらいの伝承では、ペトロ一人が走って墓を訪れたことになります。しかし、ルカ24章24節には「仲間の者たちが<何人か>墓へ行った」とありますから、ルカ24章12節の記述も、ペトロが、一緒に行った他の弟子たちの代表だと見ているのでしょう。ペトロと「その仲間たち」は、墓を訪れた後でも、イエスの復活を信じるにはいたらなかったようです。
【墓へ】原文の前置詞は「墓の中へ」"into the tomb" とも読むことができます。大きな墓であれば、入ったところに前室があって、そこから遺体の置かれた墓室へ通じますから、彼らはその前室に入ったという見方もできます。5節に「身をかがめて中をのぞく」とありますから、ここでは単に「墓の入り口へ(着いた)」の意味かもしれません。
[5]【中をのぞく】原文は「身をかがめて亜麻布が置かれているのを見る」です。この部分はルカ24章12節と全く同じ語句です(ただしルカ福音書ではペトロ一人のこと)。「身をかがめてのぞく」というのは上から低いところに掘ってある比較的狭い穴をのぞくようにも受け取れます。しかし、「中に入らなかった」とありますから、これはかなり大きな墓が地上にあったのでしょう。あるいは、墓の前室から、一段低くなっている遺体の安置室をかがみ込んで見たのでしょう。
【入らなかった】この弟子が「速く走って先に着いた」のに中に入らなかったのは、驚きと恐れのあまり立ちすくんだからだという解釈もありますが、ヨハネ福音書の愛弟子の描き方から見て、この理由は不自然です。ここでは、ペトロよりも愛弟子のほうが先に着いて「亜麻布を見た」こと、すなわちこの弟子が亜麻布を誰よりも<最初に見た>ことが大事なのです〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
[6]【ペトロ】ペトロが後から来たから愛弟子よりも劣っているという見方は正しくないでしょう。愛弟子が墓に入らなかったのは、ペトロを待っていたとも受け取れます。愛弟子が最初に亜麻布を見た証人だとすれば、ペトロは最初に墓の中に入った証人です。しかし、最初に信じたのはやはり愛弟子のほうです。ルカ24章3節では、女性たちが最初に墓の中に入ったことになります。
【見た】5節の「(愛弟子は)見る」と6節の「(ペトロは)観る」は、どちらも現在形ですが、原語が異なっています。愛弟子は「のぞき見た」のですが、ペトロのほうは、中ではっきりと確認したのです。
[7]【亜麻布】「亜麻布」の原語はやや巾の広い包帯状のものを指します(19章40節参照)。亜麻布が「置いてある」とあり、頭部の覆いは「置いてない」とあるのは、亜麻布のほうは、きちんとたたんで「置かれていた」のに対して、頭と顔を覆う布のほうは、たたまないで丸めて遺体の頭部の跡にあったからでしょう。遺体が盗まれたのでもなく、墓が荒らされたのでもないことが分かります。
[8]【見て信じた】「それから」は、ここでは順番を表わしますから、ペトロの後から、今度はもう一人の弟子が入ってきて、遺体が置かれてあった跡を「じっと見つめて」、遺体が盗まれたのではなく、イエスがよみがえったことを信じたのです。ここは、先の二つの原語とは別の原語です。ヨハネ福音書は、「ブレポー」(見る)→「テオーロー」(観る)→「ホロー」(見つめる)のように使い分けているのでしょうか。ヨハネ福音書では「信じる」は、しるし/奇跡などを観てイエスが神の子であると信じることですから(6章26節/同30節)、「見る/観る」と「信じる」とが深くつながっています(しかし1章50節/20章29節を参照)。
[9]【二人は】「二人」がペトロと愛弟子を指すのであれば、8節に「信じた」とあるのと矛盾するようにも見えますから、9節は後からの挿入だと見なされています。原文は「<なぜなら>、<まだ>彼らは理解していなかった」です。これは、墓の中でイエスの遺体が消えていることを観る<までは>、聖書の言葉が理解できなかった<からである>という意味でしょう〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【聖書の言葉】原語は単数ですから、ある特定の聖書の箇所を指していると思われますが(19章37節)、それがどこかは明らかにされていません。例えばホセア6章2節/詩編16篇10節/ダニエル書12章2節などのどれかでしょうか。それとも旧約聖書全体を指しているのでしょうか(ルカ24章26~27節参照)。共観福音書では、イエスが自分の受難と復活について度々預言していますが、ヨハネ福音書の作者が共観福音書を念頭に置いているとは考えられません。「(成就する)ことになっている」とあるのは、「必ずそうなる」という意味で、予め神が定めていることを指します(英語の "must" に近い)。
[10]【家】二人がおそらく他の弟子たちと一緒にいたエルサレムの家のことです。それぞれの家へ、あるいはガリラヤへ戻ったという意味ではありません。
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