76章  空の墓
               20章1〜10節
■20章
1週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
6続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
7イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
8それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
9イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。
10それから、この弟子たちは家に帰って行った。
              
               【注釈】
 
                                
【講話】
■復活信仰
 「復活」と言えば、わたしたちは、すぐイエス様の復活を思い出しますが、実はそこにいたるまでに、長い間かかって形成されたイスラエルの復活信仰の歴史があります。だから復活信仰はイスラエル独特の思想であり、イエス様の復活は、言わばその頂点に立つものです。
 「復活」 "resurrection" は、「再生」 "regeneration" とも輪廻転生とも異なります。「再生」は、自然界において、動植物が子孫を増やす生命の営みのことです。輪廻転生は、人間が解脱(げたつ)しない限り、欲の世界、物質の世界、精神/魂の三界を何時までもさまよい続ける有り様(よう)のことです。
 イスラエルの復活信仰の基になるのが、ヘブライ語の「クゥム」(起き上がる/立ち上がる)の思想です。これはほんらい、民族が破滅あるいは絶滅の危機に瀕した時に、そこから「起き上がる/復興する」という意味から出ています(ホセア6章2節/エゼキエル書37章)。この「起き上がる」思想は、神の律法や義のために命を奪われて殉教した人たちが、滅びの中から「生き残った者」たちと「共によみがえる」という信仰を産み出します(イザヤ書26章19節)。そこから、前2世紀頃に、義のために死んだ人たちが、この地上に再び復活するという信仰が生じました(ダニエル書12章2節/第二マカバイ記7章9節/同14節)。捕囚期から捕囚直後にかけての第二イザヤやエゼキエル書では、「復興/よみがえり」は、イスラエルの民全体にかかわることとして、共
同体的に理解されましたが、ダニエル書において、おそらく初めて、「個人の復活」が語られます。この「起き上がる/復活する」という信仰は、ヘレニズム時代の初期ユダヤ教に受け継がれ、中でもファリサイ派は、前2世紀のアンティオコス4世によるユダヤ教への迫害と、これによる殉教者の時代にその起源を持ちますから、復活信仰を受け継いでいました。
 新約聖書では、「復活」のギリシア語は「アナスタシス」(起き上がり/よみがえり/復活)です。「アナスタシス」の動詞は「アニステーミ」(起き上がらせる/死から復活させる)ですが、この言葉のほかに、「エゲイロー」(眠りから目覚めさせる/復活させる)も用いられています。ヨハネ福音書でも両方の「復活」用語が用いられていますが、そこでは二つの動詞が区別されているように思われます。新約聖書では、イエス様の「最初の」復活に始まり、終末と主の再臨において、主にあって眠った者たち全員の復活が語られます。
■言葉事象
 現在では、カトリックもプロテスタントも含めて、イエス様の復活と顕現は、その身体が辞義通りに「蘇生」したことを意味するとは考えられていません。新約聖書の伝承では「顕現」の場所も様々です。だから、イエス様の復活は、歴史的な出来事として、これを「客観的に確認する」ことはできません。日本の社会科の教科書には、「イエス様が十字架刑に処せられた」ことはでていても、イエス様が「復活した」とは書かれていません。なぜならイエス様の復活あるいは顕現の出来事に関する聖書の証言は、証言それ自体がすべてであって、それ以外の「出来事」は確認できないからです。
 唯一の例外が、「週の初めの日の明け方」に目撃された「空の墓」です。この場合は、証言それ自体と、その証言が正しいかどうかを確認する事実とは切り離されていますから、証言は、その証言の「外部に」存在する事実(空の墓)によって「確かめる」ことができます。もしも女性たちが訪れたその時刻に、墓が空で<なかった>としたら、その証言は「事実」に反する偽りの証言になります。
 この「空の墓」の出来事以外の場合は、復活証言は、証言それ自体が「出来事」になります。したがって、これは、例えば「愛する」「憎む」「信じる」のように、言葉が<語られた>その時点で成立する「言葉の出来事」になります。このように、わたしたち人間が言葉を発する場合、言葉が発せられ/語られる現象それ自体を「出来事」と見なすことを「言葉事象」と言います。言葉事象それ自体は、目に見える客観的な現象ではありませんが、イエス様の復活をも含めて、客観的な出来事に深く関係しています。裁判の席で行なわれる証言は、それ以外に何の物的証拠がない場合には、言葉事象です。しかし、これによって被告の有罪・無罪が左右されますから、その言葉事象は、その被告の「具体的な出来事」と深くかかわってきます。財務大臣や日銀の総裁が発した言葉事象が、株価という具体的な出来事に影響を与えるのも同じ理由からです。
 このように言うと、イエス様の復活は、人間の主観的な思いこみ、あるいは「ファンタジー」(幻想/空想)と同列の作り話だと思う人がいるかもしれません。あるいは、身を棄てて殉教した偉い人が、神社に祀られたり、人々の記憶に<覚えられる>ことで「今も生きている」と言われるのと、イエス様の復活を同じレベルで考えるかもしれません。現に、イエス様の復活を「このレベルの人間の想い」だと見なす学説があります。これらの空想説も記憶/記念説も、「復活/よみがえり」を人間の心に生じる主観的な現象だと見ている点で共通します。確かに、イエス様の復活にかかわる証言は、イエス様の弟子たちの間から生じた言葉事象だと言えます。だから、現代的な視野から見れば、たとえ多くの人たちに信じられているとは言え、本質的に主観的な現象にすぎないと思えるかもしれません。
■神の言葉事象
 しかしながら、イエス様の復活は、「偉人」を記念して、その人を祀る場合とは異なる特徴を具えています。その特徴は「メシア預言」です。今回のヨハネ福音書には、弟子たちが「聖書の言葉を悟らなかった」とあります(20章9節)。「聖書の言葉(単数)」が聖書のどの箇所かは明言されていませんが、旧約聖書と捕囚期以後のユダヤ教を通じて形成された「受難と復活のメシア」伝承を指すと見ていいでしょう。四福音書が繰り返し証ししているように、生前のイエス様もご自分の復活をこの伝承に基づいて語ったと考えられます。イエス様ご自身も聖書の復活伝承に支えられていたのです。イエス様の場合、その特徴は以下の三点に絞ることができます。
(1)イエス様の死と復活は、それまでのイスラエルの宗教史を通して<予め預言されていた>ことです。だからこれは、ある偉大な人物が、たまたま殉教したことによって、人々に覚えられ崇められることとは本質的に違う出来事です。イエス様の出現それ自体が神が予め語っておられた「<神の>言葉事象」なのです。ここで大事なのは、イスラエルの復活観が、神への信仰と不信仰、義人と罪人、真理と偽りのように、イスラエル特有の神観念によって形成されていることです。
(2)イエス様の死が、<神によって生じた>と証言されている点です。聖書が言う「神によって」とは、人間の想いや人間の力で生じさせることが<絶対に不可能>だという意味です。このことは、イエス様の死と復活を洗礼者ヨハネの殉教と比較してみればよく分かります。洗礼者ヨハネの場合は、彼が殉教したその時点で、偉大な預言者としてその弟子たちに<覚えられ崇められる>ことが当然予想されたことであり、事実その通りになりました。これが、わたしたちが偉大な人を祀ったり、崇めたりする通常の例です。
 ところが、イエス様の場合、聖書が伝える伝承では、その復活を予測できた人は誰一人としてなく、逆に、復活は「恐れおののき気を失う」ほどの思いがけない出来事だったのです。だから復活は、四福音書にでてくるもろもろの奇跡の中でも、最大の奇跡です。おそらく、これに次ぐ奇跡は処女降誕でしょう。復活は、イエス様ご自身をも含めて、「人間には」絶対に不可能な出来事ですから、ただ神のみが行なうことができるみ業です。したがって、イエス様の復活は、人間の能力で考案できる次元をはるかに超える予想もしなかった出来事だということを確認する必要があります。ヨハネ福音書には、カナのぶどう酒の奇跡、お言葉による遠隔からの癒し、水上歩行、五千人のパンの奇跡、ラザロの復活などの奇跡が象徴的な意義を伴って表わされるのは偶然でありません。この福音書は、イエス様の復活を知る上でも、「肉は何の役にも立たない」ことを、ただ神のお言葉のみが「霊であり命である」ことをよく知っているのです。
(3)神のお言葉による復活とは、生前の人間がそのままの状態で再び「よみがえる」ことではなく、全く新しい霊性を帯びて「新たに創造される」ことを意味します。パウロは第一コリント15章で、これについて縷々(るる)説明していますが、それによれば、イエス様の復活を通して啓示された「新たな創造」は、イエス様お一人に留まるのではなく、イエス様同様の「死と復活」が、イエス様を信じるすべての人においても生じる「創造される」出来事であること、しかも、その創造が、人が生きているこの地上においてすでに「始まる」と証ししているのです。
 このような特長から判断する限り、イエス様の復活顕現の証言は、人間の主観が産み出した幻想だと切り捨てることはできません。また、共同体の<過去の出来事>を記念するために生じたとも言えません。この意味で、イエス様の復活は、ある種の「客観性」を帯びていると言えます。わたしは、先には客観的に確認できないと言い、今度は客観性があると言う。なぜでしょうか? ここでの言葉事象が、人間の主観的存在を根底から揺さぶる「神の言葉事象」だからです。それは、主観と客観を一つに結ぶ主客一如の霊性として働く神のお言葉の出来事です。「神の」言葉は、新たに<創造する>言葉です。人の思いを超えて人に働く創造の出来事です。この意味で、神の言葉は霊的な事象であり、霊言であり真言(しんごん)です。
■愛弟子
 今回も、イエス様の愛した弟子が登場しますが、愛弟子にかかわる今回の部分を資料的に見ると、ほんらいの資料では、ペトロとほかの同伴者たちが墓を訪れて(ルカ24章24節の「<わたしたち>のある者たち」に注意)、墓が空であることを発見したとあったのでしょう。けれども、そのことが弟子たちをして復活を信じさせるまでにはいたらなかったようです。今回のヨハネ福音書の証言でも、ペトロは、空の墓を見ただけでは、イエス様の復活を信じるにいたらなかったとありますが、彼と一緒に行ったほかの弟子たちもおそらく同様だったのでしょう。
 ヨハネ福音書では、ペトロのほかにイエス様の「愛弟子」が登場して、ペトロと共に墓を訪れます。彼は、ペトロよりも先に墓へ着くのですが、中へ入ったのはペトロのほうが先です。愛弟子が墓に入らなかったのは、ペトロを待っていたとも受け取れます。ヨハネ福音書によれば、この愛弟子が「最初に」亜麻布を見た証人です。亜麻布を見たのは彼が最初だとすれば、墓の中に入ったのはペトロが先です。しかし、<最初に信じた>のはやはり愛弟子です。この辺り、ヨハネ福音書の描写は微妙ですから、ペトロが後から来たから愛弟子よりも「劣っている」という見方は正しくないでしょう。一つの場面だけで二人の関係を判断するとヨハネ福音書の真意を見誤ります。
 後から墓に入った愛弟子は、そこに置かれた亜麻布とイエス様の頭をくるんだ覆いを見ます。愛弟子は、これを「見て信じた」とあります。「見て信じる」は、弟子たちとイエス様との最初の出会いから始まります(1章46節/同49〜50節)。ヨハネ福音書で「見て信じる」は、イエス様の奇跡を見た人が、イエス様が神から遣わされたメシア/神の子であると信じる場合の言い方です(2章23節/4章48節)。愛弟子は、亜麻布と覆いとを見ただけで、イエス様がよみがえられたと信じたとあります。イエス様の顕現を見ないうちに、イエス様がよみがえったと信じるのですから、これは後にイエス様がトマスに言われた「見ないで信じる」(20章29節)ことになります。
 ペトロは信じるにいたらなかったのに、愛弟子のほうは信じたとあるのは、いかにも二人を比較して、愛弟子のほうがペトロの「上にある」かのような印象を受けるかもしれません。この印象はここだけでなく、ヨハネ福音書の後半(13章以下)での愛弟子の登場に始まります。逮捕されたイエス様の後を追ったペトロを大祭司の家の中庭へ入るよう計らったのも(「もう一人の弟子」は愛弟子のこと)、ティベリアス湖畔で顕現したイエス様を最初に見つけてペトロに告げたのも愛弟子です。この弟子はペトロの「手引き」をする場合が多いようです。
 だからと言って、ヨハネ福音書は、必ずしもペトロよりも愛弟子を優位に置いているわけではありません。最初に墓に出かけて、最初に入ったのはペトロです。21章でイエス様からエクレシアの司牧の権威を授かるのもペトロです。愛弟子はペトロを霊的に手引きしているけれども、実際に指導しているのはペトロのほうで、これがヨハネ福音書の言おうとしていることのようです。ここでヨハネ福音書が強調したいのは、愛弟子こそイエス様復活の最初の証人ですが、これは二人の優劣を競い合わせる意図からではなく、ペトロと愛弟子が「愛し合う」仲であることを伝えようとしているのです。
 愛弟子は、ペトロたちにはできなかった復活を信じることができました。なぜでしょうか? 女性たちのように天使から告げられたからではありません。彼がイエス様の復活を信じることができた理由はただ一つ、先に指摘した通り、イエス様が「聖書の御言葉通りに」よみがえったことを悟ったからです。ただし、愛弟子も亜麻布と覆いを「見て信じた」(20章8節)のですが、ヨハネ福音書が言おうとするのは、突き詰めると「見る/見ない」の問題ではなく、「イエス様を愛する」ことこそが、復活を信じるもっとも大事な「決め手」だと言えましょう。
■解釈上の問題
 ここでちょっと解釈上の問題に触れておきます。ペトロと愛弟子の関係を見る場合、批評家は、とかくペトロと愛弟子との「ライバル関係」に注目して、この点を強調する傾向があります。一方は、教会でのペトロの「首位性」"primacy"をここに読み取って、ペトロのほうが「先に」墓に入ったことを強調しますが、これはカトリック的な立場からの見方です。他方、プロテスタントでは、ここではペトロよりもむしろ愛弟子のほうが「信仰的に」優位にあると主張します。これは教派同士のライバル意識を持ち込んだ解釈の例です。
 もう一つ問題となる例は、ヨハネ共同体とペトロを中心とする使徒的教会の関係が、二人の「ライバル関係」に反映しているという見方です。この解釈は、ヨハネ福音書が書かれた当時の教会の状態をヨハネ福音書に読み込んで、ヨハネ福音書と「使徒的教会」とを区別して、その「ライバル意識」をここに読み込もうとするものです。しかし、使徒的教会が制度的に確立するのは、2世紀に入ってからで、ヨハネ福音書の書かれた頃(90年頃)には、キリスト教の諸集会はまだ多様性を維持していたと思われます。だから、このような解釈は、ヨハネ福音書が書かれた当時の歴史的な状況を福音書の内容に読み込もうとすることで生じるものです。ある文書をそれが書かれた歴史的な状況において、「その視座から」その文書を解釈するのは間違いではありません。しかし、文書が伝えようとしている内容を、それが書かれた歴史的な状態に結びつけるやり方を過度に推し進めると、その文書が伝えようとしている<本来の意図>を読み誤る危険があります。教派間の対立を持ち込む現代的な解釈と、文書が成立した歴史的視座を読み込む解釈のふたつもまた、自分勝手な読み込みや恣意的な解釈同様に、聖書解釈の際に注意深く扱わなければなりません。
 今回の場合、これらのどちらも適切な解釈とは言えません。なぜなら、ヨハネ福音書は、愛弟子とペトロとを「ライバル関係」に置いているとは言えないからです。最後の晩餐の席で裏切り者が誰かをペトロは愛弟子に合図してイエス様に尋ねさせています。ペトロを大祭司の家に導き入れたのも愛弟子だと推定できます。愛弟子が先に墓についたのにペトロが先に入ったこともペトロへの配慮が感じられます。21章でも、イエス様の顕現を先に気がつくのは愛弟子ですが、先にイエス様のところへ行くのはペトロです。イエス様からのペトロへの司牧権の譲渡は、言うまでもなくペトロの優位性を表わしています。このように見てくると、ヨハネ福音書では、ペトロと愛弟子は<仲間>であって、決してライバル関係ではありません。だから、そのようなライバル関係をヨハネ福音書に読み込もうとするのは、ヨハネ福音書の作者の真意では<ない>こと、これだけは確かです。また、これは大事なことですが、ヨハネ共同体がそれ以外のキリスト教の諸集会から孤立していたとか離別状態にあったという判断も現在では正しいとは言えないと考えられています。
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