【注釈】
■今回の構成区分
ほんらい十字架刑とイエスの死とは一連の出来事ですから、19章16節後半~同37節をまとめて扱うのがよいのでしょう〔ギリシア語原典〕。しかし、受難の出来事をよく知るために、多少便宜的ですが、イエスから母と愛弟子への語りかけまでと(16節後半~27節)、イエスの最期とその死の確認まで(28~37節)との二つに分けて扱うことにしました。さらに28~37節は、内容と資料から見て、イエスの最期と(28~30節)、イエスの死の確認(31~37節)とに分けることができます〔新共同訳〕〔岩波訳〕。
ヨハネ福音書のイエスの最期の記事は、共観福音書のそれと大きく異なります。後半の31~37節は共観福音書に並行する記事がありません。共観福音書にあってヨハネ福音書にない出来事は以下の通りです。
全地に暗闇が臨んだ。
「エロイ、エロイ・・・・・」の叫び。
エリヤを呼ぶという誤解。
イエスの最期の叫び(ルカ23章46節)。
神殿の垂れ幕が裂けた。
地震/墓が開く/死者の復活(マタイ27章51~52節)。
百人隊長の「神の子」告白(マルコ15章39節)。
一方、ヨハネ福音書のこの部分で共観福音書と並行するのは、酸いぶどう酒を飲ませたことだけです。このように、ヨハネ福音書は共観福音書と大きく異なりますが、ルカ福音書もまた、マルコ=マタイ福音書の受難伝承とはかなり違っています。前回も述べたように、ヨハネ福音書が準拠している受難伝承は、かなり早い時期に共観福音書の受難伝承から分かれて伝えられたもので、ヨハネ福音書は、これに独自の神学的、霊的な解釈を加えています。31節以下の部分は、共観福音書との並行関係がありません。しかし、「血と水が流れた」証言を含む後半部も、おそらくヨハネ共同体が、最初期の教会から受け継いだ伝承に基づくものでしょう〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。ヨハネ福音書は、この部分でも、単に伝承を伝えるだけでなく、独自の象徴的な手法でこれを解釈しています。今回のヨハネ福音書は、全体として、共観福音書で扱われて<いない>部分に焦点を当てて、これに象徴的な解釈を加えているようです。
■共観福音書のイエスの最期
マタイ福音書はマルコ福音書に準じていますが、マタイ福音書とマルコ福音書との最大の違いは、マタイ27章51~53節です。マタイ福音書は、イエスが息を引き取った後の終末的な黙示とも言える事象を伝えています。ここは、「裂ける」「地震」「聖なる」など、ゼカリヤ書14章4~9節の終末的な黙示現象を思わせる内容になっています。これらをマタイ自身による加筆だと見るのは適切でありません。マタイ福音書の用語で「聖なる者」はここだけです。ゼカリヤ預言では「わが神なる主は聖なるみ使いたちと共に来る」と未来への預言になっていますが、マタイ福音書では、イエスの死にともなって、未来ではなく、すでに起こった出来事として語られています。しかもここでは、イエスの復活ではなく、死者の復活が語られていますから、イエスの死と共に、死者の一般的なよみがえりがすでに始まったことが分かります。最初期の原初教会では、イエスの十字架の死に伴う復活が、イエスだけでなく、人々一般の復活の始まりだと受けとめられていたと思われますから、これはマタイによる加筆ではなく、原初教会からの伝承を受け継いでいると見るほうが適切です。
ルカ福音書の記事は、マルコ福音書のそれに準拠しているようにも見えますが、「12時<頃>」「太陽が<欠ける>」、垂れ幕が裂ける時期がイエスの死の前である、百人隊長の言葉など、マルコ福音書との違いが目立ちます。しかし最大の違いは、マタイ=マルコ福音書にある詩編22篇からのイエスの叫びが抜けていることです。百人隊長の言葉も「正しい人であった」とあって、マルコ=マタイ福音書の「神の子であった」とは違っています。ルカ福音書の「義人/正しい者」という用語は、エノク伝承の用語を引き継いでいると指摘されています(ルカ23章47節→『第一エノク書』38章3節/ルカ23章35節→『第一エノク書』39章6~8節の「選ばれた者」を参照)〔Nickelsburg,1 Enoch. 84.Note(67).〕。なお、マルコ福音書ではイエスが再度「大声を出した」とありますが、ルカ福音書では、大きな声で「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」と言って息を引き取ります。
マルコ福音書では、先ず詩編22篇からの叫びがあり、次に「大声を出した」とありますが、その内容には触れていません。これに対してルカ福音書では、詩編22篇からの叫びは出てきませんが、その代わりに、マルコ福音書では語られていないイエスの最期の叫びの内容が語られるのです。確かではありませんが、ルカ福音書は、マルコ=マタイ福音書の受難伝承と異なる受難伝承に準拠しているのでしょう。それとも、この部分についてのルカだけの資料(L)があって、この資料にマルコ福音書の記事を採り入れて編集したのでしょうか? どちらの見方も可能なようです。
このようにルカ福音書の十字架の受難の描き方は、マルコ=マタイ福音書ともヨハネ福音書とも、強調点が異なっています。最大の違いは、十字架七言の最初の言葉「父よ、彼らをお赦しください」と、最後の言葉「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」です。また、共に十字架された「罪人」の一人が、イエスに救いを求めて、イエスから楽園の約束が与えられること、百人隊長からイエスの「無罪」を告げる証言がなされること、イエスが最期に父なる神にその霊を委ねて安らかに息を引き取ること、これを見ていた群衆が「胸を打って」イエスの死を悼んだとあることなどが異なります。このように、ルカ福音書では、十字架のイエスが、罪の赦しを人々に告げ、かつその無実が立証されます。イエスの十字架の死それ自体の意義については、イエスの最期の言葉に、詩編31篇6節が反映されていて、その死が贖いであることが示唆されるのです。
■ヨハネ福音書のイエスの最期
ヨハネ福音書の記事は、共観福音書と大きく異なりますが、イエスの死の直前に、海綿に含ませた酸いぶどう酒がイエスに差し出されたとある点では、マタイ=マルコ福音書と並行します。マタイ=マルコ福音書では、それが好意から出ているのかどうかに疑問がありますが、ヨハネ福音書では、イエスの「渇く」という言葉を受けて差し出されますから、イエスの求めに応じたのです。だから、イエスはそのぶどう酒を口にします(これはヨハネ福音書だけ)。一方ルカ福音書では、酸いぶどう酒が差し出されるのは人々の嘲りを受けている最中で、それが兵士による侮辱的な行為であることがはっきりしていますから、この点でルカ福音書は、ほかの三つの福音書と異なります。ただし、ルカ福音書でぶどう酒が差し出されたのは1回だけで、この点ではヨハネ福音書と共通します。
「イエスの死」について、共観福音書、特にマルコ福音書の語るイエスの死は、神に見棄てられたメシアとして「イエスの敗北」に近く、これに対して、ヨハネ福音書でのイエスの死は、栄光と勝利の死であるという見方があります。しかし、マルコ=マタイ福音書の描くメシアの死を「敗北者の死」だとする見方は、神殿の垂れ幕が裂けたことや百人隊長の「神の子」告白を考えあわせると適切とは言えません。また、ヨハネ福音書でのメシアの死を「勝利と栄光」と見なすのも、ヨハネ福音書のイエスの「受難の僕」像を正しく評価しているとは言えません。
共観福音書のメシア像に詩編22篇が反映しているのと同じように、ヨハネ福音書のメシア像には詩編69篇からの引用が背景にあります(ヨハネ2章17節→詩編69篇10節/ヨハネ15章25節→詩編69篇5節)。また、マタイ福音書では、詩編69篇22節の「苦いもの」と「酸いもの」とが、2度に分けて出てきますが、ヨハネ福音書は、「<渇くわたしに>酸いものを」とある詩編69篇を正確に反映しています。だから、ヨハネ福音書のイエスが言う「渇く」は、人間イエスの窮極の弱さと、これに伴う「死」を表わすものです。しかも、この「渇く」は、イエスの死を通して、永遠の命の水を「渇く」者に与えるメシア像へつながるのです(4章13~14節/7章37~38節)。
ヨハネ福音書のイエスのこのような「死と復活」のメシア像は、特にルカ福音書のそれと共通するところがあります(ルカ24章26~27節)。ちなみに、イエスの最期の描き方にも、19章30節の「その霊を引き渡した」は、ルカ23章46節の「わたしの霊を御手にゆだねます」と共通するところがありますから、ヨハネ福音書のイエスが、勝利のメシア像であるとは言え(ゼカリヤ書14章7~9節)、それは、共観福音書と同じ受難の僕像から出ていることに変わりありません。ヨハネ福音書の最大の特徴は、イエスの最期の言葉に「成し遂げられた」とあり、それが「聖書の言葉が実現するため」であったことが明らかにされることです。
■脇腹からの血と水
イエスの死の後半部分(31~37節)は、ヨハネ福音書だけの記事です。ここでは、イエスの足が折られなかったこと、槍で刺されたイエスの脇腹から血と水が流れ出たこと、これらが聖書の預言通りであることが記されています。これらと共通する記事は共観福音書にありません。神殿の垂れ幕が裂けたり、百人隊長が「イエスは神の子だった」と告白したりするマルコ福音書の記事と比較すると、ヨハネ福音書のそれは、ずいぶん様子が違います。
ブルトマンは、当時の主流の教会 "the Great Church" が、ヨハネ共同体とヨハネ福音書を自分たちの交わりへ受け容れる際に、ヨハネ福音書の内容を主流派の教会の信仰に合致させるために、主流の教会側がこれに編集の手を加えたと見ています。こういう視点から見るならば、ここ19章34~35節の「血と水」に関する部分も、後から挿入された編集の一つであり、したがって、ヨハネ福音書の原本は33節の「イエスの足を折らなかった」が、36節の「その骨が砕かれない」とあるのに続いていたことになります。ブルトマンがこのように推定するのは、「血と水」の部分には、イエスが神の小羊であることと、後の教会のサクラメントが反映していると見るからです。ブルトマンのこの資料判定は、(1)「血と水」には後の教会のサクラメントが反映している。(2)ヨハネ福音書は、主流派の教会による編集を受けている。この二つの前提によっています。だから31~35節の解釈は、ブルトマンのこの二つの前提が本当に正しいのか? という問題と関係します。言い換えると、ここにでてくる「血と水」はどのような意味なのか? という問題につながるのです。
■19章
[28]ヨハネは、イエスの死について言うべきことをこの28節に集約しています。
【この後】話をつなぐために通常用いる「これらの後」とは言い方が違います。「この後」の「この」(単数)は、語法的には直前で語られていること、エクレシアの代表としての愛弟子に母を託したことを指すのでしょう。この点に注目して、カナの婚宴に登場する母マリアと今回の箇所とを比較対照させて、婚宴での悦びのぶどう酒と、今回の「酸い苦難のぶどう酒」とを対照させる解釈もあります〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。しかし、ここは、「母をエクレシアに託し終えて、なすべき最後のことを終えたので」の意味に理解するほうが適切でしょう。
【成し遂げられた】原語は動詞「テロー」(終わる/成し終える)の受動態完了形です。この動詞は、続く「(聖書が)成し遂げられる/完遂される」(テレイオー)とはわずかに違う動詞ですが、内容的に見れば、どちらにも「(最後まで)成し遂げる」ことが含まれています。「知って」は「自覚する」「確認する」ことですから(13章1節参照)、「すべてのこと」が今や完了したことをイエス自身がはっきりと「自覚した」のです。「すべてのこと」とは、父が御子を愛して彼に<すべて>を「託した」こと(3章35節)、したがって、イエスがこの地上で「成し遂げる」ために、父から与えられた<すべて>のことを指します(13章3節)。
ここで言う「父から与えられたことすべて」を「成し終える」(17章4節)ことは、この段階で特別の意味がこめられています。それは、父の御心に従って「自分自身を神への犠牲として」献げることです。「成し終える」には、ほんらい、大祭司が贖いの犠牲の祭儀を最後まで遂行するという意味がありますから、ここにもこの意味がこめられているのでしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
さらに、ここ28節のイエスによる「テロー」(完成する)と聖書の「テレイオー」(成就する)は、どちらも受動態で用いられていますから、御子がその業を成し終えたことと、神がその業を成し終えたこととがここで重なります。ここは、創世記2章1~2節で「天地は完成され〔プアル態〕~神は(その業を)完成した〔ピエル態〕」と繰り返されていることとも呼応しているように見えます〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。なお、七十人訳の創世記で用いられているギリシア語は「シュンテロー」(完成する)で、これの名詞形「シュンテレイア」は「完成」を意味しますが、黙示文学でこの用語は「世の終末」を指します。
【聖書の言葉が】28節は語順から見て次のように訳すこともできます。「イエスは今や、聖書が成就するためにすべてが成し終えられたのを知って、『渇く』と言われる。」この訳だと、「聖書が成就する」ことと「すべてが成し終えられた」こととが一つになって「渇く」にかかることにもなります。「この後、イエスは聖書が成就されるためには、すでに万事が成し遂げられたことがわかったので言う『渇く』」〔岩波訳〕。マルコ=マタイ福音書のイエスの叫びで引用されている通り、ヨハネ福音書のここにも、詩編22篇の反映を見ることができます。ただし、イエスの叫びは22篇の冒頭からでしたが、ヨハネ福音書のここには、同16節「口は渇いて素焼きのかけらとなり」や詩編69篇22節「(人々は)渇くわたしに酢を飲ませようとする」が反映しています。だから「渇く」というイエスの言葉は(「言う」と「渇く」は現在形)、人間としてのイエスの極限の状態から出たうめきだと理解することができます。だとすれば、受難を最後まで耐え忍んだ「主の僕」が、その人間的な弱さを吐露した言葉だということになりましょう(4章6~7節)。「渇く」と言う極限状態におけるイエスの死が、人に命の水を与える源になること、このことをヨハネ福音書はここで指摘したいのです(4章14節/7章37~38節参照)。
[29]【酸いぶどう酒】ヨハネ福音書だけが、十字架の近くに、酸(す)いぶどう酒を入れた器が置かれていたと伝えています。ぶどう酒は、時が経って酸化すると酸っぱくなります(酸敗)。これを水で薄めて蒸溜すると渇きを癒やすよい飲物になります(現在の「酢」とは異なりますから注意)。この「酸っぱいぶどう酒」にも、濃いものから薄いものまで、また上等のものから日常のものまで種類があったようです(民数記6章3節/ルツ記2章14節)。この飲物(日常のギリシア語「オクソス」/ヘブライ語「ハーメッツ」/ラテン語「アケトゥム」)は日常喉の渇きを癒やすために用いる飲物でしたから、それ自体は好ましい飲物です。ただし、ローマの兵士たちや奴隷たちには、これとは別に酢と卵を水で割った飲物(ラテン語で「ポスカ」"posca")がありました〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)〕。もしも兵士の飲物としてその場に置かれていたのであれば、酸っぱいぶどう酒のことではなく、ポスカではなかったかという説もあります。
ここを「<苦いものを混ぜた>酸いぶどう酒」と読む異読があります。マルコ=マタイ福音書では、ゴルゴタへの途上で「苦いもの(没薬)を混ぜたぶどう酒」がイエスに差し出され、十字架上でも「酸いぶどう酒」を飲ませようとします。初めのものは麻酔の効果がありますが、後のほうは渇きを癒やすためです。これら二つのぶどう酒が混同されて、ヨハネ福音書の異読が生じたのでしょう。だから「苦いもの」は後からの追加です〔新約原典テキスト批評〕。なお「苦いもの」には詩編69篇22節が反映していると考えられますから、ヨハネ福音書の異読のほうは、ぶどう酒が好意からではなく、迫害者の悪意から出ていると解釈しているのです。
ヨハネ福音書では、イエスの最期にあたって、誰がこのぶどう酒を差し出したのかはっきりしません。19章23節にでてくる兵士の一人でしょうか? マルコ=マタイ福音書では、おそらくユダヤ人の一人でしょう(マタイ27章48節/マルコ15章36節)。ルカ23章36節では、人々が十字架のイエスを嘲る間に、兵士たちが「侮辱して」イエスに酸いぶどう酒を突きつけています。
【ヒソプに】これは現在ハーブとして知られているヨーロッパの「ヒソプ」のことではなく、聖書の「ヒソプ」は岩地や砂地で生育するマヨラナ・シリアカのことです〔廣部千恵子『新聖書植物図鑑』〕。マヨラナ・シリアカは、低木で小さな白い花が幾つもの群をなして咲きます。これは出エジプトの際に小羊の血を家の鴨居に塗るために使用されました(出エジプト記12章22節)。香りが強く、お茶にしたり、料理にも使用されますが、イスラエルでは、贖いの血を振り掛ける際などヒソプが浄めの儀式に用いられました(詩編51篇9節)。イエスに酸いぶどう酒を差し出すのにヒソプが用いられたとあるのはヨハネ福音書だけで、マルコ=マタイ福音書では「葦の棒」です。ぶどう酒を浸した海綿を巻き付けるのに、ヒソプの茎では少し弱いので、原語の「ヒュソッポー」(ヒソプ)を「ヒュッソー」(兵士の槍)と読み替える異読があります。しかしこのような読み替えは、筆写のさいの読み違いから来ていると考えられます〔新約原典テキスト批評〕。ヨハネがここで「ヒソプ」を用いたのは、ヒソプが贖いの血を振りかける儀式に用いられてきたことから、これに象徴的な意味を持たせるためだと見ることができます〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。
【差し出した】マルコ=マタイ福音書では「酸いぶどう酒に浸した海綿を葦の先に(刺すようにして)つけて、イエスに飲ませようと試みた」とあり、ルカ福音書では少し早い時期に兵士たちが酸いぶどう酒を「イエスに<突き出した>」とあります。共観福音書では、差し出す側の好意が感じられませんが、ヨハネ福音書では、イエスの「渇く」という言葉に応じて、「海綿に酸いぶどう酒をいっぱいに含ませて、これをヒソプの茎に巻き付けて、<イエスの口元へ>持っていった」とありますから、これはイエスへの好意から出たことが分かります。イエスがこれを「受け容れた」とあるのも、このためで、ここはヨハネ福音書だけの表現です。
[30]【成し遂げられた】原語の動詞は3人称単数で受動態完了形です。だから、十字架上の出来事だけではなく、イエスが父から遣わされてこの世へ来た目的全体が(4章34節)、最後まで完了したことを指します(28節の注釈を参照)。ここでは「完遂する」という動詞が表わす強い内容と、それが受動態であることとの間に、「完遂した」のはイエス自身でありながら、しかもイエス自身ではないという不思議な関係が潜んでいます。このような受動態のことを「神による受動態」"divine passive"と言いますから、この事態をイエスから見れば、ようやく「これで終わった」という安堵の意味にもなりましょう("It is finished."〔NRSV〕)。
【息を引き取る】マルコ福音書とルカ福音書では「息絶えた」です。ただし、ルカ福音書では「わたしの霊を御手に委ねます」と最期の言葉が語られた後に「息絶えた」が続きます。マタイ福音書では「息を引き取った」です。これに対してヨハネ福音書では、「頭を垂れて霊を引き渡した/委ねた/託した」ですから、ルカ福音書のような「誰に」託したのかは語られません。ルカ福音書とヨハネ福音書が共にマルコ=マタイ福音書の内容と異なることは、マルコ=マタイ福音書系の伝承とは異なるルカ=ヨハネ福音書系の受難伝承があったことを物語るもので、ルカあるいはヨハネによる創出ではありません。「霊を<渡した>」とあるギリシア語の動詞「パラディドーミ」は、イザヤが受難の僕について預言した箇所、「彼の命(魂)は死に<引き渡され>/罪人の一人に数えられ/咎(とが)ある者たちの罪を担った」(七十人訳イザヤ書53章12節)を反映しているという見方があります。そうだとすれば、「引き渡す」とあるその相手に「死」も含まれているのかもしれません(18章2節:ユダがイエスを「引き渡す」/19章16節:ピラトがイエスを「引き渡す」を参照)。しかし、「頭を垂れた」とあるその姿を「死を克服した眠り」だと受けとめる解釈もあります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
このように、イエスの「死」は、確かな死です。しかも、その死が、そこに留まらず、イエスが復活する栄光へと言わば逆転するのです。これが、「受難物語の裏切り」〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕と呼ばれる逆転劇の構造です。ヨハネ福音書のイエスは、こうして、十字架上で静かにこの世を去ったという印象を受けます。もしかすると、ヨハネ共同体の支柱であった「イエスの愛弟子」の最期の様子が、ここに反映しているのかもしれません。
[31]【準備の日】この節からは、ヨハネ福音書だけの記事になります。「準備の日」とは、安息日(土曜)の準備をするための日を指しますから、金曜日になります。ところが、ここに問題があります。ヨハネ福音書では、これまで、イエスが十字架された日を「<過越祭への>準備の日」(ニサンの月の14日)と言ってきました(18章28節/19章14節)。ところが、ここ19章31節では「準備の日」とだけあって、「過越祭」が抜けているのです。「準備の日」とは、通常「<安息日の>前の準備の日」(金曜日)のことです。過越祭の準備の日は、過越の日の前日、すなわちニサンの月の14日のことです。しかし「準備の日」とは安息日(土曜)の前日の金曜日のことですから、日にちは特定されません。
共観福音書とヨハネ福音書とでは、十字架と埋葬の日が1日ずれているので、どちらが史実なのかが問題にされています。十字架刑の日が金曜日であるのは四福音書で一致していますから、問題の核心は、その金曜日が14日(過越祭の前日)なのか? それとも15日(過越祭の初日)なのか? という点です。ヨハネ福音書は、これまで、十字架刑の金曜日は「過越祭の準備の日/前日」、すなわち14日だとしてきました。ところが、この31節だけは「安息日の準備の日/前日」という言い方をしているのです。この言い方は、受難の金曜日が、過越祭の前日の14日(したがって15日が安息日)でも、共観福音書の言うように過越祭の週の初日の15日(したがって16日が安息日)でも、どちらにもあてはまります。
さらにヨハネ福音書では、その「準備の日」が「翌日は特別の安息日」であったとあります。原文を補って直訳すれば、「その安息日は(安息日の中でも特に)大いなる日」であったとなります。「安息日の中でも<大いなる日>」"a solemn feast day" 〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕とは、たまたま、この年の過越祭の週の初日(15日)が、安息日(土曜日)にあたったからでしょう(「大いなる安息日」という言い方はほかに見あたらないようです)。レビ記23章5~14節によれば、過越祭の頃の安息日(この安息日が正確に何時かはっきりしません)には、その年の初穂(おそらく大麦の束)を聖所の祭司のところへ携えてきます。祭司は、献げられた初穂を<安息日の翌日>に祭壇の上で「揺らし」ます。また、小羊や雄羊などほかの献げ物を同時に祭壇で献げます。
ヨハネ福音書の内容から判断すれば、受難の金曜日が、過越祭が始まる前日(14日)で、その翌日(15日)が安息日(土曜)になります。しかし、共観福音書で判断すれば、受難の金曜日が過越祭の初日(15日)で、その翌日(16日)が安息日になります。ブルトマンは、ヨハネ福音書で、ここだけが、安息日前日を指す「準備の日」(金曜日)とあるのに注目しました。彼は、この部分が、マルコ15章42節の「その日は、準備の日、すなわち安息日の前日であった」と共通する資料から入り込んでいると推定したようです。だから、ヨハネ福音書の資料によれば、<元来の記事では>、受難は15日であって、「大いなる安息日」とは16日にあたっていたと推定したのです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
しかし、ヨハネ福音書がここで言う「準備の日」が14日で<ない>とは言えません。だから、31節の「準備の日」だけで、実際の受難の日を15日だと判断するのは難しいと言えましょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。特にヨハネ福音書では、イエスが過越の小羊として犠牲にされたと解釈されていることから、その日は過越祭(15日)の<前日の>午後でなければならない、というのがブラウンの見解です。だとすれば、ヨハネ福音書では、イエスの受難の翌日が過越祭の当日で「大いなる」安息日です。「大いなる安息日」とは、創世記で神が天地創造の業を完成されてから、その翌日に「安息した」とあることから出ています。だから、イエスの十字架で新たな創造の業が「完成し」、その翌日が安息日に当たるからではないか。このように考えれば、ヨハネ福音書は、これまで「過越祭への準備の日」という言い方で、受難の日が14日であることを明示しておいて、ここで「(安息日への)準備の日」と言い換えることで、その日が金曜日であることを示そうとしている、という解釈が可能になります。
【足を折って】これは鉄の棍棒などで、足の骨を砕いて死に至らしめる処刑ですから、十字架刑とは別の処刑の方法です。しかし、十字架刑の場合、死にいたるまで数日かかることもありましたから、この「足を折る」方法が併せて用いられることがありました。通常は足の骨だけですが、その他の骨を砕く場合もありました。ただし、十字架刑の場合、それは苦痛を与えるためと言うよりは、これによって死期を早めるので、かえって温情ある処置だとされたようです。ただし、ユダヤ人の指導者たちがピラトにこの処置を願い出たのは、イエスに温情を与えようとするからではなく、「汚れを及ぼす」死体を木にかけたまま安息日を迎えないようにするためです(申命記21章23節参照)。
[32]~[33]ローマの処刑では、十字架刑の遺体は朽ち果てるまで放置しておくのが慣わしでしたが、ピラトは、ユダヤ側の要請を受け容れたようです。その際、ピラトが、兵士たちにイエスの死んだことを確かめさせたとあるのはマルコ15章45節だけです。兵士たちが、先に両側の者の足を折ったのは、彼らがまだ生きているのが分かったからで、イエスのほうは、すでに死んでいると「見てとった」(原語の意味)のでしょう。ただし、実際に発掘された遺体の例から判断すると、埋葬の際に便宜上足を折ることもありました。
[34]【槍で】日本のキリシタン殉教の場合でも見られるように、十字架刑の者を槍で刺す場合がありました。ただし、ここでは、イエスが死んでいるかどうかを確かめるためです。しかし、ヨハネ福音書は、このこと自体にも聖書の預言成就を見ています。
【血と水】これが何を表わすのかについて、いろいろな説があります。
〔これは事実か?〕
死人から血が流れ出ることは通常では考えられません。だから、イエスはほんとうは死んでいなかったという説まであるほどです。
(1)古代教父の時代から、ヨハネ福音書は、これを「奇跡」として描いているという解釈がありました(オリゲネス/トマス・アクィナス/ブルトマンなど)〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
(2)しかし、医学的に見ると、このようなことが<ありえない>とは言えないようです。心臓は、さらにその周囲を心膜(心嚢)で覆われており、心臓と心膜との間に「水が溜まる」場合があります。心臓破裂によって血液が心膜に流れ出し、血漿が凝固すると水と分離します〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。しかし、血漿が心膜内で凝固するまでには時間がかかるので、分離は直ぐには生じないようです。また、死後でも刺された心臓から血液が流れ出て、心嚢からは水が出ることが考えられます。しかし、この場合血と水とは混じり合って出るのではないかと思われます。
(3)それよりも、イエスの血と水は、肺を包む胸膜と、さらに胸膜の外を包む膜との間にできる肺膜腔に水液が存在していて、肺からの出血によってこの肺膜腔に血が流れ込むと、垂直に十字架されていた場合、上には水が溜まり、下には血液が凝固して溜まります。この肺膜腔を刺されると、血液と水とが分離して流出すると考えられます。イエスは、激しい鞭打ちで肺の内部に出血が起こり、かなりの時間がたってから十字架されましたから、この可能性があります。この場合、イエスは、呼吸困難で窒息死したことになります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
イエスの脇腹が刺された折りに流出した「血と水」が、どのような医学的な原因によって生じたのかを今となって確認することは困難です。ただ、このような事態が実際に起こったこと、そのことをヨハネ福音書は、「これを見た者が証ししており、その証しは真実である」(35節)と証言することで伝えているのです。しかし、ヨハネ福音書がここで言う「証しする」「真実である」とは、そのような事実確認のためだけではありません。それ以上に、ヨハネ福音書の作者は、この出来事に霊的な意義を見出し、これに神学的な解釈を加えているのです。次にヨハネ福音書が意図しているこれらの諸点を見ることにします。
〔血と水が意味すること〕
(1)イエスの死を確認する:「血と水」は、なによりもイエスの死が確かであることを確認したことを意味します。ヨハネ共同体の頃にも、十字架上のイエスは実は「ほんとうの」イエスではない。キリスト(救い主)としてのイエスの霊はすでに十字架上には存在せず、イエスの死に先立って「天に戻っていた」という説がありました。これは「キリスト仮現説」(「ドケティズム」 "docetism" )と言われる説で、人間としてのイエスは、本当のキリストではなく、キリストが「仮の姿」をまとっていたにすぎないという見方です。ヨハネ福音書のイエス・キリストに、このような仮現説を読み取ろうとする解釈が現在でも存在します(例えばエルンスト・ケーゼマン著『イエスの最後の意思』)。グノーシス派と呼ばれる人たちが、自分たちの仮現説を支持するために、ヨハネ福音書を彼ら流の仕方で引用したことも、このような解釈の一因となっています。
しかし、この問題に対して、ここ34節が、はっきりとした答えを出していると言えます。なぜなら、ここでは、人間としてのイエスが死んだことだけでなく、神から遣わされた「御子イエスの死」こそが、ここでヨハネ福音書が伝えようとしている大事なメッセージだからです(3章16節)。この世は、神が遣わされた御子を「受け容れなかった」のです(1章11節)。仮現説は、その後、キリスト教では異端とされますが、ヨハネ共同体から生まれたヨハネ福音書は、仮現説と向き合い、これを否定する最初期の段階の文書だと言えるかもしれません。イエスは、十字架の死を通ることで初めて、キリストとしての業を「成し遂げ」ました。「イエス・キリストは、水と血を通って来られた方」(第一ヨハネ5章6~10節)だからです。だから、「イエス・キリストが肉(人間)となって来られたことを告白する霊こそ神の霊です」(第一ヨハネ4章2節)であり、これを認めない霊は偽預言です(同1節)。これが「血と水」が表わす大事な意義の一つです〔バレット『ヨハネ福音書』〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。
(2)小羊の血:ヨハネ福音書では、イエスの受難が、過越の犠牲として屠(ほふ)られる小羊と見なされていることは、すでに指摘しました。今回の箇所では、兵士が槍で脇腹を刺すと「すぐに」血と水とが「流出した」とあります。このことは、ユダヤ教の司祭が、犠牲を献げる際に、犠牲の動物の血を祭壇に振りかけるために、流れ出た血を<すぐに>用いなければならないことと関連します〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。イエスに酸いぶどう酒を飲ませる際に、共観福音書が言う「葦の棒」ではなく、出エジプトの際に小羊の血を家の鴨居に塗るために「ヒソプ」が用いられていることは先にも指摘しました。また、「彼らは、自分たちの刺し通した者を見る」(37節)も、当時のユダヤ教では、過越の小羊がザクロの枝で口から「刺し通されて」焼かれたことと関連するのかもしれません〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。したがって、ここでのイエスの「血」は、過越の犠牲の小羊の血と見なされています〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。共観福音書では、イエスの十字架刑が重視されていますが、ヨハネ福音書では、これをさらに進めて、イエスから流れる「血と水」の流出に受難の意味を見出しているのです。
(3)御霊の水:第一ヨハネ5章6~9節にでてくる「水と血」は「真理の霊」と結びついています。このことは、19章34節の「水」が象徴する神学的な意味を伝えてくれます。これを洗礼の水と関連づける解釈もありますが、ヨハネ福音書では、「水」は「霊」を象徴し、とりわけ、イエスが受難の栄光を受けることによって降る「聖霊」を指しています(7章38~39節)。そこでは「栄光を受けた」イエスから流れ出る御霊が「生きた水の川(複数)」と言い表わされていますから、これはヨハネ黙示録22章1節の「命の水の川」へとつながるのでしょう。なお、このような「命の水」は、モーセがその杖で岩を打つと水が流れ出たという石清水(いわしみず)伝承にさかのぼるものです(出エジプト記17章6節/民数記20章8節/なお第一コリント10章4節を参照)〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。このために、ヨハネ福音書のここでの「目撃者」は、血よりも水が流れ出たことのほうを重視しているという見方があります〔キーナー前掲書〕。
(4)ここの「血と水」をギリシア神話に出てくる神々の「血液」(ギリシア語「イコール」)と比較する説があります。ホメーロスの『イーリアス』(5巻)に、女神アテーネーの庇護を受けたアカイア(ギリシア)軍の勇者ディオメーデースが、女神アプロディーテーから産まれたとされるトロイ軍の指揮者アイネイアースに打ちかかる場面があります。テューデウスの息子(ディオメーデースのこと)が、鋭い手槍でアイネイアースにとびかかると、息子を守ろうとしたアプロディーテーの手首を傷つけます。すると「『神血』(イコール)と呼ばれる女神の不死/不滅の血が流れ出た」(『イーリアス』5巻339~340行)とあります。
この説では、19章のイエスの「血と水」をこのようなギリシア神話の女神の「不死の血液」の類比と見て、両者を関連づけるのです。しかし、イエスの受難と『イーリアス』の場面とを同一に見るのは、文学的な視点から観れば、「イメジャリの位相」として不釣り合いです。もしも、復活したキリストの軍隊と、同じく天に住まうサタンの軍勢とが闘って、サタンの槍がキリストの脇腹を刺すと、そこから神であるキリストの「不死の血液」が流れ出たというのであれば、『イーリアス』の描く場面とイメージする位相が釣り合います。このような類比は、ヨハネ福音書の描くイエスが、地上とはかけ離れた超自然の「半神キリスト」であり、したがって、十字架の受難の場も、地上の出来事と言うよりは、神々の世界と同列に想定するところから生じたと考えられます。この場合、キリストはギリシア神話の「不滅の英雄」です。おそらくこの解釈は、ユダヤの殉教者列伝、例えば、イエスとほぼ同時代に書かれた『第四マカベア書』の影響を受けているのでしょう。『第四マカベア書』では、殉教者の血が彼を焼く炭火を消した(同9章20節)とあります。しかし、ここでのヨハネ福音書の作者の意図が、イエスの「血と水」によって、このような殉教者の英雄的な死を象徴しているとは考えられません〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。このようなギリシア神話との類比は、ブラウンの言葉を借用するなら「福音書記者の意図よりも解釈者の才能のほうがより発揮されている」と言えましょう。
(5)聖餐の象徴として:ここの「血と水」は、後の教会でサクラメント(洗礼と聖餐)を指すと解釈されました。キリスト教会は、イエス・キリストの脇腹の「血と水」から産まれたのです〔The Jerome Biblical Commentary. Raymond E. Brown, Joseph A. Fitzmyer and Roland E. Murphy, O. Carm. Eds. John. 19:32-34. 〕。しかし、このようなサクラメント的な解釈が<直接に>ヨハネ福音書の意図だと理解するのは無理でしょう。水が洗礼を、血が聖餐を表わすというのは、そのような解釈を可能にする第二義的な意味として、潜在的に含まれていたと見るべきです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
[35]【目撃した者】原文は「(これを)見た者が証しをした〔単数完了形〕・・・・・彼は、(彼が)真実を言っているのを知っている〔現在形〕」です。「見た者」とあるのは「血と水」をその場で見た人のことです。では、「彼(目撃者)が真実を語っていることを<彼は>知っている」と言うその「彼は」とはだれのことでしょう? 「彼は知っている」と「彼が真実を言う」と「これを見た者」、この三者は同一人でしょうか? 「血と水」を伝えているその証人は、ヨハネ福音書の記者<として>語っているのでしょうか? それとも福音書の記者に<向かって>語っているのでしょうか? これがはっきりしないのです〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
(1)21章24節には、「これらのことについて証しをし、それを書いたのはこの弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている」とあります。ここでは、「これらのことを証ししているこの弟子」と「わたしたち」とは別だと見なすことができますから、21章24節とここ19章35節とを関連づけて、どちらの場合も、目撃した証人と、その彼を知っている福音書の作者と、両者を区別しているという見解があります。ただし、この説は、ここ19章35節も21章24節と同じように、後からの挿入だという前提に立ってこのように見なすのです。
(2)あるいは、「彼は知っている」とある「彼」とはイエス・キリストのことだという説もありますが〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、これは内容から判断していささか奇妙です〔バレット前掲書〕。
(3)ヨハネ福音書の語り方から見れば、語り手(福音書の作者)と登場人物(愛弟子)が同一であってもおかしいとは言えません。「証しした」とある完了形は、その証しが現在もなお継続していることを意味しますから、「彼が真実を言っている」という現在形と矛盾しません(21章24節参照)。物語の登場人物が、自分のことを3人称で語るのはユダヤ教でもよくあることで、しかも、ヨハネ福音書では、その登場人物が福音書の語り手(作者)と同一化する場合があります(3章13~21節/5章19~29節/17章1~5節)。このことから、35節の「目撃した者」は「その者」であり、「その者」とは「自分」のことだと理解することができます〔新共同訳〕〔バレット前掲書〕。「水」がイエスの受難を通じて降る御霊を予兆しているとすれば、これを「目で見た」証人とは、イエスの愛弟子のことです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。イエスもまた、自分について証しする者として、真理のパラクレートス(御霊)と弟子たちとを共にあげています(15章26~27節)。
[36]【その骨は】「イエスの骨が砕かれなかった」とあるのは、過越の小羊の「骨を折ってはならない」(出エジプト記12章46節/民数記9章12節)とあることに関連します。ただし、このことが「聖書の言葉が実現するため」とあるのは、詩編34篇21節に「(主は)骨の一本も損なわれることのないように彼を守ってくださる」(七十人訳33/34篇20節のギリシア語と共通)とある預言が成就したという意味です。この34篇は、第二イザヤにでてくるヤハウェの受難の僕(52章13節~53章12節)とも通じています。しかし、ヨハネ福音書は、なぜこれほどまでにイエスの体の骨にこだわるのでしょうか? ひとつには、当時のユダヤ教では、人の体が復活するためには、その体が完全に保存されていなければならないと信ぜられていたことがあります。しかし、それだけでなく、共観福音書も証ししている通りに、「イエスの体」が復活しなければならないのは、「キリストの死と復活が、人類にとって<画期的な出来事>となるためには、それが現実に生起すること、死と復活を含む出来事全体が、<この世/地上で>起こることが必要だからです」〔Dodd, The Interpretation of the Fourth Gospel. 442.〕。
[37]【彼らは見る】ここの聖書の引用は、ゼカリヤ書の預言「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ」(ゼカリヤ書12章10節)を指しています。この箇所は、当時のユダヤ教において、メシア預言として解釈されていました。しかし、ここでのヨハネ福音書の引用は、そこで預言されていることが、なによりも、イスラエルの民自らが「神御自身(あるいは神が遣わした者)を刺し貫く」という内容だからです。しかも、神を刺し貫いた民自身が、「終わりの日」に、自分たちの行為を悟って、自分たちが「独り子」を失ったように悲しむのです。それでも神は、そのような民に「憐れみと祈りの霊を注ぐ」のです。ここには、イスラエルの「受難の僕」伝承がはっきりと受け継がれています。ただし、ゼカリヤ書の預言は「終わりの日」に起こることですが、ヨハネ福音書では、それが、すでに起こっているのです。
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