【注釈】(2)
[1]14章から17章までは、共観福音書にその並行箇所がありません。ここ18章1節から再び共観福音書との並行関係に入ります。1節は、共観福音書の「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた」(マタイ26章30節=マルコ14章26)と対応します。共観福音書では、これに続いてゲツセマネでのイエスの祈りが来て、イエスの逮捕につながりますが、ヨハネ福音書では、1節からイエスの逮捕に入ります。だから、ヨハネ福音書では、ゲツセマネの祈りの代わりに17章の「大祭司の祈り」が置かれているとも言えます。また、受難の物語が始まる直前の「父よ、わたしをこの時から救ってください」(12章27節)というイエスの祈りが、ゲツセマネの祈りにあたると見ることもできます。
【キドロンの谷】イエスの時代には、エルサレムを囲む東の城壁に沿って南北に延びる険しい谷があり、そこはオリーブ山の麓にあたります。当時のエルサレムの城壁は、現在のそれよりもはるかに高く、したがって、城壁の上から見下ろす谷は相当に深かったでしょう。ゲツセマネは、谷の北のほうで、神殿の東の城壁と向き合うオリーブ山の中腹にあたります。現在の最後の晩餐の部屋とされている場所は、エルサレムの南西部にあったエッセネ地区にあります。そこからだと、エルサレムの南の下町部分を通り抜けて、城壁の東の門から谷へ出て北へ上がることになりますから、かなりの距離になります。
【園】「ゲツセマネの園」と呼ばれていて、現在ここには「万国民の教会」が建てられています。これは4世紀の教会堂にならって1919年に諸国の人たちの寄金によって建てられたものです。その傍にゲツセマネの園があり、幾本かのオリーブの木があって、その中の一本は樹齢2000年以上とも言われていますから、イエスが祈っていた時に、すでにここにあったことになります。
[2]【ユダ】ユダが裏切ることは、すでに6章64節にでています。ここ2節は共観福音書にありません。イエスと弟子たちがしばしばここに集まっていたとあるのは、ルカ21章37節に、イエスは夜になると「オリーブ畑」と呼ばれる山ですごした(祈ったことか)とある場所と同じではないかと思われます。
[3]【一隊の兵士】これは、祭司長たちが遣わした役人たちと区別されていますから、ローマの兵隊です。ローマ軍の「一隊」(コホルス)とは、「軍団」(レギオー)を構成する「部隊」です。通常の場合1コホルスは200人~600人で構成されて、千人隊長に率いられていました。ただしここでは、正規の人数よりもはるかに少ない「派遣部隊」のことでしょう("detachment"[NRSV])。この記事は、イエスの逮捕と、これに続く裁判と処刑の最初からローマが関与していたことをうかがわせます。「ユダヤ人」の背後に控えていた「この世の支配者」(14章30節)が、ついにその姿を現わしたのです。ただし、はたしてイエスの逮捕にローマの兵隊が実際に関わっていたかどうかは疑問です〔ブルトマン『ヨハネ福音書』〕〔バレット『ヨハネ福音書』〕〔キーナー『ヨハネ福音書』〕。共観福音書には、ローマの兵隊が逮捕の場面にでてきません。ヨハネ福音書は、「この世」の全貌を露わにするために、大祭司たちの背後にローマの存在があることを言い表わそうとしたのでしょう。
【下役たち】神殿警護の警察のことです。彼らは大祭司の指揮下に置かれていました。しかし、イエスの逮捕は、大祭司側からピラトに通報されていて、ピラトの内諾を得て行なわれたのではないかと推測することもできます。もしも両者の間で何らかの打ち合わせがあったとすれば、ここでのヨハネ福音書の描写のほうが、より「史実に近い」と言えましょう。少なくとも、ヨハネ福音書が、ローマに対してイエスの立場を「弁明/弁護」する意図で描かれて「いない」ことは確かです。ユダヤ側とローマ側との相互関係が、どのようなものだったのか? これが、今も受難記事を読み解く際の一つの問題になっています。
【引き連れて】ユダは、逮捕に向かう兵士や役人たちの道案内をしたのであって、彼らを「指揮していた」のではありません。
【松明やともし火】これもヨハネ福音書だけが記しています。原語の「ファノス」には「松明/提灯(カンテラ)」の意味があり、「ランパス」も「松明/ランプなどの明かり」の意味があります。「松明」"lanterns and torches"[NRSV]が夜間の軍隊の装備として欠かせないのは古代の西洋も東洋も同じで、「松明と灯火」はセットになって、ローマの部隊の夜間の装備の一部とされていました〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
[4]【起こること】原義は「来るべきこと」です。ヨハネ福音書には、イエスが、これから起こることを予知していたことがしばしばでています(16章13節参照)。
【進み出て】これもヨハネ福音書だけです。父の御心に「進んで」従うのがヨハネ福音書のイエスの姿です(10章18節)。したがって、共観福音書では、イエスを「見分ける」ためにユダが接吻しますが、ヨハネ福音書にはこの記事がありません。
[5]【ナザレのイエス】新約聖書には「ナザレのイエス」「ナザレ人イエス」「ナザレの出のイエス」という言い方が12回でています(マルコ1章24/同10章47節/同14章67節/同16章6節/ルカ4章34節/同18章37節/同24章19節/ヨハネ18章5節/同7節/同19章19節/使徒言行録10章38節/同22章8節)〔新共同訳〕。原語は「ナザレット/ナザラ」(ナザレ)と「ナザレーノス」(ナザレ人)と「ナゾーライオス」(ナザレ人)です。このように「ナザレ人」には、「ナザレーノス」(マルコ福音書とルカ福音書)と「ナゾーライオス」(マタイ2章23節/同26章71節/ルカ18章37節/使徒言行録7回/ヨハネ18章5節/同7節/19章19節)のふたとおりの言い方があります。これで見ると、ヨハネ福音書の資料とマルコ福音書の資料とは異なっているのが分かります。
「ナゾーライオス」には、「ナザレ人」の意味だけでなく、以下の用法もあるので、意味が混同された可能性があります。
(1)洗礼者の信奉者たちも「ナゾーライオス」(「(律法を)遵守する」の意味からか)と呼ばれていました。この「ナゾーライオス」は、洗礼者の流れを汲むマンダ教徒たちをも指していたようです。ここから、洗礼者の流れを汲むユダヤ人キリスト教徒たちの中から「ナザレ派」と呼ばれる人たちが出ることになりますが、「ナザレ派」と洗礼者との関係ははっきりしません。
(2)「ナゾーライオス」は、神に聖別された人の意味で「ナジル人」(士師記13章5節)とも関連して用いられました。
(3)「ナゾーライオス」は、イザヤ書11章1節の「エッサイの株からひとつの芽(ヘブライ語「ネツェル」)が生えて」とあることから、「メシア」の意味にもなり、これがイエスを指すという説もあります。
しかし、四福音書を通じて、「ナザレのイエス/ナザレ人イエス」は、イエスの出身地である「ナザレ」を指すというのが最も適切です。ちなみに、筆者(私市)は、特に復活信仰成立以前の生存中のイエスを指す場合に「ナザレのイエス」を用いています。
【わたしである】「わたしが(その)イエスである」と「そのイエス」を補っている異読がかなりあります。これはおそらく後からの加筆だと思われます。写本によって「イエス」の置かれている位置が異なるのもこのためでしょう〔新約テキスト批評〕。ヨハネ福音書は、「わたしがイエスである」の意味で「わたしである」(エゴー・エイミ)を用いたのかもしれませんが、少なくとも、ヨハネ福音書に親しんできた読者には、この言葉が、イエスを通して顕れる神の顕現を指すと受け取られたのは間違いありません(13章19節)。
[6]イエスの「エゴー・エイミ」が、彼の前にいた人たちを打ち寄せる波のように倒したのです。大勢の聴衆に向かって霊能の説教者が強く迫る場合に、この現象が起こるのを筆者も幾度か目撃しています。だから、「これはヨハネの神学的な構想であって、歴史的な事実の記憶から出たものではない」〔ブラウン『ヨハネ福音書』〕という注釈は誤りです。「神そのものに関わる言葉が、敵対者たちを押し返すだけの力があった」〔バレット『ヨハネ福音書』〕と見るほうが適切です。この現象は、特に話し手に近いところから起こる傾向があります。「倒れたのは前方にいた人たちではなかったか」という注釈をブルトマンがわざわざ引用して、そのような注釈は「滑稽である」と断じていますが〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、むしろ断じているブルトマンのほうが「滑稽」です。
[7]~[8]大祭司たちは、おそらく首謀者(イエス)を先に逮捕するよう命じていたのでしょう。ローマ側の反乱鎮圧のやり方も最初に首謀者を捕らえる方法をとっていましたから、イエスはこのことを見抜いて(「捜す」とあるのは「求める」こと)、重ねて自分が相手の求める人物であると告げたのです。
【去らせなさい】マルコ福音書とマタイ福音書には、弟子たちが「イエスを見捨てて逃げた」(マルコ14章50節/マタイ26章56節)とありますが、ここヨハネ福音書では、イエスが進んで弟子たちを逃れさせたことになります。これは弟子たちが「逃亡した」のではないと彼らを弁護するための追加ではないかと見る説もありますが、そうではなく、ヨハネ福音書の意図は、自分を捨てても弟子たちを守ろうとするイエスの意志を表わすためでしょう(10章14~15節)。
[9]マルコ福音書とマタイ福音書では、起こった出来事が旧約聖書の成就であると述べていますが(マルコ14章49節/マタイ26章56節)、ヨハネ福音書では、「イエスの言葉」が成就するためであるとなっています(18章32節参照)。ここは17章12節のイエスの言葉を踏まえていると思われますが、そこでは、イエスではなく聖書の言葉が成就するためですから、旧約の預言とイエスの言葉とは、この9節で重なり合っているのが分かります。なお、この場合は、17章12節の「わたしはあなたが<お与えになった御名によって>彼らを守りました」は、むしろ「わたしは御名によって<あなたがお与えくださった彼らを>守りました」と読むほうが、9節の内容に合致します。
[10]【シモン・ペトロ】切ったペトロと切られたマルコスの名前をあげているのはヨハネ福音書だけです。口頭伝承では、後になるほど人名などが加えられる傾向がありますから、ここでも、名前は作者による創作ではないか?と言われています。しかし、マルコ福音書が「その場に居合わせた人たちの<ある人>が」と言う時に、マルコ自身が知っていて、意図的にその名前を隠している節があります。したがって、ヨハネ福音書がこれを「シモン・ペトロ」と特定しているのは、史実に基づくと判断することもできます。「マルコス」はごく普通の名前ですが、四福音書すべてに「ある大祭司の手下/僕」とありますが、これも、福音書の読者たちには、特定の人物として知られていたことをうかがわせます。
【右の耳】「右の」とあるのはルカ福音書とヨハネ福音書だけです。しかし、「耳」の原語がルカ福音書とヨハネ福音書とでは違っていますから、同じ資料から出ているとは考えられません。相手に向かい合って「右の」耳を切り落とすのは、右利きには不自然なので、ペトロは「左利き」ではなかったかという説があります。
【剣】短剣のことです。ペトロはこれを懐に隠し持っていたのでしょう(ルカ22章38節参照)。なお、捕り手のほうも「武器」を持っていたとありますが、こちらは通常の剣(つるぎ)のことです。
[11]「剣をさやに納めなさい」とあるのは、マタイ福音書とヨハネ福音書だけです。けれども、マタイ福音書では「元の場所へ入れる」ですから、ヨハネ福音書の「鞘」とは言葉が違います。また、これに続くイエスの言葉が全く異なっていますから、これも同じ資料からではありません。
【杯】具体的には「受難の杯」のことです(マルコ10章38節/同14章36節)。「杯」は、旧新約を通じて、このように神がそれぞれの人に与える「御心」「使命」「定め」などを象徴します(詩編23篇5節/イザヤ書51章22節)。ヨハネ福音書にはゲツセマネの祈りがでてきませんが、11節に、受難は「父が与えてくださる杯」であること、イエスがそれを御心のままに「自分から受け取ろう」としていることなど、共観福音書には表われない言い方がでています。これを作者の編集と考えることもできますが、共観福音書にある「杯」の意味を的確にとらえて、これを解釈していますから、四福音書の背後には、イエスの杯について最初期からの伝承があったと思われます〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
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