【注釈】(1)
■ヨハネの受難物語
 イエスの受難物語は、福音書の最後の部分にあたりますが、実は最も早くからキリスト教徒たちの間で語り継がれていました(第一コリント11章23~25節)。したがって、90年前後に書かれたヨハネ福音書の読者たちは、すでにイエスの受難物語を熟知していたと思われます。しかし、たとえ筋書きとその結末を知っている読者や聴衆にも、ヨハネ福音書の受難物語は深く訴えるものがあります。それは、この福音書が、はっきりした霊的な視点、言い換えると神学的なコンセプトに立ってイエスの受難を描いているからです。ヨハネ福音書は、イエスを「世の罪を取り除く神の子羊」(1章29節)として、すなわち、犠牲として屠られ、人々がこれを食し、その血を家の入り口に塗ることで救いが与えられた「過越の小羊」(出エジプト12章3~14節)として描いています。
 正しい人が不当な死に出遭う殉教伝は、古代から現在まで、洋の東西を問わず数多く存在します。イエスの時代のパレスチナでは、紀元前2世紀のマカバイ戦争の頃の殉教物語がよく知られていました(第二マカバイ記6章18節~7章42節)。また受難伝承としては、「主の僕の受難」(イザヤ書52章13節~53章12節)や「知恵の受難」(知恵の書2章10~20節)が文書で伝えられていました。これらはどれも、正しい者、知恵ある人が、仲間に裏切られ、拒絶され、死に追いやられる物語です。このような殉教伝や受難物語では、ナチスに迫害されたユダヤ人の受難物語のように、相手(ナチス)は当然悪者として描かれます。同時に、殉教者は崇高な人として英雄視されるか、場合によっては神格化されます。ヨハネ福音書でも、イエスの受難を描く場合に「ユダヤ人」が悪者にされています。
 ところが、ヨハネ福音書の描き方は、先にあげたマカバイ記とも、マルコ福音書の描き方とも異なっています。マカバイ記では、迫害を加えるセレウコス朝のアンティオコス4世は、悪魔の化身として描かれます(第二マカバイ記6章1~11節)。マルコ福音書では、イエスは「他人は救ったのに自分は救えない」者として嘲られ(マルコ15章31節)、最期に「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで息を引き取ります(同34節)。ところがヨハネ福音書では、最後にイエスに死刑の判決を下すローマの代官ピラトは、必ずしも「悪者」として描かれていません(18章38節/19章6節/同12節)。その上、悪者とされている「ユダヤ人」でも、名前があげられているのは大祭司カイアファとそのしゅうとのアンナスだけで、しかも、二人ともイエスを自分が直接断罪することは避けて、判決をピラトに預けて、彼のもとへイエスを送っています。このように、悪者は「ユダヤ人」とだけあって、イエスの処刑の直接の責任者として個人が名指しされることはユダヤ側にもローマ側にもありません。
 ピラトは、イエスに「おまえはユダヤ人の王か?」と訊ね(18章33節)、さらにイエスに向かって「真理とは何か?」という有名な台詞を口にします(同38節)。ピラトのこれらの言葉は、すでにイエスがキリストであることを熟知している読者/聴衆から見れば、登場人物ピラトが語るのとは全く違った意味を帯びてきます。彼らは、イエスこそ「真理」であり(14章6節)、神の国の王であることを知っているからです(18章36節)。物語に登場する人物には隠されている「言葉の裏の意味」が、聞く聴衆、読む読者のほうには伝わる語り方がなされているのです。ここにもヨハネ独特の「皮肉」(アイロニー)が見られます。
 この「皮肉」あるいは逆説は、悪者である「ユダヤ人」に不思議な働きをもたらします。「ユダヤ人」は、ピラトから「見よ、あなたたちの王だ」と言われると、彼らは「わたしたちには(ローマ)皇帝のほかに王はありません」と宣言します(19章15節)。これは、読者と聴衆、中でもユダヤ人キリスト教徒から見れば驚くべき皮肉です。ほんらいユダヤ人にとって、ユダヤの「王」とは、主なる神がユダヤ人に遣わす人物のことであり、そのような者こそが「王」の名にふさわしいはずだからです。だから、イエスこそ、来るべき御国においてユダヤを含む諸民族の「王」であることを知っている読者には、ピラトと「ユダヤ人」とのこのやりとりは、何とも不思議なアイロニーを帯びて響くのです。ピラトのほうがユダヤ人の立場を代弁していて、ユダヤ人のほうがローマ人の立場から語るというヨハネ独特の皮肉が浮かび上がってきます。
 それだけでなく、イエスを十字架につけたまさにその人たち(ユダヤ人)こそ、イエスの受難と栄光を通して救われるべき「この世」(ヨハネ福音書では「ユダヤ人」と「この世」とは同じ)の者たちであることに気がつくと、皮肉とそれが意味する逆説はいっそう深まります。イエスが、自分を殺す者たちを救うために「犠牲として殺される」という最大の逆説は、後述するように「受難の僕」伝承から出ていて、この伝承はヨハネの受難物語にも影響を与えています。こうして、イエスは、自分を殺す者たちを救うために「犠牲として殺される」という最大の逆説が、ヨハネの受難物語を通じて読者に伝わるのです。イエスは、このために「自ら進んで」受難に赴きます(10章18節/18章11節)。それがイエスの父の意思だからです。だからイエスが、その最期に「成し遂げられた」(19章30節)と告げる時、彼は、最後まで父の意思に従って救いの業を「成就」させたことを語っています。このような受難物語は、ヘレニズム世界にもマカバイ記にも見ることができません。ヨハネ福音書は、神学的な意図を持って、言い換えると、霊的な視点からこの受難物語を描いているのです。
 ヨハネ福音書の受難物語でもう一つ注目しなければならない点があります。先に述べたとおり、通常の殉教物語では、殉教者や受難の義人は、英雄視されるか、その人物が神格化されます。ところがヨハネ福音書では、すでに見てきたように、イエスは、世の初めから「共にいた父」のもとへ戻るのです(17章13節)。ここでは、イエスの神格化ではなく、神の御子イエスの「先在」"pre-existence" が受難と結びついてくるのです。この点が、通常の殉教物語とは決定的に違うところです。この神学は、ヨハネ福音書に限らず、パウロ神学にも共通していて(フィリピ2章6~11節)、キリスト教信仰を形成する大事な要因になっています(コロサイ1章26節)。
■受難物語の成立
 イエスの受難は、エルサレム教会の最初期のイエス=メシア信仰者たちによって口頭で語り継がれ、イエスの復活信仰と共に「宣教の言葉」(ケリュグマ)の中核を成していました。したがって、従来考えられていたよりも早い時期に、エルサレムを中心に40年頃までには、すでに文書化された受難物語が成立していたと考えられます〔キーナー『福音書の史的イエス』〕。
 ユダヤでは、通常、人名は「アルファイの子レビ」(マルコ2章14節)のように、その人の父の名で呼ばれます。したがって、「ナザレ」のイエス、「マグダラ」のマリア、「アリマタヤ」のヨセフのように、その人の出身地名が用いられるのは、ユダヤ地域以外からの場合が多いようです。ナザレもマグダラも、ガリラヤにあり、アリマタヤという地名も、ルカ福音書では「ユダヤ人の町」(23章51節)になりますが、ここは旧エフライム族の地域でサムエルの出身地ですから(サムエル記上1章1節/同19節)、イエスの頃にはサマリアになります。こういう呼び方は、福音書全体にわたっていますが、特に受難物語に限って見れば、これらは最初期の口頭伝承から出ているもので、ガリラヤの人たちの名前に無関心であったエルサレムのユダヤ人によって、この伝承が形成されたことを示唆しています〔キーナー『ヨハネ福音書注解』(2)〕。
 十字架の出来事の直後に形成された受難物語の信憑性は高いと言えます。これがマルコ福音書に先立つ「前マルコ資料」としてマルコ福音書へ受け継がれ、マルコは、この「前マルコ資料」を編集して彼の受難物語(マルコ14章43節~15章41節)を書いています。その際、彼は、元の資料を保存することを忘れませんでした。例えば「<アレクサンドロス>と<ルフォス>の父シモン」のような人名は、口頭で伝えられた伝承からマルコ以前の資料に受け継がれていたものですが、おそらくマルコ自身も知らないこれらの人名を彼はそのまま遺(のこ)しています〔前掲書〕。
 マルコはまた、イエスの受難に直接責任を負うべき人たちの名前を注意深く隠しています。マルコ福音書の成立は70年頃と考えられますから、ユダの裏切りとペトロの否認は、すでにマルコ福音書の読者/聴衆の間でよく知られていたので、そのまま実名を用いています。また、ピラトもすでに代官の職にありませんでした(在位26~36年)。マタイ福音書とヨハネ福音書は、イエスの受難の際に大祭司の名をあげていますが(マタイ26章3節/ヨハネ18章13節)、マルコ福音書は彼の名前をあげていません。マルコ福音書が書かれた頃は、当事者たちがまだ存命していたからだと考えられます〔前掲書〕。ピラトが終始イエスの釈放を口にしているにもかかわらず、「十字架につけよ」と叫んだのは不特定の「群衆」です(マルコ15章8~15節)。これもマルコ福音書の政治的な配慮からきているのかもしれません。「裸で逃げた」若者も(マルコ14章51~52節)、著者マルコの知っている人物で、まだ存命していたと思われます(マルコ自身のことだという説もあります)。
 マルコ福音書以前の資料には、少なくとも次のような伝承が含まれていたと考えられます。イエスがオリーブ山へ行く(ペトロの裏切り予告を含む?)(マルコ14章26~31節)/イエスの逮捕(同43~46節)/(同55~64節:最高法院での裁判)/イエスを最高法院からピラトへわたす(同15章1節)/ピラトの訊問(同3~5節)/バラバの釈放とイエスの十字架刑の判決(同15節)/ゴルゴタへの道と十字架刑(同21~24節)/罪状書「ユダヤ人の王」(同26節)など。これら以外にも、前マルコの資料として、イエスへの嘲笑(15章29~32節)、イエスの最期(同34~37節)、イエスの遺体の引き渡し(同42~46節)を含める説もあります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
 上にあげた部分以外のすべてが、マルコによる編集なのかどうかは確かでありません。しかし、ペトロの裏切りやローマ兵による侮辱や祭司たちの嘲り、また十字架刑が午前9時であったこと、女性たちがそれを遠くから見ていたことなどは、マルコ自身が、直接ペトロから、あるいは目撃した当事者たちから聞くことができたでしょう。わたしたちは、このように、受難物語全体が(1)マルコ福音書以前の伝承資料と(2)マルコによって加えられている部分と(3)マルコ福音書には含まれないそれ以外の諸伝承、のように三つに大別して考えることができます。
■ヨハネ福音書の受難物語
 マルコ福音書の受難記事と比較すると、ヨハネ福音書のそれはかなり違っています。従来ヨハネ福音書の受難物語について次のような点が指摘されてきました。
(1)ユダヤ人を悪者に仕立てて、ピラトを始めローマ側のイエスに対する寛容/免罪を強調している。すなわちヨハネ福音書は、ローマに配慮してキリスト教を弁護しようとしている。このためにイエスのピラトへの「弁明」が非政治的で著しく宗教的である。
(2)イエスは犠牲者でなく、神性を帯びた至高の存在者としてドラマ化して描かれている。
(3)したがって、共観福音書に比べると歴史的な信憑性に欠ける。
 (1)については、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」について幾度か述べましたのでここで繰り返すことは控えます。ただ、ここでも「ユダヤ人」とは「この世」の別名にほかならないことだけを指摘しておきます。また、ローマに配慮しているという指摘は、ヨハネ福音書だけでなく、マルコ福音書で見たように共観福音書にも共通しています。
 ただし、ヨハネ福音書が、指摘されているように、親ローマ的な政治的配慮によっていると見るのは適切でありません。なぜなら、イエスの逮捕にローマ兵が加わっているのはヨハネ福音書だけだからです(18章3節)。また、大祭司とイエスとのやりとりを簡単に記し、サンヒドリンでの裁判を省き、ピラトとイエスとの「対決/対話」を詳しく描いているのもヨハネ福音書だけです。だから、12章までのユダヤ人とイエスとの対立から受難物語へ移るその時に、ローマ帝国が姿を現わすことになり、これによって初めて、「この世」がその全貌を明らかに見せるのです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
 このように見ると、ヨハネ福音書の受難物語は、イエス以前から伝えられているヘブライの「受難の僕」伝承を受け継いでいるのが分かります。この伝承は、捕囚期以来、長い期間を経て形成されました。「受難の僕」の特徴は、僕を迫害し殺した当人たちが、僕の真の姿を初めて認識して驚くところにあります(イザヤ52章13節/ヨハネ8章28節参照)。悪人たちは、後になって自分たちの過ちを認め、かつて自分たちが迫害したその人物に感嘆し尊敬する(知恵の書5章1~8節)というのが、受難の僕伝承の特徴です。これは神が、主の僕の受難を容認するだけでなく、同時に、必ず彼の正しさを立証せずにおかないという伝承に基づくものです。
 このように、自分に敵対し自分を殺す者たちによって殉教した「主の僕」が、神の栄光を受けて、かつての敵対者たちに顕れ、彼らを驚かせ、悔い改めに導くこと、この逆説こそ、実はイザヤ書以来の「受難の主の僕」伝承が意図してきたことです。新約時代でこの伝承を伝えているのは『ペテロ福音書』です〔小林稔訳「ペテロ福音書」『聖書外典偽典』(6)新約外典Ⅰ(教文館1976年)〕。そこでは、イエスを十字架刑にして埋葬した後で、ユダヤ人たちや祭司たちがその罪に気づかされて(前掲書7章)、「イエスこそ神の子であった」と悟るのです(前掲書11章)。この福音書は、従来1世紀末から2世紀前半の間の作と見なされてきました(前掲書)。しかし、ユダヤ人だけでなくピラトまでもが己の非に気づくという「非歴史的な」設定は、イエス復活直後のユダヤ人キリスト教徒たちの期待を代弁するものであると見て、これを40年代(カリギュラ帝のユダヤ迫害の直後)の作だとする説もあります〔John Dominic Crossan;?Who  Killed Jesus??Harper San Francisco(1995)95.〕。イエスが自分を殺す者たちを救うために「犠牲として殺される」という最大の逆説は、この伝承を受け継ぐヨハネ福音書の受難物語に影響を与えています。ヨハネ福音書のイエスは、この父のみ心を成就するために「自ら進んで」受難に赴くのです。
 (2)で指摘されている点も(1)への答えと関連します。イエスは、人間として神に従い殉教した人物としてではなく、先在のロゴス・キリストが地上に降下した人であり、「世の罪を取り除く神の小羊」として描かれます。この構図は、しばしばグノーシス神話と比較され、その類似性が指摘されてきました。しかし、グノーシス神話とヨハネ福音書の最大の違いは、グノーシス神話では、世界とこれを創造した「カミ」は、初めから「出来損ない」のカミであり、このような不完全な「カミ」が、これも欠陥を有する世界を創造したことです。こういう世界観は「世界の性悪説」に基づいていますから、グノーシス特有の光(グノーシス/知性)と闇(この世界)との間には、対立関係が存在するだけで、そこに明確な二元論が成り立つことになります。したがって、この世はどこまでも「悪」の性質を変えることがありません。
 これに対して、ヨハネ福音書の描く救済は、ロゴスの地上への降下とその受難を通して、悪であるこの世が救済されること、すなわち受難そのものが、この世の救いへと「転じる」契機となって、この世と受難の僕との間に逆転が生じるところにその違いがあります。ヨハネ福音書が繰り返し指摘する「受難の栄光」はこのことを指しています。だから、ヨハネ福音書が描くイエス・キリストの「超越性」は、降下してこの世を通り過ぎて、再び昇天するキリスト像ではなく、どこまでも、イエス・キリストの「弟子たち」と共に、この世に留まり続けることによってその栄光を証しし続ける「栄光のキリスト」なのです。このように、降下し昇天したイエス・キリストが、パラクレートスとなって臨在し続けることが、ヨハネ神学の最大の特長です。
 (3)については、共観福音書に含まれていない史的な事実が、ヨハネ福音書に含まれていることが指摘されています(例えば十字架刑に処せられた者の足の骨が通常折られること。19章31~33節)。これにアリマタヤのヨセフの記事を加えてもいいでしょう。受難の日が、共観福音書のように過越の当日ではなく、その前日、過越の羊が屠られるのと同じ時であることが問題にされています。断定はできませんが、最近の学説の傾向では、共観福音書のほうが史的に適切で、ヨハネ福音書のほうは霊的あるいは神学的な意図によって構成されていると考えられているようです〔キーナー『福音書の史的イエス』〕。先に述べたように、受難の僕伝承においては、迫害した者たち(この世)が、迫害された者たちの正しさを認識させられて、迫害者たちが、彼の栄光を見て己の非を悟るという逆転が生じます。ヨハネ福音書の受難物語に含まれる「皮肉」は、迫害者と受難の僕の栄光との間に潜むこの不思議な緊張関係を示唆しているのです。受難と栄光が表裏を成すこの逆説と、これによって予想される逆転こそ、ヨハネ福音書が、受難物語で描こうとしている点であり、ヨハネ福音書はこのためにその描き方を「ドラマ化」しているのです。
                             戻る