【注釈】
■最後の晩餐と裏切り予告
 初めに用語のことに触れておきます。新共同訳の小見出しでは、共観福音書での「最後の晩餐」の用語を「過越の食事」(マルコ14章12節以下)と「主の晩餐」(同22節以下)に分けています(フランシスコ会訳では「主の晩餐」が「聖体の制定」になっています)。「主の晩餐」の時に、後の教会が「聖餐」と呼ぶ「聖餐制定の言葉」が与えられました(マタイ26章26~28節/マルコ14章22~24節/ルカ22章19~20節)。ところがヨハネ福音書では、最後の晩餐は過越の食事ではありません。また聖餐制定の言葉の代わりに洗足と愛の奉仕という新しい戒め/契約が与えられます。したがって、共観福音書では「最後の晩餐」において「過越の食事」と「聖餐」が行なわれ、これに対して、ヨハネ福音書では、「最後の晩餐」の席で、「聖餐」ではなく「洗足」が行なわれたことになります。
 ヨハネ福音書では、洗足の場面に続いてユダによる裏切りが予告されます。この予告は18節から始まり、イエスについての「聖書の言葉は必ず実現する」とあります。「聖書の言葉」とは、「わたしに対してかかとを上げる」(原文直訳)とある詩編41篇10節からの引用です。この篇には、「弱い者に思いやりのある」謙虚な人が、たとえヨブのようにその身に災いが降りかかり、「わたしのパンを食べる」友に足蹴(あしげ)にされ、人々に嘲られ呪われても、主は必ずその人を助け支えて「再び起きあがらせて」くださるとあります。<共に食事をする者に裏切られる謙虚な人の受難>というこの預言は、四福音書に共通する主題です。ただし、マルコ福音書とマタイ福音書では、「鉢に食べ物を浸す者」とありますが、ルカ福音書では「わたしと一緒に手を食卓に置く」となっています。この違いは、おそらく共観福音書に先立つ伝承の違いから出ているのでしょう。これに対してヨハネ福音書は41篇10節後半(七十人訳)をそのまま引用していますから、それだけこの篇を重視しているのです。
 詩編41篇11節の「再び起きあがらせる」の「起きあがる」は、七十人訳では、新約の「復活する」と同じギリシア語の動詞が使われていますから、このことも、この詩がメシアとしてのイエスの復活を預言している根拠になっています。同時に41篇は、ユダの裏切りへの預言ともされ、彼の裏切りは、この詩の預言の成就だと見なされました。なお共観福音書では、裏切り予告の中で「わたしと一緒に鉢に食べ物を浸す者」のことが語られ、それが「聖書に書いてあるとおり」であると告げられます。しかし、ヨハネ福音書では、先に「聖書に書いてあるとおり」の裏切りが予告され、その後で、イエスが食べ物を浸してユダに与えることになります。ヨハネ福音書のイエスは、「聖書に書いてあるとおり」のことが、父の御心によって起こることを前もって知っていたのです。
 マタイ福音書とマルコ福音書では、裏切りへの予告が、最後の晩餐の際に、過越の食事の間に告げられ、その予告の「後で」聖餐が行なわれます(マタイ26章/マルコ14章)。また、マタイ福音書にもマルコ福音書にも「別れの説話」はなく、その代わり最後の晩餐の後で賛美が歌われます。なお、マタイ福音書では、裏切り者がユダであることが、その席にいる全員に知らされますが(マタイ26章24~25節)、マルコ福音書でもルカ福音書でも、それがだれなのかは告げられないままです。
 すでに指摘したように、ヨハネ福音書では、洗足が共観福音書の聖餐にあたります。だから、ヨハネ福音書での最後の晩餐→洗足→裏切りの予告というこのつながり方は、ルカ福音書の過越の食事→聖餐→裏切りの予告と対応していることになります(ルカ22章14~22節)。ルカ福音書では、裏切りの予告の後で、「上に立つ人は、仕える者になれ」という説話が来ますが、ヨハネ福音書でも、洗足に続いて兄弟への奉仕の説話が先にきて、その説話の後で、裏切りの予告がなされます。さらにその後で、改めて裏切りが「あなたがたの一人」であると告げられるのです。このように、裏切りへの予告が洗足の教えと深く結び付いていて、しかも、いくつもの段階において弟子たちに自己吟味を迫ります。ヨハネ福音書でも、おそらく主の愛(まな)弟子とペトロを除いては? 裏切りがどのようなことか、またそれが誰なのかは、「だれ一人」分からなかったのです(13章28節)。
 ユダに焦点を当ててこれらを見ますと、マルコ福音書では、彼は、最後の晩餐の前に、すでに裏切り行為を約束しています。過越の食事の最中に裏切りを通告されますが、その時にユダが出ていったかどうか、彼の様子は語られません。弟子たちが、「まさか、わたしではないでしょう」と言っていますから、ユダは、聖餐を受けて、その席に最後まで留まっていたとも思われますが、この点についてマルコ福音書は沈黙しています。なお、上に立つ者への奉仕の教えは、それ以前に語られていますから(マタイ20章26節/マルコ10章44節)、ユダも聞いていたはずです。
 ルカ福音書でも、最後の晩餐の前に、すでにユダは裏切りを約束しています。聖餐は、過越の食事とつながりながら行なわれますが、ユダは、聖餐を受けている「その時に」、イエスから裏切りの予告を受けます。しかし、ルカ福音書の場合も、裏切りのことはほかの弟子たちに分かりません。だから、これに続く奉仕の説話を聞きながら、彼は最後までそこに留まっていたのでしょう。マルコ福音書とルカ福音書では、裏切り者は最後まで分からず、それだけ聖餐を受ける一人一人の良心が最後まで吟味されることになりますから、弟子たちの誰でもがユダになる可能性を秘めていることを示唆していると言えます。マタイ福音書では、裏切り予告を受けたユダが、わざわざ自分からイエスに問うことで裁きを招いて、全員の前でその正体を現わします。だからユダは、聖餐を受けることなく出ていったことになります。
 これに対してヨハネ福音書では、ユダは、最後の晩餐を共にし、洗足を受け、謙虚な奉仕の教えを聞いたその後で裏切りが予告され、さらにその後で、イエスから浸した食べ物が自分に差し出されます。彼はこれを受け取ると同時に決意を固めて出て行ったとはっきり語られています。共観福音書に比べると、ヨハネ福音書は、ユダに対する見方がそれだけ厳しいと言えましょう。しかし、ユダの正体は(おそらく二人の弟子を除いて?)誰にも明かされないままです。ユダに対する厳しい見方は、ヨハネ共同体が、ユダヤ教との対立の中で、共同体の内部で体験したであろう裏切りや分派の厳しさから来ているのかもしれません。ヨハネ福音書が書かれたその後でも、この共同体が分派を体験したことがヨハネの手紙から推察できます(第一ヨハネ2章18節以下)。
■13章21~30節
[21]【心を騒がせ】原文は「その霊において動かされ騒ぎを覚える」で、原語の動詞は、12章27節の「魂を騒がせる」と同じです。ここで「その霊において」とあるのは、イエスに宿る聖霊の働きと言うよりは、イエス自身の人間としての霊性の深いところにおいて「波立ち騒ぐ」ことです。内容的には、11章33節にでてくる「激しく心を動かす」状態と同じです(この節の注釈を参照)。これを「怒り」だとする解釈もありますが、それよりも深い意味が込められていると思われます。この状態を詩編42篇6節にある信仰の友に裏切られた人の「心の底での呻き悲しみ」と結びつける解釈があります。続いてイエスが「証しして宣言した」とあり、「アーメン、アーメン」が来るのは、これが重大な予告だからです。
【あなたがたのうちの一人】マタイ福音書とルカ福音書では、裏切る者は、「わたしと一緒に食べ物を浸す者」あるいは「食卓に手を置く者」です。マルコ福音書は、これに「12人のうちの一人」を加えて、その者がイエスの選んだ特別の弟子たちから出ることを明言しています。共観福音書では、イエスの受難予告がそれまでにもなされていますが、「12人の一人」であることが明らかになるのはここが初めてです。それだけに、四福音書共、その時の直弟子たちの動揺が激しかったことを伝えています。ただしヨハネ福音書は「12人」と限定してはいません。
【裏切ろうと】原語は「他の人に渡す」こと、特に裁判官や処刑人に引き渡すことですが、この動詞はそれ以外に、相手に「委ねる」「預ける」こと、あるいは「許可する」こと、さらにそうすることで人に「伝達する」「伝授する」などを意味します。だからこの動詞自体は、悪い意味だけではありません。ここには、イエスの側から見た裏切りの「引き渡し」とユダの側から見た意味、すなわちイエスをその相手方に「委ねる」「預ける」ことを許容するユダの思惑とが、二重になっているのを読み取ることができます。このように、この動詞に悪い意味だけでない意図も含まれているのは「単に言葉の上の偶然ではない」〔バルト〕と思われます。「引き渡して相手側に委ねる」というユダの側には、すでにイエスを自分の処理可能なものとして、イエスを「あたかも自分の思いのままになるかのごとく」〔徳善義和〕扱う思い上がりを読み取ることができます。
[22]【察しかねて】原語は「当惑する」「どうしてよいか分からない」「途方にくれて困る」です。マルコ福音書とルカ福音書は、裏切り者が誰なのかを最後まで明かされません。それだけに、12人の全員が、聖餐を受けながら、はたして自分は大丈夫なのかと厳しい自己反省を迫られることになります。マルコ福音書では、裏切り予告の時に、12人が、自分のことなのかと「代わる代わる」イエスに尋ねます(マルコ14章19節)。ヨハネ福音書では、弟子たちは、イエスの言う意味が理解できずに困惑して「顔を見合わせて」います。弟子たちにとっては、裏切りがそれほど予想外の出来事であり、ユダはそれほどまでに深く隠れた姿をしていたのです。
[23]【イエスの愛しておられた者】「イエスの愛する者」が、ここで初めて登場します。これ以後、「愛する弟子」(19章26節)、「イエスの愛しておられたもうひとりの弟子」(20章2節)、「イエスの愛しておられたあの弟子」(21章7節)、「イエスの愛しておられた弟子」(同20節)と合計5回でてきます。13章23節では、この弟子は最後の晩餐にいたのですから、十二弟子の一人であったことになりましょう(マルコ14章17節/マタイ26章20節)。しかし、ヨハネ福音書では、この席にいたのはイエスの愛する「世にいる弟子たち」(13章1節)とあるだけですから、出席者は、必ずしも十二弟子に限定されているわけではありません。ヨハネ福音書の場合も十二弟子だけだと見ていいと思うのですが、ほかにだれも「いなかった」とは言っていません。後で述べるように、この曖昧さが、12人とは別に「愛する弟子」がいたという説を生じることにもなります。
 この食事は過越の食事ではありませんが、その様式は過越の伝統に準じています。過越の食事では、会食する人たちは、通常食卓に左肘をついて身体を支え、体を左に傾けて横になり、右手で食事を採ります。ただし、晩餐の主人役であるイエスは、身体を起こしていたと思われますから、イエスの右側にいる人が、体を傾けたままイエスに近づくと、ちょうど「イエスの胸もとによりかかる」格好になります(この解釈と異なる説もありますので、後で紹介します)。しかし「イエスの胸もとに」とある原文は、1章18節の「父のふところにいる」と同じ言い方ですから、イエスが父との深い交わりにあるように、その弟子もイエスとの特別な交わりにあることが「イエスの愛しておられた」にこめられているのが分かります。ただし、通常食事の席では、イエスの第一弟子は、イエスの左側に座ることになっています。だから、イエスの右側にいるこの愛弟子は、必ずしも第一弟子ではなかったことになります。しかし、ペトロが左側にいたとすれば、わざわざ愛弟子に合図を送って尋ねさせる必要がありませんから、ペトロはイエスの左にいたのではありません。ペトロとこの愛弟子とでは、愛弟子のほうがよりイエスに近い印象を受けます。少なくとも彼は、ペトロに優るとも劣らない立場にいたのです。〔「愛する弟子」についてはヨハネ福音書補遺編の「愛する弟子」を参照してください。〕
[24]【合図した】原語は「うなずく」です。ペトロは、その弟子に、誰のことなのかをイエスに尋ねるよう密かに合図を送ったのですから、彼は、イエスから離れた席で、愛する弟子へ合図を送ったことが分かります。このことから判断すると、ペトロよりもその愛する弟子のほうが、弟子として上位にあるようにも思われますが、ヨハネ福音書は、逆に、この弟子よりもペトロを上に置くよう配慮した描き方をしています(20章2節/同5~6節/21章2節)。なお、ここを「シモン・ペトロはその弟子に合図して尋ねた。『誰のことを言っているのか?』」と直接話法で読む異読もありますが、これでは「合図する」必要がなくなります。
[25]【寄りかかったまま】過越の食事など特別の場合には、食卓に向いて坐るのではなく、低い食卓の上に左の肘をついて、足は斜め後ろに伸ばすようにして席に着いていました。ここで「まま」と訳されている原語は、「そのままで」とも「これに応じて」とも読むことができます。また、この語が抜けている異読もあります。「そのままで」と読めば、この弟子は、食事をしているその姿勢のままでイエスに寄りかかったことになります。この場合、愛弟子は、後ろ向きのままでイエスに寄りかかる”fall back”ことになります。実際ここの「寄りかかる」を「(イエスの胸に)頭を載せて押しつける」という動詞で置き換えている異読があります。しかし「まま」を「(ペトロの合図に)応じて」と読むなら、愛弟子は、いったん身を起こして座り直した後で、おそらく今度は右肘で食卓によりかかるようにして体を曲げてから、頭をイエスの胸に当てるようにして尋ねたのです。この場合は、「寄りかかった」のは食卓のほうで、イエスの胸ではありません〔織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』35頁〕。なお23~25節までの愛弟子の部分と28~29節のユダの部分は、共観福音書にはないヨハネ福音書だけの記事ですから、この部分は作者による編集と見ることができます。ヨハネ福音書は、この愛弟子をユダと対照させているのでしょうか。
[26]【パン切れを浸して】原文は「一切れの食物を浸して」です。「一切れの/一口の食べ物」は、現代のギリシア語では「パン」のことですが、イエスの時代には、必ずしもパンとは限りません。過越の食事には、出エジプトを記念する幾つもの料理が用意されますが、その一つに「ハロセト」があります。これは潰した果肉と樹の実に酢やワインを混ぜて捏ねたもので、エジプトにいたイスラエルの民が、煉瓦を焼くために用いた粘土と藁を象徴しています。通常は、苦い菜の類(レタスやせり、ニガヨモギ、洋わさびなど)をハロセトに浸して食べることで、イスラエルの涙と苦難を偲びます。ここでの晩餐は、過越の食事に準じていたと思われますから、イエスが浸したのもこのハロセトかもかもしれません。
 なお、イエスは、愛する弟子に問われて、「パンきれを浸してこれを取った」〔新共同訳〕とあります。この「取った」は「取り上げた」ことで、ここは、マルコ福音書(14章22節)で、イエスが契約の聖餐のパンを「取り上げて」祝福してから分け与えたとあるのを反映しているとも思われます。この語は聖餐を意味するマルコ福音書の言葉からここへ挿入されたのでしょうか。そうだとすれば、ここでイエスが「取った」のはパンであったことになります。もしも、このパンが聖餐を意味していたとすれば、ユダは、イエスから聖餐を受けるその時に裏切りの決意を固めたことになります。しかし、ヨハネ福音書の晩餐では、サクラメントとしての聖餐は行なわれません。またこの「取った」が抜けている異読もあります。こういうわけで、ヨハネ福音書では、イエスがパンを差し出したと通常訳されていますが、具体的に何をユダに差し出したのかは特定できません。「パンを一切れ浸して手に取り」〔フランシスコ会訳聖書〕。
【イスカリオテのシモンの子ユダ】「イスカリオテ」の意味ははっきりしませんが、おそらく「イシュ=ケリヨト」(ケリヨトの人)という意味でしょう。「ケリヨト」については諸説がありますが、おそらく「ケリヨト」は、イスラエルの南部で、ヘブロンの南方にあった村でしょう。だから、「イスカリオテのシモンの子ユダ」は「ケリヨトの人シモンの息子ユダ」という意味です。共観福音書では、これを「ケリヨトの人ユダ」と呼んでいます。これから判断すると、12人の中で、このユダだけが、ガリラヤではなくユダヤの出身であったことになります。
[27]【パン切れを受け取ると】イエスが「浸したパン切れ」を差し出したのは、通常は客に対する主人の好意と愛情のしるしとされています。だから、これは、ユダをサタンに「引き渡す」ために行なった行為ではありません。しかし、イエスの好意は、ユダに悔い改めか裏切りかを決意する最後の選択を迫るものでした。「パン切れを受け取ると」が抜けている異読がありますが、この句は、ユダが裏切りを決意してこれを受け取る行為と同時に「サタンが彼に入った」ことを証しするためでしょう。
【サタンが彼の中に】原文は「その食べ物と同時にサタンが彼の内に入り込んだ」です(ルカ22章3節を参照)。13章2節に見るように、ヨハネ福音書では「悪魔」が用いられますから、「サタン」がでてくるのはここだけです。「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」は、原文では「することをすぐしなさい」です。この「すること」は、ユダが「しようと意図していること」とも「するように定められていること」とも取ることができます。ユダは、この時から、サタンの支配下に入ったのです。だからイエスは、ユダだけでなくサタンに対しても告げていることになります。「サタン」と固有名詞で呼ばれるのはこのためでしょうか。イエスはユダが裏切ることを前もって察知していたのです(ヨハネ6章70節)。
[28]【なぜユダにこう言われたのか】イエスが「することをすぐしなさい」と彼に言ったのは、どういう意味なのか、食卓についていた者たちは「だれ一人」分からなかったのです。「なぜ」は「なんのために」「どういう意図で」とも訳せます。これから判断すると、ペトロもイエスの愛(まな)弟子も裏切り者がユダであることが分からなかったことになりましょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。それともこの二人だけは、その人がユダであることを察知したのでしょうか〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。愛弟子は、自分が尋ねたすぐ後のイエスの振舞いを見たはずですが、それでも、イエスの行為と言葉がどういう意味なのかを判断しかねたのです。同じことがルカ福音書でも語られていますが(ルカ22章23節)、ユダの裏切りは、弟子たちにとって、それほど予想外の出来事だったのです。なお28~29節は後から加えられたもので、27節から直接30節へつながっていたと考えられます。
[29]【祭りに必要な物】ヨハネ福音書では、この晩餐が過越祭の24時間前なので、「祭りの準備の買い物」が許されていたのです。通常ユダヤでは、過越祭の当日でも、15日が始まる夕方から真夜中までは(現在の午後6時~深夜0時)買い物が許されました。ただし、ガリラヤの慣習では、15日の始めの時間帯でも、一切の買い物が禁じられていたから、必ずしも一定しません。また貧しい人たちへの施しは、祭りでは特に大切ですが、これは過越祭当日の夕方から夜にかけて行なうのが望ましいとされていました。
[30]【夜であった】神の御子であるイエスの働きは「闇に追いつかれない」ためです(1章5節/9章4節/11章10節/12章35節)。しかしイエスとの交わりの場の「外は」闇の支配する領域です(マタイ8章12節)。しかもこの闇が、「この世の権力」の姿を帯びて、今イエスに迫っています(ルカ22章53節)。
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