【注釈】
■しるし資料と受難物語
 この章から、「栄光の書」と呼ばれるイエスの受難物語が本格的に始まります。ほんらいヨハネ福音書は、しるし資料と受難物語が結び付くことによって成立したと見られています。ただし、しるし資料と受難物語が結び付いた段階は、「しるし福音書」と呼ばれるもので、この「しるし福音書」が、おそらくは原著者の弟子(たち)の手によって書き改められ編集されて、現在のヨハネ福音書が成立したという説があります〔フォートナ〕。このような「しるし福音書」が実際に存在したことを否定する説もありますが、何らかのしるし資料が存在したのは確かでしょう。この資料の成立は比較的早く、遅くとも60年代(エルサレム陥落以前)と推定されます。ヨハネ12章までは「しるしの書」と呼ばれていますが、この部分は、しるし資料が基になっています。これに対して13章からは、イエスの受難物語が基になります。
 受難物語は、イエスの十字架以後、おそらく50年代にまとまったと推定され、これがイエスの復活物語と結びつくことになります。この結びつきがいつ頃か、またどのような過程を経ているのかは分かりません。遅くとも60年代の半までばには、受難・復活物語が成立していたと推定されます。しるし資料と受難・復活物語の切れ目は、12章と13章との間になりましょう(12章36節がほんらいの切れ目か?)。
  受難物語は、四つの福音書全部に関係しますが、マタイ=マルコ福音書系の受難物語(北シリアで?)とヨハネ=ルカ福音書系(ユダヤで?)のそれとに分かれて成立したと想定する説もあります。ただし、しるし資料にせよ、しるし福音書にせよ、また受難物語にせよ、これらは文献批評の結果として想定あるいは推定されるものであって、このような資料や文書が確認されているわけではありません。
■13章について
 この章は、最後の晩餐とイエスによる洗足(1~20節)、ユダの裏切りへの予告(21~30節)、新しい掟の授与(31~35節)、ペトロの否認への予告(36~38節)とに分けることができますが、13章全体がひとつのまとまりを構成しています。今回は、13章20節までをひとつの区切りにしました。
 13章は最後の晩餐で始まります。この場面で、ヨハネ福音書と共観福音書との最大の違いは、ヨハネ福音書では、パンとぶどう酒の聖餐の代わりにイエスによる洗足が行なわれることです。ヨハネ共同体では、洗足が実際に行なわれていて、そのことがここに反映して、聖餐が洗足によって置き換えられたという想定もありますが、資料的に見ると、ヨハネ共同体に伝えられた時に、すでに洗足も受難物語に含まれていたと見るほうがいいでしょう。ここで一つ気になることがあります。それは、同じ最後の晩餐のルカ22章24~30節で、「上に立つ人は、仕える者になりなさい」とイエスが忠告していることです。ヨハネ福音書の洗足とルカ福音書の忠告とがこの同じ場面で共通しているのは、偶然ではないでしょう。ここにも、ヨハネ福音書とルカ福音書が、共通する伝承を背後に持っていると見ることができます。
 共観福音書では、例えばイエスに癒されたペトロの姑は、その後すぐにイエスに奉仕します(マタイ8章15節)。百人隊長の僕の癒しでは、隊長の信仰的な姿勢にイエスが感心します(同8章10節)。カナンの女は、その信仰的な態度によってイエスを動かし、癒しがもたらされます(同15章28節)。イエスによって悪霊を追い出してもらった女性たちは、持ち物を出し合ってイエス一行に奉仕します(ルカ8章3節)。徴税人のザアカイは、イエスの突然の訪問を受けて、その生活態度を改めます(同19章8節)。共観福音書では、イエスの業や奇跡が、このように人々の生活態度に変化をもたらしたこと、すなわち、その「倫理的な影響」についても語っています。だから、マタイ福音書においてもルカ福音書においても、病の癒しと悪霊追放の出来事の後に、山上の教え(マタイ5章以下)、あるいは平地の教え(ルカ6章20節以下)が続くのは、決して偶然ではありません。信仰する者への生き方の規範が、癒しや奇跡と同時に与えられるのです。共観福音書の奇跡はこのように「倫理性」を帯びているのが特徴で、この点が、単なる病気治しの御利益や魔術・呪いとは異なります。
 ところがヨハネ福音書では、イエスの行なう「しるし」とその言動が、これをめぐる人々の信仰や分裂や対立を生じさせることがあっても、人々の生活に及ぼす倫理的な感化があまり語られないのです。ヨハネ福音書のこの特徴から見る時に初めて、ここ13章が、この福音書全体において、どのような意義を帯びているのかが分かります。わたしたちはここで、イエスの行なう業が(これも広義の「しるし」です)、イエスに従う者たちの実際の生き方と結びつけられるのを見出します。今回は、ヨハネ福音書で、イエスを信じる者の倫理性について語られるほとんど唯一の章だと言えましょう。特に13章14~16節と同34~35節に注意してください。ここで初めて、マタイ福音書の山上の教えやルカ福音書の平地の教えに対応するイエスの「戒め」あるいは「教え」が、最も凝縮された形で与えられます。だからこの章には共観福音書と対応するところが多いのは偶然でありません。
 13章は、これに続く17章の終わりまでとは違って動きのある劇的な構成をとっています。その中心は13~16節に置かれていて、この13~16節を囲むように、出来事が配置されています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。まずイエスの時が来ます(1節)。これに対応して「今や人の子が栄光を受ける時」が来ます(31節)。悪魔がユダに裏切りの思いを抱かせます(2節)。これに対応してサタンが彼に入ります(27節)。イエスは自分の時を知っています(3節)。これに対応して、イエスは、自分がだれを選んだかを知っています(18節)。イエスは上着を脱いで手ぬぐいを取ります(4節)。これに対してイエスは上着を着て席に着きます(12節)。イエスは弟子たちに「分かるか」と尋ねます(12節)。これに対応してイエスは彼らに「もし分かるなら」と言います(17節)。中心に来るのは、後に残される弟子たちが守るべき規範であり道です。ユダの裏切りもペトロの否認も愛の戒めも、この視点から観て初めて、そこにこめられたヨハネ福音書の真意を読み取ることができます。
■13章
[1]【過越祭の前】ヨハネ福音書では、最後の晩餐が、過越祭の前日になり(18章28節/19章14節を参照)、共観福音書では過越祭の当日になります。この違いについては、当時のエッセネ派の暦がユダヤの太陰暦とは異なる太陽暦であって、ヨハネ福音書はこれに従ったという説や、ファリサイ派とサドカイ派との暦が異なっていたなどの説がありますが、これらの説は支持されていません。この問題について、51章「マリアの香油」の注釈の「過越祭の六日前に」の項を参照してください。
【時が来たことを悟り】「悟り」の原語は完了形で「見て取った」「知った」あるいは「知っていた」です。「時」とは受難の時を指していて、これは「わたしの時はまだ来ていない」(2章4節/7章8節/8章20節)に対応しています。実はこの13章1節は、もともと10章41節から続いていたのではないかという説があります。洗礼者ヨハネの証しで始まったこの福音書が、10章41節で、洗礼者ヨハネの証しで終わり、ここからエルサレム入りが始まるからです(この説によれば、11章と12章は後の挿入になります)。共観福音書では、イエスがヨルダンを渡ってユダヤに入るところからエルサレムへの受難の道が始まります(マタイ19章1節/マルコ10章1節)。そうだとすれば、この13章1節は、ルカ福音書の9章51節にも対応していることになりましょう。
【この世から移る】「この世」あるいは「世」は、12章までで26回ほど、13章からも26回ほどでて来ます〔新共同訳〕。ヘレニズム世界で、この言い方は、地上から天へ空間的に「移る」ことですが、ヘブライ語の「この世」は「この時代」をも意味します。神のロゴスであるイエス・キリストによって新しい時代が来ること、すなわち新しい創造が始まることです。したがって、「移る」は単に地上から天へ「戻る/移行する」ことではなく、受難を通して新たなキリストの時代が始まることによって、世界全体が「新しい命」へ「転移する」ことになります(5章24節を参照)。いよいよその時が来たのです。しかし、これから始まる十字架の受難を経ることによって「父のもとへ移る」のですから、同時に受難と栄光の書がここから始まることを読者に告げています。
【この上なく愛した】「この上なく」の原語は「終わりまで」「最後まで」です。ヘレニズム世界では「極みまで」「完全に」の意味になりますが、「この世」が時代的・時間的な意味を含むと考えるなら、ここは、この世にいる弟子たちをイエスが「地上にいるその最期まで」愛したという意味になります。後で説明するように、続く洗足の行為は、イエスの受難による贖いをも象徴しますので、世にいる弟子たちをその贖いの業によって「世の終わりの時まで」守り通すという含みも読み取ることができます。「イエスが地上におられた最期まで」と「イエスが再び来られる最後まで」というヨハネ福音書独特の時間の二重性がここにもこめられています。なお「世にいる弟子たち」の原文は「世にある自分のもの」、すなわち「自分に属する者」のことです(1章11~12節参照)。原文では1節からの構文が「イエスは・・・・・悟って、・・・・・愛した」となり、「愛した」に文全体が集中しています。
[2]【夕食のとき】「夕食が終わった時」と読む写本もあります。これはギリシア語 「ギノメヌー」(生じていた/続いていた)と「ゲノメヌー」(生じた/終わった)の違いから来ています。しかし、続く内容から見ても明らかに食事がまだ進行しています〔新約原典テキスト批評〕。共観福音書では、最後の晩餐が、ユダヤ教の過越の食事とその日時が重なりますから、この晩餐は過越の食事と見なされています。ただし、共観福音書の場合でも、晩餐のパンが酵母を用いないものであったかどうか確かではありません。またユダヤの過越の食事では、ぶどう酒は回し飲みではなく一人ずつ杯が用いられました。さらに過越の食事は年に一度だけであるのに、最後の晩餐は、以後のキリスト教会に受け継がれて、定期的に行なわれましたから、共観福音書の最後の晩餐と過越の食事を同一視することを疑問視する説もあります。たとえ同一ではなくても、これが過越の食事に準じていたのは確かです。
  ところがヨハネ福音書では、食事の日時が過越祭の前日ですから、過越の食事とは、日時が異なります(コイノニア会のホームページ→聖書講話欄→四福音書補遺→「受難週 マルコ福音書とヨハネ福音書との比較対照表」を参照)。したがって、ヨハネ福音書の最後の晩餐を過越の食事と同一視することはできません。それにもかかわらず、ここで語られている晩餐が、過越の食事を反映している、少なくともヨハネ福音書は、過越の食事を受け継いで描いていると見ることができます。ひとつには、この食事が夕方の6時過ぎから始まり食事とこれに続く出来事が夜にまで及ぶからです(13章30節)。また、過越の食事と同様に、ここでも浄めの水が出てくること(水の使い方は異なりますが)、過越の食事でもぶどう酒は大事な飲み物として、何回かに分けて用いられることなどの類似があげられます。
 このような食事のあり方だけでなく、それ以上に、過越とここでの食事に共通するのは、その意義付けです。過越の食事は、イスラエルの民がエジプトの圧政から解放されたことを記念するものですから、奴隷状態と自由な状態、すなわち下に置かれていた者が上に立つ者とされたことを現わす重要な意味を持っています。したがって、過越の食事では、通常の姿勢で食卓に着くのではなく、自由人として「偉くなった人」のするようにからだを横にして食事をします。「誇りを持つ」というこの姿勢は、昔から過越の意味を伝える大事な目的とされてきました。さらにこの席では、イスラエルに授与された神の教えと戒めが、改めて厳かに朗読され、これに祈りと詩編の賛美が伴いました(ヨハネ17章を参照)。ちなみに、過越の食事のこのような基本的な形式と意義付けは、現在でもユダヤ教の正式なしきたりとして受け継がれています。なお現在のユダヤ教では、このほかにも野菜を水や酢に浸すなど、ほかにも様々な意味を象徴するしきたりや料理がでます。これに紀元70年のエルサレム神殿の崩壊への涙の思い出も加わりますが、これはイエスの頃にはあてはまりません。
 このように見ると、13章の最後の晩餐は、その形式だけでなく内容においても、過越の食事の最も基本的な要素を具えています。ただしここでは、奴隷として仕えるのではなく、自由人として解放されることで「偉くされた」者が、自発的にその兄弟のために奉仕するのです。また、この席で、かつてモーセがイスラエルの民に律法を与えたように、イエスが「自分の民」に新しい戒めを授与するのも大事な共通点です。ユダヤ教の過越の食事とここでの食事との決定的な違いは、過越の小羊の肉が抜けていることです。代わりにヨハネ福音書では、屠られる小羊の象徴としてイエス自身が食事の席に臨在しているのです。このように見ると、ここでの食事が、ユダヤ教の過越の食事から明確に区別されながらも、その基本的な伝統を受け継いでいるのが分かります。ヨハネ福音書は、過越の食事をキリスト化し、そうすることで非ユダヤ化したのです。
【イスカリオテのシモンの子ユダ】「イスカリオテのユダ、シモンの子」と読む写本もありますが、これでは6章71節/13章26節と合いません。ヨハネ福音書では、ユダだけでなくユダの父もカリオテの出身だと見られています(6章71節注釈参照)。
【考えを抱かせていた】原文は「サタンが(自分の)心に思いを入れた(決心した)」と読むことができます。ここを「ユダの心に思いを入れた」と読む異読もありますが、これは後からの訂正です。ただし、ここは、内容的に見て、訂正した異読のように、サタンが「ユダの心に思いを入れた」という意味にとるほうが正しいでしょう〔新約原典テキスト批評〕。ユダの裏切りをサタンと関連づけているのは、共観福音書ではルカ福音書だけです(ルカ22章3節)。ヨハネ福音書のこの節は、ルカ22章3節とつながりがあるのでしょうか。ここでサタンが登場するのは、これから始まろうとするイエスの受難を告知するためです。
[3]【すべてを御自分の手に】3章35節を参照してください。そこでは、イエスを信じて永遠の命に与るか、イエスを拒んで神の怒りのうちに留まるか、これを裁く権能がイエスに与えられていることが示されています。同じようにここでも、イエスが父の神の唯一の御子としてその手に全世界が「与えられた」(「ゆだねた」の原語)ことが告げられています。その御子が今父のもとへ「去って行こうとしている」(「帰る」の原語)のです。「去って行く」の「行く」は「逝く」につながり、それが受難を通じてであることも語っています。だから、父からすべてを与えられた御子の栄光が受難と重なるのです。なお、これと同じ内容が、この章の1節にもでてきます。ヨハネ福音書は「受難の栄光」を1節に置くことで、これから始まるのが「受難の書」であることを読者に告げているのでしょう。
[4]1節から5節までの原文を構文的に見ると「イエスは・・・・・悟ったので〔完了〕・・・・・愛した〔アオリスト〕。悪魔は・・・・・思いを入れたので〔完了〕・・・・・イエスは・・・・・悟ったので〔完了〕・・・・・立ち上がる〔現在〕・・・・・水を汲む〔現在〕・・・・・洗い始めた〔アオリスト〕」となっていて、意味上の主語を伴う分詞形(アオリスト/完了形)が続き、主節の述語動詞「愛した」(アオリスト形)へつながります。1節から5節までを通して、「イエスは愛した。そして立ち上がる、洗う」に焦点が置かれていて、食事も栄光もすべてが「愛と洗足」に集中しています。
【上着を脱ぎ】原文は「上着を脱いで脇へ置く」です。上着をぬぐのは、自分の謙虚さを示すと共に、ここでの「置く」は自分自身を「捨てる」”lay aside”ことをも指すのでしょうか(19章23節を参照)。また、手ぬぐいを「腰に巻く」のも奉仕を意味します(ルカ12章37節)。
[5]【水をくんで】火や水やパンやぶどう酒は、いずれも象徴性を帯びています。象徴においては、指し示すものが、指し示されるものを様々な拡がりを持って現わします。中でも水は、象徴の範囲が一段と広く、古来、海の水は「混沌」を象徴し、また、海水は生命がそこから生まれてそこへ帰るものとして「死と再生」を象徴します。このことから、水は「死と復活」を現わすのです。ここヨハネ福音書だけでも、洗礼の水(1章26節)、浄めの水(2章6節)、誕生の水(3章5節)、命の水(4章13~14節)、癒しの水(9章7節)などがあります。13章の水は、洗足を受ける弟子たちには洗礼の水をイメージさせますが、同時に与える側のイエスの死と復活をも象徴しています。特にこの水は、イエスの血と共に、受難による贖いの死をも現わします(19章34節/第一ヨハネ5章8節)。その上ここでは、水の洗いによる「浄め」を意味するのは確かですから(13章10節)、イエスの贖いの死とこれによって罪赦され浄められる弟子たちの姿をも現わします。
【足を洗い】外から来た客の埃を洗うのは、ユダヤだけでなくどこにでも共通するならわしでした。ユダヤでは、この仕事は、異邦人の奴隷の仕事とされていたようです。ただし、洗足が必ずしも卑しい仕事だと見なされていたわけではありません。例えば、妻が夫の足を洗うことも行なわれていて、この場合は、夫に対する妻の「愛の証し」と見られました。また弟子が師の足を洗うこと、あるいはエリシャが師のエリヤの手に水を注いだこと(列王記下3章11節)などは、その師の弟子であることの証しとされました。「学ぶ弟子より、注ぐ弟子」と言われるほどです。ここでは、食事の席で行なわれたのですから、埃や汚れをぬぐうという実用的な目的でないことは明かで、祭儀的な象徴性をおびた行為です。なお「弟子(たち)の足を洗い始めた」と複数なので、弟子たち一人一人を順番に洗うことを「始めた」のです。
[6]【あなたがわたしの足を】過越の食事は、奴隷状態から自由にされたことを記念するものでした。また洗足は、師弟の間で弟子が師に対して行なう近さと敬意のしるしでした。ところが、イエスが今行なっている行為は、自由にされた者が奉仕し、師が弟子の足を洗うのですから、ちょうど逆になります。イエスの行為は、イザヤやエレミヤたち預言者の象徴行為に通じますが(イザヤ20章2節/エレミヤ13章1~7節)、それが象徴するものは同じでありません。イエスの行為は、洗足を受ける者には洗礼となり、与える者には十字架の贖いの死を意味します。だからこれは、イエスが自分の死を弟子たちに予告する行為であるとも言えます。この状況は、共観福音書で、イエスが弟子たちに受難の予告をした時に通じるものです(マルコ8章31~33節)。この時もペトロは「イエスをいさめよう」としますが、逆にイエスにいさめられることになります。
[7]【今あなたには分かるまい】原文は「このわたしがしていることは、今のあなたには分からない」で、「わたし」と「あなた」が強調されています。「今のあなたには分からない」は、イエスの復活の後に御霊が降る時に初めて、出来事の真の意義を「想い出す」からです(2章22節/12章16節/14章26節)。ルカ福音書の受難予告の場面にも「弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていた」とあります(ルカ9章45節/同18章34節)。
[8]【決して洗わないで】原文の直訳は「わたしの足を洗うことを何時までもしないでください」です。「何時までも/永遠にしない」は「絶対にしない」「金輪際しない」という強い否定を表わします。ここには、「低くなった者の行為を、あるいは奴隷の姿をした神の行為を救いとして受け容れることを拒絶する」〔ブルトマン〕ペトロの傲慢を読み取ることができます。ペトロには、イエスの行為が、自分の考えている師弟関係あるいは救いとは全く正反対に思われたのでしょう。
【わたしとかかわりない】古来教会では、ここでの洗足は、洗礼と聖餐のふたつを象徴していると解釈されてきました。しかし現在では、洗足が洗礼を現わすと見られてはいますが、聖餐を象徴するとは考えられていません。イエスのこの答えには、イエスの死と復活に与ることなしにあなたは救われないというメッセージがこめられています。特に「わたしとかかわる」とは「わたしと共に同じ分け前に与る」(原文直訳)ことです。これはイエスが父の神から与えられた「分け前(嗣業)」にイエスの弟子たちも共に与ることを指しています。洗足の行為に先立って、イエスは「父がすべてをイエスの手にゆだねられたことを悟った」とあります。13章3節のこの言葉は、3章35節と同様に、イエスが父から受け継ぐ永遠の命をその弟子たちにも嗣業として「分け与える」ことにつながるのです。「わたしとのかかわり」なしには、人はイエスの命の「分け前」に与ることができません。ペトロが「何時までも/永遠に」受けないと言ったのに対して、もしもあなたが「何時までも」受けないのであれば、あなたはわたしと共に命に入ることが永遠にできなくなる。こうイエスは答えているのです(ルカ22章29~30節参照)。だからヨハネ福音書はここで、洗足に象徴される祭儀的な意味だけではなく、これよりもさらに深い霊的な内実を指しているのが分かります。ヨハネ福音書全体について言えることですが、この部分にも編集の手が重ねられています。それがどのような過程かを見分けることはできませんが、祭儀や象徴行為だけでなく、その奥に潜む霊的な深さは、こういう編集過程の結果としてわたしたちに伝えられているのです。
[9]【足だけでなく】ペトロには、イエスの言葉が十分理解できません。だが、洗足なしでは、イエスとの交わりが失われることを悟ったのです。だからペトロは、足だけでなく手も頭も洗ってもらうことで、イエスとの交わりをより深めたいと願ったのでしょう。しかしペトロは、「足」さえ浄ければ、その人の「歩み」全体が浄くなることを悟っていません。彼は、イエスが受難を予告した時にも「人間的に考えた」結果、思い違いをしてイエスに叱られます(マルコ8章32~33節)。彼は、この洗足の場でも、イエスとの交わりを深くしようと思い違いをします。洗足は受難の十字架をも表わしますから、これを受けることが「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、イエスのために命を失う者は、それを救う」(マルコ8章35節)道に通じています。しかしこのことは、彼にはまだ隠されています。
[10]【足だけ洗えばよい】10節前半の原文は「既に体を洗った者は、足を洗う以外は、全身清い」です。しかし「足を洗う以外は」が抜けている写本があります。このために、この節の読み方とその意味について様々な解釈がなされています。
(1)「体を洗う」と「足を洗う」の二つの「洗う」には、異なる動詞が用いられています。体を「洗う」ほうは、全身を水に浸す「沐浴」(もくよく)を意味します。「足を洗う」ほうは、手や足など身体の一部を洗うことです。沐浴はクムラン宗団では浄めのための大事なお勤めでした。また過越の食事に先立って、ユダヤ人は浄めの沐浴を行ないました。このように沐浴は宗教的な意味で行なわれますから、洗礼(全身の浸礼)をも意味します(ここで、イエスが弟子たちに実際に洗礼を授けたという意味ではありません)。洗足が洗礼を象徴するとすれば、イエスの言葉は「すでにイエスの洗足によって全身沐浴の洗礼を受けた者は、全身が清い」という意味になります。これだと「足を洗う以外は」の句は必要でなく、これがあると、かえって続く「全身が清い」とうまくつながらないことになります。ペトロは、洗足が全身の沐浴を表わすことを理解せずに、「手も頭も洗ってほしい」と頼んだことになります。
(2)教会の伝統的な理解の仕方として、「足を洗う以外は」の句を入れた上で、二つの「洗う」の意味を区別します。その上で、「沐浴」のほうは入信の際の洗礼による全体的な罪の赦しを指し、「洗う」ほうは、入信以後に絶えず継続する聖餐を表わすと解釈します。カトリックでは、「沐浴」は教会による洗礼を意味し、「足を洗う」ほうは、洗礼以後に犯すさまざまな罪をその都度悔い改める「告解」を指すという解釈もあります。 しかし、ヨハネ福音書では、「見る」と「知る」のように、同じことを二つの異なる動詞で表わす場合が珍しくありません。また「足の洗い」には、重要な意味が込められていますから、内容的に判断して、「足の洗い」が沐浴に続く二次的な意味で用いられているとは考えられません。その上、ここでの「足の洗い」に聖餐あるいは告解の象徴を読み取るのには困難があります。このことから、現在では、二つの動詞をこのように区別する解釈を否定する説が多いようです。
 この節は、「足を洗う以外は」が抜けているのがほんらいの形であったのかもしれません。だとすれば、後の編集者が、洗足が沐浴をも現すことを理解せずに、「足を洗う以外は」を加えたと推定できます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。あるいは、ユダヤ人は、大事な食事の際には、来る前にすでに沐浴しているはずだから、ここでの「沐浴」をその意味に理解/誤解したのかもしれません。ただし、この場合でも、追加はごく初期の段階だと推定されますから、はたしてこの句が追加かどうかは確定できません。このため現行のままの読みが、そのまま用いられています。
 確かに、ここでの洗足が全身を浄める沐浴に結びつくことを理解するためには、かなりの想像力が要ります。「足のほかに」は、この分かりにくさを補うために、ほんらいの原文にすでに加えられていたと見る説が有力です。ただしこのために、「論理的には」解釈上かえって混乱を生じる結果になりました。しかし、宗教的な言葉を含めて、言葉はほんらい「論理」だけではありません。特に物語や話し言葉の場合はそうです。聖書のテキストを批判する場合に、論理だけで聖書本文を批判すると逆に元の形を損なう恐れがあります。いずれにせよ、ペトロは、洗足の真意を読み取ることができず、また「洗い」という祭儀的な行為に頼ってイエスとのかかわりを深めようとしたためにイエスに注意されたのです。ほんとうの浄めはイエスの語る言葉によるのですから(15章3節)。
[11]この節はおそらく後からの追加だと思われます。「皆が清いわけではない」は、ユダを指しています。水の洗いはユダの心を変えることができないのです。ユダの裏切りについては、21節以下で注釈します。
 
あなたがたは、わたしを「先生」と呼び、「主」と呼ぶ。
それは正しい。わたしはそうだからである。
あなたがたの足を洗ったのが、主であり師であるわたしだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたに模範を示したのは
わたしがあなたがたにしたとおりに、
あなたがたもするためである。
アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。
僕はその主人にまさることがなく、
遣わされた者が遣わした方にまさることもない。
このことを知って、そのとおりに実行するなら、
あなたがたは幸いである。
わたしは、あなたがた皆について、こう言うのではない。
わたしは、自分が選んだ者たちを知っている。
しかし、聖書の言葉は成就されなければならない。
「わたしのパンを食べる者が、わたしに逆らった」とあるとおりに。
事が起こる前の今のうちに、あなたがたに言っておく。
起こったとき、「わたしはある」ことを、あなたがたが信じるためである。
アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。
わたしの遣わす者を受け入れる人は、
  わたしを受け入れるのであり、
わたしを受け入れる人は、
  わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
 
  [12] 原文の「~した時に」が、「洗った時に」〔新共同訳〕と「洗って、着て、席に着いた時に」〔NRSV〕と、ふたとおりの読み方があります。「席に着いた時に」と読むほうが、「イエスは言われた」に文全体が集中します。先にイエスは「今のあなたには分からない」(13章7節)と言いました。ところがここでは、「分かるか?」と問いかけます。イエスはここで、よほど大事なこと、それだけに分かりにくいことを伝えようとしているのです。なぜならここから、弟子たちが受けた「浄めの洗足」が、弟子たちが実行する「模範の洗足」へとその意味が移るからです。「罪の赦し」から「謙譲の美徳」へ移行するのです。
[13]【「先生」と「主」】「」が付いているのは、これが呼びかけだからです。「先生」はユダヤ教の「ラビ」にあたる言い方です。「主」もほぼ同じ「先生」の意味で用いられます。しかし、ヨハネ福音書では「主」が、ただの「先生」だけを意味するとは考えられません。サマリアの女は「主よ」を繰り返しますが、その意味が少しずつ変わっていって、ついには、「この方こそほんとうに世の救い主」と告白するようになります(4章11節/同15節/同19節)。ただし、この13章13節の「主」は、内容的に見て、「奴隷/僕」に対する「主人」の意味をも含んでいると考えられます。
[14]【主であり師でもあるわたし】原文は、「それだから、主であり、また師でもあるこのわたしが」です。13章1~11節と同12~20節とでは、同じ洗足を主題にしながら、その扱い方が対照的だと言われています。7節では「分からない」とあり12節では「分かるか?」と問われます。8節ではその意味が理解されませんが、15節でははっきりと示されます。10節では罪の赦しと浄めを表わしますが、17節では模範として実行することが求められます。ここでは、同じ洗足の行為が、祭儀的な象徴行為から、倫理的な模範へ移ります。
 癒しなどの奇跡や象徴的な行為が倫理性を帯びて、これに与る者の生き方を具体的に変革していくのが新約聖書の特長です。しかし、ヨハネ福音書に関する限り、しるしや象徴的な行為がここでのように倫理性を帯びて語られるのは異例です。だからここでは、洗足を主題にした二つの異なる版のテキストが重ねられていると見る説さえあります。例えばブルトマンは、6~11節を後からの追加と見て、12節を5節へつないでいます。彼は、模範としての洗足がほんらいの版であって、これに祭儀的な意義が後から加えられたと見ているのです。しかし、これとは逆に、ほんらい象徴性を帯びた洗足に後から模範としての倫理性が加えられという見方もできます。ヨハネ福音書では、追加部分は通常後に置かれることが多いからです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。どちらが適切なのか? そもそもそのような区別が付けられるのか? 今となっては容易に見分けがつきません。ヨハネ福音書では編集が重ねられていて、これによって重層的に意味が重ねられているからです。むしろわたしたちはここに、罪の赦しによる贖いの浄めとこれを受け容れる者に生まれる謙虚な奉仕とが、ひとつに溶け合っているのを見出すのです。
 「互いに足を洗い合う」というこの行為は、ヨハネ共同体の中で実践されていたのではないかと推定されますが、「洗足」の規範としての教え自体は、決してヨハネ共同体だけのものではなく、初期のクリスチャンたちの間にすでに伝承されていました。だから、ここでのヨハネ福音書の師弟観は、共観福音書と共通の伝承に立っています(マタイ10章24節)。「謙虚な奉仕」 という主題は、マタイ20章24~28節/マルコ10章41~45節/ルカ22章24~27節などにも表われます。もしも洗足がヨハネ共同体の中で実践されていたとすれば、その伝承はイエスの実際の行為にさかのぼるのでしょう。
[15]【模範を示した】原文ではこれが文頭に来ます。ここで弟子たちが受ける今までの「浄めの洗足」が、弟子たちが実行する「模範の洗足」へ変容するように見えます。「模範」と訳された原語「ヒュポデイグマ」は「型/例/模造」の意味で、ヘブライ人への手紙に3回(ヘブライ4章11節/同8章5節/同9章23節)、ヤコブ書(5章10節)と第二ペトロの手紙(2章6節)とヨハネ福音書に、それぞれ1回ずつでてきます。この用語は、ある特定の「型にはまる」、あるいはそのような「例に引きずられる」という悪い意味にもなります(ヘブライ4章11節/第二ペトロ2章6節)。したがってこれは、必ずしも努力目標としての「模範」のことではありません。
 ヘブライ9章23節には、「このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません」〔新共同訳〕とあります。ここで「写し」と訳されている原語は、13章15節の「模範」と同じギリシア語です。ヘブライ人への手紙によれば、旧約時代のユダヤ教の神殿は、天にある神の神殿の本体の「写し」にすぎません。不完全な模造の神殿では、罪の贖いもまた不完全になり、「律法によって犠牲の動物の血を流す」(ヘブライ9章22節)という贖罪の祭儀によらざるをえませんでした。キリストによって天の完全な「型」が啓示されるまで、旧約の神殿と贖罪の祭儀は、このように、「天にあるものを予め写す」(ヘブライ9章23節)ための模造であり続けたのです。
 しかしメシアとしてのイエス・キリストが到来しますと、キリストは、天の神殿にある贖いの聖所に「死と復活の受難によって入り」(ヘブライ9章28節)ました。天上の本体の「写し」である地上の神殿では、犠牲の動物の贖罪の血によってしか、罪からの浄めを得ることができませんでした。しかし、天の本体の神殿では、贖罪もまた「ほんもの」でなければなりません。そうでなければ、ほんものの「罪からの浄め」は与えられないからです。だからイエス・キリストは、受難の十字架の血をば、「ほんもの」の贖罪の供え物として天の神殿に捧げたのです。
 ヨハネ福音書では「ほんもの」を「真理/まこと」と言います。イエスが「天から降ったまことのパン」(6章32~33節)と言うのはこの意味です。ヘブライ人への手紙では、キリストは、「天の完全な浄めの型」(ヘブライ9章23節)として、「今やわたしたちのために神の御前に現われた」とあります(ヘブライ9章24節)。ヨハネ福音書でもイエスは「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼ら(弟子たち)を世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分を<完全に聖なるもの>として捧げます。彼らもこの<真理によって聖なるものとなる>ためです」〔私訳〕と祈ります(17章18~19節)。神のロゴスこそ真理/ほんものであり、この真理によって弟子たちが浄められるからです(17章17節)。ヘブライ人への手紙では、キリストが「今やわたしたちのために神の御前に現われた」とありますが、この「神の御前に<現われた>」は、ヨハネ福音書の「御子をその弟子に<顕す>」は同じ原語です。ヨハネ福音書では、父は御子を「極みまで」愛するがゆえに、父もまた御子を信じる人たちを愛して、その人たちに御子とその愛を「顕す」のです(14章20~21節)。
 13章15節ではこのように、イエスがわたしたちに「模範/型」を与えます。イエス・キリストは、ヘブライ人への手紙で言う「浄められた天の型」として、ご自分をわたしたちに顕すのです。イエスの愛は天の原型であり愛の本体として、「まことの愛」をわたしたちに顕すのです。イエスを信じ受け容れて、神の子とされた弟子たちは、イエスの本体の型を地上で現わす「写し」となります。だからこの「型/模範」は、わたしたちの側が自分で真似るための「見本」ではありません。自分の意志や力によって到達しようとして作り上げる「模範」でもありません。わたしたちは、御霊にあって、すでに完成されたイエスの愛の型に「はまる」ように導かれるのです。すなわちイエスの「似姿/写し」に変えられていくのです(ローマ12章2節)。だからこそイエスは、13章15節の後半で、この「型/模範」の意味を「わたしがあなたがたに顕した<そのとおりに>」することだと説明しています。わたしたちは、イエスの「極みの」愛を知り、知ることによってイエスの愛の「型にはまって」いくからです。このことが「分かる」こと、これが、次の16節を理解する鍵です(「型」については四福音書補遺の欄の「予型と対型について」を参照)。
[16]【僕は主人にまさらず】ここはマタイ10章24節後半と一致します。ヨハネ福音書はマタイ福音書を知っていたと見る説もありますが、確かなことは分かりません。なお「僕」の原語は「奴隷」の意味も含んでいます。
【遣わされた者】原語は「使徒」と同じで、ヨハネ福音書ではここだけですが、ここでは共観福音書の「使徒」という意味ではありません。内容的にこの節は、マルコ10章43~45節(同時にマタイ10章24~25節)と共通していて、マルコ福音書ではこの記事がイエスの受難予告の後に続きます。またここはルカ22章26節とも対応しており、ルカ福音書ではこれが最後の晩餐の席で語られます。このようにこの節は、ヨハネ福音書と共観福音書とのつながりを示唆しています。ここで「遣わされる」というのは、イエスを信じる弟子たちが、地上でイエスを「写し出す」ことです。
[17]【幸いである】この言葉はマタイ5章2~11節の山上の教えやルカ6章20~21節のイエスの教えを想起させます。より正確に一致するのは、イエスが去って再び来ることを告げた後で語られる「忠実で賢い僕」に与えられる「幸い」です(マタイ24章46節)。また「そのとおり実行する」とあるのは、ルカ11章28節の「神の言葉を守る」人の幸いにつながります。「このこと」(原語は複数)とは、直前の16節だけでなく、13節以下の洗足を通じて与えられた教え全体です。「このこと」が「分かる」こと、そして「実行する」ことです。これがヨハネ福音書では「山上の教え」にあたるところです。ルカ22章19節では、最後の晩餐の後の聖餐の際に「このことを実行する」ように告げられ、ヨハネ福音書でも洗足の後で「このこと」が告げられます。6章51~58節の「人の子の肉を食べ、その血を飲む」とある部分全体は、聖餐を意味していて、ほんらい13章の最後の晩餐のところに置かれていたという説があります。だとすれば、ルカ福音書と一致するのですが、確かなことは分かりません。
[18]17節と20節に挟まれて、18~19節はややつながりが悪い印象を受けます。もともとこの二つの節は、13章10節につながっていたと見る説がありますが、そうだとすれば、編集者は、この二つの節をここへ移して、代わりに10節の後に11節を加えたことになります。二つの節をあえてここへ移したのは、20節でひとつの区切りとするだけでなく、21節からのユダの裏切りへとつなぐ意図があるからでしょう。それだけではなく、18~19節のユダの裏切りを17節と20節で囲むことによって、裏切りの意味を読者に悟らせようとする意図も読み取ることができます。
【人々を選び出す】「どのような人々」の原文は「だれとだれとを選んだのか」という意味です。だから、この中にユダが含まれていないという解釈もあります。しかしここは、「聖書の言葉は実現しなければならない」とあるように、イエスはあえてユダがすることを「分かっていて」彼を選んだという意味です。ただし、「聖書が成就するために」(原文直訳)イエスが意図的に彼を選んだという意味ではありません。ユダがどのような者かを「分かってはいるが、それでも彼を選んだ」というのが原文の含みです(6章70節参照)。
【わたしのパンを食べる】有力な写本には「わたしと共にパンを食べる」とあります。「パン」が単数であること、「わたしのパン」という言い方から見て、13章では、この18節だけが聖餐を思わせます。6章51節以下から判断すると、「わたしのパン」とは「イエス自身というパン」の意味でしょうか。ここに示唆されている聖餐と裏切りの結びつきは最初期の教会からの伝承で、パウロもこのことに触れています(第一コリント11章23節)。なお引用は詩編41篇10節からです。引用はヘブライ語原典からで、「そのかかとを上げた」(原文直訳)とあるのは馬が突然に人を蹴ることです。マルコ14章18節にも同じ内容の引用がありますが、マルコ福音書のほうは七十人訳からで、「食べる」の原語がヨハネ福音書とは異なります。
[19]【事の起こる前に】直接にはユダの裏切りを指すのでしょうが、ここではむしろ受難全体を意味しています。
【『わたしはある』ということ】節の後半の原文は「起こった時『わたしはある』ことをあなたがたは信じるようになる」です。ここは七十人訳イザヤ書(43章10節)と並行しています。
 
あなたたちはわたしの証人であり、
わたしもまた証人であると主なる神が言われた。
そしてわたしが選んだ僕も証人である。
あなたたちは知り、信じ、そして悟る
『わたしはある』ことを
わたしの前にほかに神はなく
わたしの後にも神はないことを。
 
「わたしはある」(エゴー・エイミ)がイエスの臨在を表わすことは、すでに説明しました。ただ、イザヤ書では、主語が「主なる神」ですが、ここでは「主イエス」です。主であるイエスは、受難の際の事態をことごとく把握しているだけでなく、このことを弟子たちに悟らせて、彼らの信仰を導くのです。だから、ここでのイエスの宣言は、次の20節へつながります。
[20]この20節は、内容的に先の16節からつながりますが、20節は、区切りの締めくくりにふさわしく、荘重に、きちんと並行して構成されています。また内容的に見て、マタイ10章40節と並行していて、どちらも「遣わす」ことに関連しています。使われているふたつの動詞、「受け入れる」と「遣わす」は、マタイ福音書とヨハネ福音書では異なっていますが、どちらも、裏切りと十字架への道を教えた後に続いているのが注目されます。イエスにどこまでも忠実に従うか、それとも裏切るか、この分かれ道に立つ人たちへ向けた言葉でしょうか。イエスにどこまでも忠実であるとは、その前の19節の「わたしはある」に留まることであり、留まることによってイエスの愛に生きることであり、イエスの愛に生きることによって、兄弟を愛することです(13章35節/15章9~10節)。
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