(1)パウロの使徒職
【聖句】
■1章1〜10節
人々を介してでもなく、また人によるのでもなく、イエス・キリストと彼を死者たちの中からよみがえらせた父なる神によって使徒とされたパウロから、
2またわたしと共にいる兄弟たち全員から、ガラテヤ地方の諸教会へ。
3わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。
4主はわたしたちの罪のためにご自身を与えられて、わたしたちの父である神の御心に従い、今臨んでいる悪の世の中からわたしたちを救出してくださったのである。
5この神に世々限りなく栄光があるように。アーメン
6驚いたことに、あなたがたは、こんなにもはやばやと、キリストの恵みのうちに召し出してくださった方に背いて、異なる福音へ転向しようとしている
7それは福音ではなく、ただある人たちが来て、あなたがたを困惑させ、キリストの福音を逆行させようと意図しているだけである。
8しかし、たとえわたしたちであろうと天から来た天使であろうと、わたしたちがあなたがたに伝えておいた福音に反する福音を伝えるなら、その者は呪われるべきである。
9先に警告しておいたように、今再度言う。もしも誰かが、あなたがたが受け入れたものに反する福音を伝えるなら、その者は呪われる。
10今なおわたしは人に取り入ろうとしているのか?それとも神にか? あるいは、人の気に入ろうと努めているのか?もし、今なお人の気に入ろうとしているのなら、わたしはキリストの僕ではない。

【注釈】

講話
(1)パウロについて
 「パウロ」という名前はローマ名で、ヘブライ名は「サウロ」です。一般には、イエス様を信じるようになる前は「サウロ」で、回心した後は「パウロ」と呼ばれています。サウロからパウロへです。生まれたのは小アジア(今のトルコ)の南海岸に近いタルソで、両親はユダヤ人です。ステファノが殉教した時に、「サウロという若者」(使徒7章58節)がいたとありますから、彼はイエス様よりはずっと若かったはずです。とするとパウロが生まれたのはおそらく紀元後10年前後くらいではないでしょうか? 確かなことは分かりません。彼はタルソからエルサレムへ留学し、著名なラビであるガマリエルの門下でユダヤ教の神学を学んでいました。だからパウロは、生まれはユダヤ人で、宗教教育は伝統的なファリサイ派のユダヤ教です。しかしギリシア文化の中で育ち、ギリシア的な考え方も身につけていました。言葉はヘブライ語もギリシア語もアラム語も自由に話すことができました。その上、社会的な身分としては、当時のユダヤ人には珍しいローマの市民権を所有していたのです。ユダヤの宗教とギリシアの文化とローマの市民権、この三つがパウロを特徴づけるキーワードです。 神がこのような人をユダヤ人だけではなく、特に「異邦人」に福音を伝える器として選ばれたのは、もっともだと思います。
  ところがそのための神様のやり方もまた実に劇的でした。パウロはペトロとは違って、生前のイエス様を全く知りません。彼は若く熱心なユダヤ教徒でしたから、最初はイエス様の復活を信じる人たちを迫害しました。それだけでなく、遙か北のダマスコにいる「その道」の者たちを逮捕してエルサレムへ連れて来ようと出かけたのです。ところが途中で復活のイエス様が彼に顕れました。彼は馬から落ちて目が見えなくなってしまった。このことがあって、彼はひっくり返って、イエス様を救い主と信じたのです。大転換ですね。こうして彼は、イエス様の福音を異邦人に伝える「使徒」になりました。最後は、ネロ帝の時にローマで殉教したと伝えられています(67年頃?)。
(2)ガラテヤ人への手紙について
 「ガラテヤ人」というのは、パウロの生まれたタルソの遙か北の方で、今のトルコのアンカラ地方に住んでいた人たちのことです(「ガラテヤ」をもっと広い意味に解釈する説もあります)。パウロはイエス様の使徒とされてから、ユダヤ人以外の異邦人、ギリシア人やローマ人などです。彼らに伝道しました。と言っても、まだ異邦人の間では、イエス様を信じる人たちが少なかったから、パウロは、パレスチナの北の方にあるアンティオケアという大都市のキリスト教徒の集会に属して、そこから小アジアへ宣教に出かけたのです。最初は比較的短い旅だったのですが、2回目は、1回目に訪れたデルベやリストラやイコニオンを経由して(この時にガラテヤを訪れたと思われますが、この点は注釈を参照してください)、小アジアの港町トロアスからマケドニアに渡り、フィリピやテサロニケやベレアなどに福音を伝えてから、さらに南下してアテネを経由してコリントまで来ます。そこから船でエフェソに渡り、アンティオケアに帰りました。
  ところがその翌年? 再び大旅行に出かけます。今度は、ガラテヤを経由してエフェソへ向かい、そこに2年間ほど滞在して福音を語ります(使徒18章23節)。ところがそのころ、ユダヤ人キリスト教徒たちが、ガラテヤの教会へ来たのです。「ユダヤ人キリスト教徒」というより、この人たちを「ユダヤ主義のキリスト教徒」と呼ぶほうがわかりやすいと思います。実はパウロもイエス様に出会うまではユダヤ主義のファリサイ派でした。だから、イエス様の信者たちを迫害したのです。ところが彼は大転換をやった。これにはキリスト教徒も驚いたでしょうが、ユダヤ教の仲間たちも驚いた。彼らにとって、パウロは許しがたい「裏切り者」になったのですから。
  ところが同じユダヤ人キリスト教徒と言っても、ユダヤ教の律法の伝統にこだわって、ギリシア人やローマ人などの異邦人のキリスト教徒を旧約のユダヤ教の律法遵守に近づけようする「ユダヤ主義」のキリスト教徒たちと、パウロのようにユダヤ教に対して自由な立場をとり、異邦人キリスト教徒とユダヤ人キリスト教徒とを全く区別しないユダヤ人キリスト教徒(この人たちを「ヘレニスト」のユダヤ人キリスト教徒と呼びます)がいました。だからパウロが福音を伝える場合に、その周辺には、ユダヤ教徒、ユダヤ主義のユダヤ人キリスト教徒、パウロもそのひとりであるヘレニストのユダヤ人キリスト教徒、異邦人キリスト教徒、一般の異邦人(ギリシア人やローマ人など)、大きく分けてこれら5種類の人たちがいたのです。
  ユダヤ主義のキリスト教徒は、モーセ以来の律法を固く守っていて、ユダヤの伝統的な律法をユダヤ人以外の異邦人のクリスチャンにも押しつけようとしました。その一つが「割礼」です。これは現在のキリスト教で言えば洗礼にあたるでしょうか。とにかくこれがないとユダヤ教徒とは認められないほど大事な儀礼です。これに限らず、ユダヤ主義のキリスト教徒は、イエス・キリストの福音が、モーセ以来のユダヤ教と密接不可分であって、キリストの福音は、イエス様をメシアと信じて、ユダヤ教の伝統を忠実に受け継ぎこれを広めるためにあると考えていたのです。実はイエス様以前にも、異邦人でありながらユダヤ教を信じる「異邦人ユダヤ教徒」たちがいたのです。この人たちはユダヤ教徒ではあったけれども、ユダヤ人のユダヤ教徒とは区別されていました。ユダヤ主義のキリスト教徒は、異邦人のクリスチャンをこの「異邦人ユダヤ教徒」と同じ扱いにしていたのです。ただ、イエス様をメシアと信じる点だけは別でしたが。
   ところがパウロの伝えた福音は、彼らのユダヤ主義的な福音とは全く違っていました。パウロは、イエス様の福音は、ユダヤ教の伝統的な律法制度から人々を自由にするものだと説いたのです。このパウロの信仰は、従来のイスラエルの民もギリシア・ローマの異邦人も、神様の前では全く対等であって、宗教的に何ら違いがないという見方に基づくものでした。皆さんは、宗教というものは、抽象的で教義的な性格が強いと思われるかもしれません。けれども実際には、宗教や信仰の違いは、具体的な事になるほど、その違いがはっきりと現れるものです。この場合がそうで、ユダヤ主義的なキリスト教徒は、クリスチャンでも割礼が必要だと説いたのに対して、パウロは断固として割礼の必要を拒否したのです。ガラテヤの人たちは、キリストの福音とユダヤ教とのこういう複雑な状況をあまり知らないから、すっかり混乱してしまって、どうしていいか分からなくなったのです。そこでパウロが、ガラテヤの人たちに宛てて書いたのが、この書簡です。パウロは、なぜそんなに割礼にこだわるのでしょうか? 事は単なる割礼問題だけではないからです。そこには重大な信仰上の違いが含まれていたからです。ではそれはいったいなんなのか? これが、ガラテヤ人への手紙のテーマです。
(3)使徒としてのパウロ
   1節〜5節を読みます。パウロはここで、挨拶をかねて、この書簡を流れるふたつの主題を最初に示しています。ひとつは自分が使徒とされたのは、特定の人間の権威によるのではなく、復活したイエス・キリストから直に任命されたこと。もうひとつは、イエス・キリストが私たちの罪のためにご自分を献げてくださったこと。このふたつです。このふたつは一見別のことのように思われますが、パウロにあっては、分かちがたく結びついています。なぜなら、パウロは、例えばエルサレム教会の大使徒であるペトロに比べると、「使徒」として劣っているのではないか? あるいは、生前のイエス様の直弟子ではないから「使徒」とは言えないのではないか? こういう疑問が、ガラテヤの教会を訪れた反対者の律法主義的なユダヤ人キリスト教徒から伝えられていたと思われるからです。そういう疑念を抱かせた理由のひとつに、パウロの伝える福音が、エルサレム教会の使徒たちのそれに比較するとずいぶん違った印象を与えたことがあります。つまり、ガラテヤの人たちには、彼の使徒職への疑念が、彼の伝える福音そのものの信頼性への疑問と重なっていたことをうかがわせます。このために、パウロの伝える福音それ自体にまで疑いの目が向けられることになったようです。
  パウロはこれに対して、自分が使徒に任命されたのは、「人々を介して」ではないこと、つまり「大使徒たち」たちの認定によるのではなく、復活したイエス・キリストから直接に与えられたと述べるのです。自分は生前のイエス様を知らない。しかし復活のキリストなら「大使徒」に劣らず「知っている」。なぜ知っているのか? それは直接復活のイエス様に「出会った」からです。そのときの様子が使徒言行録(9章1〜19節)に出ています。すなわちパウロには、「復活の」イエス・キリストとの出会いが、決定的な意味を持っていることが分かります。その出会いの中身はイエス・キリストの御霊にある「交わり」です。これがパウロにある使徒職の根拠であり、その根拠は、キリストの御霊から与えられているのです。
  皆さんは、キリスト教はイエス様が生前に始めたものだと考えているかもしれません。しかし、よく考えてみると、キリスト教は、イエス様が十字架におかかりになって、復活することによって始まったのであって、それ以前ではないわけです。だから、教会は十字架をキリスト教の象徴にしているのですね。ということは、生前にイエス様は、人間としては、キリスト教の創立に関わってはいなかったことになります。十字架と復活と聖霊、この三つはイエス様の生涯の「後で」起こったことです。だからこれは、イエス様の父なる神がなさったことです。だからこそ、イエス様は「神の子」なのです。パウロが、「イエス様をよみがえらせた父なる神によって使徒とされた」というのは、この意味です。
   パウロはさらに、自分の使徒職は「人によらず」と単数で繰り返します。一見同じことを言っているようですが、実は大事なことが含まれています。なぜならこの「人」は「人間によらず」という意味で、そこにはパウロ自身も含まれています。自分に与えられた使命は、他の人の権威から出ているのではないが、同時にそれは、決して自分勝手な思いこみからでもない。こうパウロは言うのです。このことが、どんなに大切なのか。どうして自分からではなく主イエス様から出ていると分かるのか。これも、パウロが伝えようとする「福音」の内容と密接に関係しているのです。
  かつて彼は、イエス様の弟子たちを迫害したことがあります。このことも、彼の使徒職への疑念の一因になっていたのでしょう。ところが、これこそ、今のパウロにとって、自分が伝える福音の大きな証しなのです。なぜなら、自分がこうして使徒の仕事を与えられていること、そのこと自体が奇跡であり、これこそ、イエス様が、神のみ心に従って「ご自分を神に献げて」くださったところから出ているからです。4節はこの段落の要ですね。イエス様は、十字架にかかりわたしたちの「罪のために」ご自分を献げて罪の赦しを自らの血によって勝ち取ってくださった。自分のような「不信心な者」を救うために、パウロ自身が「まだ罪人であったその時に」(ローマ5章6〜8節)、キリストは神のみ前でわたしたちのために罪の赦しを成し遂げてくださった。イエス様は、いわばご自分を彼に与えて、古いサウロの代わりに新しいパウロをくださったのです。パウロに顕現したイエス様は、まさにこの「罪からの救い主」キリストとして復活されたイエス様なのです。「キリストを死者の中から復活させた父なる神」とは、この意味です。
  地上のイエス様は、復活によって「神の子キリスト(救い主)」とされた。これは、イエス様がご自分でできることではありません。それを成し遂げられたのは父なる神です。だからこそ、この神から遣わされたみ子キリストによって、自分の使徒職とその使命の内容が授与されている。これがパウロの伝える福音の真髄です。迫害者が使徒職に任命される。サウロがパウロになる。このような不思議が生じたのは、御子がパウロのために「ご自身を献げてくださった」からです。パウロはこれを「恵み」と呼びます。この「恵み」を伝えること、これがパウロの「喜び/恵み」すなわち「福音」なのです。したがって、彼の使徒としての権威は、まさに彼の伝える復活のキリストの恵みを根拠としているのです。パウロの使徒職とその使信の内容とが不離不可分なのはこのためです。
   わたしたちのコイノニア会の人たちも、ひとりひとりが、よみがえって今も生きておられるイエス様に出会った。そして、そのイエス様によって、自分の罪を自覚して、罪の赦しの恵みに与った。そこから、自分なりの伝道が始まるのですね。わたしたちが、そうするのは、どこかの神学校を出たからではない。「人々を介して」とあるように、教団の先生たちから資格を認められたのでもない。また、自分が偉くなろうとか、自分の業績を見せようとか、そういう自分の誉れを求めているからでもないのです。イエス様の罪の赦しに与り、だめなわたしでも御霊の赦しと慰めを体験して、これはどうしても人に伝えなければならない。こう思ったから、止むにやまれず福音を語ることを始めたのです。出発点は、主イエス・キリストの赦しの御霊、これのみです。
(4)異なる福音
   6節〜9節を読みます。ここでは、パウロとガラテヤの人たちとの間に明らかに溝があります。ガラテヤの人たちは、ユダヤ教のことも聖書のこともあまり知らない。彼らは、パウロからキリストの福音を伝えられたときに、初めてキリストの恵みを体験して、イエス・キリストの御霊を心に宿す喜びにあふれたのです。その後で、別の人たちが、エルサレムの教会から来たときに、たぶん彼らは、パウロの伝えていた福音をさらに成長させてくれるのだろうと思ってその人たちを受け入れたに違いありません。ところがパウロの側から見るならば、それは、以前彼が伝えた福音を受け継ぐものでもなければ成長させるものでもありませんでした。それどころか、逆に、せっかくパウロが伝えてくれた福音をむなしくさせる正反対のものにほかならなかったのです。「逆行させる」とあるのはこの意味です。
  こういうところは、すでにキリスト教を信じている国の人にはなかなか理解できないだろうと思います。むしろ、今の日本人のほうが、ガラテヤの人たちの気持ちがよくわかります。日本にも、たくさんの人たちが来て、いろいろな「キリスト教」を伝えてくれます。しかし、キリスト教のことを何も知らない日本の人たちは、いったいキリスト教とはどういうものか? これをどう理解すべきか、相当に混乱しています。プロテスタントとカトリックの違い、同じプロテスタントでも、リベラルと福音主義と聖霊派との違い、同じ聖霊派でも、カリスマ派とペンテコステ派との違い、さらに制度面では、教会と無教会との違いがあります。これでは、一般の日本人が混乱するのは当然です。
   実はパウロの頃の東地中海圏でも同じような状態でした。キリスト教徒の中にもいくつかの種類の人たちがいるのは先にお話ししました。それにユダヤ教の内部でも、ファリサイ派あり、サドカイ派あり、エッセネ派あり、ヘロデの党派ありです。その上にパレスチナ以外の小アジアやギリシアでは、伝統的なユダヤ教のほかに、ユダヤ教が異教と結びついた宗教もありました。そのほか、ギリシアのアルテミス女神、ローマのジュピターやジュノー女神、エジプトのイシス女神など、様々な神々が拝まれていたのです。ですから私たちの置かれた状況もガラテヤの人たちと似ていますね。いったい、何がほんとうのキリスト教なのか、何がほんもののイエス様の御霊を宿す信仰なのか? いろいろありすぎて相当に混乱しています。
   日本は異教の国、日本人は異教徒だから、キリスト教を伝えなければならない。外国のキリスト教国から来た人たちも、また日本人の牧師・伝道者たちも、口を揃えてこう言います。いかにして福音を伝えるのか? いかにして日本人をクリスチャンにするのか? そのことばかり語られています。ところが、問題は日本人がクリスチャンなるかどうかではないのです。問題は、日本人がイエス様を信じた「後から」始まるのです。イエス様を信じてなんだか嬉しくてたまらない。信仰に入ったばかりの人は誰でも体験しますね。ところがその後が問題なのです。イエス様を信じるということは、イエス様に従うことです。イエス様に「ついて行く」ことです。そうすれば、喜びはなくならない。単純なことなんです。子供でもできます。ところが、大勢の日本人は、せっかくイエス様を信じても、その後で、イエス様に「ついて行かない」のです。その代わり、教会の先生とか、友達とか、いろんな人の意見を聞いて回る。その結果どこかの教会のメンバーになれば、それでおしまいです。そのうちに、悪霊だとかなんだとか、おかしい「福音」が教えられます。何がなんだか分からなくなってしまう。その結果、御霊体験に躓いたり、違う教えに迷わされたりして、せっかくの初めの喜びを失ってしまうのです。これでは、せっかく御霊で始めたのに、人間的な肉で終わる(ガラテヤ5章25節/6章8節)ことになります。
(5)福音の真理
   ではいったい、後から来たユダヤ主義のキリスト教徒とパウロの伝える福音とは、どこが違うのでしょうか?これこそこの書簡の主題です。一口に言うならば、パウロが伝えた福音とは、神によって遣わされたイエス・キリストが、私たちの罪のために死んで、私たちに罪の赦しを与えるために復活してくださったことです。その上に、イエス様の御霊を通して私たちを神様との交わりに入れてくださった。これです。そこには、私たちの側からしなければならないことなどひとつもない。もっと聖くなりなさいとか、さまざまな儀式や儀礼をやりなさいとか、さまざまな決まりや慣習を守りなさいとか、そういうものは一切ない。神様に罪赦されて、イエス様からの「赦しの御霊」にある交わりに与るというただそれだけの喜びであり恵みなんです。
  ところがユダヤ主義的なキリスト教徒が伝えているのは、イエス様を信じた後で、まず割礼を受けなさいで始まり、次にあの日を守り、この祭日には出てきなさいとなります。ああせよ、こうせよと、ユダヤ教に伝えられている伝統を細々と教えこまれます。特に安息日の規則は厳格です。そんなことをしているうちに、せっかく伝えられた喜びの福音が、逆に束縛に転じて、重荷になってきます。どうもパウロは、こういう事が起こるのを予想して、ガラテヤの人たちに予告していたようですね。だから、「今また、わたしは繰り返して言います」と述べているのです。
   なんのことはない。私たちに当てはめれば、日本に今まであったいわゆる「宗教」から、別の違う「宗教」へと束縛が変わっただけです。そういう宗団的な束縛から自由にされた喜びこそイエス様の福音だったはずなのにです。イエス・キリストからの恵みをただ受け入れることによって救われる喜びなのか? それとも、人間的な努力と行為、例えば何かの儀式や活動を通じて到達する「救い」なのか? いわゆる「宗教」なのか? それとも、ただイエス様を信じ受け入れる「福音」なのか? 言い換えると、「宗教」か「福音」か。このふたつ、混同してはいけません。自分の罪を示され、それが赦されてキリストにあって喜ぶことと、自分が何らかの行為を通じて救いを達成することとでは、方向が全く逆です。片方は「しない」こと、片方は「する」ことです。片方は「受け入れる」こと、片方は自分で行動することによって「勝ち取る」ことです。
   パウロに言わせるなら、ユダヤ主義的なキリスト教徒たちが伝えているのは、「異なる福音」です。いいえ、「異なる福音」という言い方はおかしい。なぜならば、「喜びの訪れ」はただひとつ、イエス様の恵みから来るのであって、それ以外のものは、そもそも福音でさえないからです。だからほかの「異なる」福音などは存在しないのです。あるのはひとつの福音、イエス様の十字架と復活、そして復活のキリストから流れ出る御霊です。それ以外は福音ではないからです。十字架・復活・聖霊のこの三位一体あるのみです。そこに働くのは、徹頭徹尾「赦しの御霊」です。
  このコイノニア会には、実にいろいろな宗教的な経歴の方々がおられますね。キリスト教の教会や宗派を幾つか経験した人たちもいると聞いています。けれどもパウロは、そういう制度や儀式や慣習や宗派の話をしているのではない。そういう「あってもいいが、なくてもかまわない」いろいろなものを全部そぎ落としていくと、いったい、イエス様の福音の最も根本的なものは何か? こういうところへ行き着くのです。これがパウロの言う「福音の真理」です。それさえあれば、ほかのことはどうでもいいのです。ところが、いわゆる組織的な宗団に入ると、いつの間にか、その最も大事なものを忘れてしまう。あるいは奪われてしまう。その代わりに宗団の組織だとか活動だとか儀式だとか教義だとか、いろんなものに縛られて、御霊にある罪の赦しという大事な信仰が、いつの間にか別のものにすり替えられてしまうのです。ただあるがまま御霊にあって救われていればそれでいい。そういう無心の信仰を離れて、ああせよ、こうしなければならないと、人間の行為や活動に置き換えられてしまうから、せっかくの御霊の喜びを失ってしまう。パウロが恐れたのはこのことです。こうなったら、それは「別の福音」ではなくて、似て非なるものです。どちらもそれなりに正しいのではない。偽札と本もののお札のように、一方が正しければ、他方は要らない。だから「異なる福音」に移ったのではない。福音を失ったのです。パウロはそういう律法主義を「呪われよ」と強い言葉で警告するのです。
  ユダヤ教では、安息日制度がとても重要でした。人々はこの制度のもとで聖書の神を信じて、宗教的な生活を送っていたのです。ところがイエス様は、「安息日は人のためにあるので、人が安息日のためにあるのではない」と言われたから、弟子たちはユダヤ教の律法制度の安息日で禁じられていることでもあえて行なったのです。お断りしておきますが、パウロは決してユダヤ人キリスト教徒に対して、異邦人キリスト教徒のようになれと主張しているのではありませんよ。イエス様を信じて聖霊の喜びをいただいた。その喜びを自分の生活に活かしたり、人々に証ししようとする場合に、当然その人の生まれ育った家庭や民族や文化的・宗教的な状況が影響してきます。だから、伝統的なユダヤ教の中で育ったユダヤ人キリスト教徒は、割礼を保持し安息日を守り、自分たちなりの福音を生きていけばいいのです(マタイの属する教会はこれに近いです)。しかし、問題は、彼らが、異邦人などのほかの文化や宗教的背景にあってイエス様を信じた人たちに、自分たちと同じ生活の規範や宗教的慣習を押しつけて、これが「正しいキリスト教」だと主張するところにあります。そういう人間的な宗教が「霊」を生み出すのではないのです。御霊は宗教を生み出しますが、宗教は御霊を生み出すことが出来ないのです(ヨハネ6章63節)。どうぞまず福音の根本義をつかんでください。いや、思い切ってイエス様に掴まれてください。それ以外のことはどうでもいいのです。それぞれ自由におやりになっていいのです。大事なことはただひとつ。これに掴まれ、これに生きていくことです。
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