あとがき
  私は先に、コイノニア会の季刊誌『コイノニア』で、「知恵の系譜」と題して連載を続けた(1993年春号から1998年秋号まで)。この「ヨハネ福音書の霊性とその源流」は、この連載を基にして生まれたものである。ただし、書き改めたり訂正したりした箇所も多く、特に第12章から第14章までのヨハネ共同体とヨハネ福音書の形成は、一部「知恵の系譜」であつかった部分を含むものの、大部分は2004年に書いたものである。なお、この間、マルコーシュ・パブリケーションから『知恵の御霊』を出版したが、これの知恵文書をあつかった部分も(第6講から第10講まで)「知恵の系譜」から要約したものである。もちろん『知恵の御霊』では、新たに書き加えた章も多い。したがって、『知恵の御霊』と「ヨハネ福音書の霊性とその源流」とでは、幾つかの知恵文書が重複して扱われている。一方は簡約したものであり、「ヨハネ福音書の霊性」は、それの基となったものである。
 ヨハネ福音書を学んでいくうちに、イエスには、宇宙を創造した神ご自身が宿っているという信仰が、はっきりと表明されていて、このことが、「ユダヤ人」の躓きとなり、そのことが、イエスの受難の直接の原因となっていることを知った。創造主である方が、人間となって人間の世界に宿るという信仰それ自体も驚きであるが、それよりも、私にとっては、旧約聖書で証しされている神ご自身からの聖霊が、人間に宿るというその霊性それ自体が、いったいどこからきているのだろう? という疑問のほうが大きかった。モーセ律法を軸とする旧約のユダヤ教からは、このような信仰が生まれるはずもないことは、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」の主張を見れば明らかである。私が「知恵の系譜」を書き始めた一番の動機はこの疑問である。もとよりその結果は決して満足のいくものではないが、それでも、私なりに一応納得したつもりでいる。この著作が、同じような疑問をお持ちの方々に、何らかのご参考になれば幸いである。
 2004年12月7日   著者
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