日本人の選択
                 2014年7月22日
 従来日本人は、「平和憲法」の規定に則(のっと)って、たとえ国連の平和維持活動であろうと、直接攻撃を受けない限り日本の軍隊は人の血を流さないし、自分たちの血を流すことも避けてきた。イラクのサマワでの水道工事、イスラエルのゴラン高原の監視活動もこういう憲法の縛りの中で行なってきた。だからイラクでは、今も人々に喜ばれる「平和日本」の印象が強い。ところが現在、国連の平和活動、特にアメリカとの同盟の下で、日本が<直接>攻撃されなくても他国の人を射殺し、同時に日本人の血が流されることを可能にするかどうか、これが国会で議論され、メディアで論じられ、市民の間から政府の方針への批判が高まっている。たとえ軍隊といえども、他国の人の血を流さず、自国の人の血を流さないことを<本気で実行してきた>国は、戦後の世界で日本だけである。これが、国際的に見ていかに驚くべき事態なのか、<このこと>に私たち日本人が気づいているだろうか? 世界の「普通の国」の人たちから見れば、今日本で行なわれている議論は、想像もできないほど不思議な出来事なのだ。このことを日本のメディアは、世界に向けてなぜ堂々と<誇りを持って>報道しないのか。韓国人や中国人に詳しく知らせないのか。私は今<このこと>が一番残念である。
 確認したいことがまだある。それは、偏狭な国粋主義者、軍事費の拡大で儲けを狙う者たち、利権のために権力を操る者たちを公然と批判しているのは普通の日本人だということである。平和憲法はアメリカ追従だと言いふらす者たちは、現在集団的自衛権の行使を日本政府に促しているのが、そのアメリカだとは<言わない>。メディアでさえ、人類の歴史上、どの国も実行したことがない気高い理念に動かされているのは、現在の普通の日本人だと<言わない>。今、多くの日本人が、この気高い理念を<自ら選び取ろう>としている。このことは、平和憲法それ自体も、アメリカの押しつけなどで<なかった>ことを、日本人が自ら選び取った道であったことをこの上なく明らかに実証している。私はこういう日本人を誇りに思う。結果がどうなろうとも、現在の日本人の「気高い民主主義」は、人類の歴史に永遠に遺るだろう。世界は、日本人のこの気高さを尊敬し、決して忘れないだろう。諸国民から尊敬されること以上に強い国防政策はない。
*この一文は京都市右京区常磐野『九条の会』の依頼を受けて寄稿したものである。
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