第10章 聖書が今日本に語りかけること
聖書と歴史観
 本日の講演の題名に、「聖書が今日本に語りかける」とありますので、皆さんは、聖書が何を語るのか、つまり聖書から引用した言葉を語ることが、この講演の意図であると考えておられるのではないかと思います。しかし、私はここで、聖書が、特にその中でも、イエス様の十字架と復活と聖霊を語る受難物語が、どういう性質のものであるかをお話ししたいと思います。
 現代の聖書学は、聖書に書かれてあることが、はたして事実かどうかを検討してきました。その結果ずいぶん色々なことがわかってきました。しかし、その場に居合わせて目撃した人が、現在一人もいないわけですから、学問的にどこまで事実に迫ることができるのか、そこには自ずと限界があります。しかし、学問というものは、絶対的な真理そのものではなく、常によりよい説明を求めるところに成り立つものですから、聖書学の研究は、これからも続くと思います。
 新約聖書の中でも、キリスト教の形成に特に重要な意味を持つのが、受難物語です。これは、イエス様が十字架にかけられて、復活し、弟子たちに聖霊が与えられるという一連の出来事に関する物語です。厳密に言いますと、聖霊降臨は受難物語に含まれません。しかし、ここでは、聖霊の授与も受難につながる大切な出来事であるという視点から、これを受難物語に含めて見ていきます。
 ところでこの受難物語については、たとえば次のような疑問が出されています。受難物語では、イエス様は、ファリサイ派やサドカイ派などによって反逆者として訴えられて、その結果ローマ総督ピラトによる裁判を受けて、ローマの兵士たちによって十字架刑に処せられたとあります。この当時、ユダヤはローマの直属州になっていましたので、死刑はローマ総督の許可がなければ執行できませんでした。したがって、ユダヤの指導者が、自分たちの裁判でイエス様に死刑を言いわたしたとしても、それを執行する権限は彼らにはなく、総督ピラトによる裁判とその判決が必要だったのです。
 始めのうち、ピラトは、イエス様を処刑する理由を何一つ見つけることができませんでした。ところが、ユダヤ人の指導者たちは、イエス様がメシアとしてローマ皇帝に反逆しようとしたと訴えたのです。そこでピラトは、やむなくイエス様を反逆罪で処刑する判決を下したと福音書は伝えています。この記事ですと、ローマの側は、言わばイエス様の処刑に対して直接責任を負っていないことになります。ピラトは、「私はこの男の血については無実である」(マタイ27の25)と言ったと伝えられています。しかし、これははたして、史実に基づいて福音書に記されたのでしょうか? こういう疑問が出されています。
 さらに、福音書には、イエス様の処刑の時に、真昼であるのに闇が世界を覆ったとあります(マタイ27の45)。十字架だけでなく、これに続くイエス様の復活も、はたして福音書に記されているとおりの出来事がほんとうにあったのか? ということが問われてくることになります。
 こういう疑問が出されるのは、受難物語が、実際に起こった出来事に基づいていて、それが伝承として語り伝えられて、現在の福音書のような形になったという前提があるからです。もし福音書が、史実に基づいて書かれているとすれば、当然生じてくる疑問を学問的に解明しようという試みがなされることになります。ですから、問題は、この前提それ自体が、どこまで正しいかということにまで及んできます。
 新約聖書には、旧約聖書からの多数の引用がなされています。これは、新約聖書の記者たちが、イエス様の出来事を旧約聖書で預言されていたメシアの到来という視点から見ていたからです。受難物語についても同じことが言えます。先に言いました「真昼に闇が襲った」について言えば、これは、「アモス書」(8の9)の中に出てくる預言を踏まえていると考えられます。「出エジプト記」にも、モーセが命じるとエジプト中に暗闇が襲ったという記事があります。
 このように、福音書の物語には、旧約の物語の影響が色濃く反映していますから、受難物語を含めて福音書は、実際に起こった出来事に基づいて、それを史実どおりに伝えたと簡単に割り切ることができないのです。クロッサンという学者の言葉を借りるなら、受難物語は「歴史の記憶」ではなくて、聖書の預言に基づいてイエス様の出来事を記述したもの、すなわち、「預言を歴史化したもの」であることになります。
 けれども、受難物語が「歴史の記憶」なのか、それとも「預言の歴史化」なのか、という問い方それ自体にも問題があります。ここで「歴史」という言葉が用いられていますが、実はこの言葉は、誤解を招きやすいからです。ですから私は、受難物語は「事実の記憶」か? それとも「預言を事実とした」のか? というふうに問い方を改めたいと思います。イエス様が、十字架にかけられたのは事実です。受難物語は、この出来事を「語り伝える」ために書かれました。ここで、「事実」とその事実を「語り伝える」という二つのことを区別してください。事実はそれだけでは何も伝えません。と言うよりどのようにでも伝わります。なぜなら、事実を語るためには、その事実を何らかの仕方で「解釈」しなければならないからです。「語る」という行為は、歴史でも、歴史物語でも、小説でも、「解釈する」行為を含むのです。「歴史」という言葉が誤解を招くと言いましたのは、「歴史」と「事実」とを分けて考えていただきたいからです。
 新聞記事は、一般に「事実」を伝えているとされます。仮にそうだとしても、新聞は、そのままでは歴史になりません。では新聞記事を集めたら歴史になるのでしょうか? 昭和に発行された『朝日新聞』を集めた縮小版が出ていますが、これは昭和の歴史でしょうか? いいえ、これは歴史の資料にはなりますが、歴史そのものではありません。起こった出来事を年代順に並べただけでは、歴史にならないのです。それは「年代記」にはなりますが、歴史ではありません。単なる出来事の羅列は、それだけでは何も語らないからです。事実や事実に基づく資料が歴史になるためには、これを「物語る」ことがとても重要なのです。歴史(history)は物語(story)から生まれると言われるのは、こういう意味ですね。
 では、物語るためには何が必要でしょうか? その出来事を解釈することが必要なのです。では、出来事を解釈するためには何が必要でしょうか? 起こった出来事をどのような視点で見るのか、すなわち、出来事を見る根本的な理念あるいは哲学あるいは人生観、すなわち価値観ですね、これがどうしても必要なのです。こういう価値観を歴史との関連で言えば「歴史観」と言います。出来事が歴史として語られるためには、ある価値観に基づく歴史観が必要なのです。ある歴史観があって、私たちは、はじめて出来事を歴史として物語ることができるのです。このことは、人類、民族、国家にも当てはまりますが、家族や個人にも当てはまります。家族や個人が「自分の物語を持つ」、つまり自分の個人史、英語で言う "personal history"(個人史・履歴)を持つことなのですね、これがしっかりと意識されなければ、私たちは、自分を語ることができないのです。
受難物語とその解釈
 受難物語に戻りましょう。この物語は、起こった出来事そのままを伝えるものでしょうか? いいえ、そうではありません。受難物語は実際に起こった出来事に基づいています。しかしこれを「解釈」したものでもあるからです。では、その解釈の際に、根底となっている歴史観、それは何でしょうか? 旧約聖書とそこに含まれる預言です。福音書の記者たちは、旧約の預言とこれの成就という歴史観に基づいて、イエス様の十字架の出来事から受難物語を形成していったのです。だから、イエス様の出来事は、旧約聖書を離れて、いくらでも違った解釈ができます。そういう人たちは、福音書の物語を福音書の意図とは違った視点から解釈しようとする人たちです。現代の歴史家はほとんどがそうです。しかし、そういう解釈は合理的ですけれども、人間の視点から客観的に、すなわち外側から、社会学的あるいは政治的な見地に立って行なわれています。ですから、解釈の仕方は無数にあります。これに対して、私がこれから述べる立場は、この出来事を聖書それ自体が意図する解釈に基づいて観ることです。
 では、福音書、特に受難物語に語られているのは、本当に起こった出来事ではないのでしょうか? 福音書は、イエス様の出来事に基づいていますから、そこには、実際の出来事もイエス様の語った言葉も含まれています。しかし、今私たちが問題にしているのは、そういう真正の部分ではなくて、そうでない部分、すなわち、「非」真正の部分のほうなのです。たとえば、イエス様は、自分で自分のことを「神の子」(マタイ27の43、ルカ22の70)であると本当に言われたのでしょうか? どうもそうではないようです。では、その部分は、誰が何のために語ったのでしょうか? 旧約聖書の預言とこれの成就、この視点からイエス様の出来事を解釈して、この解釈に基づいて、それらの非真正の部分が生まれたのです。こうして、聖書にあるイエス様の言葉の「真正性」を学問的に追求することは、その非真正性を証明することと不可分です。
 では、いったい本当に何が起こったのでしょうか? まずイエス様の伝道活動がありました。これは、家から家、町から町へと巡回して、集まってくる人たちと共に食事をし(当時はこれも宗教的な行為でした)、病気の人を祈りによって癒し、また教えを語りました。イエス様は、その教えの中で、いろいろな譬えを用いて、わかりやすく、時には鋭い批判をこめて、神の国について教えられたのです。しかし、ここでどうしても強調しておかなければならないことは、イエス様を中心とする集まりには、単なる食事や祈祷や教えではなくて、そこには、神のみ霊のご臨在が強く人々の間に働いていたということです。現代の人はこれを「カリスマ」と言いますが、旧約では、神のご臨在は「シェキナ」と呼ばれて、たいそう畏れ多いこととされていました。イエス様のおられる所、そこには、この聖霊による神のご臨在が濃厚に顕れていたのは間違いありません。ですから、聖霊のご臨在が、十字架以後にはじめて顕れたと考えるのは誤りです。イエス様を通じて働く聖霊こそ、イエス様が私たちにもたらした最大の賜物だと言えます。
 イエス様は、この聖霊の働きに真っ直ぐに従ったと考えられます。なぜなら、当時の宗教制度の下では、安息日に病人を癒すのは禁じられていました。ところが、神様の聖霊は安息日でも働くのです! 男が女の人に触れたりすることも慎まなければなりませんでした。ところが、聖霊はイエス様を導いて、女の人に触れさせたのです。逆に女の人がイエス様に触れる場合もありました。当時は、宗教的社会的に罪人とされていた人に触れることは禁じられていました。ところが、神の聖霊は、イエス様に、そういう人たちにも触れて病気を癒すように働くのです! 一事が万事で、社会制度や宗教制度が厳しく戒めていることを、イエス様を通じて働く神の聖霊は片っ端から破って働くのです。このように、神様の聖霊は、人間が決めた制度とは関係なく、イエス様を信じる人に対しては誰でも同じように働いたのです。こうして、イエス様こそ旧約で預言されているメシアだ、という信仰が人々の間に広まったのです。
 このために当時のユダヤ教の指導者たちとイエス様との間に対立が生じました。その上、大勢の人たちがイエス様の回りに集まってきましたので、その伝道は、次第に当局の目からは不穏な運動であると見なされるようになったのです。ローマの官憲たちが、イエス様の運動をはたしてどこまで危険視したのかは、はっきりしません。しかし、反乱の可能性があると見たのは確かなようです。ユダヤ教の指導者たちが、裏でローマ側にこのことを示唆したのかもしれません。このために、イエス様は捕らえられて、十字架刑に処せられました。
 こうして、イエス様はいなくなりました。イエス様の回りに集まっていた人々は、さぞ失望したことでしょう。ところがです。彼らが集まって祈ると、イエス様が地上におられたときと同じような神のご臨在が彼らの間に顕れたのです。それどころか、イエス様ご自身が彼らと一緒にいてくださる、このことが、かつてイエス様と共にいた人たちの集まりの中ではっきりと感じられたのです。神の聖霊のこのご臨在は、一時的なものではなくて、いつまで経ってもなくならない。なくならないどころが、逆にイエス様の生前よりも一層激しく人々を動かすようになりました。「イエス様は死んではいない。甦って今も生きておられる」、こう人々は信じるようになりました。これがイエス様の復活信仰です。そのほかに、聖書は、イエス様の墓が空になったという不思議な出来事を伝えています。
 そこで、生前語られたイエス様のお言葉が集められて、イエス様の言葉集がつくられました(これが現在「Q資料」と呼ばれているものです)。しかし、それと同時に、大きな疑問が人々の間に広がりました。それは、このような神のご臨在をもたらすイエス様が、いったいなぜ十字架で死んだのだろうか? という疑問です。この疑問は、消えるどころか、イエス様の聖霊運動が広がるほどにますます大きくなっていったのです。そこで、聖書に通じている人たちが、この謎を解明するために聖書を調べ始めたのです。彼らは、イエス様の死を旧約聖書の「イザヤ書」53章で語られている「苦難の僕」と結びつけました。この苦難の僕こそ、来るべきメシアを預言していると信じられていたからです。この人たちは、彼らの集まりに働く聖霊のご臨在の中で、祈り求めつつイエス様の十字架の意味を探り求めました。こうして、イエス様の十字架と復活、そしてこれに続く聖霊降臨の受難物語が生まれました。
 このように言うと、皆さんは、受難物語の作者たちが、自分勝手な思いつきで出来事と旧約聖書との結びつきを行なったと思うかもしれません。しかし、事実はこれと少し違います。たとえば、現在でも、イエス様のみ名を信じて病気が癒される例がたくさんあります。その例を見ますと、新約聖書の「マルコによる福音書」などに書かれている癒しの場合とそっくりな状況がよく起こります。しかしこの場合、福音を語る人もこれを聴いて癒された人も、必ずしもマルコのその物語を念頭に置いているわけではありません。そういう場合もありますが、そうでない場合も多いのです。ところが、癒された人が、自分の身に起こった出来事を人々に語りますと、それを聞いている人は、しかも懐疑的な目で見ている人は、起こった出来事をそのまま伝えているのではなくて、聖書のマルコの話を自分に当てはめて語っている、こう思うのです。極端な場合には、聖書の物語をあたかも現在でも起こったかのようにでっち上げている、こう考える人もいるのです。聖霊が働くと、2000年前に書かれてある聖書の物語と同じことが現在でも起こる。しかも人々がこのことを意図しても意識してもいない場合でも起こる。こういうことが現にあるのです。このことがなかなかわかってもらえない。もっとも、こういう霊的な次元の問題は現在でもなお不思議な謎で、この謎はまだ学問的に解明されていません。
 十字架の受難を含めて、イエス様の受難物語には、旧約のメシア預言と結びついた解釈が多く含まれています。しかし、今お話ししたように、そのことから、イエス様の出来事と旧約の預言とを、人々が後で意図的に結びつけたとは言い切れないのです。イエス様の出来事を通じて顕現した聖霊のご臨在それ自体の内に、すでに旧約聖書のメシア預言が内蔵されていたとも考えられます。だから、イエス様の出来事と旧約とを後になって結びつけたのではなくて、新約聖書が繰り返し証言しているように、後になって人々がそのことを「思い出した」。このほうが真実に近いと思われます。しかし、これは聖霊のご臨在を体験し、かつその意味を理解する人でなければ納得できないのかもしれません。
 イエス様の受難物語は、このようにして生まれました。ではその物語の内容はどのようなものでしょう? イエス様が、人類の罪のために十字架にかかられたこと、三日目に甦られたこと、イエス様を信じる者は誰でも罪が赦されること、そしてその人の内に聖霊のご臨在が宿ること、これが、十字架と復活と聖霊の中から生まれたキリスト教の信仰です。こうして、イエス様を「神の顕れ」と認識する人たちは、イエス様が神のみ子であって、復活して今も霊的にご臨在すると信じるようになりました。キリスト教の神髄は、イエス様を通じて注がれる神のご臨在の体験が、現在に至るまで永続していることにあります。新約聖書とその受難物語は、このイエス様の聖霊のご臨在の中で生まれました。それは出来事を、旧約聖書の歴史観によって構築したもので、「聖霊による解釈」に基づいています。ここでは、事実そのものは、それだけでは何も語りません。それをどのように解釈するのかが問われるからです。だから、聖書の物語を読むときに、私たちはこれを霊的に解釈しなければならないのです。
 では、受難物語が、私たちに語る歴史とはどのようなものでしょうか? それは、一口で言えば、贖罪、すなわち「歴史の贖い」ということです。罪を犯した個人は、その罪を悔い改めることによって、イエス様の十字架の贖いによってその罪が赦されます。このことは個人の場合だけではありません。民族も国家も、イエス様の十字架の贖いによって、その罪が赦されるのです。このためには、個人でも民族でも、自分の犯した罪を「悔い改める」ことがとても重要です。悔い改めるとは、自分の罪を自覚してこれを改める行為です。しかし、これを人間が自分の意志で行なうことはとても難しいのです。そのためには、イエス様の十字架の贖い、すなわち罪の赦しが、悔い改めに先立って、その人なりその民なりに働いていなければなりません。イエス様の聖霊が働くときに、人々は、個人としても民族としても、自分の罪を自覚してこれを悔い改めようという気持ちに導かれます。そこには、すでに、罪の自覚と同時に赦しが含まれているからです。人間は、赦されてはじめて赦しを乞うようになるのです。新約聖書の受難物語は、当時のユダヤ人だけでなく、周辺のギリシア人やその他の民族にも大きな影響を与えてきました。それは、ユダヤ人と異邦人の区別なく、すべての人類に悔い改めるべきことを勧めてきました。
 悔い改めは、今その時に行なうことです。では今何をするのかと言えば、過去を改めることです。「過去は変えられない」、こう考える人は、悔い改めることができません。だから過去の過ちは、「なかったことにする」しか方法がないわけです。こういう人たちは、できれば、自分たちの過去の事実を抹殺したいと考えるのです。しかし、悔い改めるためには、過去を忘れるのではなくて、逆に過去を思い起こすことがとても重要なのです。なぜなら、イエス様のみ霊にあっては、過去を変えることができるからです。過去を変えれば過去は新しくされます。変えなければ何時までもそのまま残ります。
 過去を変えると同時に、悔い改めには、もう一つの面があります。それは、未来を創ることです。未来はなるようになる。こんなふうに占いみたいに予測ばかりしている人には、悔い改めはわかりません。神のみ前に過去をきちんと精算できてこそ、未来への展望が開けるのです。この点では借金と同じです。私たちは、それまでの借金をきちんと返済して、はじめて未来に向かって新しい展望が開けるのですね。このように今を起点にして、過去を改め、未来を築く。これが悔い改めの意味です。イエス様の受難物語は、このような悔い改めと贖いの歴史観に基づいています。
 私がこのように受難物語の形成過程をお話したのは、聖書が何を私たちに語ってくれるのかを、聖書のお言葉からの引用ではなくて、聖書がどのようにしてできてきたのか、その形成過程の中に、聖書の語りかけを聞きたいと思ったからです。私が、聖書に規範を見いだすとすれば、それは聖書の中身だけではなく、その物語形成の過程、すなわち「聖霊の解釈」それ自体にもあります。
 ヨーロッパの中世では、聖書は神のお言葉であって、神のお言葉は、人間の語るすべての言葉の根源であると考えられていました。「すべての言葉が語られた後に、なお語られていない唯一の言葉(the Word)が存在する。」今世紀の詩人T・S・エリオットがこう言いました〔『聖灰水曜日』X〕。したがって、ヨーロッパの中世の学者たちは、人間のあらゆる書き物が、神の霊感によって書かれた聖書の言葉から派生すると考えたのです。聖書には、世界と人類の歴史が、その創造から最後の審判に至るまで書き記してあります。そこに書かれた事柄は、字義どおりの意味ではありません。それは、聖霊のご臨在の内で、霊的に解釈されるべき言葉だからです。
 古代エジプトの時代から、「書く」ということは、話される言葉を含めて一切の言葉を判断するカノン(canon)、基準ですね、これを決定する行為につながると見なされてきました。人間の歴史と世界観とが、こうして書かれた聖書とこれの解釈によって「正典化」されるのです。したがって聖書解釈は、人間の歴史の意味を判断する基準をつくる行為につながります。と言うよりも聖書解釈こそ「歴史」それ自体を創り出し、これを決定する行為なのです。先ほど、年代記と物語と歴史との関係についてお話ししましたが、「神が物語る歴史」という意味において、聖書は、出来事を解釈するだけではなく、解釈することによって歴史そのものを創り出す、すなわち「造歴史的」な働きを秘めているのです。現代の学者たちは、出来事を客観的に、すなわち価値観を交えないで、これを記述することに重点を置いています。それはそれで、学問的に大切な営みです。しかし、こういう歴史家たちの歴史観と聖書の歴史観との間には、大きな違いがあります。それは、聖書が語る歴史観を、すなわち聖霊の働きをどのように認識するかという点にあります。聖書が聖霊に霊感されているということは、聖書が歴史を「物語る」ことができるということです。それは、聖書を通じて働く聖霊こそ、歴史の「語り部」であり、歴史それ自体を創り出していく力であるという意味なのです。
現在の日本人と歴史観
 受難物語と聖書の歴史観についてお話ししましたので、今度は、現在の日本人の歴史観について考えてみたいと思います。太平洋戦争中に、日本軍がアジアの各地で行なったさまざまな犯罪行為について、日本の政府は、公式には一貫して謝罪してきました。この間に、幾人かの大臣が、日本と日本軍の犯罪的な行為を否定したり弁護したりする事件もありました。しかし、太平洋戦争そのものと、同時にその時に行なわれた日本の犯罪行為を認めて謝罪するというのが、戦後の日本人のありようだったわけです。ところが、皆さんもお気づきと思いますが、近頃になって、こういう自己否定的な歴史の見方は、「自虐史観」であるとして、これを拒否しようとする人たちが多くなっています。最近話題になっている小林よしのりの『戦争論』にも、この傾向がはっきりと表れています。もっとも、言論の自由と、その言論を批判する自由は、どちらも大切にしなければなりません。
 南京虐殺に関しては、当時南京に駐在していたドイツのシーメンス社の駐在員とドイツ大使と、これら二つの報告がドイツで発見されて、話題を呼びました。毎日放送で、筑紫哲也さんは、南京虐殺の件に触れて、「自虐史観」と称してこの事件を無視する姿勢は、アジアの被害者から見れば日本人の「自閉史観」であると述べました。戦後の日本は、太平洋戦争を一貫して日本が背負うべき負の遺産として自覚してきたのは事実です。しかし、こういうマイナス志向からは、未来へ向けて積極的に自分たちの歴史を創り出そうとする気概が生まれてこないのもまた事実です。「自虐史観」を主張する人たちは、戦後の日本人の歴史観に潜むこの欠陥を突いているのです。筑紫さんは、「自閉史観」に陥らないようにと警告しましたが、そう言う彼の主張からも、戦後の日本の歴史観を負の遺産から積極的で創造的な歴史観へと転換する視点は生まれてきません。
 ところで、「自虐史観」を拒否する人たちの間でも、彼らの歴史観が、お互いに必ずしも一致しているとは言えないようです。それは、いったい日本の歴史観をどこから汲み出すのかという根本的な問題で、互いに分裂しているからです。問題は、六世紀の終わりから8世紀前半にかけて、すなわち聖徳太子の時代から『古事記』と『日本書紀』(720年)の成立までの時代を境にしています。この間に、聖徳太子の17条憲法、大化の改新、朝鮮出兵、壬申の乱、藤原宮遷都と平城京遷都が行なわれ、また、国家祭祀として最初の新嘗祭(676年)が行なわれています。この時期を境にして、それ以前の神話化された部分を日本の歴史の出発と認めるか認めないかで、分裂しているようです。『古事記』で語られた神話の時代を出発点とすれば、その歴史観は、本質においては戦時中の皇国史観になると思います。それでは困るというので、古代史の神話を日本の歴史観から排除して、もっと歴史学的な根拠に立って、事実関係を確認できる時代から日本の歴史観を創り出すことができないかというのが、もう一方の主張のようです。
 ところが、この後者のやり方では、肝心の歴史観が生まれてこないのです。なぜなら、『古事記』と『日本書紀』に語られている神話を排除してしまうと、歴史観の根本を形成する「物語」が生まれてこないからです〔小林よしのり「保守が死守する自虐教科書」『SAPIO』1997年11月12日号〕。事実をいくら学問的に確定しても、歴史家は、所詮歴史の語り部にはなれないのです。
 歴史と物語、これは先に私がお話しした問題ですが、「自虐日本史」に反抗する人たちが、日本の歴史観の「物語性」をめぐって対立しているのです。だから彼らの間でも、まだ一定の歴史観は存在していません。現在の日本では、歴史観それ自体が分裂していることがわかります。このことは、歴史を形成する新しい「物語」がこの国に欠けていること、逆に言えば、歴史を形成する物語の創造が、今日本で強く求められていることを示しているのです。
 今年の7月14日に、BS1のテレビで、榎本さんという元日本軍の兵士だった人の生き方が報道されていました。彼は、旧日本軍の残酷な行為を謝罪することに老後をかけている人です。その同じ番組で、今度は、韓国人で、元従軍慰安婦であった一人の女性の死に方の映像を見ました。死ぬ間際に、彼女は、「日本は大きな罪を犯したのだから、罰を受けなければならない。その責任者と最後まで闘わなければならない」、こう言い残しました。彼女が言う罰の追及と榎本さんの謝罪、この二つが出合うところは、イエス・キリストの十字架による贖罪の場しかないと私は思います。なぜなら、自分の犯した罪を神と人の前にはっきりと自覚し認めること、これを悔い改めること、イエス・キリストの名において罪が赦されること、そこから、はじめて新しい日本の歴史が始まると思うからです。これなしには、加害者と被害者とが、平和な関係に向けて具体的に行動する土台が築かれないからです。このような過程が、個人だけでなく、国家と国民によって語られ、具体的に実行されるときに、日本の歴史物語は、アジアと世界に認められるものになります。これが、私の主張する「贖罪史観」です。
 贖罪史観は、単に謝罪によって赦しを求めようとする「謝罪史観」ではありません。悔い改めのところでお話ししたように、「贖罪」とはこれを受ける者の罪が贖われることです。贖われて罪を赦された者は、過去の罪から自由になります。だから、贖罪は、より積極的な活動の根拠となるのです。先ず十字架による赦しがあって、ここから生まれる謝罪と悔い改めの中から、新たな歴史観が創り出されるのです。だから、これは、単なる謝罪史観ではありません。また、自閉史観でも自虐史観でもありません。まして、姿を変えた皇国史観ではありません。「十字架のキリストの元にはじめて真の意味での和解が成立するのです。戦争責任と謝罪の原点に、十字架の贖いの現実があり、そのことが認識されたときに、謝罪する側にも、受け入れる側にも、赦しと和解が生まれるのです。」かつて日本軍の被害を受けたマレーシアの部族に伝道したある日本人の牧師さんが、こう述べています(『リバイバル新聞』1998年8月9日号)。「虐殺はなかった」「戦後は終わった」「日本はアジアを解放した」という狭い視野の歴史観からは、21世紀を創り出す日本の歴史観は生まれてきません。
 先日韓国の金大中大統領が日本を訪問して、日韓関係を未来に向けて新しく創造しようと、国会でも記者とのインタビューでも語りかけました。私は、彼のインタビューをテレビで見ていましたが、大統領の力強い確信に満ちた語りかけに深い感銘を受けました。そこには、度々の死の試練をイエス・キリストへの信仰によってくぐり抜けてきた彼の信念がうかがえました。彼が日本と韓国の両方の国民に、過去を清算して未来へ向けて新しい関係を築こうと呼びかけることができるのは、イエス様の十字架の赦しが、その根底にあってこそはじめてできるのだと語っています〔「金大中大統領メッセージ全文」『キリスト新聞』1998年10月24日号〕。イエス・キリストの贖いで罪赦されて、はじめて真の贖罪が可能になり、これが相手にも受け入れられて日本の歴史が創られるのです。贖いによる罪の赦しこそ謝罪を可能にする力です。同時に贖いこそ謝罪を克服する力です。ここから、日本人とかつての被害の民との間を結ぶ日本の歴史が生まれます。どうか皆さん、21世紀の日本の歴史観をイエス・キリストによる贖罪に置いてください。
 こういうキリスト教的な贖罪史観は、日本の国益に合わないとか、アメリカ追従の歴史観だという批判を浴びるかもしれません。贖罪史観の基となる聖書の歴史観が、欧米のキリスト教的な歴史観と共通する面があるのを私は否定しません。しかし、そのことがすなわち欧米追従であると考えるのは誤りです。
 広島と長崎の原爆によって日本が降伏したとき、アメリカ市民は、原爆を賛美して勝利を祝いました。しかし、それは、新しい核兵器競争の始まりとなったのです。6万人のアメリカ兵が、ネバダで原爆の落下地点に無防備で突撃させられました。近くにあるセント・ジョージの町には、放射能の塵が降り注ぎました。にもかかわらず、アメリカ原子力委員会は、それらは全く危険がないと言い続けました。イギリスでも原子力が新しいエネルギー源として有望視され、原爆保有国は競って原発を建設しました。ところが、スリー・マイルズ島の原発事故が起こり、ネバダの実験結果、多くの放射能患者が実験に参加した兵士の中から出てきたり、セント・ジョージの町に障害児が大勢生まれたりしたために、アメリカ市民は、はじめて核に恐怖を抱き始めるようになったのです。チェルノブイリの原発事故は、核と原発に対する考え方を大きく変えるきっかけとなりました。
 原爆によって、「アメリカの正義」は勝利しました。しかしそれは、「人類の敗北」となったのです。日本は、原爆体験によって、核兵器撤廃への道を歩み始めました。この一歩は、人類の平和にとって大きな一歩でした。「日本の敗北」は「人類の勝利」への第一歩となったのです。
 核の問題を取りあげたのは、この問題が大切だからだけではありません。日本とアメリカの「視点の違い」に注意して欲しいからです。昨年、香港が、長いイギリスの植民地時代を終えて、中国に返還されました。これは、アジアにおいて、欧米植民地支配が終わりを告げたことを物語るとても象徴的な出来事です。インドもフィリピンもマレーシアもビルマもインドネシアも中国も植民地時代を抜け出しました。しかし、これで植民地主義(コロニアリズム)が終わり告げたと思ったら大きな間違いです。これからは、今までとは違った姿のコロニアリズムの時代が始まろうとしているからです。それは、情報コロニアリズムです。現在ハードとソフトの両方で、情報の覇権をめぐって、世界の国々が激しい競争を繰り広げています。特にヨーロッパ連合、南北アメリカ、アジアの三つの地域で、21世紀の情報を誰が支配するのかをめぐって競い合っています。
 なぜ情報がそんなに大切なのでしょうか、情報が、軍事、政治、経済を左右する力を持つからだけではありません。情報は、ものの見方、すなわち人間の価値観を左右する力を持っているからです。何が正しくて何が悪いのか? 情報を支配する者が、この価値観を決めることができるからです。21世紀のアジアでは、植民「地」時代が終わり、これに代わって、植民「知」時代が始まろうとしているのです。だから、今こそ日本は、世界に通用する日本の歴史観を持って、自分の価値観をアジアの国々や世界に確固として表明していかなければならない時に来ているのです。
 最近話題になっている本に、サムエル・ハンティントンというハーヴァード大学の教授が書いた『文明の衝突』があります。彼は、この本の中で、文明をさまざまな視点から分類しています。教授は、特にアジアの特殊性に注目しています。アジアは、キリスト教対非キリスト教文明では両方を含み、一神教対多神教でも、白人対非白人でも(オーストラリアとニュージーランドを含むと)、キリスト教対イスラム教でも、儒教対キリスト教でも、これらすべての分類において、その両方を含んでいるからです。世界の文明を分類する九つの基準の中で、七つの分類において、アジアがその両方を含んでいるのです。他の文明圏は、すべて、分類上では単一地域です〔サミュエル・ハンチントン著 鈴木主税訳『文明の衝突』集英社、1998年。地図1・3〕。
 教授は、21世紀の見通しとして、世界は今後全体的な調和を志向するよりも、異なる文明同士の亀裂と衝突が世界規模で起こると予測しています。彼によれば、文明において最も重要なのは宗教です。さらに、今後英米が世界に占める地位は徐々にではあるが低下すると予測しています。興味深いことに、教授は、アジアの中で日本だけを、他のどこにも所属しない単立の文明として分類していることです。この見方からすれば、日本は、世界でもアジアの中でも、孤立する運命にあることになります。日本は、近隣諸国とほとんど文化的なつながりを持たずに孤立していますから、日本に代わって、中国がこの地域の経済統合への形成を進めるであろう。その結果、事実上、中国系共同市場が誕生するというのが教授の予測です。 
 アジアでは、アメリカと中国とが覇権をめぐって衝突するだろうと予測し、彼は、その際に日本がアメリカと組んで中国と対立するつもりなら、軍備と核武装によってアメリカを補助しなければならないと言うのです。しかし、日本とアメリカとは、文化的に見ると根本的に異なるから、おそらく日本は中国に従属し(日本は常に最強国に従属する)、その結果アジアの覇権は中国が握ると見ているようです。その場合、米中の間で文明の衝突が生じる可能性が高くなるというのが著者の見解です。
 この教授の分析から判断しますと、アメリカは、中国を未来の敵対国と認識しているようです。しかしながら、こういう認識は、物事の半面しか見ていないと言うべきでしょう。なぜなら、およそ「事実」が先ず存在していて、これを認識するというのが、物事の半面であるとすれば、認識が事実を造り出していくというのも、もう一つの半面だからです。アメリカの高官たちは言います。中国は、経済的に行き詰まったときに、台湾を攻撃するだろうと。しかし、もしも、アメリカが、このような考え方に基づいて、中国が何らかの敵対行為を行なったときに、すかさず中国に対して経済封鎖を行ない、日本も韓国もこれに同調し、さらに台湾海峡に空母を派遣したら、中国は本当に経済危機に陥るでしょうし、その結果軍事行動に出る可能性があります。
 かつて日本が、太平洋戦争への道をたどったのは、日本が独自の道を採ったからではなくて、反対に、日本が欧米を見習ったからであるという見方があります。日本は、欧米列強の仲間入りをするために、富国強兵に励み、その結果欧米の権益と衝突するに至りました。欧米は、日本がアジアでの軍事的な覇権を意図していると読み取って、これに対して包囲体制を敷きました。その結果、日本は、欧米の予測したとおりに、太平洋戦争に突入しました。そうであれば、これからの日本は、欧米に追従することでアジアの中に対立を生み出すことがないよう警戒するべきです。過去の誤りを悔い改めた国は、二度と同じ誤りをしないことです。すなわち、欧米に追従して、その武力行動に組みしないことです。まして、中国に対して、過去の過ちを繰り返さないことです。これが、贖われた日本の国が、今後アジアにおいてとるべき姿勢だと私は思います。もしも、この点で、アメリカと政策が対立するならば、堂々と世界の世論の前で、アメリカとやり合うべきです。神は正しいほうに味方してくださいます。ここにも、核兵器廃絶の問題と同じように、日米の価値観の違いがあります。もしもこういう問題でアメリカに追従するなら、日本人は、自分のアイデンティティを失うことになります。
 日本が世界の文明において単独であるというハンティントン教授の分析が正しければ、そこから二つの結論が導き出せます。一つは、教授が出したように、日本は孤立するという結論です。もう一つは、もしも日本が、アジアを含むいかなる文明圏にも所属しないのなら、日本の文明は世界に向かって開かれているという結論です。すなわち、日本には、プラスとマイナスの両方の可能性があると考えるべきです。これからの日本は、外に向かって閉じられていくのか、それとも外に向かって開かれていくのか、このどちらかです。この事は、日本が、アジアにも欧米にもその足場を持たないのではなく、その両方に足場を持っていることを意味しています。同じ事柄を判断するのに、アメリカの教授と日本の私とでは、これだけ物の見方が違うのですね。
 これからの日本が外に向かって開かれていくためには、日本人の歴史観が開かれたものにならなければなりません。日本が欧米にもアジアにも属さない文明圏であるのなら、日本のキリスト教も、これに沿った姿をとらざるをえません。私は、日本が、カトリック、ロシア正教、欧米型プロテスタントのどれとも異なるキリスト教の形態を生み出す可能性を秘めていると見ています。日本は、アジアで脱白人のキリスト教文明を創る最初の国になるかもしれません。「脱」と言うのは、「反」ではありません。「非」でもありません。欧米のキリスト教自体が、脱白人のポスト・ホワイト・キリスト教となることが、現在強く求められています。そうでなければ、21世紀のキリスト教は成り立たないからです。20世紀の預言者であるキング牧師や、20世紀の聖者であるマザー・テレサの生き方が、はっきりとこのことを指し示しています。
 日本が、このような路線を歩むなら、アジアにおける文明同士の衝突を回避する道が開かれる可能性が生まれます。日本は、先に、欧米に対して軍事的挑戦を試みました。戦後には、欧米に経済的挑戦を挑みました。日本は、このような挑戦を、欧米の国家制度や産業技術を採り入れることによって行なったのです。今度は、価値観の挑戦、すなわち第三の文化的挑戦が、今始まろうとしています。異質なものの間では、「衝突」は起こりますが、「挑戦」は行なわれません。挑戦は、同じ土俵に立つときにのみ可能だからです。日本には、キリスト教のアジア化を達成して、欧米と非欧米とをその価値観において結ぶという重要な使命があります。日本は、もはや中国の文化圏に所属することはできません。むしろ、異なる面があっても、アメリカをはじめとする欧米文化圏と基本的な価値観を共有するべきです。その結果日本が、アメリカの属国になることはありません。日本は、アメリカと提携しつつ、中国を牽制し、米中の衝突を回避し、アジアの平和を維持する道を探るべきです。こうすることで、日本のキリスト教は、欧米とアジアとを結び、かつ中国を民主化する役割を他のアジアのキリスト教圏と共に果たすことができるからです。
 私がこの路線を正しいと判断するのは、それが、日本の利益にかなうからだとか、最も現実的な対応だからとかいう理由からではありません。日本が、アメリカや欧米と価値観を共有すべき理由は、「個人としての人間の人格的な自由」こそ、イエス様のみ霊の価値観だからです。個人の救済や個人の運命を全面に出すキリスト教が、現在韓国に広がっています。ところがこれと同時に、世界の至るところで、宗教的な民族主義が、非宗教的な民族主義に代わって台頭しつつあります。こういう時には、宗教的寛容こそ、宗教の最も大事な要素となるのです。私は、この宗教的寛容の霊性こそ、これからの日本のキリスト教を特徴づけるものであると信じています。世界の文明が、どのような姿や様相を呈しても、イエス様のみ霊にあるこの価値観は、人間の歩むべき道として正しいからです。これこそ、今後の日本のキリスト教がとることができて、しかもとるべき最も正当な道であると私が信じる理由です。
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