第3章 私人と個人
私語・公語・個人語
 まずわたし自身の身近な体験からお話ししたいと思います。私は、仕事柄いろいろな機会に学生の面接を行なうことがあります。そんな中で体験したのですが、学生にはいろいろなタイプがあります。ところが、面接を通して見た場合に、幾つかのタイプに分けることができるように思います。
 一つはこのような話し方です。
「私ね、いつもイギリスの小説に興味があったん。お兄ちゃんがネ、法律やってんだけど、小説好きでネ。そいで、私も好きになったんですヨー」
「何か作品を原典で読んだことがありますか?」
「英語ですね。あの英語の奴ね、あれって、けっこう難しいんですヨー」
ざっとこんな調子です。驚くなかれ、これは大学院の入試の面接で実際にあった例です。お気づきと思いますが、この学生の話し方は、公式の面接の場での話し方ではありません。友達とおしゃべりをしているときの話し方そのままですね。大学の教室で、学生の私語が多いと言われていますが、先生の講義は完全に無視して、自分たちだけのおしゃべりを、周囲の迷惑などおかまいなしにする学生がいます。この大学院の受験生は、これらの学生がおしゃべりしているときと同じ話し方をしています。ですからこれは、公式の席で話すスタイルではありません。私事を話す時の「私語」なのです。
 次は、これと対照的な例です。
「本学は、環境がまことによく、学習の設備も整っており、整っており…、モトイ!本学は、環境がまことによく、学習の設備も充実していて、その上優秀な教授の方々がおられますので、周囲の人々の薦めもあり、本学を受験いたしました」
 これも実際の例です。この学生は、自分のことは何一つ言っていません。このまま大学案内のパンフレットに載せてもいいような話し方です。誰が聞いても文句のつけようがない無難な内容です。これは、公(おおやけ)の席で紋切り型で話すときの典型的な語り方、いわゆる「公語」ですね。私なんかが身近に聞いている公語は、電車のアナウンスです。「毎度ご乗車有り難うございました。次は、西宮、西宮北口です。西宮北口から岡本まで止まりません。」これが電車の乗客全員に向かって語る公語ですね。電車の中で友達とおしゃべりしている人の話し方と、この車内アナウンスの話し方を比べてみると、私語と公語の違いがわかっていただけると思います。
 ところで、先ほどの公語型の学生ですが、彼女は明らかに緊張しています。私などは、「モトイ…」などと聞くと、昔の軍隊式の報告を思い出します。つまり、この学生は、普段自分が使っている言葉と全く無縁な言葉を無理して語っているのです。自分のありのままの話し方では、こういう公式の席では認められないことを誰かに諭されたのかもしれませんね。ですから、自分の内面などは一切口に出しません。自分の本心と自分の語る言葉とが完全に分離しているのです。この学生は、普段私語でしか話したことがないのでしょう。ですから、公の場での話し方がわからない。わからないからこういう不自然な話し方になるのです。
 では第3番目の例です。
「私は高校の時から演劇が好きです。この大学のパンフレットで、毎年シェイクスピア劇が上演されているのを知りました。私もこの大学に入って、ぜひシェイクスピア劇に参加してみたい。こう思いました。昨年、大学訪問の時に、実際ここに来てみて環境がいいのがとても気に入りました」
「大学では何をやりたいと思いますか」
「大学に入れたら、ゼミでは英語学をやりたい。こう思っています」
「この学校の学生は、少し服装が派手だとは思いませんか」
「そうですね。正直に言って派手だと思います。でも、私個人としては、派手な服装は好きではありません。ですから、私はそういう服装をしません」
 この学生は、なぜ自分がこの大学を受験したのか、また、入ったら自分は何をやりたいのかをはっきりと語っています。その上で、自分はこの学校のどこが好きで、どこが好きでないかをはっきりと述べています。けれども、彼女の話し方は、決して私語ではありません。お兄ちゃんがどうのこうのなどと、直接自分の面接に関係のないことは一切言いません。また、誰が聞いても誰が話しても無難な紋切り型の公語で話しているのでもありません。彼女は、自分の考えを自分の言葉で語っています。彼女は、自分をはっきり出してはいますが、その「自分」は、入試の面接の場にいるときの自分です。ですから、この自分は、私語でおしゃべりする自分ではありません。ある意味で、公に存在している「自分」です。こういう語り方を「私語」とはっきり区別してください。これを「個人語」と呼びましょう。
 では、4番目の例を聞いてください。
「あなたは、どうしてこの学校を選んだのですか」
「……」
「この学校について、何か読んだことがありますか」
うなずく。
「どんなものを読みましたか」
「……」
「読んでないのですか」
首を振る。
「では、読んだのですね」
うなずく。
「何を読んだのですか」
「……」
 こういう例です。お断りしておきますが、この学生は決して不真面目な人ではありません。むしろ真面目な学生です。頭が悪い人でもありません。むしろ、中位くらいの成績の学生です。なんにも言わない。自分を一切表現しない。多分表現しようと努力をしているでしょうが、それができないのです。あまりにも内にこもってしまって、外とのコミュニケーションがとれないのです。こういうのを「無語」と言います。これほど極端ではなくても、これに近い無語型の学生が最近増えているように思います。
 以上、私語型と公語型と個人語型と無語型の四つの場合をあげました。ここで私が、特に皆さんに注意していただきたいのが、私語と公語についてです。教師が公語で語る授業中に平気で私語でおしゃべりする学生たちをも含めて、先ほど例にあげた学生は、明らかにこの2種類の言葉の間のギャップに悩んでいます。つまり、彼らの内面では、私語と公語とが完全に分裂しているのですね。言うまでもなく、本音は私語のほうにあります。しかし、公式の席では、自分の内面をそのまま表す私語では語れない。そこで何とか公語で話したいと思うのですが、それが身についていないものだから、緊張して見せかけの装いをまとおうとするのです。つまり、私語の世界には慣れ親しんでいるのに、公語の世界は全く不得手だということです。私語と公語とのこの分裂ですね、これが実は深刻な問題を今の日本社会に投げかけています。
「公」と「私」の分裂
 私語とは、英語で言うprivateな話し方です。公語は英語ではpublicな話し方です。個人語は、先に言いましたように、半ば公式な部分を含んでいます。英語で言えば「自分なりの」という意味でpersonalな話し方になるのでしょうか。ところがpersonalには「私的な」という意味もあるのですね。そうすると個人語を話す人は、private/personal/public、すなわち私的な部分と公的な部分との間にあって、その中間に位置する自分のあり方で語る、言い換えると私的と公的のどちらの「自分」をも含んでいることになります。だから、個人語で語る場合の「自分」というのは、私的と公的との間にある自分、あるいは私的と公的とを結ぶ自分だと言うことができます。
 日本では、「公」と「私」との区別の使い分けが長い伝統として存在してきました。しかし、「個人」としての発言の歴史はまだ浅いのです。「公」と「私」との間に「個」が存在する。というよりは、個人こそ、私的な人格(private person)と公的な人格(public person)とを結ぶことができる人格(personality)そのものであり、それが自己を表現する働きをしている。こう言っていいかと思います。このように見ますと、私語と公語との分裂が、現在の若い人たちの間に見られるのは、この二つの狭間にあって、二つをうまく結びつけることができない。すなわち、公的と私的との間に存在する個人としての自分を見いだすことができない。こういう悩みを持つ若い人たちが多いことを意味しています。現在この国の若い人たちが直面している問題の一つが、この「公」と「私」との分裂です。しかもこの分裂は、その解決が見いだされないままに、若い人たちだけではなく、現在の日本社会全体における深刻な問題になっているのです。
 この分裂の極端に病的な姿が、自分の好きなことだけを求める一部女子学生の享楽的な生き方に現れています。自分だけのお金と刹那的快楽を追い求めて、自発的に売春をする。これは金と快楽追求の世の中の産物ですね。彼女たちにとって周囲の人たちの価値観は存在しないも同然です。自分だけの世界に閉じこもって、快楽とお金以外の価値観を喪失するなら、人間としての愛と信頼を見失ってしまいます。その結果、自分の人格の崩壊を引き起こしているのです。これは極端な例ですが、こういう「公」の価値観の喪失は、快楽を求める学生の幼稚化をもたらし、幼稚化は知的訓練の喪失をもたらし、学校教育の崩壊をもたらしています。自分たちと異なる人たちとのコミュニケーションを拒否して、大人や社会からしつけられ教えられたことのない若者が、こうして大学の幼稚園化とも言うべき現象をもたらしているのです。
学校崩壊の原因をどう考えるのか?
 最近著作で有名になっているある中学の先生は、校内暴力の時代が過ぎると、今度はひ弱で自分の状況に対応できない子どもが増えてきて、生活する上での基本となる型が身に着いていない子どもが増えてきたと指摘しています。そういう子どもたちは、他人との関係で傷つきやすく、人を意識して頑固に自分の内に閉じこもってしまう。好きなことには夢中になるが、教育的な義務や強制を嫌う。こうこの先生は言います。さらに親のほうは、他者として自分の子どもに接することができない。しかもその親が、自分の子どもの個性と自由ばかりを強調すると述べています。
 この先生は、現場にいる立場から、現在の日本の教育に潜む問題点を的確にとらえていると思います。ところがこの先生は、こういう教育の崩壊をもたらした原因について次のように分析するのです。

 さらに先生は、こういう状態が続いてきた結果、公のために自己を犠牲にすることを嫌う母親たちと、こういう母親に育てられた子どもたちが、人と違うことをする生徒をいじめの対象にすると指摘しています。そして、個性が大事だというかけ声が強くなってきた中で、子どもたちの間に、逆に個性を発揮できない世界を作り出していると述べ、こういう混乱の中で、教育の現場は、「一方に自由・人権派、他方に管理強化派という2つの考え方」の間で板挟みになっていると指摘しています。
 先に言いましたが、この先生は学校の現状を鋭く見つめています。ですから、私は先生に反論したり、先生を批判したりするつもりはありません。しかし、学校崩壊についての先生の原因の分析の仕方が問題です。これを読んでおかしいと思うことが二つあります。
 その一つは、「公」のために自己を犠牲にすることを嫌う母親と個人の自由と人権を大切にする教育とを結びつけて考えている点です。「公」よりも自分を大切にすることは「私」を大切にすることであって、「個人」を尊重することとは違います。自分第一主義は勝手主義であって、これは個人主義とはっきり区別しなければなりません。この先生の言うように、学校が崩壊し地域が崩壊しているとすれば、それは「個人」を大切にしたからではありません。まして「個人の人権尊重」のせいなどではありません。自分勝手な行動をする「私人」を優先させたからです。教育の現場で「自由と人権」が優先されたからではありません。私人としての「放縦と勝手主義」が学校の崩壊をもたらしたのです。つまり、この先生は、「個人」と「私人」とを混同している。私にはそう思えるのです。
 この混同は疑問の第二の点につながります。先生の混同は、実は根が深いので、先生ひとりのせいではありません。日本の教育は戦後一貫して「個人の人権と自由」を表明してきました。ところが、現実に行なわれてきたのは、個人を大切にする教育ではありませんでした。個人の人権を尊重すると言いながら、逆に、個人よりも会社や国家を大切にする企業戦士を育てる教育を行なってきたからです。スローガンと中味とのこの食い違いですね。これは、国際化の時代だから、日の丸と君が代を大切にする必要があるという主張にも表れています。国際主義を唱えることで実際には国粋主義を教え込む、これが現在行なわれていることなんです。このやり方は、ガイドラインはアメリカの外圧だというふりをしながら、実は自衛隊の海外派兵を目論む鷹派の政治家のやりかたとも似ています。ちなみに、今の憲法はアメリカから押しつけられたものだから、これを改正(悪?)しなければならないと主張する人たちがいます。もしアメリカに押しつけられたのが悪いのなら、なぜ最も反米的なはずの共産党だけが、憲法改正に反対するのかが全く理解できないのです。
 ですから、この先生に見られる「私人」と「個人」の混同は、この先生だけのせいではありません。実はこれが、今日私が皆さんにお話ししたい大事な点なのです。「個性が大事だという教育」が「個性を発揮できない世界を作り出している」のではありません。「個性を持たない自分勝手な私人としての生徒」が群れをつくって「個性を持ち個性を発揮しようとする生徒」をいじめているのです。
 この先生だけではありません。現在の日本では、「個人」と「私人」とが混同されて、同じ意味で遣われている場合が多いのです。ある経済界のリーダーは、企業の社会的な責任について語り合う座談会で、「私より公、個人より全体を考えてもらいたい」と言いたいんだけれども、これは年寄りの言い過ぎだから、「同等に」と遠慮しているんです、と語っています〔中山素平と城山三郎対談「気骨なき政治家と経営者を叱る」『現代』講談社、1999年8月号〕。
 「私より公」、これはこれでわかります。「私」を殺して「公」に奉仕することを「滅私奉公」と言います。戦時中によく聞かされた言葉です。これに対して、本来公の立場で行なうべきことを自分勝手な私利私欲で行なうことを「公私混同」と言います。この経済人は、「滅私奉公」の精神が必要だと言っているのですね。賛成反対は別にして、これはこれで私には理解できます。ところがこの人は次に、「個人より全体」と続けているのです。つまりこの人は、「公私」の関係と「全体と個人」との関係を同じだと見ているのですね。だから、「公」のために「私」を抑えよ、全体のために個人を抑えよ、と言っているのです。しかし個人を抑えたら、その社会は力を失うどころか、うっかりすると北朝鮮のような「全体主義」の世の中になってしまいます。おそらくこの人は、そういう全体主義の社会を作れと言っているのではないと思います。ここでも「私人」と「個人」の混同が生じているのです。
 もっともこの経済人は、自分を「年寄り」だと言っています。この世代は、自分の家の外の世界では、公式な言葉で語り、家の中で奥さんと話すときには、私的な話し方をする。つまり、「公」と「私」とがはっきりと区別されていて、その間に存在する自分は、はじめから存在しない。極端に言えば、職場での「公」の自分と家庭内での私的な自分の二つだけしかありません。ですから、この世代には、そもそもその間にある自分に悩むなどということはあまりしません。これでわかるとおり、この世代の人たちの発言を聞いていますと、私人と公人の2種類の自分があるだけです。ですから、先ほどの面接の例であげたような若い人たち特有の悩みはあまり感じられないのです。

私人と個人
 ではいったい「私人」と「個人」とはどう違うのでしょうか? これを私は学生にこう説明しています。クラブに入った時に、あなたは、「さあ、これからはクラブの1員なのだから、自分勝手はできない。自分を殺さなければ」、こう考える人がいるなら、その「自分」とは私人のことです。これに対して、「さあ、クラブに入ったのだから。これから大いに自分を発揮して活躍しよう」、こう張り切っているのなら、その「自分」は個人です。クラブを強くするには私人は殺さなければならない。この場合、「公」と「私」は対立します。しかし、クラブを強くするためには、自分の個性を発揮しなければならない。なぜなら、クラブという共同体は個人で成り立っているからです。個人が力を合わせて個性を発揮しなければそのクラブは強くなれません。これはスポーツでも演劇でも音楽でも同じです。個人と私人、このふたつは、集団との関係ではちょうど逆に働くのです。
 ですから、教室で私語をする学生は、個人を大切にしているのではありません。先生は公語で話をします。ところが、こういう学生は、それを無視して平気で私語をする。もしも先生が、そういう学生に、「今わたしが講義している内容についてあなたはどう考えますか? あなた個人の意見を述べてください。」 こう尋ねたらその学生はびっくりして何も言えないでしょう。そんなにおしゃべりが好きなら、みんなの前で堂々と自分の意見を言えるはずだと考えるのはとんでもない間違いです。そういう学生は、自分の意見をみんなの前で発表するのが1番苦手な人だからです。先生の話を聞いて、手をあげてその内容について質問する。こういう学生がいたら、その学生こそ個人です。こういう風景はイギリスでは時折見かけますが、日本の大学ではまず見られません。小学校から大学まで、日本の教育が行なっているのは「個人の尊重」ではありません。教育への価値観を見失った結果、自分勝手主義をはびこらせてきたのです。
個人・私人よりも公を優先させよ?
 ところが、こういう事態に対して、一方で今盛んに唱えられているのが、公的な教育を強化しようとする主張です。このような「公」と「私」との分裂を鋭く突いて、「私」よりも「公」を主張している有名な漫画家がいます。彼は、国家のために命を捨てる覚悟をすることが、これからの若者には必要なんだと叫んでいます。「お国のために死ねますか?」あるいは女性に対しては「あなたの息子をお国のために死なせることができますか?」という問いかけです。そこまで行かなくても、実はこれに類する意見や考えが、政治家や経済人はもとより、学者、知識人、タレント、俳優、さまざまな人たちの間から現在あがっています。
 この作家は、「公」と「私」と「個」とは何か? 「公」と「国」はイコールか? こう問いかけています。その上で、ヨーロッパでは「市民」という「公民」の自覚があり、神や国家や伝統が入り込んだ「個人」主義があるけれども、日本では単なる私利私欲の入り込んだ、「私民」主義しかできなかった。だから日本では、公のためにという精神こそが真の「個人主義」であると主張しています〔西部邁・小林よしのり対談『SAPIO』小学館、1999年6月9日号〕。これで見ると、彼は、「私人」と「個人」との区別を知っています。個人は欧米で育った概念であること、これが日本の私人とは異なることも知っています。その上で、日本人の場合、「個人」とは「全体」に奉仕するもの、「国家」という「公」を支えるものでなければいけない。こう主張しているのです。この主張は、裏を返せば、日本人には欧米で言う個人は理解できない、あるいは存在しない、こういうことになります。この点をはっきりと言っている大学教授がいます。教授は、日本人が「西欧式」の個人主義的な市民の契約的な社会観に簡単に移れるのかという疑問を出してから、地域の紐帯(ちゅうたい)やキリスト教の教会の支えがないから、日本の社会にそんな「個」や「私」が今のままで生まれるはずがない。日本では、新しく個人として「私」を支えるものは、やはり家族や公的なものへの帰属意識であり、国の歴史や、地域の伝統という古いものに自分が属しているという帰属感、この国に生まれてよかったなという自覚ではないかと言うのです。申し上げるまでもありませんが、国家への帰属意識からは個人は生まれません。公的なものへの帰属意識に基づいて、地域の伝統という古いものに私人を帰属させてしまうことこそ、「滅私奉公」の精神です。しかし、そこに個人が入り込む隙間はないからです。
 以上私の指摘したことは、次の4点にまとめることができるかと思います。
(1)若い人たちの間で、「私」と「公」とが分裂している。その上若い人たちは「公」を見失っている。
(2)日本では、「私人」と「個人」とが混同されている。
(3)私人と個人との区別を付けている人たちでも、少なからぬ人たちが、日本人は本来の個人を持つことができない、だから日本での個人は、「公」に従属させなければならないと考えている。
 さらにもう一つ付け加えるなら、「公」とは国家のことであり、日本人は国民として国家に帰属すべきであるという主張が現在強くなってきています。ここには、個人が形成するのは、国家ではなく共同体であり、その共同体を「社会」と呼ぶこと。そして、社会の中では、個人は「市民」と呼ばれること。こういう視点が完全に抜け落ちているのです。
 私が一つ気がかりなのは、最近の日本の政治的な動きに対して、学生たちが何一つ声をあげないことです。なぜでしょうか? それは学生たちが、私語の世界、すなわち自分だけのプライベートな空間に閉じこもって、自分だけの楽しみに耽っていて、公語の世界、すなわち天下国家を忘れている、あるいは無関心になっているのがその原因の一つではないでしょうか。内面的自律を取り戻す個人としての人格を確立することができるか、それとも国家権力による強制化をもたらすか、日本人は今そのわかれ道に立っている。こう思います。
「私よりも公」は正しいか?
 以上述べてきたことから、私たちに二つのことが問われてきているように思います。
一つめは、「私」よりも「公」を重んじて、私人と個人とを曖昧に同一視して、これを「公」に従属させるやりかたは、はたして正しいのでしょうか? 
二つめは、日本人は個人を持つことができないのでしょうか? あるいは、日本では個人は育たないのでしょうか?
 この二つの疑問です。まず第一のほうから考えてみましょう。厚生省が引き起こしたエイズの薬害に続いて、今度はヤコブ病が指摘されています。B・ブラウンというドイツの会社の硬膜が汚染されていることが、アメリカの疾病対策センターで報告され(1986年)、同じ年にアメリカ食品医薬局がその硬膜の廃棄を勧告しました。しかもその後、1996年にはB・ブラウン社自身がその硬膜の製造を中止しました。それなのに、日本の厚生省がこれの使用と販売を禁止したのは、1997年になってからなのです。厚生省は、アメリカの医薬局の勧告を知りながら、10年以上もそのままにしていたことになります〔「薬害『ヤコブ病』――厚生省は変わったのか」『朝日新聞』1999年12月23日号〕。
 その結果、ヤコブ病の被害者が、アメリカやドイツに比べて遙かに多数発生しました。なぜ、厚生省は、すぐに輸入を禁止しなかったのでしょうか。おそらく医薬品会社の利益と便宜を被害者よりも優先させたからでしょう。ここで、「なぜ」を逆にしてみましょう。いったい「なぜ」アメリカやドイツでは、そんなに早く被害を食い止めることができたのでしょうか? こう問うほうがわかりやすいでしょう。その理由は簡単です。それをやらなければ、その立場の人が必ず責任を問われるからです。逆に言えば、日本では誰の責任かが明確にされないのです。この違いはどこから来るのでしょうか? それは「個人」が存在するかしないかにかかっているのです。誰がその責任者か? これが明確になっていれば、その立場の人は必ず責任を果たします。果たさなければ罰せられますからね。単純なことです。ところが日本では責任は「みんな」にある。だから、たまたま責任をとらされた人は、いわば「犠牲者」なんです。まるで被害者みたいに見られる場合があります。日本では個人が責任をとるというよりは、みんなの責任をひとりの人間が「とらされる」のです。だから彼は罰せられても、周囲から同情されます。
 結果、アメリカでは、ヤコブ病の被害者は最小限にくい止められました。日本では、犠牲者は、まず手術を受けた多数の患者となって出ました。それから、長い裁判の結果、厚生省や医療会社の人のうちから一人か二人が、犠牲者として罰せられます。個人の責任が存在しないところでは、犠牲者が最大限に発生します。そして、官の立場にいる人たちが罰せられます。結果人々は「公」を信用しなくなります。アメリカは、犠牲者を最小限にくい止めました。しかも、誰も罰せられませんでした。それぞれの責任を担う個人が、きちんと自分の責務を果たしたからです。日本では、曖昧なまま、犠牲者が最大限に膨らんだのです。そして、役人はごまかそうとして罰せられ、厚生省はまたかと非難されて、国民から信用されなくなりました。責任をきちんととる個人が存在しなかったからです。どちらのやり方が正しいか一目瞭然ですね。これに類することは、いろんな分野で現在でも起こっています。あるいは、遡って戦前・戦中の日本の軍隊でも起こりました。戦前、戦中の日本の軍隊では、多くの誤りを犯し失敗を重ねても、誰もそれを正すことができなかったのです。個人が責任をとらなかったからです。
 はじめに述べた面接の例に戻りますと、誰が聞いても無難な答えをする公語型の学生は、A、B、Cに分けるなら、Cではありません。何一つ悪いことを言っていないのですからね。かと言ってこれはAでもない。まあBですね。ほとんどの人がこのBです。中には、どうも少しおかしいというのでCをつけることも間々あります。しかし、Aを付ける場合はだいたい決まっています。自分の考えを明確に表現し、はっきりと自分の言葉で語ることができる人、個人を持っている人です。私だけでなく、大方の先生は、こういう人にはAをつけます。大学の面接でもそうですから、企業の就職の面接でも同じではないでしょうか。けれども、このAの数はまだ少ないのです。圧倒的にBが多い。これが現状です。これからは、日本の企業も大学も、人物を評価するときの基準として、この意味でのAが求められると思います。なぜなら、これはこの国だけに通用する基準ではなくて、グローバルな基準ですから。
 ここで押さえておかなければいけないのは、「公」を国家と重ねることの誤りです。現在この国に向かって問われているのは、「グローバルスタンダード」という国際的な公共性です。好むと好まざるとに関わらず、政治、経済、情報など、いろいろな分野で、この「グローバルな公共性」と向き合わなければならなくなっています。だから、「国」と「公」とを単純に重ねることはもはや出来なくなったのです。もしも、「公」を日本の国家と重ねて、一人一人の人間をこれに従属させたら、個人と個性は失われます。国家を代表するオリンピックの選手は生まれるかもしれません。しかし、野茂英雄や小沢征爾のような人物、あるいは国際的に活躍するビジネスマンは多分生まれないでしょう。
キリスト教と個人
 次に疑問の第2番目です。一部の知識人たちが主張しているように、日本では個人は育たないのでしょうか? 欧米では宗教的な背景、これは「キリスト教的な」という意味でしょうが、このような宗教的・文化的な背景があるから「個人」の概念が発達している。しかし日本では、そのような背景がないから、「個人」は存在しない。あるいは日本人には「個人」は理解できない。こういう意見についてです。こういう人たちは、決まって、私人よりも公人を重んじるべきであって、これからは公教育を強めなければならないと主張します。実は今、国家が、教育どころか育児まで指導しコントロールしようとしています。今の若い人たちには、自分で自分の問題を処理する能力が欠けている。こういう認識がこのような主張の背後にあります。これが現在この国で起こっている事態です。はたしてこれは正しいのでしょうか?
 ではここで、キリスト教から生まれる「個人」のあり方とは、いったいどういうことを意味しているのかを考えてみましょう。プロテスタントのキリスト教、特に17世紀にイギリスで起こったピューリタン革命時代のキリスト教には、実にいろいろな種類がありました。それまで統一体として存在してきた教会のあり方から、信者一人一人の信仰の自由を尊重する集会のあり方を求めて、さまざまなセクトが生まれたのです。それまでは、神の啓示とは、教会全体に与えられるもので、信者個人が直接に神の啓示にあずかるなどということは、教会の主教たちが構成する教会会議で公認されなければ認められませんでした。ところが、この時代のイギリスでは、イエス・キリストから与えられる啓示は、個人によってさまざまに異なるのではないかという、信仰の多様性が問題になったのです。聖職者、平信徒を問わず、神はどのような個人にも分け隔てなく、その人の人格と良心に応じて、啓示を与えてくださる。こういう信仰が生まれてきたのです。
 しかし、個人への啓示と言っても、それはその人が一人密かに胸の内にしまっておくという意味ではありません。なぜなら、神からの啓示とは、その人だけが所有するものではないからです。それは「神のもの」ですから、啓示にあずかる個人は、自分に与えられた啓示の内容を神のみ霊の働きによって、人々に証しする責任を負うことになるのです。ですから、啓示とは本質的に共同体的な性格を帯びていると言えます。この点が、単なる私的な意見や私的な考えと異なります。このような意味での個人の信仰がその働きを発揮するためには、その人だけがひとりでいるのではなく、必ず彼の啓示にあずかることができる幾人かの仲間たちあるいはグループの存在が必要になります。人はそういう仲間たちの間で、はじめて個人となることができるのです。ですから、個人とは、本質的に共同体のメンバーであることを前提にしています。
 こうして、イギリスの教会の内部にも外部にも、少人数のミニ集会が数多く生まれました。それらのミニ集会では、一人一人の人間が、人格的な個人として信仰の自由を認め合いつつ、しかも互いに交わりを保つよう求められたのです。今世紀のイギリス政治学を代表するリンゼイは、こういう宗教的な交わりの輪を「自由な共通精神のコングリゲーション(会衆)」あるいは「自発的なアソーシエイション(協会)」と呼んでいます。そこでは、「すべての信仰者は、霊的には祭司である」ことが認められ、「誰でも、自分自身の同意によらずしては支配される義務を負わないという原理」が貫かれていたのです。なぜなら、「神の意志」が啓示されるのは、まず最初に誰か「個人」に対してだからです。
 →〔 これについては以下の論文を参照。ドルシラ・スコット「A・D・リンゼイとデモクラシーの土台にあるもの」今関恒夫「リンゼイのデモクラシー論とピューリタニズム−−−教派的小集団とデモクラシー成立の社会的条件」永岡薫編著『イギリス・デモクラシーの擁護者A・D・リンゼイ−−−その人と思想』聖学院大学出版会、1998年〕。
 神の意志の啓示と、これをめぐる個人と共同体との関係は、イエス・キリストという個人が、全人類の代表として、神のみ前に罪の贖いを成就したこと、このキリストの贖いの契約に入る者は、誰でもキリストの名によって罪の赦しが保証されるという信仰を土台にしています。キリストは人間の罪の連帯保証人であり、彼が支払った贖いはその契約に入る者を自由にする。これは、キリストという個人が全人類を代表する公的人格(public person)であることを認めることなのです。
 ダビデは私人としては、神によって油注がれた王サウルを殺そうとしませんでした。しかし、神に立てられたダビデは、公的人格として暴君サウルを倒し、これに取って代わりダビデ王となる資格を持つのです。同じように、ひとりの私人としてのクロムウエルが自分の私情から王に逆らうなら、彼は反逆者になります。しかし、彼と彼の軍隊が、神の召しによって王と戦うときには、それは公的人格集団として「神の軍隊」となるのです。ミルトンの叙事詩に描かれる『楽園喪失』のアダムも『楽園回復』のキリストもその意味で公的人格です。そして、キリストが公的人格であれば、キリストに属する者も、キリストとの個人的な交わりを通じて、キリストと同じ人格を帯びることができます。ここに、私人と個人の違いが生まれることになります。
 このようにして、イギリスの17世紀では、公的人格(public person)、代理的人格(representative person)という概念が神学的な意味で登場するようになります。こういう公的人格は、庶民院議員(下院議員)の公的人格を基礎づけることになります。庶民院は、特定の社会を代表する公的な個人から成り立っています。ここでは、個人の代表する人格が、神の集会(教会)、あるいは世俗の団体を代表する公的人格という意味を帯びてきます〔クリストファー・ヒル著 小野功生・圓月勝博・箭川修訳『17世紀イギリスの民衆と思想』法政大学出版局、1998年、14章を参照〕。
 これが近代においての「個人」の誕生の始まりであり、これに基づく議会制民主主義の始まりです。ところが、このような形で誕生した個人の概念は、イギリスでも、そのままの形では存続できませんでした。ピューリタン革命が挫折したからです。17世紀の前半、イギリスでは、ピューリタン革命によって国内が真二つに分かれて激しい戦争をしました。これは、宗教・社会・経済・階級を巻き込む思想戦争でもありました。ところが、革命の挫折以降、激しいイデオロギー対立が治まると、すなわち17世紀後半の王政復古の時代から18世紀を通じて、「公」と「私」、すなわちパブリックとプライベートとの間に分裂が起こりました。「公」は語られてはいますが、現実には私的な動機、私的な世界での取引で政治も経済も動かされて、人々は享楽的になり、自分の楽しみを追求するようになりました。しかしながら、このようなpublicとprivateとの間の緊張関係から、この両方を統合するような新しい近代個人主義が、教会と世俗の垣根を超えた形で生まれてきたのです。これが19世紀のイギリスを支える大きな力になりました。ジョン・スチュアート・ミルはその『自由論』(1859年)で、国家と個人との関係を論じました。これがいわゆる英国的個人主義の誕生です。
私の体験した個人の共同体
 日本人には個人は存在しない。だから、日本人は、国家とか会社とか家族という集団全体の中に自分を見出すようにすべきであるという考え方は、戦後の民主主義と憲法の理念を抑える、あるいは否定しようという意図を秘めています。このような意図が、「私的な若者」への批判となって現在出ているのです。けれども、私に言わせるなら、そういう全体的な国家主導型の人間観を押しつけるよりは、むしろ現在の若者、たとえ自分中心のオタクであり享楽的であると言われていても、今の若者たちのほうに遙かに希望が持てます。
 リンゼイが指摘していること、個人は、幾人かの仲間が存在することによってはじめてその意味を発揮するということは、私たち日本人にもとても大切です。彼の指摘は、個人を育てるヒントを与えてくれるからです。個人の集まりは、バラバラの孤独な人間の寄せ集めではありません。仲間の中ではじめて形成されるのです。現在日本では、さまざまな価値観を持った少人数のグループが、数多く生まれてきています。これはよい兆候ですね。宗教、政治、経済、情報産業、学問、芸術、教育、それぞれの分野で、独創的な人たちの集まりが生まれてくるならば、この国の未来は明るいです。国家に従属して国家に支配されなくても、立派な日本を築いていくことができます。若い人たち、どうぞお願いします。
 最後に、わたし自身が経験した、個人と個性の豊かな共同体のお話しをします。その一つは、公立高校の職員室です。私は、奈良県立奈良高校と京都市立塔南高校の教諭を勤めました。宗教界、大学をも含めて、私が1番民主的で、先生ひとりひとりの個性が活かされていると感じたのは、この公立高校の先生たちです。
 私が民主的であることを誇りにしているもう一つの例が、日本ミルトン・センターという学会です。この学会では、お互いにはっきりと自分の意見を述べますが、それぞれが自分の主張を闘わせることはしても、互いに個性を出し合ってのびのびとやっています。私が今までに経験したこの2つの仲間が、個人と個性を尊重する民主主義の原理に立つグループです。
 「個人」とはなにか。それは、「公」と「私」との間にある人間の在り様を指しています。公的な存在と私的な存在の両方を含みつつ、ひとりの統合された人間として存在している姿のことです。これが日本人にはできないと言うのです。はたしてそうでしょうか? 私はそう思いません。
 昨年の講演会で、私は、戦前の日本の歴史をただ否定しているだけでは、新しい日本人の自覚は育たない。何が正しく、何が正しくなかったかを反省し、悔い改めるべきところをはっきりと悔い改める。これによって、肯定と否定とを超えた新しい日本の歴史観が生まれるとお話ししました。戦後民主主義に対しても同じことを言わなければなりません。私人を否定して「公」としての国家を唱える人たちは言います。戦後民主主義は間違いであったと。しかし、もしも戦前の日本を全面的に否定することが間違っているのならば、戦後50年の日本の民主主義を否定することも同じように間違っているはずです。過去の歴史を決して否定していけません。常にその中から何が正しいのか、何が誤りかを的確に判断して、次の時代に何が必要かを探り出すことが大事なのです。これが歴史と向き合う正しい姿勢です。戦後民主主義に関して、国家と「公」とを唱えている人たちには、こういう視点が欠けています。むしろ若い人たちに期待します。どういう未来を造るかは、彼らが握っているのですから。
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