【注釈】
■マルコ15章
 マルコは、15章40節で、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、サロメの3人の女性の名前をあげています。同47節では、マグダラのマリアとヨセの母マリアの2人です。16章1節では、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人です。だから、マルコは、マグダラのマリアとサロメの二人のほかに、「小ヤコブとヨセの母マリア」「ヨセの母マリア」「ヤコブの母マリア」のように、同一人と思える人の名を異なる呼び方であげています。なお、マルコ15章40~41節と47節の女性に関する記事は、マルコの手元の前マルコ資料の受難物語にはなかったもので、これは、別の(口伝?)伝承として伝えられていたものをマルコが加えたと考えられています(A.Y.Collins. Mark. Hermeneia. 774.)。
[40]【マグダラのマリア】「マグダラ」は、ガリラヤ湖西岸の都市ティベリアスと北岸のカファルナウムとの間にある漁村で、彼女は、そこの出身です。彼女の名前は、マルコのこの箇所で初めて出てきますが、「空の墓」を見出すことで、イエス復活の最初の証人として教会で伝承され(マルコ16章1~5節)、マルコの読者たちもよく知っていました。彼女が、イエス復活の最初の証人であったことを詳しく伝えているのは、ヨハネ福音書です(ヨハネ20章1~18節)。
【小ヤコブとヨセの母マリア】この「マリア」については、マルコ6章3節に、イエスの母マリアによるイエスの兄弟として、「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」の4人が出てきます。だから、彼女は、イエスの母マリアのことになります〔岩波訳85頁脚注14〕。しかし、「イエスの母」を「小ヤコブとヨセの母マリア」と呼び、これに続いて、「ヨセの母マリア」「ヤコブの母マリア」のように別々の呼び方をするのは、不自然な記述だという指摘があります(R.T. France. The Gospel of Matk. NIGTC. 664.)(Davies and Allison. Matthew 19--28. ICC. 638.)。とは言え、十字架のイエスを見守る「イエスの母」を直接名指しするのを避けて、このように意図的に間接的な呼び方をするのは、ヤコブとヨセフが、教会の伝承で重要視されたことによるという説もありますが(John Nolland. The Gospel of Matthew. NIGTC. 1225.)、それだけでなく、イエスがユダヤの権勢との相剋を深める中で、イエスと、これを見守る母マリアとの間が、必ずしもしっくりいかなかった(マルコ3章20~22節)事態を口頭伝承が意識していたからではないでしょうか。
 なお、十二弟子の一人に「アルファイの子ヤコブ」(マルコ3章18節)が出てきますから、ゼベダイの息子でイエスの内弟子として、イエス復活以後にエルサレムの教会で重要な役割を果たす「(大)ヤコブ」と区別して、マルコは、この使徒ヤコブのことを「小ヤコブ」と呼んでいると考えて、ここの「マリア」は、イエスの母でないという説もあります(A.Y.Collins. Mark. Hermeneia. 774.)。しかし、これも、イエスの兄弟のヤコブが、背が低いために、教会で「小ヤコブ」と呼ばれた(「小男ヤコブ」〔塚本訳〕)と考えれば、説明がつきます。
【サロメ】マルコ福音書では、サロメは、ここだけに出てきます。並行するマタイ27章56節では、マグダラのマリアと、ヤコブとヨセフの母と、ゼベダイの子たちの母の三名があげられていますから、マルコが言うサロメは、マタイが言う「ゼベダイの息子たちの母」にあたります。だから、サロメは、ゼベダイのヤコブとヨハネ兄弟の母になります。このサロメは、マタイ20章20~21節に出てきて、ゼベダイの息子たちのためにイエスに重要な願い事をしています。ちなみに、ヨハネ19章25節で語られているのは、イエスの母(マリア)と、母の姉妹(イエスの伯母/叔母)と、クロパの妻マリアと、マグダラのマリアとの四名だと見ることができます(聖書協会共同訳)(フランシスコ会聖書研究所訳)(新改訳2017)(この節は、テキストの読み方に混乱があります)〔補遺参照〕。
 ヨハネ福音書のこの証言から判断すると、十字架の側に居て、イエスを見守っていた女性たちは、イエスの母マリアと、マグダラのマリアとのほかに、クロパの妻マリアとイエスの母の姉妹の四名になります。これだと、マルコの言うサロメは、イエスの母の姉妹にあたります。そうだとすれば、「サロメ」は、ゼベダイの兄弟の母でもありますから、サロメは、イエスの伯母/叔母で、ゼベダイの兄弟は、イエスの「いとこ」になりましょう(The Anchor Bible Dic. Vol.5. 906--907.を参照)。
【遠くから見守る】これらの女性たちは、「遠くから(十字架のイエスを)見守っていた」とあります。「遠くから」"at a distance"とは、「距離的に遠い場所いた」というよりも、彼女たちは、イエスの側で嘲る者たちや兵士たちから「離れたところ」にいたことを指します。兵士たちは、イエスに関わりのある者たちが、十字架の側に来ることを警戒していました。ただし、「女性たち」は、葬儀の場で声を上げて泣いたり、不幸な身内のために大声で嘆くのが習わしでしたから、イエスの知り合いの女性たちが、兵士たちからやや離れた場所で、声を上げて嘆く姿を兵士たちも大目に見ていたのです。その結果、言わば、彼女たちは、イエスの十字架と埋葬と復活の出来事全体への重要な「目撃証人」となっています。
[41]【ガリラヤから従う】彼女たちは、十二弟子たちと同様に、弟子として、ガリラヤからイエスに従って来たのです。彼女たちの役割は、イエスとその一行の身の回りのことや食事など、生活に必要な具体的、物質的な世話をすることだったのでしょう。「イエスと共にエルサレムへ上って来た」とあるのは、マルコ10章8~10節で、ガリラヤから、弟子たちとこれらの女性たちとが、旅を続けて、エルサレムに近づくにつれて、同調する人たちが加わり、大勢でエルサレムに入場する姿を見て、人々が、イエスの一行を歓迎したこともマルコは念頭においているのでしょう。ちなみに、ガリラヤから付いて来た女性たちの中に「イエスの母」がいたかどうか?これについては、マルコ3章31~33節の記事を踏まえて、否定的に見る説もあります(France. The Gospel of Matk. 664.)。
■マタイ27章
[55]~[56]マタイは、離れて見守る女性たちが「その場に居た」ことを強調していますから、彼は、この女性たちを「イエスを見捨てて逃げ去った」(男性の?)弟子たち(マタイ26章56節)と対照させているのでしょう(John Nolland. The Gospel of Matthew. NIGTC. 1223.)。マタイ8章14~15節に、イエスはカファルナウムで、ペトロの姑(しゅうとめ)が熱を出して苦しんでいるのを見て、イエスが手を触れて熱を癒やすと、「姑(しゅうとめ)は起き上がって、イエスに<奉仕した>」とあります。ガリラヤからイエスに従って来て<奉仕した女性たち>の中には、この姑もいたかもしれないとマタイは思ったでしょう。なお、マタイ13章53節には、イエスの母マリアから生まれたイエスの兄弟が「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」であったとありますから、マタイは「ヤコブとヨセフの母マリア」とは、イエスの母のことだと考えていたでしょう。ただし、マタイは、この兄弟の母がイエスの母ではないと見ているという説もあります〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』小河陽訳。EKK新約聖書註解。Iの4.454頁〕。なお、前述したように、マタイは、「ゼベダイの子らの母」は、マルコが言うサロメのことだと考えたでしょう(Davies and Allison. Matthew 19--28. ICC. 638.)(John Nolland. The Gospel of Matthew. 1224.)〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』小河陽訳。EKK新約聖書註解。Iの4.452頁〕。
■ルカ23章
[49]ルカは、マルコの記事を極端に短くしています。「使徒」や「弟子」とは言わず、「イエスを知っていたすべての人」とあるのは、主に男性を念頭においています(F.Bovon. Luke 3. 329.)。これら「すべて」のイエスの弟子たちは、使徒たちも含めて、全員が、十字架から「距離を置いている」のです。これに続く「ガリラヤから従って来た(原語は「同伴してきた」)婦人たち」について、ルカは、村々、町々を巡り神の国を語ったイエスに終始付き添って、イエスの一行の世話をした女性たちがいたことを伝えています(ルカ8章1節~3節)。男尊女卑の風習が根強く遺るユダヤにおいて、このように女性に注目した伝承を伝えているのはルカだけで、貴重な証言です。その女性たちの中に、「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」が含まれています。この記事が基で、教会の伝承では、マグダラのマリアは、「罪深い生活を悔い改めて救われた女」の典型とされています。なお、「これらの事を目撃する」とあるのは、この人たち全員が、起こった出来事が事実であることの証人であることを意味します(F.Bovon. Luke 3. 329.)。            
        207章 イエスの側の女性たちへ