【注釈】
■ピラトによる裁判の構成
 ここで改めて、共観福音書による「ピラトによる裁判」の構成について考察したいと思います。イエスが、ピラトの前に立たされてから、ピラトから十字架刑への最終判決を受けるまでの構成は、マルコ15章1節~15節と、マタイ27章11節~26節と、ルカ23章1節~25節にあたります。具体的には、ピラトの「お前はユダヤ人の王か?」という質問に始まり、バラバが釈放され、イエスが、十字架刑のため、兵士に引き渡されるまでです。すでに指摘したように、ルカでは、この裁判の間に、ヘロデによる尋問の場面が挿入されます(ルカ23章6~12節)。また、マタイでは、ピラトの妻からの伝言が挿入されます(マタイ27章19節)。
■マルコ15章
[6]今回の箇所で問われているのは、「(過越の)祭りの度に、民の要求する囚人一人を釈放する」というこの慣例が、何時(いつ)頃からどこで定められて施行されたのか?という問題です。福音書以外に、文献的には、このような規定が、どこにも見当たらない(実証されない)からです。ヨハネ18章39節には「過越祭」と明記されていますが、「祭りの度」ともなれば、回数もはるかに多くなります。マルコがいう「祭り」(無冠詞)も「過越祭」を指していると見るべきでしょう。
 古来、アッシリアやペルシアやギリシア・ローマにおいて、特別の祭りあるいは王の即位の時などの祝い事の場合に、恩赦/大赦が行われたことが知られています。ユダヤでは、このような「慣例」は知られていませんが、『ミシュナ』の「ペサヒーム」(過越)の規定に、「過越の食事は、汚れた者と見なされる犯罪者」には認められないが、「獄吏が獄からその釈放を約束している者」には、過越に与ることが許される規定がありました(『ミシュナ』(II)「モエード」の巻「ペサヒーム8章6節」)。『ミシュナ』が正式の文書として最終的に成立するのは紀元200年頃ですが、その内容は、紀元前200年頃までさかのぼるものです。ちなみに、この「ペサヒーム」の成立は、マルコ福音書の成立とほぼ同じ紀元70年頃です〔長窪専三/石川耕一郎訳『ミシュナ』(II)「モエード」(教文館:2005年)447~448頁〕(R.T. France. The Gospel of Mark. NIGTC. 629--630.)(A.Y. Collins. Mark. Hermeneia. 714--715.)。
 ピラトは、ここで特定の規定を念頭においているのではなく、古来の慣習を政治的に利用して、年に一度の過越への恩赦を持ち出したのです。年に一度の祭りに一人だけの釈放は、きわめて限定された厳しい定めだと受け取られたでしょう。「民衆が選ぶ」行為については、当時のローマでの剣闘士の試合で、剣を喉元に突きつけられた敗者を「生かすか殺すか」を勝った側の剣闘士が領主に問いかけ、領主が、民衆の声を聞いてこれを定めるやり方がありました(France. The Gospel of Mark. 629--630.)。
[7]【バラバ】マルコ15章の1節~5節までは、最高法院とイエスとピラトの三者だけの間で、やりとりが行われます。ところが、6節~15節では、群衆が入り込むことで、事が不特定の人たちによる事態へ移行します。そこへ「バラバ」が登場しますから、バラバの件は、イエスの裁判より前から、すでに公(おおやけ)の事件として、人々に知られていたことが分かります〔A.Y. Collins. Mark. Hermeneia. 719. Note74.〕。マルコの記述に「バラバ<と称される>者」とあるのは、ここで初めて読者に紹介されるからです。「バラバ」は、ほんらいアラム語の「バル(息子)・アバ(父)」から出たもので、ユダヤの一般的な姓です。「バラバ・イエス」は「ナザレ(の)イエス」と対照させるために、後の教会の伝承から生じた呼び名でしょうか(France. The Gospel of Mark. 630.)。マタイ福音書でも、ピラトが尋ねる「(あの)バラバのほうのイエスか、それとも、メシアと称されるイエスのほうか?」とあることから、「バラバ」は、人々に知られていた人物です。「暴動」とあるのは、武力でローマの支配に刃向かおうとする「テロリスト」たちのことですから、バラバは、その一味と見なされて投獄されていたのです。ただし、マルコは、バラバ自身が「人殺し」であったとは述べていません。ちなみに、バラバの反ローマの行為に対して、彼を処刑するための十字架がすでに用意されていたとすれば、結果として、イエスは、ほんらいバラバが付けられるはずの十字架を背負ったことになります〔W.D. Davies & D. C. Allison. Mtthew 19--28. ICC. 585.〕。マルコがここで言う「暴動」は、紀元6年頃から始まり、66年~73年にまで及ぶ「ユダヤ戦争」と関連するという見方もあります(France. The Gospel of Mark. 630.)。
[8]【群衆が押しかける】ここで突然「群衆」が現れます。冠詞付きの「オクロス」(人だかり/多数の人/群衆)は多勢を想わせますが、過越祭の日の朝早くともなれば、それほど多くはなく、おそらく、集まったのは、エルサムの市民たちで、それも、ローマ帝国の権力に公然と反旗を翻えして拘束されている「人気者のバラバ」の支持者が多かったのではないかと想定されます。彼らは、ピラトによる「年に一度の恩赦」を目当てにバラバの釈放を願っていたのでしょう(France. The Gospel of Mark. 630.)。群衆が「登ってきた」(原語で)とあるのは、エルサレムの西側の城壁に沿ってそびえるヘロデの宮殿から見れば、東には神殿の城壁が見え、その城壁の下には、宮殿へいたるゆるい坂に沿って、エルサレムの街が広がっているからです。ヘロデの宮殿の外庭に集まっていたのは、ガリラヤからイエスに付き添ってきて、「ホサナ」と叫んでエルサレムに入城した人たちのほうではなく(マルコ11章9~10節)、そのイエスの一行を眺めていたエルサレムの市民たちのほうです〔France. The Gospel of Mark. 630--632.〕。
【いつものように】「自分たちの(求めに応じて)いつもするように」とあることから判断すれば、釈放を求められる人物が誰かも、群衆には、すでに目星が付いていたのでしょう〔フランス前掲書〕。ただし、マルコ自身が、ここで、そこまで意識していたかどうかは疑問ですが〔Collins. Mark. 719--720.〕。
[9]~[10]歴史的な出来事として考察すると、民衆からの要請を受けるはずのピラトのほうから、先に特定の人物の名前を持ち出すのはやや不自然です。さらに、ピラトがイエスのことを「ユダヤ人の王」と呼ぶのも意外です〔Collins. Mark. 720.〕。ピラトのこの発言は、イエスが訴えられているその裏に、祭司長たちの「妬み」が潜んでいることをピラトが見抜いたためだとあります。おそらくピラトは、民衆が、イエスのほうの釈放を求めようとしているのを察知したのでしょう(マルコ11章18節/同12章12節/同37節を参照)(France. The Gospel of Mark. 633.)。また、ピラトが言う「ユダヤ人の王」には、「政治的な権力者」らしからぬイエスの風体(ふうてい)に対する皮肉もこめられているのでしょう〔Collins. Mark. 720.〕。
【妬み】この言葉には、通常の日本語が意味するよりもさらに深い「悪意」がこめられていて、悪魔や悪霊が発する憎悪に近い意味です(英語の"envy"もこれに通じる)〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』EKK聖書註解Iの4。教文館(2009年):336頁〕。祭司長などの宗教的指導者たちが、民衆からの支持と好意を得ているイエスに対して抱く思いが、この一語で言い尽くされています(France. The Gospel of Mark. 632.)。
[11]~[12]マルコ15章9節から14節にかけて、ピラトは、「(私が)ユダヤ人の王を釈放することを(あなたたちは)望むのか?」(9節)、「それでは、(あなたたちは、私が、イエスを)どうすることを望むのか?」(12節)、「(イエスは)いったい、どんな悪事を行ったのか?」(14節)と、三度、ユダヤの民衆に問い返しています。ユダヤの民衆が(これから)起こそうとしている出来事が、彼らにとってどれほど重大で危険な出来事かを、マルコは、神と共に!(ピラトの)この繰り返しによって印象づけています。
【群衆を扇動した】「民衆」が入り込むことで、ピラトは、いったい、誰に向かって何を処置するのかが判然としないまま、自分の責任で強制執行するのは賢明でないと判断したようです。ピラトは、「ユダヤ人たちの王(というこの者)を釈放しようか?」と促しながらも、暗に反論をも許容することを示唆します。問われた祭司長たちのほうは、ローマに反逆するバラバの扱いにも「手を焼いて」いますから、この厄介者への意見も一様ではありません。しかし、彼ら祭司たちには、バラバよりもイエスのほうが、いっそう扱いにくい存在だったようで、ここは「バラバの釈放」を選ぼうと話し合いをつけて、周囲の民衆に「バラバを選ぶ」ように扇動します。祭司たちは、「イエスは民を扇動する」(ルカ23章5節)と訴えておきながら、自分たちで「民を扇動」したのです(France. The Gospel of Mark. 633.)。
[13]~[14]ピラトの相手は、「祭司長たちが扇動する民衆」ですから、事態を動かす主体は不特定のままです。ところが、問われているのは「バラバとイエスのどちらの釈放か」という微妙な政治的課題です。「お前たちのユダヤの王」というピラトのやや皮肉をこめた問いかけに、祭司長たちと一諸になった民衆は、「(あなたが)十字架に付けよ」(マルコでは、この動詞は単数の命令形)と叫び続けます。この民衆に向かって、ピラトは、「それでは、彼(イエス)はどんな悪事を働いたのか?」と「問い(叫び)返し」ますが、ピラトは、今のこの民衆から、理にかなった答えを期待しているのではないでしょう(France. The Gospel of Mark. 633.)。「悪事を働くユダヤ人」へのユダヤの刑罰は、石打ちか、焼き殺すか、首をはねることで、「十字架刑」は騒乱罪に対するローマ帝国のやりかたですから、これは、「ピラトの責任」においてやらなければならないことを意味します。ピラトが見聞きした限りでは「イエスの有罪」が成り立たないことが、その発言に明示されています。「バラバの代わりにイエスを」と民を扇動する祭司長たちは、このことも踏まえて扇動しているのでしょう。民衆は、「あなたが(彼を)十字架刑にせよ」と叫び続けるだけで14節が終わります。
[15]【群衆を満足させる】「満足させる」とは「納得させる」ことです(英語の"satisfy")。ピラトの処置は、一方に肩入れする「リンチ」ではなく、ローマ法に基ずく「公正な」判断であることを示す意図からです。「鞭打ち」は、十字架刑を受ける者への慣例の刑罰です。
[16]ユダの裏切りに始まり、ゲツセマネでの祈りとイエスの逮捕、最高法院での裁きとこれに伴う侮辱行為、ペトロの否認とピラトの裁判があり、そしてローマの総督による死刑の最終判決が下りました。ここから、十字架刑の「受難」が始まります。「鞭打ち」はその刑の最初の執行で、この場合、幾本もの長い皮の鞭の先に金属や骨などが付いているものが用いられました。鞭を打つ回数までは定められていなかったようで、打たれる回数によっては、鞭打ちで死にいたる場合もありました。受難は、苛酷を極め、イエスは「神に見捨てられる」ところまで追い詰められます(マルコ15章34節)。しかし、その間にも、アレクサンドロとルフォスのシモン、ガリラヤからイエスについてきた女たち、イエスの最期を看取ったローマの兵士、アリマタヤのヨセフなどが居て、絶望の底からも希望の光が差す想いがします(France. The Gospel of Mark. 635.)。
[17]~[19]16節は「兵士たちは」で始まりますから、16節~20節で語られる様々な侮辱行為は、すべてピラト所属のこの兵士たちによって行われます。彼らは、「ローマ兵」と言われますが、ローマの市民権を持ち、紫の衣をまとい、兜をかぶり、馬に乗っているローマ人の兵士は、ピラトの支配下では、居たとしても高位の者たちで、一般の兵士たちは、ユダヤ、サマリア、ガリラヤを始め、パレスチナの各地から応募したり、徴兵されてきた人たちですから、ピラトの部隊は、ユダヤを含む諸地方の人たちの混成です。平時の場合、シリア総督配下のユダヤの代官にすぎないピラトに所属するのは「軍団」ではなく「補助部隊」で、数もそれほど多くはなかったと思われます(500人くらい?)〔Collins. Mark. 725.〕。こういう兵士たちには、「ユダヤ人の王」という称号は、特別の響きを持って聞こえたでしょう。ただし、彼らを「異教徒」と呼ぶのは、誤りでないまでも適切ではなく、彼らのイエスへの侮辱を「異教徒によるユダヤ人への侮辱」と呼ぶのも、必ずしも正しくありません。
 イエスへの尋問と裁判が、かつてのヘロデ大王の宮殿で行なわれたかどうか、これには異説があります。ピラトの兵士たちは、神殿の北に隣接するアントニア砦に駐屯していました。だから、ピラトが滞在する屋敷が、もしもヘロデの宮殿だったとすれば、その宮殿は、エルサレムの「上の町」の西の部分を占めていて、エルサレムの西の城壁に沿っていました。宮殿それ自体も城壁に囲まれていて、その城壁の東の城門を出ると、そこは広場になっていました。ただし宮殿の城門は、邸宅を囲む城壁の南側にも、また北側にも(?)あったと思われます。東側にある城門が言わば王宮の正面になり、そこを入ると、立派な柱に支えられた柱廊に囲まれた広い中庭に出ます。王宮の各部屋は、天井が高く金や大理石を用いた贅沢な造りで、「カエサルの間」とか「アグリッパスの間」などの名称がつけられていたとあります〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』15巻9章318節〕。
 ヨハネ福音書でも、ピラトは、イエスを城門からさらに中庭に入れて群衆から隔離し、そこで個人的に尋問しています。マタイ27章19節前半とヨハネ19章13節に共通して、ピラトがイエスへの尋問の<途中から>裁判の席に着いたとあります〔ルツ『ヨハネ福音書』(4)〕。そこには「敷石」と呼ばれる高座が設けられていました。だから裁判は、その下にいる群衆からも見えるように、その「敷石」で行なわれたのでしょう。宮殿の南側にある城門に向かって左側に、城壁を背に石組みの高座が発掘されていて、そこが裁判の席であったと見られています〔Tabor, The Jesus Dynasty. Map2 "Jerusalem in the Time of Jesus." 214~215頁の写真と挿絵を参照〕。
  マルコがここで言う「官邸」とは、このように、屋根のない広い外庭と中庭を含む幾つかの建物のことですから、その「官邸の中にイエスを連れて行く」とあるのは、それまで、屋敷の門前にあって、立派な柱に支えられ、地上から幾段かの階段で登る広い「外の回廊」で、回廊の下に立っている群衆を見下ろして語っていたピラトが、その回廊から、イエスを外の民衆からは見えない屋敷内の広い中庭に引き入れさせ、そこに部隊を整列させてイエスを引き渡したのです。
【紫の衣】やや赤みがかった紫で、ローマの正規軍が身にまとう外套と同じ色です。ただし、この色は、軍人だけでなく、贅沢な高級品(衣類)にも用いられていました(マルコ16章19節参照)。「着せる」とあるのは、「ドレス・アップ」することです。
【茨の冠】「茨」(いばら)は、とげのあるアザミに類する植物で、種類はいろいろあり、特定できません。この「茨」(いばら)は、頭に刺さって痛みを与えるためというより、長く伸びたトゲが、王冠から発する光を象徴するという説があります。
【葦の棒】マタイ福音書には、この葦の棒をイエスの「右手に持たせた」とあります。この棒は、王が告げる言葉(勅令)の権威を象徴する王笏(おうじゃく)を表します。わざわざ持たせた後で、この葦の棒でイエスの頭を叩いたのは、「ユダヤ王」の称号を持つとされるイエスへの嘲りからです。
【王、万歳】王衣と王冠と王笏(おうじゃく)の姿で、イエスを「(上機嫌の)ユダヤの王」に模して、イエスをからかったのです(France. The Gospel of Mark. 638.)。しかし、マルコ福音書の読者たちは、ユダヤを含む「世界の諸王を支配するメシアの王権」を具えるイエス・キリストを預言するイザヤ53章3節~5節を思い起こしたでしょう。
【唾をかける】旧約聖書の「メシア預言」の中でもよく知られているのがイザヤ50章1節~9節です。そこには、唾を吐きかけられる「苦難の主の僕(しもべ)」が預言されています(イザヤ50章6節)。マルコ10章34節のイエスの預言と、「霊能者」をあざけって試すための同14章65節をも参照してください。
【跪(ひざまず)いて拝む】この行為は、とりわけ、「王の即位」に際して、臣下が行うべき王への服従の仕草を模しているという指摘があります。
[20]【衣を脱がせて】紫の衣も葦の棒も取り除かれて、イエスが「もとの着物を着せられた」のは、あざける兵士の「せめてもの思いやり」だと指摘されています(フランス前掲書639頁)。通常、十字架刑に処せられる者は、裸で十字架を背負わされたからです。兵士たちは、「裸を嫌う」ユダヤの観衆を意識したのでしょうか。また、王位を象徴する「茨の冠」だけは、最後まで取り除けられなかったのでしょうか。これが最後まで取り外(はず)されなかったとすれば、欧米で描かれる伝統的な十字上のイエス像が、「茨の冠」を頭上に載せているのは、「イエスの王位」へのあざけりを指すことになります〔Collins. Mark. 729.〕。
■マタイ27章
 マタイの記述では、バラバにも「イエス」がつきますから、イエス・バラバとイエス・メシアとの対比がいっそう明確になります。マタイでは、ピラトの「声」と、民衆の「声」と、イエスの「沈黙」とが比較対照されます。また、最高法院の指導者たちに扇動された民衆の圧力に押されたピラトが、イエス処刑の判決への責任を民衆に押しつける様子も描かれます。
 マタイは、マルコの筋書きに沿っていて、(マルコ以外の)二次資料に依存していないと思われますから、ヘロデによる裁判をも併記するルカとは異なります。ただし、それなら、「ピラトの妻」の件と(マタイ27章19節)、「民衆に向かって手を洗う」場面(同24節~25節)とが問題です。これらは、別個の伝承によるからです。「ピラトの妻からのメッセージ」のほうは、マタイ自身の創出ではないかという説〔Davies & Allison. Matthew 19--28. 587.〕、あるいは、19節を後の教会による単なる逸話(いつわ)だと見なす説もあります。しかし、19節には「(裁判の)座席」が出てきて、これは、ヨハネ福音書(19章13節)以外にどことも共通しませんから、これも別個の伝承によるものでしょう。また、ルカやヨハネに比べると、マタイは、イエス処刑へのローマの権力側の責任も重視している印象を与えます〔C.D.Davies & D.C. Allison. Matthew 19--28. ICC. 578--579.〕。実は、マタイ27章11節~26節のピラトによる裁判の場面は、マタイ26章57節~68節の最高法院での裁判の場面と共通するところが多いと指摘されています。それだけでなく、マタイの描くピラトの裁判は、マタイ2章の1節~18節のイエスの誕生物語とも共通するところが多いという興味深い指摘がなされています〔W.D.Davies and Dalec Allison.Jr. The Gospel According to Saint Matthew. ICC. 594.〕。「手を洗うピラト」と「イエスの血を引き受ける民衆」(24~25節)は、「有罪者の釈放と無罪者の断罪」を強く印象づけると同時に、ピラトと民衆との間の溝の深さを見せています。これは、ユダヤ人(ユダヤ教徒)からの敵意を意識するキリスト教会が産み出した伝承の結果であろうという見方がされています。しかし、エルサレムの指導層に巧みに操られてイエスを非難する民衆に向かって、ユダヤの民衆感情を刺激するのを恐れるあまりのピラトの反応だと見れば、「手洗い」も民衆の反応も、史実にもとづくと見ることができましょう〔John Nolland. The Gospel of Matthew. NIGTC.1166--67. を参照〕。
[15]~[16]15節はマルコと同じです。16節では、バラバに、「評判の/札付きの(悪人)」の形容が付き、その上で、「イエスース・バラバ」と読む有力な諸版があります(シナイ写本/アレクサンドリア学派の写本/べザ写本/ヴァティカン写本/パピルスなど)。「バラバ・イエス」(聖書協会共同訳/フランシスコ会聖書研究所訳注)。これによって、「悪名高いイエスース・バラバ」と「メシアと称されるイエスース」との比較対照がいっそう引き立ちます。マルコの版に「イエスース」がないことについては諸説があります。マタイは「シモン・ペトロ」「バルヨナ・シモン」(マタイ16章11~12節)のように、姓だけでなく名前も出しますから、18節でも「バラバ」姓に(伝承された)名前を付けたのではないか、あるいは、その名前の部分が「あなたたちに(解放する)」に続いたために、写筆の際に読み間違いが生じたのではないか、などの説があります〔Nolland. The Gospel of Matthew. 1169.〕。
 マルコは、バラバに関連して「暴動」「暴徒」「殺人」などを用いていますが、マタイには、これらがありません。イエス以後のユダヤによる「反ローマ活動」とイエスとが関連づけられるのをマタイは警戒しているからでしょうか〔Davies & Allison. Matthew 19--28. 578--579.〕。あるいは、マタイは、聞き手や読者が、バラバと暴動(反乱)との関係をすでに知っていると判断したからでしょうか〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』小河陽訳。EKK聖書註解Iの4。教文館(2009年):335頁〕。
[17]~[18]マタイでは「<彼らが>集まった」とあって、マルコの「民衆」が出てきません。したがって、「民衆の願い」もありませんから、ピラトは「(彼らに)言った」です(マルコでは「答えた」)。マルコでは「あなたたちが『ユダヤ人たちの王』と呼ぶイエス」ですが、マタイでは「メシアと称されるイエス」です。マタイのピラトは、すでにイエスの「メシア性」への評判を知っているのです。ピラトが呼びかける「民衆」のほうは、イエスをどう扱うのかで混乱しています。マタイでは、「ねたみ」の主体が「人々」です。ユダヤの指導層と民衆とが、イエスをめぐってどのように「対立」していたかは、マタイ9章33節~34節を参照することで察知できます。
[19]~[20]19節はマタイだけの記述です。ここでは、ユダヤ人たちから見て、事もあろうに、「異教徒の女性」が現れて、「彼女の夢」の「真実」を告げ、ピラトに向けてイエスを擁護します。これに対して、祭司長たちだけでなく長老たちも共に、「民衆をそそのかして」バラバを釈放しイエスを処刑するよう促して、ピラトに迫ります。
【裁判の席に】ピラトによるイエスの裁判が行われた「総督官邸」については、マルコ15章17~19節の注釈を参照してください。ピラトは、イエスを「尋問している」間は、「裁判の席」ではなく、ヘロデの宮殿の回廊から群衆を見下ろしながら、立ったり、歩いたりして語っていたのでしょう。しかし、裁判の「判決を下す」段になると、ローマの裁判官は、「ガバタ」(ヘブライ語「敷石」)(ヨハネ19章13節)と称される石の「判決席」(ギリシア語「ベーマ」)に就かなければなりません。また、被告も、この席の前に立たなければなりません。だから、ピラトの妻は、ピラトがいよいよ判決を下すこの大事な時をねらって、夫にメッセージ送ったのです。
【妻からの伝言】彼女の伝言に「かかわらないで」とあるのは、字義通りだと「あなたとその義人と(の間)は全く無用」(英語の"nothing to do with")で、この言い方は、ガダラの二人の凶暴な男が、イエスに向かって、「我々とお前と(の間)に何がある!」(全く無関係だから「かまわないでくれ」)と叫んだ言い方と共通します(マタイ8章29節)。メッセージに「この義人」とあるのは、無実のイエスを釈放するよう頼んでいるのではありません。彼女は、夫が「義人の血」の呪い(祟り)を受けるのを怖れているだけです(マタイ23章34~36節を参照)〔Nolland. The Gospel of Matthew. 1172.〕。
【夢で苦しめられる】彼女の言葉は、「今日というこの日に、(私は)彼(=その義人)のゆえに(夢で)苦しんだ」です。「苦しむ」の原語「パスコー」は、「受難」と関わる用語です(英語の"suffering")。マタイは、ここで、ピラトの妻の言葉を通じて、第二マカバイ記7章22節の「苦しむ」"suffer"と同様の内容を示唆しているのでしょう。第二マカバイ記6章では、ギリシア系のセレウコス朝のアンティオコス王は、一人のアテネ人をユダヤに派遣して、「(ユダヤ人が)食べてはいけない」とされる生け贄の内臓を強制的に食べさせることで、ユダヤ人に神の律法に逆らうことを強制したり、エルサレム神殿に偶像を持ち込むなど神殿を汚す行為を行います。エレアザルという高齢で高貴な老人は、王の命令で豚肉を食べるよう強制され、これを拒否して「名誉の死を甘受」します(第二マカバイ記6章)。同7章では、7人兄弟とその母親とが捕らえられ、鞭打ちを受けても豚肉を食べるのを拒否して、全員が殉教します。これが、ここで妻が言う「苦しむ」(受難)にも反映しているのでしょう。また、ピラトの妻が言う「今日の(日の)夢」は、イエスが裁かれる「大事な日」に受けた夢のお告げを意味し、その夢には、イエスの父ヨセフが、主の天使から、夢でお告げを受けて、「幼子と母マリアを伴い、<その夜のうちに>エジプトへ逃れた」(マタイ2章13~14節)ことをも反映しているという解釈があります〔Nolland. The Gospel of Matthew. 1172.〕。
【群衆を説得する】マルコでは、ピラトが、「祭司長たちが、妬みのために、イエスを引き渡した」ことを察知して、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいか」と群衆に呼びかけます。これに対応して、祭司長たちは、「バラバを釈放するよう民衆を扇動した」(マルコ15章11節)とあります。一方のマタイでは、祭司長たちに「長老たち」が加わって、彼らは、ピラトが妻から「義人にかかわらないよう」夢のお告げを受けたことを知った上で、「バラバを釈放して、イエスを処刑する」よう民衆を説得します。これに対して、ピラトは、「二人のうちどちらを釈放してほしいか」と「人々に」尋ねます。だから、マルコの「民衆」は「『ユダヤ王』の代わりにバラバを選ぶ」よう扇動され、マタイの「人々」は、「イエス・バラバを釈放することと、イエス・メシアを殺すことと」どちらを選ぶかを迫られます。マタイでは、祭司長と長老は、「イエスを処刑するために」バラバ釈放を民衆に説得するのですから、祭司長と長老たち最高法院側のイエスを亡き者にしようとする意向が強く働いています。だから、マタイの記述では、説得を受ける「人々」という曖昧な主体が、「ローマ側のピラト」のイエス放免の提案に対抗して、「ユダヤ側の最高法院」の意向に従う事態が生じているのが分かります。この事態は、イエス処刑に向けて「(ユダヤの)ナショナリズム」が働いたと解釈されています〔ノウランド前掲書1174頁〕。
[21]~[22]【そこで総督は】マルコでは、ピラトから「あのユダヤ人の王」を釈放してほしいか?と訊(たず)ねられて、祭司長たちは、バラバのほうを釈放するよう群衆を扇動します。そこで、ピラトは改めて、「では、ユダヤ人の王はどうするのか?」と訊ねますが、「(祭司長たちが)群衆を扇動した」(マルコ15章11節)とあることから、群衆は祭司長たちに扇動されて「バラバのほうを」とすでに答えていることになります(マルコはこの点を明記していませんが)。マタイでは、ピラトから「バラバ・イエスか、メシア・イエスか」と選択を迫られているその間に、ピラトの妻からの伝言が入りますから、祭司長たちと長老たちは、ピラトが妻からの伝言を受けているその間も、民衆を説得し続けます。だから、民衆が決着をつけて応答するのを待っていた総督が(マルコでは「ピラト」ですが、マタイでは群衆の立場から見た「総督」です)、民衆からの応答を得た上で、「そこで」改めて、さらに問い返すのです。
【二人のうちどちらを】これは、総督の先の問いかけ、「バラバ・イエスか、メシア・イエスか?」(17節)を受けて、「バラバを」と答えた群衆へ向ける総督の「再度の」問いかけです。総督ピラトは、人々の訴えの背後に、イエスへの「ねたみ」が潜んでいることを見抜いたのでしょう〔ノウランド前掲書1174頁〕。
【バラバを】総督の予期に反して(?)、群衆からの答えは「(あの)バラバを」です(原文は冠詞付きの「バラバ」の一語だけ)。群衆からの答えは短く、しかも、明瞭です。この答えを明記しているのはマタイだけです。マタイは、ユダヤの民衆全体が、「(バラバを)自ら選び取った」ことを強調しています。
【ピラトは彼らに言う】動詞の現在形を用いたこの描写は、マルコではピラトの二度目の問いかけですが、マタイでは三度目の問いかけになります。総督からの問いのギリシア語を直訳すると、「それなら、『キリスト』と称されるイエスのほうはどうするのか?」です。ピラトは、イエスが、イスラエル民族が待ち望んでいるはずの「メシア」(救い主)として、民衆から支持されている事態を察知しています。
【(彼は)十字架されるがいい】ここの動詞は、三人称単数の(アオリストの)命令形で、受動態です。マルコでは、この答えを群衆が「叫び」ますが、マタイでは、今や群衆がまとまって「一斉に言う」のです。マタイは、これに続けて、ピラトのさらなる四度目の問いかけ(23節)で、民衆が激高して「叫ぶ」様子を描くのです〔ノウランド前掲書1175頁〕。
[23]マタイは、マルコの主語「ピラト」を外(はず)し、「いったい、彼がしたことのどこが悪い?」を「いったいどんな悪いことを」に変えています。マルコの「群衆が叫んだ」は、マタイでは「群衆は叫び続けた」です。
【どんな悪事を】マタイは、ここで、七十人訳イザヤ書53章9節の「苦難の僕」への預言「何の不法もない」を想定していると指摘されています〔ノウランド前掲書1176頁〕。イエスは、「暴力を行使した」のでもなく、「偽りを証言した」のでもないのです(イザヤ書53章9節を参照)。強(し)いて言えば、イエスが「メシアを自称した」ことになるのでしょうか(マルコ15章31節/マタイ27章43節を参照)。群衆には、こういう「微妙な問題」は目に入りません〔ノウランド前掲書1176頁〕。この点で、イエスの「沈黙」が重要な意味を持ちます。イエスは、もしもその気になれば、いつでもこの場を免れる「力」を知っているからです(マタイ26章53節~54節)。しかし、イエスは、ここで、あえて、その「霊能」を発揮しません(マタイ23章34節~36節/同37~38節を参照)。
[24]~[25]24~25節は、マタイだけの記述で、これは伝承からです。ピラトの妻からのメッセージも、この伝承に含まれていたのでしょうか。それとも、24節~26節全体は、マタイによる書き加えでしょうか〔ノウランド前掲書1176頁〕。
【騒動になる】ピラトが怖れたのは、自分が、民衆の意図を故意に妨げていると受け取られて、「暴動に発展する」ことです。「民衆の暴動を呼び起こす」ことは、イエス逮捕の容疑だったはずですが、ここでは、その「暴動」が、「イエスへの断罪を遅らせている」容疑でピラトに向けられたのです〔ノウランド前掲書1176頁〕。祭司長たちの巧みな群衆への操作(そうさ)も背後に働いているのでしょう。
【手を洗う】原語「アポニプトー」(洗い流す)は、非常に希な祭儀用語です。日本語の「禊(みそ)ぎ」にあたるでしょう。聖書では、これは、ほんらい、共同体全体にも及ぶ「人の血を流す罪」からの浄めを意味しました(申命記21章1節~7節)。マタイは、とりわけ、詩編26篇6節と同9節をここに反映させていて、ここでは、「義人の血を流す罪を負う汚れ」から自分自身を浄める(「手」はその人自身の象徴)ことだと指摘されています〔ノウランド前掲書1177頁〕。しかし、これはマタイの想念ではあっても、ピラトの「手洗い」は「法的な責任」を逃れるための行為ですから、ピラトが「義人の血を流す罪」をどこまで意識して、その「汚れを浄める」ことを意図したかは疑問です。
【民はこぞって答えた】マタイはここで、「群衆」ではなく「人々/民衆」を用いています。これは、とりわけ「神の民」を意識した言い方で、神の教えに従うことを「一斉に口にする」行為を指します(出エジプト19章5~8節を参照)。民は、「子々孫々まで、イエスの血を流す責任」を負う覚悟を告げるのです(マタイ23章35節を参照)。この言葉が、以後の歴史において、「ユダヤ人を迫害するという最もクリスチャンらしからぬ行為」〔ノウランド前掲書1179頁〕を生じさせることになります。
[26]【そこで】マタイでは、主語(ピラト)が明記されず、「釈放した」の動詞の三人称単数形で表されます。マルコでは、「ピラトは群衆を納得(満足)させようとして」ですが、マタイでは、彼は、「群衆の覚悟を聞いた」ので、「(そこで)彼が納得した」ことになります。
【鞭打つ】十字架刑に先立つ罰です。イエスへの侮辱行為は、最高法院の後と(マタイ26章67節)、ピラトの判決の後と(マタイ27章26節)と、総督の兵士たちと(マタイ27章29~30節)、三度行われます。とりわけ、「鞭打ち」について、マタイは、先に語られたイエスの言葉を念頭においているのでしょう(マタイ10章17節「会堂で鞭打たれる」)。イエスは、宗教的な理由で鞭打たれ、ここでは、政治的な犯罪者だという名目で鞭を受けるのです。
■ルカ23章
 ルカの記述する「ピラトによる裁判」は、「ヘロデによる尋問」の場面が、その中に挿入されますから、マルコ=マタイの記述とはかなり異なります。
 ルカ23章13~16節は、ルカだけの記述です。ピラトは、ローマの法的な手続きに準じて、ヘロデによる無罪判定を受けた上で(同15節)、再び(と思われます)、祭司長たち、議員たち、民衆から成るユダヤの指導者たちを招集します。ピラトは、ヘロデに同意して、鞭打ちだけの「イエスの釈放」を提示します。ルカの記述では、ピラトの口から、「イエスの無実」が三度告げられます(23章4節/14節/22節)。マルコとマタイでは一度です(マルコ15章14節/マタイ27章23節)。ルカ23章18~23節もルカだけの語りです。内容の曖昧な「彼ら」が、ひたすらイエスへの十字架刑を叫び続けます。説明抜きで突然「バラバの釈放」が出ますから、追加の異読(17節)は、これを補うためです。ルカ23章24節~25節では、マルコの記述と共通する部分が表れますが、ルカは、「無罪のイエスへの断罪」と「有罪のバラバの釈放」の対照を強調します。資料の件は判断が難しく、ルカは、おそらく、マルコとは異なる独自の(伝承による)資料に準拠しています。その資料は、ほんらい、ヨハネ福音書とも共通する口頭の伝承から(?)派生したと思われます〔I. Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. 857--858〕。
[13]~[14]【呼び集めて】ヘロデによる裁定が挟まるので、その間、裁判に短い休廷があったと思われます(I. Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. 858.)。ルカがここであげている三つのグループをルカ23章1節と比較してください。1節では、「民について告発する」のは「ユダヤの指導者たち」ですが、これに対して、ここでは、「ユダヤの民を含む指導者たち」をローマの総督のほうが招集しています〔F.Bovon. Luke 3. Hermeneia.279.〕。
【議員たち】原語は「アルコーン」(指導者/支配者/裁判官)の複数形です。この用語は、ルカ文書では「最高法院を形成する議員」のことです〔『ルカ文書』岩波訳。用語解説「指導者」〕。
【民衆】ルカのこの「民衆/民族」(原語「ラオス」の単数)は、マルコ15章8節の「群衆/大衆」(原語「オクロス」の複数)を指します。ルカでは、この「民衆」は、次の14節で、イエスの無罪を告げるピラトの証言を聞く「証人たち」になります〔Marshall. The Gospel of Luke. 858.〕。だが、「彼ら」は、ピラトの証言を受け容れません。ただし、「彼ら」は、後で、イエスの復活を証しする使徒たちに「好意」を抱き、その業を見て「驚嘆する」ようになります(使徒言行録2章47節/同3章9節/同11節)。ルカのこの「民衆/民族」は、とりわけ、ユダヤ民族を意識しているのでしょう〔Bovon. Luke 3. 279.Note 26.〕。
【訴えている犯罪】字義通りに訳せば、「あなたたちが、『民を騙(だま)す』という口実で告発しているこの者には、(犯罪への)責任をとわれる根拠/嫌疑が、何一つ見出されなかった」です。「この者/人」は、法廷の被告を指す用語として、有罪/無罪に関して中立の立場です。
[15]~[16]【ヘロデとても】ピラトは、自分の意見と併せて、ユダヤ人がいっそう納得できると踏んで、当時のガリラヤの領主であるユダヤ人のヘロデ・アンティパスを持ち出します〔Marshall. The Gospel of Luke. 859.〕。ヘロデ・アンティパスは、ヘロデ大王の息子で、幼くしてローマで教育を受けて親ローマ政策を採り、ローマ皇帝ティベリウスの時代に、ガリラヤ湖の畔に街を作り、これを皇帝の名にちなんで「ティベリアス」と名付けました。彼は、ローマ皇帝によって、ガリラヤの「太守」に任ぜられましたから、ローマ帝国支配下の「ガリラヤ領主」です。詳しくは、四福音書補遺→ヘロデ王家→「ヘロデ・アンティパス」の項を参照。ルカは、ローマの政治権力とユダヤの政治権力とが、イエスの無罪で一致していることを明示することで、祭司長たちの宗教的な意図をこめた告発とピラト=ヘロデの政治的な判定とが、対面あるいは対決する事態をみごとに浮かび上がらせます。この対決は、イエスの時代の史実とも合致します〔Bovon. Luke 3. 280.〕。
【何もしていない】直訳すれば、「だから見なさい。彼には、何一つとして、死刑に相当する行為は見出されない」です。「行為する」の原語は「プラッソー」(実行する/行為する)の完了形受動態です。「だから見なさい」は、14節の「だから見なさい。私は、あなたたちの面前で・・・・・」の繰り返しで、ピラトは、これ以上言いようがないほど明瞭な「無罪判定」を告発者たちに提示します。
【鞭で懲らしめる】16節は、「それだから、鞭で懲らしめることで、私は彼を釈放しようと思う」です。ルカの「鞭で懲らしめる」の原語は、「子供を教育する/しつける」ことですから、マルコ15章15節の「刑罰としての鞭打ち刑」とは用語が異なります。ローマでは、「鞭打ち」が、その回数や鞭の性質など、様々な方法が、刑の程度に準じて用いられました〔Bovon. Luke 3. 281.〕。
 なお、16節に続いて17節として「祭りの度(たび)に、ピラトは、(囚人)一人を彼らのために釈放してやらねばならなかった」が挿入されている諸版があります(シナイ写本/Codex W:W写本/Codex Dublinensis:ダブリン写本など多数)。アレクサンドリア学派の写本やBodmer Papyrus(スイスのBodmer図書館蔵)やCodex Cypiusやレギウス写本などは、17節が抜けています。17節は、マルコ15章6節に準じて、ルカ23章18節が意味するところを補うために、後から挿入されたと思われます。17節の脱落は、ルカが、この部分をマルコの記述に依存していないことを示唆すると見られています〔Marshall. The Gospel of Luke. 859.〕。
[18]~[19]【その男を殺せ】「その男」(原文は「その者」)は、軽蔑を表す言い方です。「殺せ」は意訳で、原語は「やってしまえ」という乱暴な俗語です。この原語のほんらいの意味は「取り去る/取り除く」で、この動詞は、おそらく、イザヤ53章8節の「不法な裁きによって彼は<取り去られた>(殺された)」とあるのを受け継いでいます(使徒言行録8章3節とヨハネ19章15節をも参照)〔Marshall. The Gospel of Luke. 860.〕。
 18節の「絶叫した」は特殊なアオリスト形で、「全群団が」とあるのも、ルカのここでの使用以外に見られない用語です。ルカ独自の資料からでしょう〔Marshall. The Gospel of Luke. 860.〕。19節は、マルコ15章7節に準じていると思われますが、ルカの言う「都(エルサレムの街)において」起こった「暴動」については、イエスのこの頃に、エルサレムで「暴動/騒動」が発生したという記録は、ルカのここの記述以外に存在しません〔Marshall. The Gospel of Luke. 860.〕。
 ルカの記述では、ピラトは、イエスを告発するユダヤ人たちを鎮める手段として、過越祭に囚人一人を釈放する習わしを利用して、彼が無実だと見なすイエスの釈放を提案したのですが、ユダヤの群衆のほうも、ピラトと同じく、恩赦の件を予め察知していましたから、「バラバ(のほう)を」叫んだことになります〔Marshall. The Gospel of Luke. 860.〕。
[20]~[21]【改めて呼びかける】ルカは、ピラトの二度目の発言内容を省筆していますが、マルコ15章13節「それでは、ユダヤ人の王と称されるイエスのほうはどうするのか?」が、二度目に相当するのでしょう。しかし、ルカの「呼びかける」は、何かを「する」ように仕向けることですから、「イエスもほうも釈放してはどうだろう」と促すように「呼びかけた」のです。
【十字架につけろ】群衆のほうは、ピラトからの「呼びかけ」に反応して、「あなたは十字架を立てよ!十字架を!」と一斉に何度も「わめき立てた」(「叫ぶ」の原義)のです。まるでデモ行進の群衆が、一斉にスローガンを叫び続ける様子を彷彿させます。「イエス」のことよりも、むしろ、「(釈放を)呼びかける」今のピラトへの抗議のように聞こえます。ちなみに、マルコ15章13節では「あなたは(彼を)十字架につけよ」(二人称単数アオリスト能動態命令形)で、マタイ27章22節では「彼は十字架されよ」(三人称単数アオリスト受動態命令形)で、ルカ23章21節では「今あなたは十字架を立てよ。十字架を!」(二人称単数現在中動態命令形)です。
[22]~[23]【三度目に】この「三度目」は、ルカ23章14節と同15節の後半とを併せた内容をピラトが繰り返すことです。三度目の「いったい、どんな悪事」に、イエスの無実を悟ったピラトの「いらだち」あるいは「憤り」を読み取る説があります〔Bovon. Luke3. 283.〕。
【声が強くなる】民衆は、いっそう力をこめた声で、一斉に叫びを繰り返したのです。なお、「その声」では「彼らと議員たちと祭司長たちの声」と読む異読があります(アレクサンドリア学派の写本/べザ写本/Codex Cipius/Codex Purpureus Petropolitanus./W写本など多数.)。
【十字架につける】原語は受動態ですから、民衆の叫びは「(彼は)十字架されよ!」です。ピラトは「十字架」という言葉を一度も口にしていません。判決の実態は、ピラトではなく、ユダヤ民衆のほうであることが、明白になります〔Marshall. The Gospel of Luke. 861.〕〔Bovon. Luke3. 284.〕。
[24]~[25]【要求をいれる】マルコ=マタイでは「(ユダヤの)群衆が満足するのを願って、(ピラトは)彼らのためにバラバを釈放した」ですが、ルカでは「(ピラトは)ユダヤの民衆が要求するとおりのことが起こる/生じるように決定した」で、「群衆の満足/納得」の記述は出てきません。
【バラバを】「バラバ」の名前は出てこないで、「暴動と殺人のゆえに投獄されていたほう」とあるだけです。これに対して、「その一方で、イエスのほうは、彼らの意のままに任せた」とあります。マルコでは、「渡されるのは十字架刑のために、ピラトの部下の兵士たちですが、ルカでは、「彼らユダヤ民衆の意のまま」ですから、ピラトの全面的な敗北で、ユダヤ人たちの大勝利です。ルカはマルコに準じていますが、ここがルカによる書き換えなのか、ルカの独自資料によるのかは不明です〔Marshall. The Gospel of Luke.861.〕。
【引き渡す】ルカの「彼らの意のままに<引き渡す>」(原語「パラディドーミ」の三人称単数アオリスト能動態)が指し示す内容は多重で、ここにはイエスの預言が重ねられています。「人の子は人々の手に引き渡される」(ルカ9章44節)/「人の子は異邦人の手に引き渡される」(ルカ18章32節)/「総督当局にイエスを引き渡す」(ルカ20章20節)/「祭司長たちと議員たちは、死刑にするために(イエスをローマ兵に)引き渡した」(ルカ24章20節)があり、さらには、パウロによる「イエスは、私たちの罪のために死に引き渡された」(ローマ4章25節)があります。この動詞は、このように、「イエスの受難」に関わる出来事を言い表す場合に用いられますが、イエスの受難に関わるこの用語は、さらに、七十人訳イザヤ書53章6節の「主は、彼(主の苦難の僕)を私たちの罪のために引き渡した」/「彼(主の苦難の僕)は自分の命を死に引き渡した」(イザヤ53章12節)へとさかのぼることができます。だから、共観福音書で共通するこの動詞は、イエスの受難を語る最初期の伝承にさかのぼると思われます。さらに、この動詞は、福音を「引き渡す/伝える」の意味をも帯びるようになります(第一コリント15章3節)〔Bovon. Luke 3. 285. Note(78).〕。
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