【注釈】
■ルカの意図
今回の話は、ルカ福音書だけに出てきます。しかも、ここにはルカらしくない言葉遣いが多く見られますから、これはルカとその教会にだけ伝わる文書の資料をルカなりに編集しているのでしょう。このように、ルカ福音書だけに見られる資料を「ルカの特殊資料」と言います。ルカは、この話を百人隊長の記事と洗礼者ヨハネの記事(どちらもイエス様語録から)との間に挿入して、これら全体をイエスの一行がエルサレムへ上る途上の出来事としています。ルカは、その特殊資料からの話をこのように、マルコ福音書やイエス様語録の間に挿入する手法をとっているのです。
語られているのは、イエスによる死者からのよみがえりです。死者のよみがえり伝承は、旧約聖書にもあり(16節「大預言者」の項目を参照)、特に今回の出来事は、エリヤの事例と関わりがあると見られています(列王記上17章18〜23節)。また、ギリシアでも、医術の神として有名なアスクレピオスの話に死者のよみがえりがあり、またティアナ生まれの哲学者アポロニオス(1世紀)の伝記にも若死にした息子を生き返らせた話があります。アスクレピオスへの信仰は、ガリラヤ地方でも「病気癒しのカミ」として知られていました。
なぜルカは、この話をここに挿入したのでしょうか? それはこれに続く洗礼者ヨハネの話と関連します。洗礼者ヨハネは人を遣わして、「来るべき預言者、すなわち終末に到来するメシアは、あなたですか?」とイエスに尋ねさせます。するとイエスは、病気の癒しや悪霊追放、盲人の癒しなど、メシアの到来に際して期待されている出来事をあげて答えますが、その中に「死者の生き返り」が含まれています(ルカ7章22節)。ルカはおそらく、この死者の生き返りなしには、イエスのメシア性が十分に示されていないという視点から、洗礼者の記事に先立って、ここに死者の生き返りの話を入れたと考えられます。これはイエスが、ただの預言者ではなく、神から遣わされたメシアであり、キリストであることを明確にするためです。
■この話の配置
次ぎにこの話の配置について述べておきましょう。ナインという町は、地図で調べますと、ガリラヤからは南の方、サマリアに近い所で、エズレルという平野部の側近くにあるモレ山の麓の町です。だからルカは、この話をイエスがガリラヤからユダヤへ向かう旅の途中のこととしています。ルカ福音書だけに出てくるのですから、この話の配置は、他の福音書の配置にこだわらずに、比較的自由に持ってくることができるわけです。ルカは、この話を続く洗礼者ヨハネのイエスへの質問とも関連させています。だから、このナインの出来事は、もう少し後のほうで、洗礼者からイエスへの質問の記事のすぐ前に置くほうがいいと思います。日本キリスト教団の新共同訳注解のシリーズでは、イエスの山上の教えなどよりもかなり後のほうに配置してあります。でもわたしが底本にしている『四福音書対観表』は、イエスの教えのすぐ後に、カファルナウムの百人隊長の話を置き、その次にこの話を置いていますので、一応これに従います。
このナインのやもめの話に限らず、イエスの出来事の順序は、いろいろと分からないこと、はっきりしないところがあります。マルコ福音書には、過越の祭りは一度しか出てきませんから、そのまま受け取るなら、イエス様の伝道期間は、洗礼を受けてから過越祭の時に十字架におかかりになるまで、わずか1年足らずだったことになります。でも、書いてないから、過越祭が「なかった」ことにはなりません。ヨハネ福音書には、少なくとも過越祭が三度出てきます。これだと、最低でも丸2年以上で、わたしは、ほぼ2年3ヶ月と見ています。こういうわけで、イエス様の出来事の正しい順序は、はっきりとは決められません。けれども、ガリラヤとユダヤの二つの場所を基点にして、イエス様の活動の大体の順序は分かります。だから、とにかくひとつひとつの出来事を読んでいく。そうやって、この共観福音書講話が完了した段階で、改めて、出来事の配置をもう一度考え直してみたい。そう思っています。ホームページというのは有り難いもので、後でいくらでも配置換えができますから。
[11]【それから間もなく】原語は「この後に」です。これは出来事の順序を表わすためで、ここから新しい話が始まることを示しています。
【ナイン】イエスの時代、ガリラヤ湖の西岸にあるティベリアスから南西のエズレル平原の中心にあるアフラへいたる幹線道路がありました。その道路は、タボル山の東の麓を通り、モレ山の西の麓を通っていましたが、ナインは、そのモレ山の麓にあって、アフラの東北にあたる町でした。ルカがここで伝えるイエスの出来事を記念する教会が、10世紀にこの町に建てられたとボヴォンの注解にあります。現在では「ネン」と呼ばれていて、200名ほどのイスラム教徒が住んでいるそうです。この町は、まだ発掘が行なわれていませんので、イエスが通った「町の門」は、まだ見つかっていません。
[12]【棺が担ぎ出されるところ】原文は「すると見よ、死んだ一人息子が(弔いのために町の門の外へ)運び出されるところであった」です。この節には、「見よ、」「一人の」「かなりの(人たち)」など、ルカの言葉遣いが見られます。イエスは、「弟子たちや大勢の群衆」と共に町の門へ入ろうとしています。ちょうどその時、やもめの息子の葬儀の列が町の門から出て行こうとしていたのです。命の行列と死の行列、この二つの行列がここで出逢うのです。ルカは、このふたつの行列に、人間の死の運命と新しい命の時代とを象徴させています。彼は、死と生との二つの人間の流れが、町の門で交錯する「時」をここに観ているのです。ですから、ここには、人間の死の時代と新しい命の時代との出会いという「救済史的」な視点を読み取ることができます。なお、イエスとやもめの一行との出会いは、エリヤがサレプタの町の門で、やもめに奇跡を行なったことを連想させます(列王記上17章10節)。
[13]【憐れに思い】「憐れに思い」は、内蔵の深いところから湧く感動や痛みや愛情です。このような表現は旧約聖書にも出ていますが、新約にも表われ、ルカ福音書では10章33節と15章20節にも出てきます。ただし、この言葉は、伝承にあったもので、ルカがここに導入したのではありません。ここ13節では、イエスは息子よりもその母親の悲しみのほうに目を留めています。
[14]【棺に手を触れ】「棺」とあるのは、死んだ人を乗せる葬儀用の担架か、あるいは蓋のない棺桶のことです。13節で「主は」とあるのは、イエスがあらゆる事態をすでに支配しているからです。だから、ここでは、イエスのほうから進み寄って、死者への弔いの行列を「止める」のです。主であるイエスが、人間の歴史に介入して、死の流れを止め、これを命の流れへと切り替える。このようなルカの視点を読み取ることができます。ここでイエスは、言葉ではなく「手を触れる」ことで、神の力を発揮します。なお、ユダヤ教では、死者に触れることは「汚れ」と見なされていました(レビ21章1〜4節)。「主」であるイエスは、そのような人間のつくる宗教にこだわらないのです。
【起きなさい】イエスが人を復活させる力のあることを証ししています。「起きなさい」の原語は「目覚めさせられよ」という受身形で、そこから「目覚める」という意味になります。これは「眠りから目覚める」「死から目覚める」のように、はっきりと「復活」を意味する言い方です。
[15]【起き上がって】ルカは、「若者は起きあがって」とは言わず、「死人は起きあがって」と言います。彼はここに、ナインの若者個人だけでなく、人類の「死からの復活」を観ているのです。だから、ここでルカは、イエスの復活から、逆にこの出来事を観ていると言えます。しかしルカは、地上のイエスに神の御霊が働いて、イエスの出来事が現実に起こることで、イエスがメシアであることが証しされたことを伝えたいのです。ルカは、このナインの息子のよみがえりを「イエスの復活の前兆」として描いているのです。「起き上がる」の原語は、棺から「身を上に起こす」です。「ものを言う」は命が帰ってきたことを意味します。後半の原文は、「そこで彼を彼の母親にお与えになった」です。イエスによって「復活した」若者とその母は、この時から新しい母子関係に入ったのでしょう。
[16]【神を賛美】この言い方や「皆恐れを抱き」など、ここはルカ的な言い回しが出ています。ここでは、イエスが行なう奇跡の業が「神から出た」ことを知り、イエスが神の遣いであることを見出すだけではなく、同時に、このメシアの奇跡が、「歴史化された現実であることを認識する」〔ボヴォン〕のです。大預言者が「起こった/現われた」という言い方に、ルカの(そしてルカの教会の)こういう信仰告白を読み取ることができます。
【大預言者】この言葉は、すでに伝承されていた資料からで、ルカからのものではありません。この言い方の背後には、列王記上(17章)のエリヤ物語があると指摘されています。「大預言者」はルカの言い方ではありませんから、伝承の段階では、この言葉に、エリヤの再来という意味が含まれていたのでしょう。しかし、ルカがこの呼び方を用いているのは(これには冠詞がついていません)、神の遣いとしてのイエスをただエリヤと同一視しているだけではなく、ルカはここでのイエスの業を復活と結びつけているのです。だからイエスの業に「まだ達成されていない復活」〔ボヴォン〕を読み取っています。これがルカの言う「大」預言者の意味であり、そのような大預言者が「現われた/起こった」という意味です。なお「心にかける」とある原語は「顧みる」「訪れる」で、神が、恵みをもって人や民を「訪れる」こと、あるいは恵みを「顕わす」ことです。「わたしたちの間に」という言い方には、ルカたちも含まれていると見ることができます。だから「神が訪れてくださった」とあるのも、かつてのパレスチナでのナインの出来事とルカたちの現在とを重ね合わせて、神の遣わされたイエスが、イエスの復活によって人類の贖いの業を成し遂げてくださったことをも指しています。「神を賛美」しているのは、ナインの人たちだけでなく、ルカの教会も同様なのです。
[17]【この話は】原語は「この言葉」(単数)です。ルカは「彼(イエス)についてのこの言葉」と言っていますので、「この」とは、文字通りには16節のことになります。しかし同時にルカは、「イエスについての知らせ/ニュース」という意味で、「御言葉を伝える」と同じ「御言葉」(単数で冠詞が付いている“The Word”)の意味をここに含ませているのでしょう。「この言葉」とは、イエスが救い主キリストであるという「知らせ」のことにほかなりません。
【ユダヤの全土】ルカは、マルコのように、ユダヤとガリラヤとを区別しません。パレスチナ全体を「ユダヤ」と呼んでいます。このために、ルカはガリラヤとユダヤの区別を知らなかったのではないか考えられました。ルカは、4章44節でも「イエスはユダヤの諸会堂で宣教された」と言っていますが、ルカはこれをマルコ福音書に基づいて書いています。そのマルコ福音書には、イエスは「ガリラヤ中の会堂に行って宣教した」(マルコ1章39節)とありますから、ルカは、マルコの「ガリラヤ」を意図的に「ユダヤ」に変更していることになります。ルカから見るならば、パレスチナ全土が、ユダヤとガリラヤの区別なく、「ユダヤ人の国」なのです。イエスの出来事は、この「ユダヤ」で起こった事であり、その出来事が、ルカたち異邦人の地へと広まってきた。このような視野から見ているのです。だからルカが「周りの地方一帯へ」と言う時にも、使徒言行録(1章8節)のように、「ユダヤ全土」から、その周辺の異邦の諸民族の地へと、イエスの出来事が広められていったことを意味しています。ルカの見方は、救済史的な視野に立つと言えましょう。