【注釈】

マルコ
 この記事は、マルコ以前からの伝承に基づいていて、おそらく本来の伝承は1〜5節までと11〜12節からの癒しの物語で成り立っていたと思われます。5節の終わりで区切りが認められますから、6〜10節での罪の赦しについての問答は、別の伝承から組み込まれたものでしょう。この問答の部分には、マルコの宗団とユダヤ教の律法学者たちとの間の論議が反映しています。この記事全体は、マルコ1章12節から45節までのイエスの一連の病気癒しと2章13節以下のイエスによる「罪人の赦し」についての記事の間に置かれていますから、「癒し」と「罪の赦し」とが結びつけられている大事なところです。イエスの病気癒しと罪からの救いが一つになっている箇所は、ここ以外にありません(ただしヨハネ福音書5章14節参照)。
マルコ2章
[1]【再びカファルナウムへ】イエスは、宣教の初期の頃、ガリラヤのナザレやカファルナウムを中心に方々の町々で福音を語っていました。巡回から「数日後再び」カファルナウムへ戻ったのでしょう。「再び」は、マルコがよく用いる言い方です。1節から4節までは、マルコの編集の手が加わっています。カファルナウムは、ガリラヤ湖の北西にあって、ローマの百人隊長が会堂を寄進した所で(マタイ8章5節)、ペトロの姑の家があったところです(マルコ1章30節)。現在、この姑の家は、町の南東部で発掘されていて、また3世紀頃に建てられたと思われる立派な会堂も発掘されています。
[2]【御言葉を語っておられた】ここでの「御言葉」は単数です。「御言葉を語る」は、ここだけでなく使徒言行録でもパウロでも、イエスの福音を伝えることを指しています(マルコ4章14節の種まきのたとえを参照)。
[3]【中風の人を運んできた】語法的には、四人を含む人たちが来たことになりますが、原文はむしろその中風の人が、皆に助けられて、イエスのところへ来たという意味です。「中風の人」と訳されている語は、ルカでは「体が麻痺した人」と言い換えられています。ルカのほうが当時の医学的な用語です。「体が麻痺した人」の中には「足の萎(な)えた人」も含まれていて、「中風と足萎え」として出て来ます(使徒言行録8章7節)。ここで語られる人もおそらく足が萎えて歩けない人だったのでしょう。なお「足萎え」は、祭司によって共同体から排除されていましたから(レビ記21章18節)、彼は社会的にも「罪人」と見なされていたのでしょう。
[4]【屋根をはがして】当時のパレスチナの家はだいたい大きな一部屋で、屋上へ登る階段が家の外に付いていましたので、外の階段を使って患者を屋上に運ぶことができました。また、屋根は、材木の梁と小枝を編んだ上を粘土で覆ったもの(日本家屋の壁と似ている)が多かったようです。ルカでは屋根の「瓦をはがして」とあって、これはギリシア風の屋根を想定しています。なおこの部分はマタイにはありません。なお、「床」とあるのは、部屋に置く寝台ではなく、持ち運びのできる粗末な担架のこと。
[5]【その人たちの信仰】ここでこの人々は、言葉で助けを求めるのではなく、とにかくイエスのいる場所、すなわちそのご臨在の場へ来ることをだけを求めています。マタイも「イエスめがけて(連れてきた)」とあり、ルカは「イエスのみ前に(置こうとした)」を二度繰り返しています。マルコ5章25節以下の女の癒しの場合もそうですが、「信仰」はこのようにイエスのご臨在の場へ「参入する」という行動として語られます。イエスが「見た」のは、このような行動に現わされている偽りのない「信仰」です。特にここで、イエスは「彼らの」信仰をご覧になったとあるように、病人本人の信仰というよりも運んだ人たちの信仰とその行為をイエスは「見た」のです。この点もこの物語の大切なポイントです。
【あなたの罪は赦される】この節は、マルコもマタイもルカも同じですが、マタイとマルコは「赦される」と現在形で、ルカでは「赦された」と完了形受動です。「子よ、あなたのもろもろの罪は、もう赦されているのです」というのが原文の意味です。「これで赦される」〔岩波訳〕。「今赦された」〔フランシスコ会訳〕。なお「罪」は複数形です。当時の一般通念では、病気は本人、あるいは両親、あるいは先祖の罪の結果であると思われていましたから、まず罪の赦しが先行したのです。ここでは、病の癒しという現象的な出来事が、その人の根元的な罪からの「救い」と結びつけられています。イエスの御言葉を通して顕われる神の御霊のご臨在によって、「罪が赦され」、その結果として癒しが現われるのです。したがって「赦される」は、「救われる」ことも「癒される」ことをも同時に含んでいます。ここで、もろもろの「罪が赦される」と受動形で語られますが、誰が赦すのか、その主語は、はっきりと語られません。このことは、続く律法学者とイエスとの議論を考える上でも大事です。律法学者たちが「あれこれ考えた」のも、この主語がはっきりしないからでしょう。もしも「わたしが」罪を赦すと言えば、イエスが、自分の意志と力で行なったことがはっきりしますから、律法学者たちもイエスを批判の対象にしやすくなります。しかしイエスが、赦しをこのように「られる」の形で語ったのは、ご自分を通して働くのが、神の御霊のみ業であることを表わすためです。主語は「神」ですが、この主語は隠されているのです。この意味では、「わたしは自分では何もできない。・・・わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである」(ヨハネ5章30節)と言っているのに通じます。同時にこのことが、神から遣わされたイエスの「権威/力」の源ともなるのです。だから「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」(マタイ11章27節)とあるのです。イエスを通じた神の御霊のこのような働きは、「神の受身形」"Divine Passive"(日本語の「神がされる」)と呼ばれて注目されています。ちなみに、この物語では、癒された人も言葉ではっきりと願いを表わしていません。また非難する律法学者たちもはっきりと言葉で表明していません。ここでは事態が、言わず語らずのうちに、罪の赦しと癒し、これに伴う議論となって推移しています。
[6]【心の中で考えている】自分の内で自問自答しながら考えること。
[7]【神を冒涜している】「神おひとりのほかにだれが」とある原文は「唯一の神だけが」です。ユダヤ教では、罪を赦すことができるのは唯一の主なる神のみでした(出エジプト34章7節/イザヤ44章22節)。終末に顕われるとされたメシアでさえ、罪の赦しは期待されていませんでした。罪を赦す(ぬぐい去る)のは、神御自身のなさる業とされたからです。したがって、イエスが「あなたの罪は赦された」と言う時に、それは「神の権限」を犯す冒涜だと思われたのです。神への冒涜は死刑に値します(レビ24章15〜16節)。一連の癒しの後で、ファリサイ派たちがイエスを殺そうと相談し始めたのはこのためです(マルコ3章6節)。イエスの十字架の処刑が、ガリラヤ伝道の初めにおいて、すでに始まっていたことになります。イエスの伝える「罪の赦し」が、ユダヤ教の律法制度と真っ向から対立しているのが分かります。ルカでは律法学者のほかにファリサイ派の人たちも加わります。ルカでは、すでに人々の中に始めから「律法の教師たちが坐っていた」とあり、彼らは「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来た」とありますから、彼らは始めからイエスの言動を監視して、イエスとの対決を意図していたと思われます。
イエスとユダヤ教の律法ここで初めて、イエスとユダヤ教の律法との衝突が語られます。この問題は、イエスの十字架にいたるまで、その全活動を通じて常にイエスとその弟子たちに問われることになります。イエスはユダヤ教の律法にとらわれることなく、場合によってはこれを無視して自由に振る舞った。このことが、当時のユダヤ教の指導者たちからの批判を招いて、十字架刑に処せられる原因の一つとなった。イエスと律法との関係については、このように言われることが多いようです。しかし、このような見方は、最近のユダヤ教の研究によって、必ずしも正しくないことが次第に明らかになってきました。
 イエスの時代の律法は複雑で、特に律法の解釈の仕方については、様々段階や違いがありました。ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派などの教派によって、安息日などの規定の解釈に細かな違いがありました。しかも、パレスチナ全体においては、律法の解釈が異なる相互の間に、驚くほどの柔軟性と幅の広さがあったのです。したがって、安息日と律法との衝突の場合でも、これをそのまま鵜呑みにするのは、当時のユダヤ教の律法について誤解を与えかねません。今回の場合でも、「あなたの罪は赦された」と告げたからと言って、これだけで「神を冒涜した」とは言えません。だから、批判者たちは、イエスに向かってではなく、「彼ら自身の心の中で」考えていたのです。
 また、(1)イエス自身の言葉にも、その振舞いにも、律法を無視したり、律法に違反したりした形跡はありません。また、(2)福音書に出てくるような「律法違反の罪」は、当時のパレスチナの律法観から見るならば、必ずしも違反とは言えないこと、まして「死罪」に当たるような罪にはならないことが指摘されています。では、福音書が伝えているイエスに着せられた「律法違反の罪」は、事実無根だったのでしょうか? 「火のないところに、煙が立たない」と言いますが、そこには、何かユダヤ教の指導者たちをしてのっぴきならない処置に出ずにはおれないような事情があったと見ることができます。
 イエスの律法観は、ユダヤ教の知恵思想と黙示思想をその背景に持っていますから、契約と律法に厳格に準拠する律法観よりは、遙かに柔軟で、その適応性にも幅があったと見ることができます。しかし、なによりも、イエスは律法の解釈とこれの準拠において、旧聖書で最も大切だとされている「神と隣人への愛」を、律法解釈の根源の原理としたことです。さらにその上に、イエスの伝える神の国には、当時の黙示思想から来る差し迫った終末観が働いていました。やがて、現在の世とは全く異なる神の愛が支配する世界が、この地上に創り出されるという信仰は、現世で蔑まれている徴税人や、「罪人」と呼ばれる人たちまでも、そのあるがままの姿で神に受け入れられるという約束と信仰に支えられていたのです。
 今回の中風の癒しの場合でも、マルコを初めとする福音書の記者たちは、こういうイエスの神の国信仰の根本を伝えるために、ユダヤ教の指導者たちとの衝突という形で、イエスの根源にある霊性を描き出そうとしているのです。だから、物語に出てくる律法違反だけを採り上げて、イエスと律法との関係を解釈するのは、理解と同じほどに誤解をも生じますから注意してください。

[8] 【御自分の霊の力ですでに知って】これはマルコの挿入です。彼は実際に働く霊的な視点で描いています。マタイは「見抜いて」とあり、ルカは「知って」とあります。人の思いを見抜くのは神のなさることであり(使徒言行録1章24節)、また神の預言者だけができることでした(サムエル記上16章7節)。
[9]この節でのイエスの問いかけには、分かりにくいところがあります。イエスが「あなたの罪は赦される」と言った時に、これを聞いた律法学者たちは「口先で罪の赦しを宣言するだけなら、だれでもできるではないか。罪が赦されたかどうかは、はっきりした形として外部に示されることがないから、比較的容易である。それよりも、目の前の中風患者を治してみせるほうが罪の赦しの証拠としてはっきり現われるから、そちらのほうが難しいはずだ」と考えたのです。このような律法学者の考えの背後には、病は罪の結果であるという通念がありました。さらに彼等には、イエスが、「罪の赦し」とその結果生じるであろう病人の癒しを実現できるはずがないという思いこみもあったのでしょう。ところがイエスは、そういう律法学者たちの思いを霊的に見抜いたのです。そこでイエスは、 「中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と逆に問い返したのです。イエスのこの問いは、「罪の赦しの宣言のほうがやさしい」という相手の思いこみに反論する問いかけです。
   ここのところを、律法学者の考えたように、「床を担いで歩く」ほうが難しいから、これが成就するのなら「罪の赦し」も解決しているという意味に解釈する説もあります〔例えば新共同訳新約聖書注解:マタイ福音書/岩波訳ルカ福音書など〕。これはこれで、筋の通った論理的な解釈です。ただし、この解釈だと、イエスの問い返しの真意が見過ごされる危険があります。この解釈では、病気の癒しが現われることが、罪の赦しの証拠となるはずだという発想だけで終わってしまうおそれがあるからです。ここでのイエスの真意は、またこれを記しているマルコの真意は、そうではなく、むしろ律法学者たちが「神以外にできないはずだ」と考えているまさにそのこと、すなわち人間の終末的な原罪の赦しという奇跡以上の奇跡が、ここでイエスを通じて成就していることを強調したいのです。「マルコにとっては、たしかに罪の赦しのほうが、より大きなこと、『より困難なこと』であった。しかし敵対者たちは、本当に罪が赦されたという証拠を提示することなく、ただ口先だけでそんなことを言うのはたやすいことだ、と考えたのである」〔シュヴァイツァー『NTDマルコ福音書』〕。しかもここでは、「罪の赦し」と「体の癒し」とがひとつになって「救い」が理解されていることが重要です。癒やされる前に罪が赦されたこと、癒しはそのことのしるしであることが明確にされるからです。これはイエスを通じて働いている御霊が、「神ご自身の権威」を有することを証しすることにほかなりません。おそらく9節の分かりにくさは、6節〜10節が、ユダヤ教とキリスト教団との間の論争を反映して、後から編集されたために生じたのでしょう。
[10]【人の子】「人の子が罪を赦す権威を持つ」は、マルコ以前からの伝承でしょう。この節がこの記事全体の中心です。「人の子」とは、旧約では「人間」を意味する言葉ですが(詩編8篇5節)、エゼキエル書では、エゼキエルが「人の子」と呼ばれています(エゼキエル2章1節)。彼は、神の霊に満たされ(エゼキエル11章2〜5節)、イスラエルを見守る者とされます(同3章17節)。また自分のうちに神の言葉を宿らせて(同3章1〜3節)、これを宣べ伝え、拒否され、謎と譬で語り(同17章2節)、苦難の人となります(同3章25節以下)。彼はまた来たるべき牧者であり(34章)、死者の復活を見るのです(37章)。「人の子」は、ダニエル書7章13〜14節とも深く関係します。ダニエル書(7章13〜14節)では、「人の子」は、「日の老いたる者」(神御自身を指すか)の側に座して、地上の世界帝国を支配する権能を授与されます。ダニエル書の「人の子」像は、これ以後に、ユダヤ黙示思想の用語として、全世界を裁く「メシア」としての人の子への預言と見なされるようになります。このように、新約で表われる「人の子」のほとんどすべての意味は、すでに旧約に見ることができます。
  しかし問題は、イエスが<地上におられた間には>、イエス自身がどのような意味で「人の子」を用いていたのか? ということです。なぜなら、この言葉は、イエス自身によって用いられていたからです。イエスが「人の子」というのは、漠然とした人間を指すのではなく、この言葉によって、人間を代表する者として神から遣わされた「自分自身」を指していたととることができます。だからこの言葉は、間接的に「わたし」を意味しています。「人の子」に含まれる終末的で黙示的な特徴は、後から教会によって付与されたところがあります。ただし、イエス自身も受難と終末的な「人の子」存在を自覚していたのは間違いありません。
   原初キリスト教では、特に定冠詞を伴って用いられる場合には、「人の子」は、「神の子」と並んで、イエスへの称号となりました。マルコでは、「人の子」は、(1)この地上で罪を赦す権威を持ち、安息日を支配する方です(2章10節/2章28)。(2)地上での受難の人です(8章27〜33節)。(3)裁きのために再び来る方です(8章38節/14章62節)。イエスは、特に知恵の書(2章10〜20節)において語られている「知恵の人」として、自分の道が示されているのを知っていたのではないでしょうか。イエスは、御自分がイスラエルの受難を成就させる者だと自覚していたのでしょう。今回の記事では、病気癒しと罪の赦しの両方を成就する「霊的な権威/力」を帯びています。なお、イエス様語録に「人の子」が最初に出てくるのは、ルカ6章22節(=マタイ5章11節)にあたるイエス様語録においてですから、イエス様語録の「人の子」については、山上の教えの該当する箇所の「人の子」を参照してください。
【権威】原語には「権力/力」の意味もあります。ダニエル書(7章13節)には、人の子が「権威、威光、王権を受けた」とあって、イエスのここの言葉もこのダニエル書までさかのぼるのかもしれません。しかし「罪を赦す権威」という言い方は、どこにもありません。これは、「徴税人や罪人」と共に食事をして交わりをもったイエス特有の言葉です。なおこの部分の原意には、「人の子が罪を赦す権威をもつことを悟りなさい/認識しなさい」という命令的な響きがあります。
[12]【人々は皆驚き】「驚き」は「驚愕する」です。「あっけにとられた」〔塚本訳〕。11節はほんらいの伝承では5節からつながっていたのでしょう。だから、驚いて神を賛美した人たちの中には律法学者たちは含まれていないと考えられます。彼らはおそらくイエスの言葉に納得しなかったと思われます。

ルカ
 ルカの5章12節から6章11節までは、マルコの1章40節から3章6節までと全く同じ構成になっています。そこでは、重い皮膚病(らい病)の癒し、中風患者の癒し、レビ(マタイ)の召命、断食についての問答、安息日に麦の穂と摘む話し、手の萎えた人の癒しが語られます。しかしルカは、マルコに基づきながらも、彼なりに物語の構成を編集しています。ルカは、1番目の弟子たちの召命(5章1節以下)と2番目の徴税人のレビの召命(5章27節以下)と3番目の十二弟子の選び(6章12節以下)の三つの召命物語を語っています。そして、1番目と2番目の召命物語の間に二つの「癒し」の物語を置き、2番目と3番目の召命の間に、断食と安息日と安息日での癒しの三つの「問答」が来ます。だから全部で八つの記事が、「召命」と「癒し」と「安息日」をめぐってつながることになります。中風患者の癒しは、重い皮膚病の癒しに続いて3番目に来ています。重い皮膚病は典型的な「罪から来る」病気とされていましたから、この二つの癒しは、「罪の赦し」と深く結びついているのが分かります。安息日制度は、ユダヤ教の律法制度を典型的に表わしていますから、断食と安息日と安息日の癒しの三つの問答は、イエスの福音とユダヤ教の律法制度との違いを際だたせます。罪の赦しとユダヤ教の律法制度からの決別、このふたつこそ、弟子たちが伝えるべく召命を受けているイエスの福音だということを、ルカはこのような構成で語りたいのです。
 罪の赦しが福音にとって大事なのは言うまでもありませんが、律法制度からの決別をルカが強調するのは、当時のルカの教会が、ユダヤ教のファリサイ派と競合していたことをうかがわせます。ルカの頃にはエルサレムは滅亡して神殿は存在しませんでしたが、ファリサイ派とその律法主義は生き残って活動を続けていたのです。だからルカは、マルコのほうには登場しないファリサイ派を中風の癒しにも登場させるのです。しかし、ここで注意しなければならないのは、このことは、ルカの教会の福音とファリサイ派の教え、強いて言えば、ユダヤ教とキリスト教とは、当時のヘレニズムの世界では、それだけ類似して受け止められていたことを意味するということです。ルカの目には、イエスもパウロも、ファリサイ派に近い面を具えていると映っていたと言えます。ルカの目は、わたしたちと同じように、ユダヤの世界を「外から見ている」視点なのです。だからと言って、福音とユダヤ的ファリサイ派との類似と対立との複雑な関係から判断するならば、「キリスト教はユダヤ教に反対する」と単純に考えてはいけません。この点を注意しないと新約聖書を反ユダヤ的な文書だととんでもない誤解をすることになります。このような「反ユダヤ主義」見解は、新約聖書の重大な読み誤りにつながります。
  マルコの中風患者の癒しでもルカのでも、イエスを通して働く御霊と律法制度との関係は、緊張したまま解決が示されないで終わっています。ユダヤ教のファリサイ派的な律法では、足萎えや罪人とされた病人は、床についたままでいなければなりませんでした。「何人もそのすべての罪が赦されるまでは、病の床から起きあがることはできない」とされていたからです。こういう律法主義に対して、ルカは、特にイエスの「罪の赦し」を強調しています(7章36〜50節を参照)。しかもなお、ルカは、イエスもパウロも、ファリサイ派と近親性を持っていることを認めています(ルカ7章36節/14章1節/使徒言行録25章6〜9/26章4〜8節)。
 イエスによる罪の赦しは、言うまでもなく、イエス在世当時の出来事です。ですから、ここで語られるイエスの癒しと罪の赦しは、当時のユダヤ教の指導者たちには、大きな脅威と映ったに違いありません。しかし、1世紀の終わり近くになったルカの時代には、エルサレム神殿はもはや存在せず、ユダヤ教のファリサイ派とルカたちのキリスト教会とは、ヘレニズムの世界で類似しながらも、はっきりと異なる宗団としてお互いを意識していました。その区別の指標となったものの一つに、この中風患者の癒しに出てくる「罪の赦し」の問題があったと考えられます。キリストの教会は、今現在のこの世界で、イエスのみ名によって罪の赦しが与えられることをはっきりと表明していました。この点で、ユダヤ教とキリスト教とは異なっています。ルカ福音書と使徒言行録が、イエスの聖霊の働きと共に、罪の赦しと悔い改めを特に強調するのはこのためです。
ルカ5章
[17]【ある日のこと】ルカは、マルコの物語を踏まえていますが、彼もマルコと同じように、物語の導入部分と終わりのほうを自分なりに編集しています。マルコのようにカファルナウムではなく、ルカは「ある日」として時と場所とを限定しません。
【律法の教師たち】 ルカは「律法の教師」、「律法学者」(これがマルコの用語)、「法律家」などの言い方をしますが、これはイエスの時代だけではなく、ルカの時代のユダヤ教、特にファリサイ派のラビを意識しているのです。「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから」来たとあるのは、ルカ特有の拡大した言い方で、「すべての」はこのような時にルカが用いる用語です。ルカでは、彼らは初めから座ってイエスを監視しているのです。
【主の力が働いて】ルカでは、御霊が「彼(イエス)に」働いていたとあって(ただしここでの語法には問題があります)、マルコに比べて、神の御霊が継続的に「イエスを通して」働いていたことを表わしています。
[18]マルコにはない「見よ!」とあって注意を引いています。しかし、マルコにある「四人の人」は抜けています。
【中風を患っている人】原語は「体全体が麻痺した人」でマルコと同じではありません。このほうが当時の医学的な言い方でした。「麻痺した人」の中には、中風の人も足の萎えた人も含まれています。
【イエスの前に】ルカは担いできた人たちが、家の中へと入ろうとしたこと、それができなくて、屋根から「人々の真ん中に」ちょうどイエスのいるその目の前に、患者を吊り降ろしたと具体的に述べています。イエスとの関係を強く意識させるためです。患者がイエスの所へ来るのを妨げたのは、群衆と律法学者・ファリサイ派の二つであったと見る解釈があります。
[19]【瓦をはがし】原文は「瓦を突き抜けて」。「寝床」も「屋根瓦」もマルコの用語とは異なります。マルコの言うパレスチナでの粘土で固めた屋根から、ルカは、ヘレニズム的な瓦の屋根に変更しています。このようにギリシア・ローマ風に言い換えるのは、ルカがよく用いる手法です。
[20]【信仰を見て】信仰は、ルカでは何らかの行動と結びついています(ルカ7章9節/8章48節/17章48節/18章42節)。マルコでは、イエスが中風の人に向かって「子よ」呼びかけますが、ルカでは「その人たちの信仰を見て」「人よ」と呼びかけています。「人よ」は、この場合「友よ」に近い意味で、これもヘレニズム風に言い換えてあります。またルカは、マルコの「中風の人に向かって」を削除することで、イエスの呼びかけが運んできた人たちみんなにも向けられていることを示そうとしています。
【罪は赦された】マルコの「赦される」(現在形)から「すでに赦されている」と完了形受動になっていて、「赦し」が「すでに起こったこと」として強調されています。しかもマルコにはない「あなたにとって」(新共同訳では省かれています)を付けて、「ことあなたについては、あなたのもろもろの罪は赦されている」とイエスは言っています。罪それ自体と共にその人の全人格が、あるがままで赦されていることを認識させてくれます。ルカは同時に、この罪の赦しが、福音の指導者たちによって、人々へ広く伝えられるように意図して構成しています。
[21]ルカはマルコの「心の中で」を除去して、彼らが相互に意見を交換した様子をうかがわせています。ただしイエスは22節にあるように彼らの思いを見抜いたのです。
【神を冒涜するこの男は】マルコは「冒涜する」を文として独立させています。また、ルカでは、マルコの「なぜ」に対して「冒涜するこの男はいったい何者か」となっています。また「神お一人だけが(罪を赦す権威を持つ)」とあって、マルコの「唯一の神」よりも分かりやすくなっています。最終的な「罪の赦し」は、終末の時に与えられるというのが、ユダヤ教の信仰でした。こういう意味での「罪の赦し」は、捕囚の頃から始まり、捕囚以後に確立するようになりました(イザヤ44章22節/エレミヤ31章34節/ エゼキエル16章63節/ミカ7章19節)。ところがイエスは、この終末的な「罪の赦し」を「人の子」としてのご自分を通して、<現在の中へ>と持ち込んで、赦しを成就されたのです。このことが、ユダヤ教の立場から見るなら「冒涜」と映ったのです。なお「冒涜」は神性を汚すものとしてユダヤ教では死刑に値しました。しかしヘレニズム世界では、このギリシア語は「中傷する」という意味にもなります。マルコでは「唯一の神に対する冒涜」という厳しい罪に問われますが、ルカでは、「神おひとりのほかに、罪を赦す方はいないのに、この人は何者なのか?」というように「神を軽んじる/神の権威をあなどる」と思われたのかもしれません。
[22]マルコでは、イエスが律法学者たちの思いを「すぐ」見抜いて、なぜ「そのようなことを」考えるのか? と言いますが、ルカでは「そのようなこと」が省かれています。またマルコでは、イエスが「彼らが内心でいろいろ考えいていること」そのことを見抜いたとありますが、ルカでは、イエスは直接に「彼らの思い自体」を見抜くのです。なお質問に対して質問で答える仕方は、ファリサイ派のラビのやり方に従っています。
[23]マルコでは「中風の人に向かって」言われたとありますが、ルカはこれを省いています。こうすることでイエスの言葉が普遍性を帯びるように意図されているのです。
[24]この節では、ルカとマルコとは語順が微妙に違います。ルカは「人の子」をより強調して、これが「人の子」イエスへの称号であることを意識させます。また「地上で」を「赦す」へとはっきり結びつけて、罪の赦しが、終末ではなく、現在の時に進行していることをはっきりと告げています。マルコでは「地上での罪」と読まれる可能性があるためです。
[25]マルコでは癒された人が「出ていった」とありますが、ルカでは「(家に帰るために)立ち去った」とあり、また「神を賛美しながら」を加えています。社会から疎外されていた「罪人」が、再び「自分の家へ」と社会的に復帰できたことを表わしています。
[26]「(人々が)恐れに満たされた」はルカが加えたものです。これは「神を畏れる」ことがルカにとっては特に大事であったからです。また人々の驚く様を述べるルカの原語は、「常識に反すること/不思議なことを見た」です。またルカは、マルコの「見たことがない」という否定形を「不思議なことを見た」という肯定へ変えています。なおルカでは、ファリサイ派の激しい憤りの反応は6章11節にでてきます。

マタイ9章
 マタイも大枠では、マルコに準じていますが、直接マルコの構成に従っているのは、中風の癒しとマタイ(レビ)の召命と断食についての問答との連続だけです。しかし、マタイは、山上の教えの後に続く8章と9章での一連の出来事の中心にこの中風患者の癒しを置いています。それだけ癒しと罪の赦しとが結びついたこの出来事を重視しているからです。しかしマタイは、マルコの物語を大幅に縮小して、マルコの初めの導入部分と屋根をはいだ部分とを省いています。特にマルコのように、律法学者たちの疑念を「・・・・・神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と直説法で語ることをせず、「『この男は神を冒涜している』と思う者がいた」と間接的に述べるにとどまり、また全般的に叙述を簡略にしています。8節の締めくくりに「人間にこのような権威を与えた」とありますから、マタイは、イエスの言う「人の子」をルカとは少し違って旧約的に「人間としてのイエス」の意味に近づけているのでしょうか。おそらくこのほうが、実際にイエスが用いたこの言葉の意味に近いでしょう。
 マタイは「すると見よ!人々が・・・・・」(2節)と「すると見よ!律法学者が・・・・・」(3節)のように「見よ」を挿入しています。これは読者の注意を引くためにマタイが好んで用いる手法です。さらにマタイでは、イエスが中風の人に「元気を出しなさい/心配しないで」(2節)と呼びかけます。またイエスは律法学者たちに向かって「<なんのために>そのような<悪いこと>を心で思うのか?」(4節)と律法学者たちの考えていることが邪悪で間違っていることをはっきり告げています。このようにマタイは、マルコやルカに比べると、癒しの奇跡それ自体よりも、それが「罪の赦し」の証しであることをいっそう明確にしようと意図しているのが分かります。特に「悪いこと」とあるのは、神が、「人間に」に罪の赦しの権威をお与えになったとあるところから判断すると、イエスへの悪意、あるいはねたみを読み取ることができます。なおこれだけでなく、病気は神からの罰である、あるいは病は罪の結果であるという旧約の伝統的な考え方をイエスがはっきりと否定してくださったという含みもあると思われます(ヨハネ9章3節)。
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