【注釈】
■マルコ1章
  ここはマルコに伝えられた伝承に基づいています。「病気の癒しと悪霊追放」、このふたつがイエスの宣教活動のスタートであり、同時にイエスの宣教を人々に広く知らせる大事な「しるし」となっているのが分かります。マルコの記述は二日間にわたっています(当時のユダヤ教では、夕方18時から次の夕方18時までを1日とする太陰暦です)。マルコでは、まずカファルナウムの会堂での悪霊追放があり、続いてその日の昼間に、同じ街で、ペトロの家で姑の癒しがあり、その日の夕暮れに(翌日)、大勢の人々がペトロの家へ癒しを求めて来ます。その日の朝早く、イエスは祈りに出かけて、そのまま弟子たちと共に「近隣の町々へ」向かいます。カファルナウムでの二日の出来事が、ガリラヤ中へと広がる出発となるのです。このように、イエスの宣教が、順を追って語られます。
[29]この節はマルコの編集で、先の4人の弟子たちの召命と会堂での悪霊追放を受けています。
【シモンとアンデレの家】彼らはベトサイダの出身であったとありますが(ヨハネ1章44節)、この頃には、西のほうのガリラヤ領であるカファルナウムに移っていたのでしょう。魚を商う仕事をしていたとすれば、二つ以上の住居があったとも考えられます。現在、カファルナウムの会堂の発掘調査が進み、会堂の南の方角に「ペトロの家」と呼ばれる住居跡が発掘されています。これは4世紀に、もとの家の上に建てられたと思われます。もとの部分は1世紀のもので、幾つかの部屋が中庭を囲んでいます。ここは、ガリラヤの庶民のような数家族の集合住宅ではなく、全体が個人の家であって、家の教会として使われていたと考えられます。
[30]【シモンの姑(しゅうとめ)】このことから、ペトロが結婚していたことが分かります(第一コリント9章5節参照)。
【熱を出して寝ていた】原文は「熱のために伏せっていた」。ただしマルコは、この「熱」が悪霊の仕業だとは見ていません。先の悪霊の場合には、イエスは、その御言葉によって厳しく「叱って」悪霊を「追い出して」います。
[31]【手を取って起こす】軽く手を取ったのではなく、手を握りしめた上で、ゆっくりと立ち上がらせたのでしょう。ここでは、悪霊の場合とは異なり、言葉ではなく、イエスが手を握ることで熱が「去った」のです。手を触れる、手を当てるなど、病人と身体的に触れることで癒しの力が伝わると信じられたのです。ただし、例外もあります(マルコ7章26節以下。なおマルコ5章27~29節を参照)。このようにマルコは、悪霊追放と病気癒しとをはっきり区別していることに注意してください(マルコ3章10~11節/6章13節)。
[32]ここからイエスの宣教全体をまとめた記述に変わります。32~34節では場所も特定されていません。ここでも「病気の癒しと悪霊追放」とがセットになってイエスの宣教がまとめられていますが、この「まとめ」の部分も伝えられた伝承に基づいてマルコが編集を加えたものです。
【夕方になると】マルコの場合、この言い方は、同じ物語の中で時間が経過する場合と(6章47節/14章17節)、ここでのように次の出来事へと出来事自体が移る場合と(4章35節/15章42節)、ふたとおりに用いられています。
【日が沈むと】同じことを二度繰り返しているようですが、ユダヤ教では、この言い方はその日の終わり(18時以後で日が変わる)を意味します。特にここでは、安息日が終わったために、人々が病人たちを「続々と」(原文の意味)イエスのもとへ「運んできた」(「連れてくる」の原語)のです。「病人」とある原語は「具合の悪い人」で、様々な病気を指しています。なお、これでわかるように、イエスの会堂での癒しとペトロの姑の癒しは、安息日の昼間に行なわれたのですから、これはユダヤ教の安息日の規定に背くことになります。イエスは、御霊に導かれるままに、律法の規定に縛られることなく行動しているのです。マルコの2章以下では、このことが律法学者たちからにらまれる原因になります。
【悪霊に取りつかれた者】原語は一語で「悪霊憑き」です。この語はマルコでは、ここと5章15~18節のゲラサの悪霊憑きの場合にだけ出てきます(マタイでは5回)。先に出てきた「汚れた霊につかれた者」とは違う言い方です。しかしこの二つの区別ははっきりしません。なお「悪霊」については、「カファルナウムの悪霊追放」の講話の(4)「悪霊現象」を参照してください。
[33]【町中の人が】32節にも「悪霊に憑かれた者を<皆>」とあり、このような誇張した言い方は、後で回想した伝承に多く見受けられます。
[34]【いろいろな病気に・・・】原語は「いろいろ、さまざまな病気を持つ人たち」で、数よりも種類が多いことです。続く「たくさんの悪霊」と比較してください。悪霊は数も種類も多いのです。病気は「癒された」とありますが、悪霊は「追い出された」となっています。イエスは、大勢の人たちを「一緒にまとめて」祈りによって癒しを行なったのではありません。ひとりひとりの信仰とこれに応えるイエスの祈りによって、癒しが行なわれたのです(マルコ2章5節/5章34節/6章5~6節/9章19節など)。なおイエスが群衆を避けているのは、神からの癒しを避けたり、これを否定的に見ているのではありません。
【悪霊にものを言うことを許さない】節の後半は、マルコの編集による付加です。ただし「悪霊どもがイエスを(神の聖者だと)すでに見わけて知っていた」とあるのは、マルコ以前からの伝承でしょう。イエスは、悪霊の口から「神の聖者」だと言われるのを嫌ったとも受け取れます。しかし、マルコ福音書では、イエスは、自分がメシアであることを人々から隠そうとする様子を見せています。このようなマルコの語り方は、マルコによる「メシアの秘密」と呼ばれています。
[35]【朝早くまだ暗いうちに・・・】36~38節もマルコ以前からのまとまった伝承でしょう。原文は「早朝くまだ真っ暗な内に、イエスは起きて、外へ出かけて、寂しいところまで行き、そこで祈っておられた」です。「起きる」「外へ出る」「行く」のように、動詞を(時には現在形で)いくつも重ねるのがマルコの語りの特長です。朝早く出かけて祈ることが、その日の宣教へと結びつくのです。
【人里離れたところ】この言い方は「淋しい所」「荒涼とした場所」の意味で、マルコに5回出て来ます(1章35節/同45節/6章31節/同32節/同35節)。これらは、いずれもイエスが「群衆を避けて」いたことを示唆します。マルコではこのように、癒しによって集まる群衆とイエスの一人の祈りとが対照的に描かれています。
【後を追い】弟子たちは、大勢の人がイエスを求めて捜しているので、あわててイエスの行く先を「追いかけた」のです。弟子たちのこの様子は、イエスがカファルナウムから近隣の町へ出て行こうとするのと対照的です。
[36~37]【みんなが捜しています】ペトロたちがイエスを見つけて、大勢の人がイエスを捜していると伝えると、イエスは「ほかの所へ向かおう」と言い出します。ここにも群衆を避けるイエスの姿がうかがわれます。イエスは、癒しと悪霊追放に対する群衆の反応の仕方に問題を感じていたのでしょう(マルコ4章11節を参照)。先ず一人で祈り、大勢の人を癒し、再び群衆を避けて次の所へ向かうというイエスの宣教の姿が見えてきます。なお、「シモンとその仲間」とあるように、ペトロを第一に置いているのは、マルコの教会がペトロと深いつながりがあったからだと考えられています。あるいは、この伝承が直接ペトロの口から語られたとすれば、彼が「わたしはほかの仲間と一緒に」のように語ったことから、このような言い方が出たのかもしれません。「後を追う」「イエスに言う」「捜している」「イエスが言う」は、現在形で生き生きと語られています。
[38]【近くのほかの町へ】原文は「近隣の田舎の町々へ」です。「田舎の町」という言い方はここだけです。カファルナウムについては、原語はこれと異なる「街」です(1章33節)。マルコは、カファルナウムに比べて近隣の比較的小さな町を「田舎の町」と呼んでいます。カファルナウムの会堂での悪霊追放から、シモン・ペトロの家での癒しへ、さらに夕暮れの癒しと悪霊追放へ、そして翌朝、次の町へ出発します。マルコは伝承を結びつけて、イエスの宣教活動を次々とつないで、「ガリラヤ中」(39節)へ宣教を広げるのです。
[39]今までのイエスの活動のまとめです。イエスの宣教は、悪霊追放に特長がありますが、今まで見たように、カファルナウムの群衆を避けて、次々と宣教の地を巡ります。ここにマルコの「メシアの秘密」が示唆されていますが、この秘密は、マルコの編集から出た特長というよりも、それ以前の伝承の中に、イエスの「秘密」がすでに潜んでいて、マルコは伝承に隠されているイエスの宣教のこの特長を意図的に引き出していると見るほうが正しいでしょう。イエスは決して人々を「避けている」のではありません。イエスの「癒しの力/権威」に潜むほんとうの意味が、弟子たちも含めてだれにも理解されていないからです。イエスは、ガリラヤ中を巡りますが、この巡りは、やがてガリラヤ以外の異邦人の地へも広がります。このように福音が、やがてはユダヤ人から異邦の民へと広がることをマルコは見通して語っているのです。

■ルカ4章

 マルコに比べるとルカは、弟子たちの召命を後に回して、その代わりに、イエスの伝道の初めに、ナザレの会堂での出来事を置いています。しかし、これに続くカファルナウムでの一連の出来事は、マルコの記事に基づいていますが、これを整理してルカ流に幾分言い換えています。ナザレの出来事と弟子たちの召命とに挟まれたこの部分は、ペトロの回想から伝えられたとも言われています。ルカは、イエスがナザレの会堂で証しした「主の御霊」が、病気や悪霊に「捕らわれていた者を解放」するためであり、このためにイエスが「遣わされた」ことを続く出来事で証ししているのです。ナザレでの告知とカファルナウムの会堂での悪霊追放とシモンの姑の癒しと弟子たちの召命など、ルカの場合、これらをつないでいるのは「聖書の御言葉」(4章21節)であり「主の御言葉」(5章5節)の力と権威です。
[38]【シモンの姑】ルカではそれまでシモンのことが出てこないので、やや唐突な感じがします。しかしルカは、聴衆も読者もシモン(ペトロ)のことをすでに聞いて知っていることを前提にして語っているのです。「シモン・ペトロ」という言い方は、ルカでは5章8節だけで、それ以外は「シモン」「ペトロと呼ばれるシモン」「ペトロ」などが用いられています。ちなみに「シメオン」と「ケファ(岩)」はヘブライ名で、「シモン」と「ペトロ(岩)」はギリシア名です。
【熱に苦しんでいた】原文は「シモンの姑が高熱を患って/高熱に悩まされて」とあって、マルコのやや不正確な言い方を正しく言い換えています。古代の医学では、マルコの言う起きあがれない状態を「高熱」、そうでない状態を「微熱」と区別していました。またマルコでは、イエスのほうから癒しを申し出たのか、あるいは弟子たちがイエスに知らせたのか、はっきりしません。ルカでは、「彼らは、彼女の病気のことについて/彼女に代わって、イエスにお願いした」とあり、その場の状況がよく分かるようになっています。「彼ら」は特定されていませんが、おそらく家族の人たちでしょう。
[39]【枕もとに立って熱を叱りつける】原文では、イエスは、彼女の枕元に近づいて、彼女の上にかがみ込むようにして、「熱よ、去れ!」と言って熱を「叱った」のです。「枕もとに立つ」というのは、彼女の枕もとで立ったまま身をかがめることです。ルカのこの描写には、イエスの御臨在がはっきり意識されています。また「熱を叱った」とあるように、御言葉によって癒しを行なったのです(マルコとの違いに注意)。「叱る」とあるのは、イエスが、嵐の湖を「叱った」(ルカ8章24節)とあるのと同じ言い方です。熱を「叱った」とあるのはルカだけで、マルコにもマタイにもありません。先の会堂での悪霊追放でも、イエスは悪霊を「叱った」とありますから、ルカは、マルコやマタイと違って、病気全体をも「悪霊」の仕業と見ているのでしょうか(ルカ13章16節参照)? ルカはここで、イエスが、病や悪霊に「捕らわれている/縛られているすべての人たちを解放するために」(ルカ4章18節)に来たことを語っているのです。
【すぐに起きて】ルカは「直ちに」を挿入して、癒しが即座に完全に起こったことをはっきりさせています。
[40]【日が暮れると】マルコではこの言い方が特に「安息日の終わり」を意味していました。しかし異邦人が多数を占めるルカの聴衆にとって、ユダヤ教の安息日問題はもはや直接関わりがありません。このためルカでは、「日が暮れる」は、マルコの言う「夕方になって」と同じ意味です。
【いろいろな病気で苦しむ者を抱えて・・・】原文の意味は「様々な病を患っている人たちを抱えて世話をしている人たちが、ことごとく、彼らの病人たちを連れてきた・・・」です。ルカは、病人たち本人よりも、彼らをイエスの所へ「連れてきた人たち」のほうに目を向けています。またイエスが、病人たち「ひとりひとりに」「手を置いて」癒されたとあって、イエスによる癒しの様子がよく分かるようになっています。
【手を置いて】いわゆる「按手」と呼ばれるものです。按手は、旧約聖書の時代から行なわれましたが、病の癒しのための按手は、旧約では少なく、イエスの特長です。ただし、イエスの病気癒しや悪霊追放は、同時にそれが、人々の霊的な「救い」を表わす大事な<しるし>となっていることに注意しなければなりません。「手を置く祈り」は、おそらくルカの時代の教会でも行なわれていたのです。按手はこのように、神の仕事に当たらせるための叙任/任命や聖霊の注ぎ、霊的な救い、身体の病の癒しなど、いろいろな意味を帯びて教会に受け継がれています。
[41]【悪霊もまた出ていった】マルコでは「病人や悪霊に取り憑かれた者を皆」イエスのもとへ「次々と運んできた」とありますが、ルカでは、病人を抱えている人たちが、病人たちを「連れてきた」のです。ルカの40節では、マルコの「悪霊に取り憑かれた者」が省かれています。その代わりに、ここ41節で、悪霊がイエスから逃げ出す様子が出てきます。これで見ると、ルカはここで、病気と悪霊とを区別しているようにも見えます。ルカの言う「悪霊」は、マルコよりも広い範囲を指していますから、「病気」との区別が、マルコほどはっきりしないところがあります。「悪霊」という言い方は、宇宙や世界や国家的な規模の意味から、悪質な圧制者や為政者たち、さらに現代で言う精神異常者からごく日常的な「悪い力」にいたるまで、いろいろな場合を指すからです。
【お前は神の子だ】ルカは、悪霊がどのようにして出ていったかを語っています。ただしここはマルコの3章11~12節から来ているのでしょう。ここの「神の子」は、マルコ1章24節の「神の聖者」と同じ意味です。ルカは、すぐ後で、この言い方を「キリスト」と言い換えていますから、ルカの頃にはすでに「神の子イエス・キリスト」という言い方がされていたと思われます。
【イエスをメシアと】原文は「イエスがキリストであることを知っていた」です。悪霊は通常の人が見わけられないことを感じ取ったのです。悪霊の叫びは恐れと憎しみと反感から出ています。悪霊の口から言われていることが、たとえ正しくても、言っている者によって、その正しいことも憎しみや恐れの表現に変わるのです。この場合ほどではありませんが、聖霊体験をした人は、時折、このような「いわれのない」反感や憎悪に出逢うことがあります。このような場合には、その相手と話し合ってはいけません。「とりあわない」ことです。「ものを言う」とは「言葉を交わす」ことです。これはその相手と「交わりを持つ」ことを意味しますから、こういう悪霊との出逢いの場合は、避けてください。イエスのように、よほど強い御霊の働きか導きがなければ、その場でその人のために祈ったり、関わりを持つことは危険な場合があります。
新共同訳では、文献批評の立場から、復活以前のイエスに対して「キリスト」という称号を用いるのを避けて、ここの原語「キリスト」を「メシア」と意訳しています。しかし、福音書は、歴史の資料ではなく、イエスの復活と救いを証しするためにキリストの御霊にあって書かれたという視点から見れば(文献批評を否定するのではありませんが)、ここの場合でも「キリスト」と訳すほうが正しいと思います。そうでないと43節の「神の国の福音を告げ知らせるために遣わされた」とあるイエスの御言葉とつながりません。
[42]マルコの場合と違って、ここでは人々が、イエスを「捜し回って彼の所まで来る」のです。民衆は、イエスに「見捨てられる」ことを恐れているのです。ルカは、イエスが、群衆から「離れて行く」という動詞を2回繰り返していますが、この動詞は、イエスがナザレから「離れて行く」のと同じです(4章30節)。ただしその状況は、群衆から追われるのと群衆から引き留められるのと全く逆です。ルカは明らかにイエスに対するこのふた種類の群衆の態度を対照させているのです。イエスは、群衆に追い出されるのでもなく、また群衆に引き回されるのでもなく、御国の福音をできるだけ多くの所へ「出て行って」伝えなければならないという使命に動かされているのです。マルコにはイエスが「祈るために出ていった」とあるのに、ルカがこれを除いているのは、おそらく、イエスのこのような決意を表わすためでしょう。
[43]マルコは「近隣の町々へ行こう」と現在形でイエスの姿を描いていますが、ルカでは、「わたしは、ほかの街々へも行かなければならないと言った」と過去形です。イエスが、神から「遣わされて」いることを強めているのです。なお、マルコでは「田舎の町」ですが、ルカの原語では「街々」となっています。ルカの時代ではキリスト教が都市を中心に広がっていたからでしょうか。
【神の国の福音を告げ知らせる】原文は、「(ほかの街々で)神の国を福音する」です。「福音する」は、「~で福音するために」のように過去形(アオリスト)の不定詞で、自動詞として用いられています。ここには、イエスが神によって遣わされたことがはっきりと告げられています。ルカでは、ここで初めて、「神の国」が出てきます。「神の国の福音」とはどのようなものなのか、それがこれから語られるのですが、ルカ福音書の聴衆や読者たちは、これをすでに聞いて知っているのでしょう。全世界に向けて福音が告げ知らされるというルカの救済史的な視野がここにも語られています。
[44]【ユダヤの諸会堂に】この節では、マルコにある「悪霊を追い出し」が省かれていて、イエスがガリラヤだけでなく「ユダヤ」にまで福音を伝えると語られています。ここでルカの言う「ユダヤ」は、もはやマルコの言う「ガリラヤとは別のユダヤ」のことではなく、パレスチナ全土を「ユダヤ」と呼んでいます。パレスチナから離れた所で書いている彼にとって、パレスチナ全体が「ユダヤ」なのです。
 以上見てきたとおり、マルコは、弟子たちの召命、カファルナウムの会堂、個人の家、癒しと悪霊追放、近隣の町への巡回をつないで、イエスの宣教を語っています。これに対してルカは、離れた所からギリシア人の視点で、(教会が行なっている)按手の祈りによって、「しるしと奇跡と不思議」のよい業を行なっているイエス(使徒言行録2章22節)を福音の救済史的な観点から見ているのです。

■マタイ8章
 マタイの8章14~15節は、マルコ1章29~31節を下敷きにして、マルコの記事を圧縮してまとめています。マタイは山上の教えに続く8章で、重い皮膚病の人と異邦人の僕のように、ユダヤ社会で差別されている人たちに与えられたイエスの癒しを語っています。これに続くここの姑の癒しも、社会的弱者としての女性に対する癒しの意味がこめられているのでしょう。出来事の設定がマルコやルカとは異なりますから、イエスが何時どのような状況でペトロの家に行ったのかは語られません。
 ここは、姑が熱を出している→寝込んでいる→イエスに触れて癒される→起きあがる→奉仕する、とあって、イエスの癒しを中心に置くことで、語り方が対称形に構成されています。マタイは、マルコと異なって、「シモン」ではなく「ペトロ」と呼んでいます。マタイの教会がペトロとつながりがあったからでしょう。ルカと同じように、ほかの弟子たちのことは出てきません。癒しの際にイエスが姑の「手に触れた」とありますから、これもマルコやルカとは異なります。またマルコと異なって、姑は自分で起きあがって、「イエスに」仕えます(マルコやルカでは「イエスの一行に」です)。マタイは、イエスだけに焦点を合わせて語っているのが分かります。
 14~15節に比べると16~17節には、マタイの独自性が表われています。ルカはマルコの「日が暮れると」で始めますが、マタイはマルコの「夕方になると」で始めます。ルカはマルコにある「病人」を先に癒しの対象としますが、マタイはマルコの「悪霊憑き」を先に出しています。イエスは、姑に「手を触れて」癒しますが、悪霊のほうは「言葉によって」追い出したとあるのが注目されます。マタイではまた、マルコやルカにあるイエスが悪霊に物言うことを禁じたことが省かれています。これは、続くイザヤ書の引用で、イエスの宣教の全体がまとめられていることから、不必要だと判断したからでしょうか。 
[15]【手を触れる】熱のある人に手を触れるのは、当時のラビの教えでは禁じられていました。また癒された姑がイエスに「奉仕した」とあるのは、イエスによって救われた人たちは、イエスになんらかの「奉仕」をすることが大事だという意味です。彼女も、イエスの巡回伝道に付き添って、金銭面をも含めて、イエス一向に奉仕した女性たちの一人になったのでしょうか。ここにはマタイの教会の教えが反映されています。
[16]【悪霊を追い出した】原語は「その霊を追い出した」です。「霊」それ自体は、善ともなり悪ともなりますが、ここではすぐ前に「悪霊憑き」とありますから、悪霊(ダイモニオーン)を指しています。マタイは、いろいろな悪霊憑きが癒しを求めてイエスのもとへ来たと伝えていますが、続く説明から、「病人」もその中にいたことが分かります。マタイは、悪霊と病人とを区別していないのかもしれません。
[17]17節はイザヤ書53章4節(前半)からの引用で、これはマタイだけです。マタイは、この引用を七十人訳からではなく、「確かに、わたしたちの病を彼は担い、わたしたちの傷みを彼は背負った。」と、直接ヘブライ語の原典から引いています。マタイ福音書には、旧約からの引用が多いのですが、この比較的短い引用は、中でも特に重要です。イザヤ書の53章は、メシアとして現われる者が、ヤハウェの「苦難/受難の僕」となることを預言した箇所だからです。イエスの復活を信じた人たちが、イエスの十字架の意味を諮(はか)りかねていた時に、十字架の意味を照らし出してくれたのがこの預言です。だから、この引用は、原初のキリスト教の出発点ともなりました。ここには、イエスがわたしたちの病気とわたしたちの傷を自分が担って十字架にかかったことがはっきりと証しされています。原初のキリスト信者たちは、この53章に基づいて、イエスによる自分たちの罪の贖いを信じたのです。
 ところが、このイザヤ書53章4節は、直接に受難の僕の箇所(同53章5節と11節)のことではないから、イエスの贖いの預言には当たらないとする説があります。このような解釈に対して、T・L・オズボーン師は、この4節こそイエスが、わたしたちの病と傷を担い贖ってくださった聖句であると確信して、イエスによる病気の癒しの伝道を世界的な規模で実践しました。彼は若い頃日本にも来ましたが、80歳を過ぎてもこの癒しの伝道を止めず、世界的な神癒伝道者として知られています。〔T.L.Osborn; Healing the Sick and Casting out Devils.Oklahoma; Tulsa. 1955.書名は『病める者を癒し悪霊を追い出す』/ オズボーン著『贖いの祝福』イルミネイター出版。2006年。〕

マタイ4章
[23]この23節は、ガリラヤ伝道の始めに置かれていて、マルコ1章39節以下やルカ4章44節以下と並行する部分です。したがってマタイは、ペトロの姑の癒しの部分だけを切り離して、これを8章で、重い皮膚病の人や異邦人の癒しと組み合わせたことになります。この節では「会堂で教える」こと、「御国の福音を伝える」こと、「病や患いを癒す」こと、これらがひとつに重ね合わされています。イエスにあっては、この三つはひとつです。マタイでは、この23節に続く24~25節は、山上の教えの状況を設定する導入となっていますので後に回します。またこの23節は、そのまま9章35節でも繰り返されていて、弟子たちを伝道に送り出す教えの導入にもなっています。
【諸会堂で教えた】マタイは「教える」ことを重視していて、山上の教え(5章~7章)だけでなく、伝道への教え(10章)、御国のたとえの教え(13章)があります。なお、ここの原文は「彼らの諸会堂」です。「彼らの」という言い方に注意してください。これは「ユダヤ教の」という意味です。同じユダヤ人でありながら、ユダヤ教を「彼らの」と言っているのは。マタイの頃(80年~90年代)には、すでにユダヤ教とキリスト教とが、はっきり分かれ始めていたからです。キリストの教会は、独自の信仰と教えを言い表わす必要に迫られていたのです。
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