第6章 律法の諸行
ガラテヤ2章15~21節
15わたしたちは生れながらユダヤ人であって、罪人と言われる異邦人の出ではない。
16しかしながら、人が義とされるのは、律法の諸行からではなく、イエス・キリストの信仰によるほかないのを知ったので、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。これは、キリストの信仰によって義とされるためで、律法の諸行によるのではない。なぜなら、律法の諸行によっては、「肉なる人間はだれ一人義とされない」からである。
17もしもキリストにあって義とされることを求めているこのわたしたちが、それでもなお罪人であると見なされるのなら、キリストは罪をもたらす者になるのだろうか。そんなことはない。
18もしわたしが、自分で壊しておきながら再びそれを建てようとするなら、自らを違反者だと証しすることになろう。
19このわたしは、律法によって律法に死んだ。神に生きるためである。キリストと共に十字架につけられている。
20だから、生きているのはもはやわたしでない。生きているのはわたしにあるキリストである。今肉によって生きているこの命は、神の御子の信仰によって生きている。この方はわたしを愛しわたしのためにご自分を与えてくださった。
21わたしは、神のこの恵みを無にしない。もしも律法によって義が得られるのなら、キリストは無意味に死んだことになる。
アブラハムへの契約
ガラテヤ人への手紙の注解書は、ほとんどの場合、パウロの福音を当時のユダヤ教の「律法主義」と対立させて論じている。パウロが使徒として、福音をユダヤ教の律法制度から「解放する」にあたって大きな役割を果たしたのは間違いない。同時にその彼が、エルサレムでファリサイ派として律法に熱心であったことも間違いない。とすると彼は、当時の最も熱心な律法主義から、復活のイエスの啓示を受けて、最も自由で「急進的な」キリスト教の使徒へ転身したことになる。
ところが彼は、エルサレムから見ると周辺地域に属するタルソというヘレニズム化した都市の出であり、ヘレニズム的な環境で育ったディアスポラ(離散したユダヤ人)のひとりなのである。その彼が、なぜエルサレムで熱心な律法主義者になったのか? その上でさらに、最も自由で「急進的な」福音の使徒となったのか? この謎がいっこうに見えてこない。彼がエルサレムで教育を受けていた頃のユダヤ教は、従来考えられていた以上にヘレニズム的で自由な学風であったと言われている。そうだとしても、そのことが彼の熱心な律法主義とは結びついてこない。
この疑問は、今回のガラテヤ人への手紙の2章15~21節を解釈する場合にもつきまとう。ただしこの段落は、続くガラテヤの人たちへの警告へとつながるものの、同時にペトロに向けられたパウロからの批判の続きとして読むこともできる。2章17節で、パウロを批判するユダヤ主義キリスト教徒たちが言わんとするのはこうであろう。
「あなたたちは、異邦人キリスト教徒たちに、アブラハム契約に基づく割礼も食物規定も守らせようとしない。律法を守らない者はアブラハム契約から除外された罪人にならなければならない。それゆえ、あなたたちの教えを受けた異邦人キリスト教徒たちは罪人である。だから、あなたたちの伝えるキリストは、罪を贖うのではなく、逆に異邦人キリスト教徒のみならず、彼らと食卓と共にするユダヤ人キリスト教徒までをも罪人にする結果になるではないか。だから、あなたたちの『キリスト』は、異邦人キリスト教徒を律法から除外して罪人のままにしておくだけでなく、ユダヤ人キリスト教徒までも新たに罪人の列に加えようとするものである。」
これはおそらく、アンティオケアでペトロ自身も受けた批判であろうが、これに対するパウロの答えとして、一般的な注解書があげている説明を要約するとほぼ次のようになるだろうか。
「イエス・キリストにある信仰は、人を律法から自由にする。ペトロもわたしも、キリストにいっさいを委ねてキリストを信じた。だから、わたしたちはもはや割礼や食物規定などの律法に煩わされる必要がない。キリストを信じた今は、律法から自由に生活することができるのだから。ペトロは、アンティオケアで、この方針を変えて、再びユダヤ教の律法へと逆戻りした。その結果、せっかく与えられていた異邦人キリスト教徒との共同の交わりが失われかけて、再び律法の束縛のもとに暮らさなければならなくなった。しかし、わたしパウロは、再び律法に逆戻りすることはしない。わたしはキリストを信じているのだから、律法から自由にされて生活することができる。」
だがこの答えでは、パウロに向けられた先の批判に十分応えているとは言えない。アブラハム契約と「罪人」との関係だけでなく、「キリストにある自由」と「律法」との関係もこの答えからは見えてこない。ここに要約した答えは、パウロの主張を主としてユダヤ主義者たちの「律法主義」と対立させている。しかしながら、パウロの当時のユダヤ教は、アブラハム契約に基づく割礼を始めその他の食物規定や安息日制度を、ユダヤ人としてのアイデンティティを示す生活のスタイルとして採り入れていたのであって、必ずしもこれらの律法制度を「神の前に義とされる」手段として意識していたわけではない。したがって、彼らの信仰は、「遵法スタイル」ではあっても、厳密な意味での「律法主義」ではない。だから、父祖アブラハムへの神からの契約とこれに付随する割礼に基づく彼らの遵法スタイルは、厳格に律法を遵守することによって神へ近づこうとする律法主義とは区別されなければならない。なぜならこのような遵法主義に基づく彼らの律法思想は、神の前で己の行為を「律法の諸行」として誇るためではなく、神がイスラエルを省みてくださることへの感謝を表わすための「神の愛に対する応答」以上に出るものではなかったからである。ディアスポラとエルサレムのユダヤ人とでは、「律法主義」にも温度差があったという説もある。しかし、一部の過激派を除けば、エルサレムのファリサイ派でさえ、ギリシア哲学の影響を受けて比較的柔軟に律法の解釈を行なっていたと考えられる。このことが、エルサレム滅亡以後も、ファリサイ派が生き残って、新しいユダヤ教の構築を可能にさせた要因となったのであろう。
比較的自由なユダヤ教の遵法主義者たちから律法に忠実であろうとする律法主義者たち、さらにこれらのユダヤ教徒に対応するユダヤ人キリスト教徒たち(たとえばペトロから義人ヤコブにいたるまで)、パウロを取り巻くこれらの人たちの間には、わたしたちが現在考えているよりもはるかに複雑で多様な幅があったのであろう。その中に、どうやらパウロを「罪人呼ばわり」している人たちがいたらしい(17節)。これに対するパウロの本心は、おそらくこうである。
「人が罪人であるかどうかを決めるのは、アブラハム契約に付随する割礼などを遵法するかどうかではない。『罪人』とは、神の御心に背く者のことである。イエス・キリストの啓示に顕わされた神の義に逆らう者こそ『罪人』ではないのか。神からの御霊の働きに与り、その御霊にあって充足されているわたしたちこそ、神の義に与る者である。この意味で『キリストの信仰』だけで十分であり、これに律法の諸行を付け加えてはならない。律法の諸行は、そのような意図を持って行なわれるなら、逆にキリストの信仰と対立することになる。」
これがパウロの真意に近い答えではあるまいか。だが、この答えでさえ、先のユダヤ主義者たちの批判にまだ十分に答えいるとは言えない。ここでは「罪人」の定義をめぐって、アブラハム契約に付随する割礼規定を基準にするのか、それともパウロの言う「神の義」を基準にするのか、というふたとおりの解釈が対立しているのが分かる。だからこそパウロは、3章でアブラハム契約と神の義との関係を明らかにしようとしているのである。ここ2章17節では、アブラハム契約との関連から見た「罪人」の意味が、パウロとユダヤ主義者たちとの間で食い違っているのが見えてくる。「罪人」の定義が、なぜ両者の間でこのように対立するのか? ユダヤ主義者たちの間で、遵法スタイルとキリストの福音とが共存できているとすれば、それはなぜなのか? これらの点がもう少し解明されなければならないだろう。
律法の諸行
当時のユダヤ人およびユダヤ人キリスト教徒たちの言わば「洗練された」遵法スタイルは、おそらくユダヤ教がヘレニズムの影響を受けた結果であろう。こういう遵法スタイルは、イエスをメシア・キリストと信じることによって神の義を受け入れることと何ら矛盾するところがなかった。この信仰に立つユダヤ人キリスト教徒たちにとって、割礼や食物規定などの外面的な律法遵守は、内面的なイエス・キリストの信仰と相互補完的に共存することができたからである。このような福音理解は、おそらく大多数のユダヤ人キリスト教徒に共通するもので、パウロもまたこの共通の理解の上に立って、「人が義とされるのは律法の諸行によるのではない」と言うことができたと思われる。だからユダヤ主義的なキリスト教徒からの批判に答えるパウロの応答もこういう背景を考慮に入れて理解されなければならない。
今回の2章16節では、「神の義」をめぐって、「律法の諸行」と「イエス・キリストの信仰」とが対立していて、「律法の諸行」がはっきりと否定されている。この対立がなぜなのかを改めて考える必要があると思うのだが、イエス・キリストにある「律法からの自由」とユダヤ主義的なキリスト教徒たちの「律法主義」という図式でこの対立を見ている限り、おそらくパウロと彼らとの違いは見えてこないであろう。問題の本質は、パウロの言う「律法の諸行」をめぐる彼と対立者たちとの違いにある。ここが見えてこない限り、事の本質は洞察できない。
パウロによれば、「律法」とは全世界に向けられた神の意志の表われであり、彼は「律法」の名の下に聖書のあらゆる箇所をまとめている(ローマ人3章19節)。「律法の諸行による」とは、律法を守ろうとする意志によって行なうもろもろの業(わざ)に依存することである。ではその意志それ自体が罪なのだろうか? そうではない。パウロは、たとえその意志は正しくても、律法は肉の人間存在にあっては「無力」であると言う(ローマ8章3節)。律法が肉にあって無力であるのは、律法が人間の罪を克服できないからである。ここには、肉の人間が無力だから律法を完全に「実行できない」ことと、肉の人間が律法を「実行しても」その実行は罪を克服できないことの二重の意味がこめられている。
ただしパウロは、律法の諸行がそれ自体で罪だと言っているのではない。律法を成就することが人にはできないからこそ、しかも律法の諸行は、必然的に行ずる者に神の前での誇りを植え付けるからこそ罪となる。律法を誇りとしながら律法を破る者こそ断罪されるのである(ローマ2章23節)。パウロは律法を知らない者あるいはこれを拒否する者ではなく、律法を「知りながら」これを「実行しない者」を糾弾する。だから異邦の民が、それとは知らずに律法の諸行を実行することを彼は神の前に善いことだと言う(ローマ2章14節)。律法の範囲内にいる者に対しては、神はその人に対して「態度を変える」のである。だからパウロは、律法それ自体を否定するのではない。律法によって善なるものを知ることができるからである。ローマ人への手紙2章6節以下では、「善を行なうこと」と「律法を実行すること」とが同じに価値あることと見なされている。「善を行なう」ことと「悪を行なう」こととが対比され、「律法を実行する」ことと「律法を知りながら破る」こととが対比されるのである。
パウロが契約的な遵法主義者を断罪するのは、まさにこの理由による。彼に反対するユダヤ人キリスト教徒たちは言う。わたしたちはアブラハム契約に基づく律法を遵守している。しかもイエスをメシア・キリストとして信じている。心ではイエスをメシアとして崇め、生活では律法に準じる生活をしている。これがイエス・キリストを信じる者のあるべき姿ではないのかと。アブラハム契約に基づく律法を守り、かつ十字架のイエスを信じるのが彼らのスタイルである。ところがパウロは言う。あなたたちは、律法を生活のスタイルとして遵法している。しかし、それが律法を完全に守ることなのか? あなたたちは律法を「知っている」。しかしそれは、律法をただ生活のスタイルとして慣習的に保持しているだけではないのか。しかもそのことを理由に自分たちが異邦人よりも神の御前に優越すると自負している。いったいあなたたちは神の律法をどう思っているのか? 律法は、人がこれを完全に実行して初めて、神の前に義とされるのではないのか? そうでなければ、律法は逆に呪いをもたらす結果になるではないか(申命記11章13~32節)? あなたたちの「遵法スタイル」とは、律法を知りながら律法を実行せず、異邦の民に対する偽善的な誇りのためにすぎないではないか? 律法の諸行にどこまでも生きて、これに絶するところまでいかなければ、律法を実行したとは言えないのではないか。
律法の鬼
だからパウロは、ユダヤ主義者たちが律法を守ろうとしていることそれ自体を非難しているのではない。そうではなく、彼らの律法遵守の「不徹底」を非難している。律法はこれをどこまでも守ろうとする者を死にいたらしめる。パウロ自身、このことを体験したからこそ、彼はユダヤ主義的なキリスト教徒を告発する。律法は、その全部を守らなければ呪いに転じると。
パウロは「人一倍の熱意」をもって律法を追求した。その結果、彼は「律法による死」へと導かれる結果に陥った。これがローマ人への手紙7章後半での彼の告白の意味であり、そこで彼は、「死」こそが、律法から解放される唯一残された道であることを悟ったのであろう。律法はこれを完全に行なわない限り、それは人類にとって「呪い」以外の何ものでもない。だからパウロは、律法の「呪い」から解放されたいと願ったのであって、「律法から」解放されたいと願ったのではない。律法はそれ自体で聖であり善なるものだからである。しかし律法は、これを「完全に」行なわない者には「呪い」となる。これがパウロの律法追求の行き着く先に見いだした結論である。
ペトロが律法へ逆戻りした時に、彼はペトロに言った。「あなたは、ユダヤ人でありながら、異邦人のように暮らすことができた」と。これは取りようによっては、ペトロに対する痛烈な皮肉である。「ユダヤ人」であるのなら、律法を完全に守り抜かなければならないはずだ。だがあなたたちにその覚悟があるのか。そもそも、ペトロもバルナバもその他のユダヤ人キリスト教徒たちも、それにユダヤ主義者たちも、律法を口にしてこれを守ると言いながら、パウロから見れば、彼らの律法追求は不徹底きわまりない。いったいあなたたちは、なんのためにまたもや守りもしない律法へと戻るのか。こうパウロは言いたかったのではあるまいか。少なくともローマ人への手紙2章では、彼はこのようにユダヤ人による律法遵守の「不完全性」を告発している。彼がこのように告発するのは、彼自身が誰よりも熱心に「律法の諸行」を追い求めたからにほかならない。律法の諸行の行き着く先は、日本風に言えば律法の「鬼」となることである。パウロは律法の「鬼」となった。彼が神の教会への熱心な迫害者になったとは、まさにそういうことであろう。そこまで行き着いた時に彼が見いだしたのが、「律法に死ぬ」ことである。だからパウロは、19節で「私は律法によって死んだ」と言う。
だからパウロは、律法そのものを否定しているのではない。またユダヤ主義的なキリスト教徒たちが、律法を守ろうとしているその行為を非難しているのでもない。彼らが律法を真の意味で「守らないから」非難している。律法を守り律法を通して死ぬところまで律法に徹しないから非難している。パウロは、一般にヘレニズム的な環境で育った自由な知識人だと思われている。だが、彼の外側の風貌に隠されたその信仰の内実は、例えばアモスや第二イザヤにさかのぼるような古風なヘブライの預言者の伝統に根ざすものではなかったであろうか。だから彼の律法観は、ヘレニズム的に洗練されていたと言うより、むしろイスラエル古代からのどちらかと言えば泥臭い真摯な律法観だったのではあるまいか。彼のヘレニズム的な知識人としての人となりと彼の律法観とのこの不思議な取り合わせが、イエス・キリストの啓示に接した彼をしてあのように独特の福音信仰へいたらしめる力となったのではないだろうか。この辺の事情は、イエスが一見ギリシア風の賢者に見えながら、その実、申命記に顕わされている古風なヘブライの霊性を受け継いでいるのと相通じるところがあろう。
律法の成就者
人は死によって初めて、律法から解放される。しかしパウロは2章19節で、自分の死後について語っているのではない。現在の自分の有り様について「律法に死んだ」と言っている。だが人間が人間である限り、律法を追い求める行為によって律法の目指す死へと向かうことはありえても、律法によって死ぬこと、まして、死ぬことで律法から解放されることはありえない。人は律法を追い求めることによって、死の苦しみを味あうことがありえても、生きている限りは、「律法に死んで」律法から「離れる」ことはできない(ローマ7章2~3節)。人が「律法に死ぬ」とは、いっさいの人間的な行為から離れている状態にほかならないからである。とすれば、そこに人間の働く余地は全くない。
だから、19節の冒頭の「わたしは律法によって律法に死んだ」という事態から、「神に生きるために」を媒介にして、後半の「キリストと共に十字架につけられている」が成就するためには、パウロとキリストとの出会いが生じていなければならない。言い換えるなら、「律法によって義とされる」ことを追求してきたパウロが、キリストとの出会いを通じて初めて、律法追求の最後を成就したと言ってもよい。「律法に死んだ」というこの完了形は、キリストにあって自分に生じた事態をそれまでの自分の歩みに反映させるところから出ているのであろう。この意味で19節には、パウロにおけるキリスト信仰の前後関係が凝縮されている(これに相当する他の箇所はローマ6章10~11節)。復活のキリストとの出会いによってパウロが受けた啓示とは、「律法に死んだ」ことの発見であった。だがこれは、パウロ自身の律法追求の結果として生じた出来事ではない。そうではなく、キリストの十字架に照らされて初めて、自分の律法追求の全過程の意義が啓示されたということであろう。それゆえに彼は、律法とは「関係なしに」神の義が啓示されたと言うのである(ローマ3章21節)。
しかしながら、イエスが救い主キリストとして、パウロにこの啓示をもたらすためには、イエス・キリスト自身が、律法の完全な成就者であり、しかも十字架を通して「律法によって律法に死んだ」者でなければならない。新約聖書は、イスラエルの律法が、神の御子イエスの人格(ペルソナ)において完全な姿で成就されたと証ししている(ヘブライ7章27~28節)。だからわたしたちは、マタイ福音書でイエスが語る山上の教えを適当に聞き流してはならない。「律法の一点一角も過ぎ去ることがない」というイエスの言葉を字義どおりに受け止めることを躊躇してはならない。イエスは、罪なくして罪人とされ、人類を罪から解放した。キリストは、律法を完全に成就し、しかも律法の呪いとされることで、人類を律法の呪いから解放してくださった。これが、パウロの伝えるイエス・キリストの十字架の意義である。
パウロと同じように、人は復活のキリストに出会って初めて、キリストによって十字架された己の罪とその罪の深さを聖霊によって啓示される。ここでは、イエスの十字架から復活を経て聖霊降臨へいたる時間の軸は、逆向きに聖霊降臨からイエスの復活を経て十字架へとさかのぼる。だからパウロは、自分の罪の自覚を通じてキリストの十字架へ到達したのではない。キリストによる罪の赦しによって、自己の罪の自覚へと導かれたのである。それゆえに、彼が「律法の諸行」を否定するのは、キリストの信仰がもたらした結果であって、キリストの信仰が律法の諸行を否定した結果もたらされたのではない。彼が、律法の諸行を否定して、キリストの信仰により頼むのは、キリストとの出会いから来る啓示による。言い換えるなら、彼は、彼の追求してきた「律法の諸行」それ自体が、イエス・キリストの御霊との出会いにあって「成就されている」ことを発見した。彼が、「律法の諸行」と「キリストの信仰」との両立を認めないのは、まさにこの理由からである。
このように見るならば、パウロにあっては、旧約の律法からキリストの御霊にある福音へいたる過程は、なめらかな継承関係によって生じたのではないことが分かる。むしろ、キリストの救いに照らされて初めて、律法からキリストへ、と言うより「律法の諸行」から「キリストの信仰」への「転換/回心」が生じたのである。この継承関係は「律法による死」すなわち十字架のキリストにあるパウロ自身の「死」を媒介にして成り立っている。このように判断するなら、パウロの律法理解は、彼がファリサイ派として律法に熱心だったことから来るのではないことになる。しかし、このような律法理解が、ほかならぬパウロに対して「啓示された」ことは、それが彼のそれまでの歩みとは無関係ではないことを裏書きしている。彼が「母の胎にいる時から」神は彼を選んでくださったと言うのは、こういう意味であろう。
イエス・キリストこそ十字架において律法の呪いを受けて、人を律法から解放してくださったという信仰がこのようにしてパウロにあって確立した。原罪を宿さないキリストが、人間の原罪を自らに引き受けることによって、人間を原罪から救う方となった。律法を完全に成就したキリストが、律法を成就しえない者への呪いとなることによって、律法の基準に達し得ない人を律法から救う方となるのである。
イエスはその人格において、旧約の律法に流れる神の愛と隣人愛を具体した人であった。彼は律法の根源に流れる霊性を人々に説いた。このために彼は、当時のユダヤの神殿制度に基づく宗教・政治体制とこれを支えていた律法体系を覆す全く新しい「律法解釈」に基づいて神の国を伝えることになった。その上で彼は、律法制度それ自体の犠牲となるために自らを捧げた。律法の呪いを一身に引き受けることによって、人間を束縛し隷従させる律法の呪いから人間を贖い出すためである。このようにして、イエス・キリストの十字架は、「律法の終焉」をもたらすことができたのである。
だからパウロもまた、復活のイエスから受けた御霊によって、イスラエルの律法の神髄を体現する者とされたと言えよう。彼は、自ら律法を学びこれを追求していたから、イスラエルの律法に潜む宗教的な呪縛を洞察し、かつこの呪縛から人間を解放するキリストの十字架の意義を体験することができたのであろう。またこれを人々に語ることができたのであろう。同時に、ヘレニズム世界に広がる諸宗教が希求する課題、天空に渦巻く霊界の呪いから人間を解放する道を見いだすことができたのであろう。
だからパウロは、イスラエルの伝統的な律法を捨てたのでも離れたのでもない。彼は、イスラエルのモーセ律法をその根源まで追求することに徹した。その結果彼は、モーセ律法のそもそもの源であるアブラハム契約へと行き着く。どこまでも根源へとさかのぼること。この「ラディカル」(根源的・急進的)な追求こそ、彼をしてユダヤ教の律法主義を根底から変革する者とならしめ、他のいかなるユダヤ主義者よりも急進的な律法体制の変革者へと転換させた。イエスとパウロが共有する御霊にある律法解釈は、宗教的権威と律法制度に向けられる絶えざる抗議の根拠である。この霊統は、常に創造し革新する神の御霊の力として、現在にも受け継がれている。
継承の根拠
パウロはこのように、イスラエルの宗教の根源へさかのぼることによって、律法を含む信仰それ自体をとらえ直した。これが、彼が拠って立つ継承の根拠である。一例をあげよう。
16世紀にイングランドの教会が、カトリック教会から独立して、イングランド国教会を形成しようとした時に、教会がその教義と信仰の拠り所としたのは、「ノルマンの征服」以前のアングロ・サクソン時代へとさかのぼることであった。イングランドは、1066年に、フランスのノルマンディー公ウィリアムによって征服された。彼はその年のクリスマスに、完成したばかりの聖ペトロ寺院(現在のウェストミンスター寺院)で、イングランド王ウィリアム一世として戴冠した。これがイングランドのノルマン王朝であり、同時にノルマンによる征服の始まりである。ヘンリ八世の離婚問題を機に、イングランドが固有の国教会制度を樹立した時に、イングランド国教会がその信仰の拠り所としたのは、11世紀以前の古アングロ・サクソン時代の教会への回帰である。イングランド各地の修道院に保存されていたサクソン時代の文書を蒐集したことから、それは「古文書主義」などと呼ばれた。
しかしイングランド国教会が目指したのは、単にノルマンによる征服からの脱却だけではなかった。彼らは、さらにカトリック教会の発祥時代、すなわち古代ローマ時代へとさかのぼって、イングランドの歴史それ自体を再構築しようとしたのである。それはローマ帝国統治下のブリタニア時代への回帰を意味する。彼らはなんと、ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』のローマ建国神話にまでさかのぼって、そこから「ブリテン王国」の歴史神話を汲み出そうとしたのである。このようにして形成されたチューダー王朝の神話は、19世紀のThe Great Britain(大英帝国)の形成理念へとつながった。イングランド国教会は、単にローマ・カトリックから独立しようとしたのではない。そうではなく、中世のヨーロッパを支配してきたカトリック公教会に「代わって」世界を統治しようとしたのである。大陸のプロテスタント諸派とイングランド国教会とは、この点で異なっていた。
17世紀に入って、イングランド国教会は、教会内部のピューリタンたちによって、さらに徹底した改革を要求されることになる。1642年に始まるピューリタン革命は、通常、大陸のカルビニズムやスコットランドの長老制に影響されたと言われている。しかしこの見方も皮相であろう。なぜなら、カルビニズムもスコットランドの長老制も、社会・国家と教会との制度的な一体化をその基本理念としていたからである。ピューリタン革命は、これら大陸のプロテスタント諸派の影響を受けてはいるが、中でも急進的と見なされている詩人のジョン・ミルトンたちは、そのような国家と教会との一体化を認めなかった。なぜなら、ミルトンは、教会制度の根拠をキリスト教がローマの国教となる以前の時代へ、すなわちコンスタンティヌス帝以前の教会に求めたからである。ミルトンが、彼の叙事詩の主題として、人類最初の体験となる「楽園喪失」を選んだのも、ひとつにはこの理由からである。この思想は、ジェネラル・バプティストなどによって唱えられる国家と教会との分離、すなわち後の政教分離へと発展した。イングランド国教会は、11世紀以前の古アングロ・サクソン時代へさかのぼろうとした。これに対してピューリタンは、これをさらに徹底させて、ローマ帝国によるキリスト教の国教化以前にさかのぼろうとした。両者に共通しているのは、教会のあり方の根拠を過去にさかのぼることによって再構築しようとしたことである。それは彼らが、アングロ・サクソンのキリスト教をして「次世代の」カトリック(普遍)教会とならしめようとする意図から出発したからである。このことは、継承とこれに伴う革新が、継承する側が継承される側から単に分離し独立することによって達成されるのではなくて、逆に継承する対象をどこまでも朔行することによって初めて可能になることを例示している。これが「継承の根拠」である。
パウロは、律法とキリストの福音との関係をたどることによって、モーセ律法をさらにさかのぼり、神がアブラハムに与えた契約へと行き着く。そこからパウロは、ユダヤ人も異邦人も平等にアブラハム契約を受け継ぐことができるという福音の根拠を指し示そうとする。彼はその根拠を「アブラハムの信仰」に見いだした。「アブラハムの神」の真実は、キリストを死からよみがえらせたことで証しされ、すべての人間は、同じ神の御子であるキリストの信仰によって、その死と復活に与ることができるとパウロは言う。パウロにあっては、「キリストの信仰」は、とりわけ異邦人をその視野を含んでいる。これはおそらく「アブラハムを通して、すべての民がその祝福に与る」という契約の成就から出ているのであろう。
律法の呪い
イエスを十字架刑に処したのがユダヤ人であるというのが、「ユダヤ人問題」の根源的な理由とされている。なるほど歴史的に見れば、イエスを十字架刑に処したのは、当時のユダヤの宗教的指導者たちとローマの権力であろう。イエスが処刑された背景には、当時のメシア思想が絡んでいたのは間違いない。わたしは、イエスが自分を「神の子」と意識していたとは思っているが、そのことを人々の前であからさまに語ったとは考えていない。しかし、人々がイエスをメシアだと信じ、彼を「神の子」と呼んだり「イスラエルの王」と称していたのは事実であろうと思っている。ヨハネ福音書によれば、このことがイエスの十字架刑と深く関わってくるのであるが、共観福音書ではむしろ、イエスとその弟子たちの行動が「律法に違反した」というのが、処刑の大きな理由になっている。彼の振舞が律法に反しているというこの理由は、ヨハネ福音書でも同様である。したがって、イエスが当時のユダヤの律法制度の犠牲となったと見るのは正しい。ヨハネ福音書の「ユダヤ人」も、共観福音書の「学者とファリサイ人」も、イエスを処刑に追い込んだのは、律法違反の行為であったと証ししている。このことと、パウロ書簡で律法主義者たちが、十字架の福音に反対する者として、パウロの批判を浴びていることとは無関係ではない。史的イエスも信仰のキリストも律法とある種の緊張関係に置かれている点では共通している。
しかし、そもそも「律法」とはなんであろうか? それは単に、モーセ十戒を中心とする律法体系を指すのではなく、あるいは祭儀的な律法制度のことでもないであろう。パウロは、「律法」という概念において、人間の宗教制度とこの制度に支配されている人間世界のいっさいの営みを総合的にとらえている。だからパウロでは、ユダヤ教の律法とヘレニズム世界のもろもろの諸宗教との区別は、キリストの福音の光に照らされる時に、本質的な意味を失うのである。パウロにとって、モーセ十戒を中心とする旧約の律法は、この世の諸制度の最高位に位置するとは言え、人間を束縛するもの、パウロ流に言えば人を「隷従させる」働き以上のものではない。旧約の律法は、この世のもろもろの秩序と共に、所詮「影」にすぎない(ヘブライ10章1節)というのが新約聖書の律法観である。だからパウロは、「律法に対して死ぬ」ことを人が「この世に対して死ぬ」ことと重ね合わせる(ガラテヤ5章14節)。「わたしはキリストにあって律法よって律法に死んだ」ことは、パウロにとっては、「わたしはキリストにあってこの世に死んだ」ことなのである。こうして、「生きているのはもはやわたしではない。わたしにあってキリストが生きている」という世界が開けてくる。
パウロの言うように、ユダヤの律法が、諸民族を支配するもろもろの霊力、すなわち「この世」を支配している政治権力や宗教的権威の頂点に位置しているとするならば、イエスを十字架刑に処したのは、いわゆる「ユダヤ人」ではなく、ユダヤの指導者層でもない。イエスは、人間を支配し隷従させる律法を中枢とする宗教制度とこれと結託する政治権力によって十字架刑に処せられた。こう考えるほうが適切であろう。だからこの事態は今も変わらない。もしも「ユダヤ人問題」があるとすれば、これこそがその本質である。
イスラエルの律法は「この世」の中心に位置し、そこには神の意志が表明されている。と同時に、そこには「この世の罪」も反映されている。律法は、善なるもの正しいことを知る知識を与えると同時に断罪と呪いを発するからである。これは全世界が「神の裁き」に服するためであり、同時に、その裁きに服することによって、キリストにある救いに与るためにほかならない。なぜなら人を「この世」から救う力は、キリストの御霊にある「新たな自己啓示」から来るのであり、その啓示は、神による人間の「再創造」をもたらすからである。
思えば古代メソポタミアの占星術師たちも、陰陽五行説に基づいて十二支の暦法を作りだした古代中国の陰陽学者たちも、2世紀のエジプトの天文・占星学者プトレマイオスも、平安時代の陰陽師安倍晴明も、この世を支配する天空の呪いを読み解き、これを祓う呪術を編み出すために必死の努力を傾けた。パウロは、これら異邦の呪術師たちが見ていた呪いの中核に神の律法を見ている。その上で彼は、この「律法の呪い」を解く鍵をイエス・キリストの十字架の死に見いだしたのである。キリストは、十字架において律法の呪いに自らを委ねることで、人類の罪の呪いを釘付けにし、そこからよみがえったからである。パウロはそこに、人類がアブラハムのはるか以前から探し求めてきた呪いを克服する鍵を見いだした。それが「律法の諸行」に代わる「キリストの信仰」である。