錯簡説に基づくヨハネ福音書(前編)
ヨハネ福音書には、錯簡(頁の入れ違い)があったのではないかという説があります。以下にあげたのは、この説に基づいてヨハネ福音書の順序を組み替えたものです。ただし、これは仮説ですから、これがヨハネ福音書ほんらいの姿であると誤解しないでください。現行のヨハネ福音書と順序が変わる箇所では、左の章節の番号が赤文字になっています。これを作成するに当たって、主として下記の著作を参考にしましたが、わたしなりの変更を加えています。また6章の再構成はブルトマン『ヨハネの福音書』186頁によっています。訳文は、新共同訳です。
J・H・Bernard. Gospel According to St. John. Vols. (T)(U). The International Critical Commentary. Edinburgh. T&T Clark.1928.
【み言が肉となった】
1:1.初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2.この言は、初めに神と共にあった。
1:3.万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4.言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5.光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6.神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7.彼は証しをするために来た。光について証しをするため、
また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8.彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9.その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
1:10.言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
1:11.言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
1:12.しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
1:13.この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、
人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
1:14.言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
1:15.ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。
「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
1:16.わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
1:17.律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
1:18.いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
【洗礼者ヨハネの証し】
1:19.さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、
1:20.彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
1:21.彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、
ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。
1:22.そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。
わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」
1:23.ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
1:24.遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。
1:25.彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ洗礼を授けるのですか」と言うと、
1:26.ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。
1:27.その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」
1:28.これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向う側、ベタニアでの出来事であった。
1:29.その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
1:30.『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。
わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。
1:31.わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」
1:32.そしてヨハネは証しした。「わたしは、”霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。
1:33.わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。
1:34.わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
【最初の弟子たち】
1:35.その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
1:36.そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
1:37.二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
1:38.イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
1:39.イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
1:40.ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
1:41.彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
1:42.そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
1:43.その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。
1:44.フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。
1:45.フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
1:46.するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
1:47.イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」
1:48.ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。
1:49.ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
1:50.イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」
1:51.更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
【ガリラヤへ行く】
(カナの婚礼)
2:1.三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2.イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3.ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4.イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5.しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
2:6.そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
2:7.イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
2:8.イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
2:9.世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
2:10.言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
2:11.イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
2:12.この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。
【エルサレムへ上がる】
(神殿から商人を追い出す)
2:13.ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。
2:14.そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
2:15.イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
2:16.鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
2:17.弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。
2:18.ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。
2:19.イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
2:20.それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。
2:21.イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
2:22.イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
2:23.イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。
2:24.しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、
2:25.人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。
(ニコデモとの対話)
3:1.さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2.ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:3.イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
3:4.ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5.イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
3:6.肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
3:7.『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
3:8.風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
3:9.するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
3:10.イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
3:11.はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
3:12.わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
3:13.天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
3:14.そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
3:15.それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
3:16.神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17.神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18.御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
3:19.光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
3:20.悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
3:21.しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
3:31.「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
3:32.この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
3:33.その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。
3:34.神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が”霊”を限りなくお与えになるからである。
3:35.御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。
3:36.御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」
【ユダヤの地方へ】
(イエスと洗礼者ヨハネ)
3:22.その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。
3:23.他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。
3:24.ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。
3:25.ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。
3:26.彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」
3:27.ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。
3:28.わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。
3:29.花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。
3:30.あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」
【サマリアへ行く】
(イエスとサマリアの女)
4:1.さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、
4:2.――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――
4:3.ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
4:4.しかし、サマリアを通らねばならなかった。
4:5.それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。
4:6.そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
4:7.サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
4:8.弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
4:9.すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
4:10.イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
4:11.女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
4:12.あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
4:13.イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
4:14.しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
4:15.女は言った。「主よ、渇くことのないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
4:16.イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、
4:17.女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。
4:18.あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
4:19.女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
4:20.わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
4:21.イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22.あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
4:23.しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
4:24.神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
4:25.女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
4:26.イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
4:27.ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。
4:28.女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
4:29.「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」
4:30.人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。
4:31.その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、
4:32.イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
4:33.弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
4:34.イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。
4:35.あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、
4:36.刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
4:37.そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
4:38.あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
4:39.さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。
4:40.そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。
4:41.そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
4:42.彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」
【ガリラヤへ行く】
(役人の息子を癒す)
4:43.二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。
4:44.イエスは自ら、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたことがある。
4:45.ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。
4:46.イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47.この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。
4:48.イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。
4:49.役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。
4:50.イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。
4:51.ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。
4:52.そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。
4:53.それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。
4:54.これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。
(5千人に食べ物を与える)
6:1.その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。
6:2.大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。
6:3.イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。
6:4.ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
6:5.イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、
6:6.こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。
6:7.フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
6:8.弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
6:9.「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
6:10.イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。
6:11.さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。
6:12.人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
6:13.集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の篭がいっぱいになった。
6:14.そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。
6:15.イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
(湖の上を歩む)
6:16.夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。
6:17.そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。
6:18.強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。
6:19.二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。
6:20.イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
6:21.そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。
6:22.その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。
6:23.ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。
6:24.群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。
(永遠の命にいたる食べ物)
6:25.そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。
6:26.イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
6:27.朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
6:34.そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、
6:35.イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して渇くことがない。」
6:30.そこで彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。
6:31.わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
6:32.すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
6:33.神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
6:28.そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
6:29.イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。
6:47.はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。
6:48.わたしは命のパンである。
6:49.あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
6:50.しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べるものは死なない。
6:51.わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
6:41.ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、
6:42.こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
6:43.イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。
6:44.わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6:45.預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
6:46.父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。
6:36.しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。
6:37.父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。
6:38.わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
6:39.わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
6:40.わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
6:52.それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
6:53.イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
6:54.わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6:55.わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
6:56.わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
6:57.生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
6:58.これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
6:59.これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。
(弟子たちの分裂)
6:60.ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
6:61.イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。
6:62.それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・・。
6:63.命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
6:64.しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。
6:65.そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
6:66.このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
6:67.そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。
6:68.シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
6:69.あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
6:70.すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」
6:71.イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。
【エルサレムへ上がる】
(ベトザタの池での癒し)
5:1.その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2.エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。
5:3.この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。
5:4.異本による訳文[彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。]
5:5.さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。
5:6.イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
5:7.病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8.イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
5:9.すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
5:10.そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」
5:11.しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。
5:12.彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。
5:13.しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。
5:14.その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」
5:15.この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。
5:16.そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
5:17.イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」
5:18.このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
(父と御子)
5:19.そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
5:20.父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
5:21.すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
5:22.また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
5:23.すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
5:24.はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
5:25.はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
5:26.父は、御自分の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
5:27.また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
5:28.驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
5:29.善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
5:30.わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
5:31.「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
5:32.わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。
5:33.あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。
5:34.わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。
5:35.ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。
5:36.しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
5:37.また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。
5:38.また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。
5:39.あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
5:40.それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
5:41.わたしは、人からの誉れは受けない。
5:42.しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。
5:43.わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。
5:44.互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。
5:45.わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。
5:46.あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。
5:47.しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」
7:15.ユダヤ人たちが驚いて、「この人は学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、
7:16.イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。
7:17.この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。
7:18.自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。
7:19.モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。
7:20.群衆が答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。」
7:21.イエスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。
7:22.しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。
7:23.モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。
7:24.うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」
【ガリラヤへ行く】
7:1.その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。
7:2.ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。
7:3.イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。
7:4.公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」
7:5.兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。
7:6.そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
7:7.世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、この世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
7:8.あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」
7:9.こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
【エルサレムへ上がる】
(仮庵祭でのイエス)
7:10.しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。
7:11.祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。
7:12.群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。
7:13.しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。
7:14.祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。
7:25.さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは人々が殺そうとねらっている者ではないか。
7:26.あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。
7:27.しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」
7:28.すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。
7:29.わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」
7:30.人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。
7:31.しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。
7:32.ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。
7:33.そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。
7:34.あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」
7:35.すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。
7:36.『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」
7:37.祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
7:38.わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
7:39.イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている”霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、 ”霊”がまだ降っていなかったからである。
7:40.この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、
7:41.「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。
7:42.メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」
7:43.こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。
7:44.その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。
7:45.さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。
7:46.下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。
7:47.すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。
7:48.議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。
7:49.だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」
7:50.彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。
7:51.「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」
7:52.彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」
[7:53.[人々はおのおの家へ帰って行った。
(姦通の女)
8:1.イエスはオリーブ山へ行かれた。
8:2.朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
8:3.そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
8:4.イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
8:5.こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
8:6.イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
8:7.しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
8:8.そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
8:9.これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
8:10.イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
8:11.女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」]
(イエスは世の光)
8:12.イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
8:13.それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
8:14.イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
8:15.あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
8:16.しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
8:17.あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
8:18.わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
8:19.彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」
8:20.イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
8:21.そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
8:22.ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
8:23.イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
8:24.だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
8:25.彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。
8:26.あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」
8:27.彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
8:28.そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
8:29.わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
8:30.これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。
(アブラハムの子孫)
8:31.イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
8:32.あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
8:33.すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
8:34.イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
8:35.奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
8:36.だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
8:37.あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
8:38.わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
8:39.彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。
8:40.ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。
8:41.あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、
8:42.イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。
8:43.わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。
8:44.あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
8:45.しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。
8:46.あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。
8:47.神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」
8:48.ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、
8:49.イエスはお答えになった。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。わたしは父を重んじているのに、あなたたちはわたしを重んじない。
8:50.わたしは、自分の栄光は求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。
8:51.はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」
8:52.ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。
8:53.わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」
8:54.イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。
8:55.あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。
8:56.あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」
8:57.ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、
8:58.イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」
8:59.すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。
(生まれつきの盲人を癒す)
9:1.さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
9:2.弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
9:3.イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
9:4.わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。
9:5.わたしは、世にいる間、世の光である。」
9:6.こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
9:7.そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
9:8.近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。
9:9.「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。
9:10.そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、
9:11.彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」
9:12.人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
9:13.人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。
9:14.イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。
9:15.そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」
9:16.ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。
9:17.そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
9:18.それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、
9:19.尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」
9:20.両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。
9:21.しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」
9:22.両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。
9:23.両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。
9:24.さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」
9:25.彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」
9:26.すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」
9:27.彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」
9:28.そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。
9:29.我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」
9:30.彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。
9:31.神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。
9:32.生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。
9:33.あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」
9:34.彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
9:35.イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。
9:36.彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」
9:37.イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」
9:38.彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、
9:39.イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
9:40.イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。
9:41.イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
10:19.この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。
10:20.多くのユダヤ人は言った。「彼は悪霊に取りつかれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。」
10:21.ほかの者たちは言った。「悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。」
(神殿奉献祭でのイエス)
10:22.そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。
10:23.イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。
10:24.すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」
10:25.イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。
10:26.しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。
10:27.わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
10:28.わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
10:29.わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。
10:1.はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2.門から入る者が羊飼いである。
10:3.門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
10:4.自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
10:5.しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
10:6.イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
10:7.イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。
10:8.わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。
10:9.わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
10:10.盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
10:11.わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
10:12.羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。狼は羊を奪い、また追い散らす。
10:13.彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
10:14.わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15.それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
10:16.わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
10:17.わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。
10:18.だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。
10:30.わたしと父とは一つである。」
10:31.ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。
10:32.すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」
10:33.ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」
10:34.そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。
10:35.神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。
10:36.それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしが神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。
10:37.もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。
10:38.しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」
10:39.そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。
【ヨルダンの向こうへ】
10:40.イエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された。
10:41.多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」
10:42.そこでは、多くの人がイエスを信じた。
(ラザロの死と生き返り)
11:1.ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。
11:2.このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。
11:3.姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
11:4.イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
11:5.イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
11:6.ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。
11:7.それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」
11:8.弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」
11:9.イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。
11:10.しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」
11:11.こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」
11:12.弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
11:13.イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。
11:14.そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
11:15.わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
11:16.すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
【ユダヤのベタニアへ】
11:17.さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
11:18.ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。
11:19.マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。
11:20.マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。
11:21.マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22.しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」
11:23.イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
11:24.マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
11:25.イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
11:26.生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
11:27.マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
11:28.マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。
11:29.マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。
11:30.イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。
11:31.家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。
11:32.マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
11:33.イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、
11:34.言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
11:35.イエスは涙を流された。
11:36.ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
11:37.しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
11:38.イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。
11:39.イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。
11:40.イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
11:41.人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。
11:42.わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」
11:43.こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
11:44.すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
(最高法院でのイエス処刑の決議)
11:45.マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。
11:46.しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。
11:47.そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。
11:48.このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」
11:49.彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。
11:50.一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」
11:51.これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。
11:52.国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。
11:53.この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
【エフライムへ退く】
11:54.それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。
11:55.さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。
11:56.彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか。」
11:57.祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。
【ユダヤに戻る】
(イエスに香油を注ぐ)
12:1.過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2.イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
12:3.そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
12:4.弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
12:5.「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
12:6.彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
12:7.イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
12:8.貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
12:9.イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。
12:10.祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
12:11.多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。
【エルサレムへ入城する】
12:12.その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、
12:13.なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」
12:14.イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。
12:15.「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」
12:16.弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。
12:17.イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。
12:18.群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。
12:19.そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」
(一粒の麦)
12:20.さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。
12:21.彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
12:22.フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
12:23.イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
12:24.はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
12:25.自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
12:26.わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
12:27.「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
12:28.父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
12:29.そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
12:30.イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
12:31.今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
12:32.わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
12:33.イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
12:34.すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」
12:35.イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
12:36.光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。
(これまでの結び)
12:37.このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。
12:38.預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」
12:39.彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。
12:40.「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」
12:41.イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。
12:42.とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。
12:43.彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。
12:44.イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。
12:45.わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。
12:46.わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
12:47.わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くために来たのではなく、世を救うために来たからである。
12:48.わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。
12:49.なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。
12:50.父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」
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