ヨハネ福音書におけるイエスの地理的行程
以下で、現行のままのヨハネ福音書におけるイエスの伝道の地理的な行程を確認しておきます。錯簡を含めて、この問題に関するあらゆる議論はここから始まらなければならないからです。
(1)イエス、ガリラヤから、ヨルダン川東岸(?)の死海への河口近くへ来る(1章28〜30節)。
(2)ヨルダン川の岸周辺から、ガリラヤのカナへ(1章43節/2章1〜2節)。
(3)カナから、家族と弟子たちを伴ってカファルナウムへ(2章12節)。
(4)カファルナウムから過越祭でエルサレムへ(2章13節)。
(5)エルサレムを離れて、ユダヤ地区の地方へ(3章22節)。
(6)ユダヤから、サマリアを経由して、ガリラヤへ(ナザレ?)(4章3〜4節/同43節)。
(7)ガリラヤのカナへ(4章46節)。
(8)ユダヤ人の祭り(ペンテコステ?/仮庵祭?)で、エルサレムへ(5章1節)。
(9)エルサレムからガリラヤへ戻る(本文には指示がありません)。
(10)過越祭に近い頃、ガリラヤ湖の東北岸(ベトサイダ?)へ(6章1節/同4節)。
(11)東北岸から、カファルナウムへ(6章24〜25節)。
(12)ガリラヤを巡回(7章1節)。
(13)ガリラヤから、仮庵祭でエルサレムへ(7章2節/同10節)。
(14)神殿奉献祭(キスレウの月:11〜12月)まで、エルサレムに滞在(8章1節/同20節/9章7節/10章22〜23節)。
(15)エルサレムから、ヨルダン東岸(?)へ(10章40節)。
(16)ヨルダン東岸からエルサレム近くのベタニアへ(11章7節/同15節/同17〜18節)。
(17)ベタニアから、サマリア領のエフライムへ(11章54節)。
(18)エフライムから過越祭でベタニアへ(12章1節)。
(19)ベタニアからエルサレムへ(12章12〜13節)。
〔A〕イエスの伝道活動は三度の過越祭を経ていますが、(10)の二度目の過越祭には、エルサレムへ上がっていません(7章1節参照)。
〔B〕イエスは(4)(8)(13)(19)と四度エルサレムを訪れています。
〔C〕もしも、錯簡説に従って、現行の5章と6章とを入れ替えるとするならば、(8)が、(11)と(12)の間に挟まることになります。だから「ユダヤ人の祭り」とあるのは、「近づいていた」(6章4節)とある過越になりましょう。これによって、イエスのエルサレム訪問は、3度共過越祭の時であったことになります。ただし、この場合、(12)の前に「この間にガリラヤへ戻る」を挿入しなければなりません。
〔D〕イエスは(13)の秋にエルサレムへ上ってから、次の過越祭までユダヤ(とエルサレム)に滞在していたことになります。したがって、マルコ=マタイ福音書は、イエスの伝道活動の重点をガリラヤに置いていますが、ヨハネ福音書は、ガリラヤと同じくらいエルサレム周辺での活動を重視していることになります。ルカ福音書は、両者の中間を取り、ガリラヤからエルサレムへの旅程の間に、イエスの伝道の重要な部分を置いているのが分かります。
〔E〕現在一般に推定されているように、イエスの十字架刑が30年の過越祭の時だとすれば、上の行程に従うと、イエスは、27年の秋の種蒔き時が終わった頃か、あるいは28年の始めに?、ヨルダン川で洗礼を受け、その直後、ヨルダン西岸とエリコの間の荒れ野で40日間の試練を受けてから、ガリラヤへ戻ります。そこから、28年の春の過越にエルサレムを訪れ、再びサマリアを経由してガリラヤへ戻ります。現行の順序だと、28年に?祭りでエルサレムを訪れますが、再びガリラヤへ戻ります。29年の過越には、エルサレムへ行かず〔錯簡説をとれば29年の過越にエルサレムを訪れ、それからガリラヤへ戻り〕、29年の仮庵祭の秋にエルサレムへ上がり、そのまま30年の過越祭まで、エルサレムとヨルダン川を含むユダヤ地域周辺にいたと想定されます。
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