イエスの愛弟子
 ヨハネ福音書には、「イエスが愛した弟子」のことが全部で5回でてきます。以下でこれら5回の場合を見ていくことにします。

(1)13章23節。ここでこの弟子が初めてでてきます。この弟子は最後の晩餐にいたのですから、十二弟子の一人であったことになります(マルコ14章17節/マタイ26章20節)。しかしヨハネ福音書では、この席にいたのはイエスの愛する「世にいる弟子たち」(13章1節)とあるだけですから、出席者は、必ずしも十二弟子に限定されているわけではありません。ヨハネ福音書の場合も十二弟子たちだけと見ていいと思うのですが、ほかにだれも「いなかった」ことにはなりません。この曖昧さが、12人とは別に「愛する弟子」がいたという説を生じることになります。
 この食事は過越ではありませんが、その様式は過越の伝統に準じています。過越の食事では、会食する人たちは、通常食卓に左肘をついて身体を支え、体を左に傾けて横になり、右手で食事を採ります。ただし、晩餐の主人役であるイエスは、身体を起こしていたと思われますから、イエスの右側にいる人が、体を傾けたままイエスに近づくと、ちょうど「イエスの胸もとによりかかる」格好になります(この解釈と異なる説もあります)。ただし、「イエスの胸もとに」とある原文は、1章18節の「父のふところにいる」と同じ言い方ですから、イエスが父との深い交わりにあるように、その弟子もイエスとの特別な交わりにあることが「イエスの愛しておられた」にこめられているのでしょう。
 通常、食事の席では、イエスの第一弟子は、イエスの左側に座ることになっています。だから、イエスの右側にいるこの愛弟子は、必ずしも第一弟子ではなかったことになります。もしも、ペトロが、第一弟子として左側にいたとすれば、わざわざ右にいる愛弟子に合図を送って尋ねさせる必要がありませんから、ペトロはイエスの左にいたのはありません。ペトロとこの愛弟子とでは、愛弟子のほうがよりイエスに近い印象を受けます。少なくとも彼は、ペトロに優るとも劣らない立場にいたのです。
(2)19章26節。ここは「愛する弟子」"the Beloved Disciple"となっています。この弟子はイエスの母と共にイエスの十字架刑に立ち会っています。この時、十二弟子は全員逃げ去ったとありますから(マルコ14章50節/ヨハネ16章32節)、この弟子だけがその場に居合わせたことになります。ただし、ルカ23章49節には、女性以外にも「イエスを知っていた人たち」がそこにいたとありますから、ルカ=ヨハネ福音書の伝承では男性もいたことになります。「女性だけ」はマルコ=マタイ福音書の伝承です。イエスは、十字架の上から、母に向かって、愛弟子のことを「あなたの子です」と告げます。これは、この弟子を母の正式の養子にするように遺言したことを意味します。死の間際に母を誰かに託すのは、ユダヤだけでなく、ヘレニズム世界で行なわれていたことです。
  2世紀の教父エイレナイオスとポリュクラテスの証言によれば、最後の晩餐で「主の胸によりかかった」この愛弟子は、ゼベダイの子ヨハネであり(マルコ1章18節)、この使徒ヨハネがヨハネ福音書を著わしたことになっています。ヨハネ19章25節では、十字架の場に「イエスの母とその姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア」の4人の女性がいたとあります。
 マタイ27章56節とマルコ15章40節を併せると、「ゼベダイの子らの母」と「サロメ」とが同一人物として対応することになり、彼らの母の名前が「サロメ」になります。その上で、ヨハネ福音書が言う「クロパの妻マリア」と、マタイ=マルコ福音書が言う「小ヤコブとヨセの母マリア」とが同一人物だとすれば、ヨハネ福音書の「イエスの母の姉妹」は「ゼベダイの子らの母サロメ」のことになります。こうして、マルコ福音書の「サロメ」=マタイ福音書の「ゼベダイの子らの母」=ヨハネ福音書の「イエスの母の姉妹」という伝統的な解釈が生じることになります。
 もしも「ゼベダイの子らの母」が「イエスの母の姉妹」だとすれば、使徒ヨハネとイエスはいとこ同士になり、イエスの母マリアは、使徒ヨハネの叔母にあたることになります。だから、イエスが、母をこの愛弟子に委託するのは自然だと思われます。
  ヨハネ福音書の伝える「愛弟子」は、ゼベダイの子、使徒ヨハネであり、彼がヨハネ福音書を著わしたという伝承は、今でもこれを指示する人が少なくありません。この伝承を疑う説も多く確かなことは分かりませんが。このように、「イエスの愛弟子」は、ヨハネ共同体の始祖はだれか? ということだけでなく、ヨハネ福音書の著者問題とも結びついてきます。
(3)20章2節。ここでは「イエスの愛しておられたもう一人の弟子」とあります。ここでの「愛する」(ギリシア語「フィレオー」)は、ほかの4回の原語(「アガポー」)と異なりますが、意味は変わりません。また「もう一人の」というのは、先にでてきた愛弟子とは別にもう一人いたという意味ではありません。この節のように、愛弟子はペトロと対になってでてくることが多いので、18章15節にでてくる「大祭司と知り合い」の「もう一人の弟子」もこの愛弟子を指すと考えられます。ただし、彼がもしゼベダイの子であるとすれば、漁師の子が大祭司と「知り合い/親戚」であるとは考えにくいので、これは「大祭司の家に属する者」(その家で働いている人)と知り合いであるという意味でしょう。
(4)21章7節に先立つ21章2節に、ペトロを初め、トマスとナタナエル、ゼベダイの子たちと、ほかに二人があげられています。共観福音書では早くからでてくる「ゼベダイの子たち」が、ヨハネ福音書にその名前がでるのは、ここだけです。だから、21章7節の「イエスの愛しておられたあの弟子」はゼベダイの子ヨハネを指すと考えられますが、「ほかの二人の弟子」の一人とも考えられます。この愛弟子は、ペトロよりも目ざとく、復活のイエスを認めていることが分かります。
(5)21章20節では、イエスは、ペトロに「わたしに従え」と命じた後で、愛弟子について、「たといわたしが来る時まで彼が生きていることをわたしが望んだとしても」と告げます。イエスの言葉から判断すると、愛弟子は、そうとう長く存命していたと推定されます。しかも、この人は、ペトロに次ぐ大使徒あるいは指導的な教師であったことになります。さらに21章24節には「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である」と明言されています。「これらのこと」の内容を21章に限定する解釈もありますが、ここでは、ヨハネ福音書全体の内容に関わる目撃者として「彼が証言した」と受け取るほうが自然でしょう。同時にこの24節は、21章を書いている人物が、イエスの愛弟子では「ない」ことをも表わしています。おそらく、この結びを書いたのは、イエスの愛弟子を始祖とするヨハネ共同体の指導者で、かつ始祖の弟子の一人であった人物でしょう。この人が、ヨハネの手紙の書き手である長老ヨハネだとする説もあります。だとすれば、この長老ヨハネは、師である始祖の証言に基づいて、ヨハネ福音書の編集に携わったと推定できましょう。
 これらの節が伝えることから判断すると、最後の晩餐でイエスの右に座し、ペトロと共に復活の証人となり、ペトロと並んで指導的な役割を果たした「イエスの愛する弟子」の存在が浮かび上がってきます。エイレナイオス以来の伝承によれば、この人物こそ使徒ヨハネであり、ヨハネ共同体の祖であり、かつヨハネ福音書を著わした指導者です。ただし、ガリラヤの漁師にこのような福音書を著わす能力がはたしてあるのか? という疑問も含めて、この伝承を否定する説も多く、確認はできません。しかし、少なくとも、霊的に優れた指導者がヨハネ共同体の始祖であり、かつヨハネ福音書を著わす(あるいは口頭で伝授する)のに大きな役割を果たしたことが分かります。先に述べたように、この人物は、十二使徒とは別にいた人で、彼が「長老ヨハネ」であるという説もあります。しかし、わたしたちは、この始祖が使徒ヨハネであったと「確かではないがある程度の確信を持って」〔C・K・バレット〕言うことができると思います。
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