「独り子」について 以下は、ブルトマン『ヨハネ福音書』の注とTDNT(4)などを参照して、「モノゲネース」(独り子)に関する用例のまとめです。「モノゲネース」という概念は、太古からあり、旧約時代を経て新約時代へ続き、さらに2世紀のグノーシス思想にいたるまで用いられています。この語は、「父の独り子」として父と子の独特の関係を表わすと共に、一貫して「理性/知性」などとの関わりが深い用語です。
(1)「モノゲネース」というギリシア語は、ほんらい兄弟姉妹のいない独り子のことです〔TDNT(4)739〕。七十人訳でも「モノゲネース」は、士師記11章34節に「彼の唯一の娘」としてでてきます。エフタが、闘いに勝利した時には、最初に出迎えた者を神への燔祭として献げると誓ったために、一人娘を犠牲にする物語です。これのヘブライ語「ヤーヒード」は、「唯一の」「たった独り」の意味です。士師記では「かけがえのない愛し子」の意味で「モノゲネース」と訳されていますが、「ヤーヒード」も同様の意味です(エレミヤ書6章26節/箴言4章3節を参照)。特に知恵の書7章22節に「この(知恵の)霊はモノゲネース」とあるのが注目されます。
創世記22章2節では、アブラハムが「かけがえのない独り子」の息子イサクを犠牲に捧げる際に、神はアブラハムに「あなたが愛してきたあなたの愛(いと)し子であるイサクを(捧げよ)」と呼びかけています。ここで言う「愛し子」がヘブライ語「ヤーヒード」とギリシア語「モノゲネース」に相応します。新共同訳が、ここを「あなたの愛する<独り子>イサク」と訳しているのは適切です。これから判断すると、ヨハネ福音書の「モノゲネース」は、創世記の「愛し子」の意味に近いでしょう。
(2)なお、形容詞の「愛する」(ギリシア語「アガペートス」)は、新約では、イエスの洗礼に際して聖霊が天から降るときの「愛する子」に用いられています(マルコ1章11節/マタイ3章17節/ルカ3章22節)。これは、旧約での用法が受け継がれているのでしょう。また、イエスの山上での変貌の際にも「愛する子」がでてきます(マルコ9章7節/マタイ17章5節)。
しかし、イエスが父なる神の「独り子」であることの真意を明らかにしているのはヨハネ福音書だけで、イエスとイエスの父である神との独特の関係を表わしています〔TDNT(4)740〕。イエスは、その父と「すべてを分かち合う」という意味で(17章21〜23節)、神の「御子」だからです。ヨハネ福音書の「神の独り子」は、おそらく、先在のロゴスとして「生まれた」ことをも示唆するのではないかと思われます〔TDNT(4)741〕。ちなみに、新約で、「モノゲネース」がでてくるのは、通常の「一人息子」としてルカ福音書で三回と、ヘブライ11章17〜18節にイサクについて一度ですが、イエスについては、ヨハネ1章18節/3章16節/同18節/第一ヨハネ4章9節の4回です。ヨハネ系文書では、キリスト者は「神の子(テクノン)」ですが(ヨハネ1章12節)、イエスは「神の子(ヒュイオス)」です(1章34節)。
(3)古代バビロニア神話で宇宙の創造を語る『エヌマ・エリシュ』は、古代バビロニア王国でバビロニアの主神マルドゥクに奉納された祭儀文です。『エヌマ・エリシュ』によれば、世界が生まれる以前には、「淡水」をあらわす男神アプスーと、原初の海で「塩水」をあらわす女神ティアマトと、生命力を代表するムンムが存在していました。アプスーとティアマトから5代目に、知恵の神エアが生まれ、その息子がマルドゥクです。ところが、父神アプスーが、自分の子孫たちを滅ぼそうとしたので、この父神は、逆に自らの子孫であるエアによって殺されます。太母ティアマトは、夫が殺されたのを怒り、毒蛇やキングと呼ばれる竜を造って、アプスーの仇を自分の子孫にかえそうとしますが、エアの息子マルドゥクは、大風を吹かせて彼女と竜を倒し、ティアマトの母体をふたつに裂いて、天のドームと大地とを造り、その彼女の体から森羅万象が産まれ出たとあります。 「ティアマト」は、創世記冒頭の「深淵」を意味するヘブライ語「テホーム」の語源であり、世界が創造される以前の「原初の深淵」を意味します(「テホーム」は「ティアマト」がヘブライ語としてなまったもの)。彼女は大自然が母性として現われる太母(たいも)です。また、マルドゥクが、彼女の体をふたつに裂いて天井をつくり天の水を統治させたのは、創世記で、神が水をふたつに分ける大空の創造と類似しています。後のギリシアでは、ここにでてくる「ムンム」は、アプスーとティアマトとの「独り子」(モノゲネース・パイス)と呼ばれており、ムンムは「知性の世界」(コスモス・ノエートス)を表わすと解釈されました。このムンムは創世記1章にある「深淵の面を覆う霊/風」に対応するのでしょう。
(4)ギリシア神話では、ヘーシオドスの『神統記』(『テオゴニア』)426行に、女神ヘカテが「ひとり娘」(モノゲネース)だと語られています。ヘカテも古くは太母として拝されていましたが、後には不気味な呪いの女神と見なされるようになりました。このように、古代ギリシアでは、「モノゲネース」は、冥界の不気味な霊の働きと関連づけられる場合が希でありません。
(5)プラトンが宇宙論を語る『ティマイオス』では、宇宙は、父である半~(デーミウールゴス)によって生まれた「理性的なものの似姿」であり、この半~は「知覚できる神」と見なされています。「父が産んだこの宇宙の魂(プシュケー)が、動いて生きるもの、永遠の神々が喜ぶものであるのを認めて、父も喜んだ」とあります〔プラトン『ティマイオス』37C.Loeb Classical Library. Timaeus.74.〕。この宇宙(コスモス)は、二つあるいは無数にあるのではなく、わたしたちの宇宙は「唯一生まれた(モノゲネース)天(ウーラノス)」だとあり(プラトン『ティマイオス』31B.前掲書58頁)、また、この知覚できる神(宇宙)は、「唯一/無比(モノゲネース)である単一の天/創造(ウーラノス)」とあります〔プラトン『ティマイオス』92C.前掲書252頁〕。ここでの「モノゲネース」は「完全無比」で唯一独特を意味します。
(6)2世紀におけるグノーシス神話では、「モノゲネース」は、「子」(ヒュイオス)、「人間」(アントロポス)、「父の像(エイコーン)」、「理性」(ロゴス/ヌース)などと組み合わされてでてきます。これらの用語は、すべて汎神論的な宇宙(コスモス)を表すか、あるいは二元論的な視点から見た場合の根源的な「単一の」世界を指します。グノーシスでは、「神」は父であり、「知識」(エピステーメー)は母であり、「宇宙」は「唯一(モノゲネース)の愛された(アガペートス)子」です。グノーシス思想を代表するヴァレンティノス派では、「モノゲネース」は原始の「深淵」を指していて、「思考」(エンノイア)と「意志」(テレーシス)はそこから生じています。2世紀のグノーシス主義者たちは、ヨハネ福音書のロゴス賛歌を始め、ヨハネ福音書全体を利用しました。しかし、2世紀のこのようなグノーシスの用法を1世紀末のヨハネ福音書にさかのぼらせて、この福音書の解釈に適用することはできません。
(7)初期の正統派の教父アレクサンドリアのクレメンス(150〜215年頃)は、その『ストロマティス』(Z巻16章6節)で、「独り子(モノゲネース)である方」すなわちイエスについて語っています。これは、グノーシス思想の「偽りのモノゲネース」に反論するもので、この点で言えば、エイレナイオス(2世紀半ばから3世紀初頭?)が「モノゲネース」に言及する時にも、クレメンスと同様の意図からです。
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