『ソロモンの頌歌』
 ここでは、ヨハネ文書とほぼ同じ頃に、しかもヨハネ福音書と似通った宗教的状況にあると思われる『ソロモンの頌歌』について述べたい。この文書は、今世紀になって、その全体が知られるようになった。これの発見と編集過程は複雑である。ここでは、大貫氏の概説『ソロモンの頌歌』[279ー98]に基づいて、これの概要を紹介するに止めたい。
 『ソロモンの頌歌』は、6世紀の「偽アタナシウス」の『聖文書一覧』に出ており、また9世紀初頭の『ニケフォロスの行数表』(正典文書の行数表)の中で「ソロモンの詩篇と頌歌」と一括した題名で出ているので、その存在が知られていた。ところが、1812年に、デンマークのミュンター司教が、大英博物館のコプト語の写本コレクションに含まれていた「ピスティス・ソフィア」と呼ばれる古写本に、『ソロモンの頌歌』と題して5回引用されていることをつきとめた。これによって、頌歌が詩篇とは独立した作品であることが分かったのである。現在これのシリア語写本二つとコプト語写本一つとギリシア語のパピルス断片とが発見されている。
 シリア語写本Hは、1909年に、J・R・ハリスによって発見され、この年に出版された。写本は現在マンチェスターのジョン・ライランド図書館に所蔵されている。この写本は、『ソロモンの詩篇』のシリア語訳と通し番号で一連になっている。『ソロモンの詩篇』は、ファリサイ派律法主義の傾向が強いが、頌歌のほうは、逆にグノーシス的な特徴を含むので、両者の傾向はかなり異なっている。『ソロモンの詩篇』のほうは、すでにこれのギリシア語原典が知られていた。しかし、一つながりの編集の中から、『ソロモンの頌歌』だけを特定する仕事は、ハリスの学識と洞察による他はなかったようである。写筆は13世紀~15世紀と推定される。シリア語写本Nは、1912年に、バーキットによって、大英博物館のシリア語写本の中から発見された。これも他の作品と合本されていて、先の場合と同様に、「ソロモンの詩篇」と連続していた。これの写筆は10世紀~13世紀と見られている。ギリシア語断片は、1955年~56年に、スイス人ボドマーが手に入れた物で、『ソロモンの頌歌』と題してこれの第11頌歌が発見された。3世紀にコプト人によって写筆されたと思われる貴重な断片である。
 『ソロモンの頌歌』の原語に関しては、ギリシア語説やヘブライ語説もあるが、現在では原本シリア語説が最も有力で、「エデッサ地方のシリア語に近いアラム語」〔大貫287とする説もある。これの編集が完成した時期は、2世紀前半と考える説が有力であるが、それより早い時期をとる説もある。しかし、これの原本は、エルサレム神殿がまだ存在していた紀元70年以前にさかのぼると考えることができる。
 ハルナックは、『ソロモンの頌歌』を、本来キリスト教と無関係なユダヤ教の文書であったものが、編集によってキリスト教化されたと考えた。しかし、現在では、ユダヤ教の伝統を背後に持つキリスト教内部から出た文書であると考えられている。したがって、この頌歌は、ヨハネ福音書と同じ頃に、しかも これと似た長い編集の過程を経て成立したことになる。この頌歌は、それが書かれたり訳されたりした経過からも分かるように、明らかに、東方教会系の文書である。このことはこの文書の意味を考える上で重要だと思う。以下に、この頌歌の特徴を幾つかあげて、その全体像を素描してみようと思う(頌歌からの引用は、すべて大貫訳による)。
愛と安らぎ
 『ソロモンの頌歌』の主旋律は「愛」と「安らぎ」であり、これに副旋律として「光」と「不死」が加わる。鍵となるこれらの言葉は、ヨハネ福音書に現われる「愛」「命」「光」「闇」「真理」などと重なる部分が多い。

 これらの節は、どれもこの頌歌の持つ雰囲気を的確に言い表わしている。そこに漂うある種の甘美さは、旧約の雅歌の伝統を感じさせる。実際、次の節は、明らかに雅歌を踏まえていると言ってよい。

  この頌歌には旧約の詩編の影響も見られる。しかし、ここに流れるある種の高雅な調べは、賛美の詩と雅歌とが合体した趣があり、もしも、この頌歌が正典に入れられていたならば、「新約の雅歌」と呼ばれていたかもしれない。
聖霊
 聖霊は、この頌歌の本質である。それだけに、ここで歌われる聖霊は、とかく「異端審問」の立場から教義的な吟味の対象となり、その「グノーシス性」が問われてきている。確かにこの頌歌には、そのような「嫌疑をかけられる」傾向がないとは言えないであろう。この頌歌は、ある特定の個人が、これの作詞に大きな役割を果たしていると推定される。しかしながら、そのことは、この頌歌が、一つのまとまった宗団内で、その宗団全体の礼拝の中ら生まれたことを排除するものではないであろう。個人の作者にせよ、彼の所属する宗団にせよ、そもそも、このような異端審問的な嫌疑は、おそらく彼(ら)の念頭になかったであろう。ヨハネ宗団よりも、さらに閉じられた共同体内部でこの頌歌が用いられていたとすれば、おそらく彼(ら)は、外部からの教義的な詮索をそれほど意識していなかったのではないかと思う。聖霊は、次の節が示すように、この頌歌の神髄なのである。

  最後の引用は、ヨハネ福音書のイエスの言葉3章8節を思わせて、聖霊に奏でられて歌う作者の心根を巧みに伝えている。「主」とは、ここでは、「キリスト」を指している。「主の霊」は、この頌歌では、「人間の霊」と区別されているのに注意しなければならない。この意味で、私は、この頌歌で歌い語られているキリストのみ霊は、新約聖書のそれと本質において同じであると思っている。確かに、私たちは、この詩全体の中に、後期グノーシスの萌芽を思わせる箇所を散見するけれども、それはまだ「兆し」の段階であって、その意味でなら、エフェソ人への手紙にもコロサイ人への手紙にも、そのようなグノーシス的な兆しを読みとることができるのである。「風が立琴を<通り抜ける>」とあるように、ここでの聖霊が、人間存在それ自体と区別されて、それが、超越した神からの御霊として描かれているのに注意したいと思う。
 「不死なる水」とは、洗礼の水のことを指している。ただし、この頌歌では、礼典はほとんど内面化された「霊の礼典」の意味に他ならないから、ここでも、洗礼の水が表わす表象性は、聖霊によるバプテスマ体験と重ね合わされている。ここでは、新約聖書の洗礼の本来の意味が、この頌歌に保持されていると考えることができる。読者は、この引用から、エフェソ人への手紙(5:17~19)を思い出すであろう。ただし、「酩酊」という表現から、ここでの聖霊体験を、グノーシス的に解釈して、人間的な自己陶酔のことであると速断してはならない。「無知」と「徒なこと」から遠ざかる聖霊の働きが、どのようなものかを精密に定義することは難しいが、ここでの聖霊の働きが、直ちに「グノーシス的な知」の営みを表わしていると考える必要はない。エフェソ人への手紙にあるように、ここで語られている聖霊も、パウロ系の教会の説く聖霊の働きとそれほど違っているとは思われないからである。
  ハリスは、この頌歌を、旧約の詩編→初期ユダヤ教のタルグーム→ヨハネ系文書→使徒教父(特にイグナティオス)という正統キリスト教の系譜の上に置いているし、チャールズワースは、この頌歌を、クムラン宗団につながるユダヤ教黙示文学の流れを汲む神秘主義としながらも、この頌歌のグノーシス性よりも、その正統主義的性格のほうを強調している〔大貫296
 この頌歌は、その霊的な性格から、個人の作者を作品と結びつけて考えることができる。16章5節の引用は、この歌が、明らかに個人的な作品であることを物語っている。しかし、先に指摘したように、この頌歌は、その成立事情から見て、ヨハネ福音書のそれと似ていて、「作者」が所属する宗団の共同体を背景に生まれてきたと考えるほうがより妥当であろう。42章6節の「彼ら」という複数は、ここでは、宗団全体、すなわち彼らの宗団を含む、霊の教会を意味していると考えられる。ここでは、教会が、甦りのキリストの言葉をキリストの代理として、この世に向かって語ることが許されている。すなわち、聖霊は、教会と共にいる甦りのイエスとして、教会を通じて語ることができると告げているのである。ちなみにブルトマンは、教会が、イエスの物語を「創出した」根拠として、ここの引用(42:6)をあげている。
 確かに、後期グノーシス、特にヴァレンティノスとその弟子たちに至ると、福音書の表象的な解釈や数秘などの導入によって、個人的な「霊的想像力」による様々な新奇な発想が生まれ、それらが結び合って、数々の神話体系を創出し発達させることになる。それは、まさにブルトマンの言う「神話化」という言葉にふさわしい。しかし、キリストの御霊が、使徒たちの口を通して語らせたのは、「イエスの出来事」であり、これが、聖霊による解釈を通じて「物語化」され伝承されていく過程それ自体は、いわゆるグノーシス的な神話創造と区別されなければならない。「出来事」とこれの「歴史化」あるいは「歴史物語」と「キリストのみ霊」と人間の造神話力、私たちは、ここで、これらの諸概念の本質的な関わり方に直面することになる。こういう視点から見ると、この頌歌は、1世紀以来のキリスト教が、東方正統教会の流れに沿いながら、同時にグノーシス化への兆しを含むことによって、「御霊と神話化」に関する基本的な問題を提起しているのである。
パウロとヨハネ
      私は彼(キリスト)のみ名によって不滅を着た
      彼の恵みによって滅びを脱ぎ捨てた。(15:8)
  ここでは、「心の割礼」や「不滅を着る・滅びを脱ぐ」ことが、ほとんどパウロ的とも言える用語で語られている。私の見るところでは、この頌歌で語られる「恵み」も、パウロのそれと変わるところがない。しかし、先に述べたように、この頌歌の場合に、パウロとの類似よりも、より決定的なのは、これとヨハネ福音書との類似であろう。
      あなたは私たちにあなたとの交わりを与えられた。
      あなたが私たちを必要とされるのではなく、
      私たちがあなたを必要としているのです。(4:9)

      やみから光へと移しかえられた。(ギリシア語11:19)

      また光は闇によって打ち負かされず、
      真理は虚偽の前に逃げないように。(18:6)
 
      子の目が父に注がれるように、
      正にそのように私の目は、
      主よ、いつもあなたのもとへ向けられています。(14:1)
      主の愛の中に留まりなさい。(8:22)
 ここに引用した節をいちいちヨハネ文書の引用と対応させる必要はないであろう。ブルトマンは、『ソロモンの頌歌』には、グノーシス的な性格が比較的弱い点に言及して、それは、この頌歌が、旧約聖書の影響によって、そのグノーシス性を「後退させた」からであると言う〔大貫297。その上で彼は、この頌歌を「第四福音書の著者ヨハネにとっての最も近い思想史的背景」と見なしている。この文書が「グノーシス的である」ということを前提にして読むならば、このように迂回した推論を行なわざるをえなくなるのであろう。ただし、ブルトマンが、この頌歌は、ヨハネ文書に近い受肉神学と啓示神学への可能性を秘めていると洞察しているのは正しいと思う。
礼典
 この詩に現われる「水」は、第一義的には洗礼の水のことであり、「飲み物」とは聖餐の飲み物を指している。ただし、頻出する「乳の飲み物」「乳を飲む」という用語から判断すると、この宗団では、禁欲的な理由からか、聖餐にはぶどう酒を用いないで、ミルクを用いていたのではないかと推測されている。その他に、「冠」、「生ける水」、「命の泉」、「封印」、「乳と杯」など、共同体の礼拝で礼典に使用される洗礼・聖餐用語が多い。しかも、東方教会での礼典に用いられる用語が多いことが注目されている。
 ただし、これらの用語が、これを象徴する物としてよりも、霊的な意味で使用されていることに注意する必要があろう。したがって、これらの用語は、場合によっては、具体的な儀式としての礼典に向けられた反サクラメント的傾向を帯びることがある。例えば、先に出てきた「心の割礼」の場合がそうである。ともあれ、次の節には、まぎれもなく、宗団として信仰共同体とこれに際して用いられる礼典とこれを授与する役目を与えられた者たちに対する尊敬が言い表わされている。
      それゆえ、あの飲み物に仕える者たち、
      彼(キリスト)の水を委ねられている者たちに幸いあれ。(6:13)
三位一体
      主よ、あなたこそ万物をお造りになったのです。(4:15)
                   

      主の外にあるものは一つもない。
      なぜなら、主は万物が存在する前からおられたのだから。
      諸々のアイオーンは彼の言葉により、
      また彼の心の思いによって成ったのだから。(16:19)
                   
      しかしその手紙は大きな書版となった。
      それは神の指によって書かれて欠ける所がなかった。
      その上に父と御子と聖霊のみ名があったが、
      それは永遠から永遠まで王として支配するためである。
                           (23:21ー22)
      乳の入った杯が私のもとへ運ばれてきた。
      私はそれを主の甘美さと快さの中に飲んだ。
      その杯とはみ子、
      乳を縛られたのは父、
      父をしぼったのは聖霊である。
      なぜなら、父の胸(乳房)が満ちあふれていたのに、
      父の両の乳房から出る乳を混ぜ合わせた。
      聖霊はその混ぜ合わされたものを世に与えたが、
      彼らはそれを知らなかった。
      しかし、それを受け入れる者たちは
      (彼の)右手の完全さの中にある。
      処女の胎が(それを)受け、
      身ごもって子を産んだ。
      その処女は大いなる愛の中に母となった。(19:1~7)
 この頌歌に表わされた三位一体論とこれに関係する神学については、大貫氏の優れた解説がある〔大貫292ー94。これによれば、父の二つの乳房から聖霊が乳を絞り、これをみ子に与える。み子は万物に先立つ存在であるが、聖霊が、しぼった乳を世(アイオーン)に与えることによって、「処女の胎」がこれを受けてみ子が処女降誕する。これが「受肉」である。世に降ったみ子は、受難の道を歩み、十字架にかかり、陰府へ降り(死者の救済)、高められ、この世にある教会の頭となる。このような神学は、東方教会の系統に属すると考えられる。
 上の引用で、「父の乳」という新約とは明らかに異なる表象が注目されるが、この表現は、次の項目で述べる「母の乳」と重ねられて(「父母の神」へつながる)両性具有の性格を示唆している点が興味深い。しかし、ここでの父の神は、超越した創造主である(4:2)ことに変わりはない。ただ、パウロ的な十字架の救済神学に対して、ここでは、ヨハネ的で東方教会の神学に属する「受肉キリスト神学」が強調されているのである。大貫氏は、「この『受肉神学』には一般に、その論理構造上の理由から、欲すると否とに関わらず、いわゆる『仮現説』に近づく内在的傾向がある」と指摘している。
      私が受け入れるようにと、彼(キリスト)は私に似たものとなられ、
      その形姿において私のように見えた。
      それは私が彼を着るためであった。(コプト語7:4)

      私(キリスト)を見たすべての人が驚嘆した。
      彼らには私がまるで見知らぬ者のように思われた。(17:6)
                   
      私を見る者は誰でも驚嘆するだろう。
      なぜなら、私が別の種族の者だから。(41:8)
                   
      認識の父は、
      認識の言葉。
      また彼(キリスト)は思惟の光、思惟の黎明であるからだ。
      諸々のアイオーンは彼によって互いに語り合い、
      沈黙していた者たちも言葉を得た。(12:7ー8)
                   
      空虚な者たちはそれ(無知)を大いなるものと思い込み、
      その姿に似て現われて、空虚にされた。
      だが、知識ある者たちは認識し、かつ熟考した。
      彼は彼らのその熟考において汚されることがなかった。(18:12)
 いわゆるグノーシス的な仮現説では、み子の誕生も受難の十字架も、現実の人間存在としてのイエスに当てはまるものであって、そのイエスに「仮に宿っている」とされる「キリスト」自体は、地上での出来事から直接の影響を受けない。上の引用で、「見知らぬ者のように」(17:6)とあり「別の種族」とあるのが、はたして、イエスの人間存在から区別されたグノーシス的な意味でのキリスト論を示唆しているのかどうかは疑問が残るであろう。また、ここでの「アイオーン」(12:7~8)が、大貫氏の主張するように擬人化されていて、聖書的創造信仰からはずれた宇宙論を示しているかどうかも問われることになろう。しかし、この頌歌では、救済が、受肉のキリストにあると言うよりは、このようなキリストを「認識する」ことに重点が置かれているのは、上の引用から明らかである。この認識こそ「無知」と対立する救済の原理なのである。この意味で、ここでの受肉神学は、さらに一歩を進めて、受肉キリストの「啓示神学」へと向かっていると言える。「受肉神学」から「啓示神学」へのこのような展開こそ、ヨハネ文書の神学の神髄であり、同時に東方教会神学の基礎なのである。
   この頌歌の作者が、ヨハネ福音書を知っていてこれを用いているという確証はない〔大貫294〕。しかしながら、「彼キリストは私に似たものとなった」や「その形姿にいて私のように見えた」(コプト語7:4)という表現が、救済者キリストと救済されるべき人間自体との不可分な同一性を意味すると解するのであれば、キリストへの認識と人間的な「知」とが同一のものと判断されるから、これは明らかにグノーシス的な傾向を持つことになろう。この頌歌に表わされる神学とヨハネ神学との分岐点が、まさにここにあることを私は指摘しておきたいと思う。
母性
      私(キリスト)は彼ら(信者)の肢体を整え、
      私自身の胸(乳房)を彼らのために備え、
      彼らが聖なる乳を飲んで、それによって生きるようにした。(8:16)

      幼児が母親に抱かれる如く私は抱かれ、
      主は我に母乳を、主の露をくださった。(35:5)
                   
      母の乳が子を愛でる女からしたたり流れるように、
      そのように私の希望も私の神に向かう。(40:1)
           
 ここに引用した節に含まれる母性的表象について、説明する必要はないであろう。三位一体論においては、第三の位格としての聖霊が、初代教会から現代に至るまで、常に「女性」ないしは「母性」的な性格を有するものと考えられてきた。欧米のキリスト教の歴史では、聖霊の宿る教会は、伝統的に「母なる教会」あるいは「花嫁なる教会」として、その隠喩に重要な意義が与えられてきたことを特に指摘しておきたい。
 なお、これと同時に、この頌歌には、明らかにプラトン的なイデアを思わせる一節があるので次に紹介しておきたい。この頌歌とプラトニズムとの結びつきの背後には、例えばフィロンの思想があるのかもしれない。
      下にあるものの原像、
      それは上にあるもの。
      すべてのものは上に在り、
      下には何物も存在せず、
      認識なき者たちにそう思われているだけなのだ。(34:4~5)

 この頌歌では、楽園の回復に対する強い関心が示されていること(11:13~19)(11:24)をも付け加えておかなければならない。また、次に引用するように、ヨハネ黙示録にも似た黙示思想が見られる。グノーシス的傾向を帯びているとされるこの頌歌に、黙示の要素を見いだすのは意義深いことであると思う。
      真理は永遠の王冠であり、
      それを頭に被る者たちは幸いである。
      (それは)高価な宝石である。
      戦争がその王冠ゆえに起きたのだから。(9:8ー9)
                   
      滅ぼすが上に滅ぼす者を私は見た。
      滅びをもたらす花嫁が着飾り、
      滅びをもたらし、自ら滅びている花婿が着飾っていたとき。
      そして私は真理にたずねた、「この者たちは一体誰ですか」。
      すると彼は私に言った、「これは迷わす者と迷いである」。
      彼らは愛された者とその花嫁の姿に変装して、
      世を迷わせ、滅びに導いている。
      彼らは多くの人々を婚礼の宴に呼び集め、
      彼らの酩酊の酒を与えて飲ませる。
      彼らはその人びとの知恵も知性も投げ捨てさせ、
      彼らを精神なき者とする。(38:9~13)
 先号で指摘したように、ヨハネ福音書は、パウロからヨハネ宗団にいたる1世紀から2世紀初頭までのキリスト教の流れの上にこれを置いてみることで、初めて正しくその位置を確認できる。この視点からするならば、『ソロモンの頌歌』は、ヨハネ文書とほぼ時期を同じくしているがゆえに、正統と異端を問う上で重要な位置を占めていると言わなければならない。この頌歌は、ヨハネ福音書と同じく、東方教会の神学系列に属している。まさにそのゆえに、私たちは、「東方」と「西方」との神学系統の違いを逆照させてこの文書を判断する場合に、いっそうの注意が必要であろう。なぜなら、グノーシスをめぐる異端論争は、どちらが「正統」でありとちらが「異端」であるかはともかく、西方教会による東方教会神学の排除という側面をも帯びていたと考えられるからである。