『トマス福音書』
 トマス福音書と共観福音書との間には、70以上の並行箇所があると言われている〔クロッペンボルグ 126〕。しかし、このことは、トマス福音書が共観福音書の資料を受け継いだのではなく、逆に、トマス福音書に含まれる資料のほうが、共観福音書よりも初期の段階であることを示していると思われる(これと反対の説もあるが)。この意味で、Q資料とトマス福音書に含まれる資料とは、共観福音書に対して同じ位置を占めていると考えることができよう。
 ちなみに、「トマス」という名前については、トマス福音書の始めに、「これらは、生けるイエスが語り、ディドモ・ユダ・トマスが書き留めた秘密の言葉である」とある〔クロッペンボルグ 186〕。この「デドモ・ユダ・トマス」というのはどのような人物か定かでない。「トマス」はセム語で「双子」の意味、「デドモ」はこれのギリシア語訳であるから、ユダヤ名で言えばこの呼び方は「双子のユダ」という意味になる。また、ヨハネ福音書(14:22)に出てくる「イスカリオテでないほうのユダ」が、「ユダ・トマス」であるとするシリア語のヨハネ福音書が存在する。さらに、ヨハネ福音書(11:16)には、「ディディモと呼ばれるトマス」、すなわち「双子のトマス」が登場する〔クロッペンボルグ 132〕。また、マルコ福音書(6:3)に、イエスの兄弟「ユダ」が現われる。このことから、トマス福音書に現われる「双子のユダ」というのは、イエスの双子の兄弟ではないかという大胆とも言える説を出す学者がいる〔クロッペンボルグ 132〕。この「双子のトマス」が、インドの方へ向かったとされている「使徒トマス」伝承と結びついたのかもしれない。
 こういうわけで、私たちは、現在の段階で、イエスの語録集(Q資料)とトマス福音書という二つの資料、共観福音書として物語化される以前の二つの原資料を知ることができるようになった。しかもこれら二つは、互いにやや異なるものの、共有する部分が極めて大きい。「これらの語録の多くは確かにイエス運動のまさに最初期に、ことによると一部はイエス自身にさえ由来するかもしれない」〔クロッペンボルグ 130〕のである。では、この二つの資料に共通する特徴とはどのようなものであろうか? それは、ユダヤの知恵文学、特に初期ユダヤ教の知恵文学〔クロッペンボルグ 135〕である。では、この二つの資料に表われた知恵は、どのような特徴を帯びているのだろうか? それは、人間の日常生活にまつわる処世術としての知恵ではなく、特に人間社会を支配する制度に対する鋭い批判・風刺である。そこに見えてくる「知恵」は、「この世」と「この時代(アイオーン)」の価値基準を転倒させるものであり、ほとんど反社会的、反宇宙的と言ってもよいほどである。
 パタソン によれば〔Patterson 187-221〕、 トマス福音書には、共観福音書が用いている意味での「人の子」が見られない。彼の分析によれば、トマス福音書とQ2(Q文書の第二段階の層)とを比較すると、両者が共有する同じ伝承が、それぞれグノーシス的と黙示的の双方向に変容している〔Patterson 195〕のが分かる。だが、双方に共通している伝承自体には、グノーシス的傾向も黙示的傾向も見られないのである。イエスの最初期の運動は口伝であったと考えられるから、その伝承は文書形式ではなかった。その知恵伝承には、「父性的」な特質は見られない。また、社会に対して、革新的ではあっても決して保守的ではない。そこに表わされる「神の国」は、著しく反文化的であり、Q2の段階から、次第に裁きの黙示性を強めていくことになる。一方で、トマス福音書のほうは、秘義的なグノーシス性を強める結果になっていった〔Ptterson 212ー17〕。
 「知恵」は、宇宙の創造主としての神を「デミウールゴス」(半神)として軽蔑し、これに対抗して、人間の内に宿るある種の絶対的な「知」を究極の存在と考える「グノーシス」へ移行する傾向を含んでいたと考えられている。しかしながら、そういう「傾向を含む」こととそれを「グノーシス」と同一視することとの間には、大きな開きがあることに注意しなければならない。なぜなら、この「知恵」は、「グノーシス」へ向かうのとほとんど同じ確率で「黙示」へ向かう傾向をも含んでいたからである。前者の方向をたどったのが、トマス福音書であり、これを発展させた2世紀のグノーシス文書であるとすれば、後者の方向をたどったのがイエスの語録集であり、これを受け継いだ共観福音書だったのである。
 それだけでなく、この「知恵の霊」には、さらに違ったさまざまな可能性が秘められていたと考えるべきである。例えば、すでにシラ書の場合に見てきたように、「知恵」が律法と結びつく時、そこにはユダヤ独特の歴史哲学が生まれる。エルサレムの滅亡以後に、これを生き延びたファリサイ派の律法主義が再び力を発揮し始めたちょうどその頃に、マタイ福音書が書かれている(紀元80年頃)。私たちは、この福音書に、イエスの語録集とトマス福音書に共有されている原初教会の「知恵」が、新たに息を吹き返したファリサイ派の律法主義との相克をとおして、新たな律法意識に目覚めて、そこから、黙示的でもグノーシス的でもなく、ユダヤ・キリスト教的歴史主義へと展開していったと推定することが許されるかもしれない。
 だから、私たちは、イエスの語録集やトマス福音書、それにヨハネ福音書のような初期の文書に、「グノーシス」という用語を適用する場合には、よほど慎重でなければならない。なお、パウロが、第一コリント人への手紙(2:6)で、「この世の知恵でもなく、また、この世の滅び行く知恵でもない」ものとして、「成熟した人たちの間で語る知恵」と言うとき、それは、今述べた二つの資料に共有される「知恵」のことであろうとクロッペンボルグは指摘している〔クロッペンボルグ 137〕。
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