イエス様に「してもらう」から「用いられる」へ
第二コリント4章から
京都コイノニア会(2025年4月27日)
パウロは、第二コリントで、この4章まで、イエス様の御霊のお働きにあって、神のお言葉を伝えられ(1章6節)、イエス様から御霊を与えられ(1章21節)、赦しと慰めを受け(2章7節)、自由が与えられる(3章16節)事態を語ってきました。これらは、私たちクリスチャンが、「イエス様にしてもらう」ことです。とにかく先ず、イエス様に「してもらう」。これです。イエス様にお願いして、してもらわなければ、イエス様を「信じる」ことができないからです。
ところが、パウロは、第二コリント4章で、自己推薦をしています(第二コリント4章2節)。パウロは「自分自身」を伝えるのです。なぜでしょうか? 御霊にある「大きな神の力」を伝えるためです。なぜ、「神の力」が自己推薦になるのでしょうか? それは、自分を通じて働くけれども、自分から出たものではない「不思議な力」だからです(同12節)。では、その力は、どんなふうに働くのでしょう。「すべてのことにおいて、人にしてあげるようになるために」働くのです(同15節)。だから、イエス様のところへ来る人は、「人にしてもらう」から、「人にしてあげる」に変えられるのです。人を「利用しよう」とすることから、人を「愛する」ことへ変えられるのです。言い替えると、初めはイエス様を「利用しよう」として来る。けれども、イエス様に「用いられる」ご奉仕へと変えられる。これが、「神のお言葉に聴きしたがう」人に起こることです(2節)。
これが、パウロが言う「不思議な力」の本質です。その「不思議」こそは、第一コリントでパウロが言う「十字架の知恵」のお働きです(第一コリント1章18節〜25節)。
パウロが言うとおり、これは実に「不思議な」お力です。有り難いことです(15節)。どうして、「有り難い」のか? 「人にしてあげる」力こそ、ほんとうに「その人を生かす命(いのち)」だからです(12節)。「生きる」ことが「有り難い」。こう想う心は、そこから生じるからです。かく言う私が、92歳まで元気にしておれるのも、主様から賜る「人にしてあげる」み力のおかげです。コイノニア会のホームページに潜む力も、これにほかなりません。だから、どうか、謙虚になって、「イエス様に用いられる」人になってください。率直に偽らず、自分に働く神の御霊のお働きを証ししてください(第二コリント4章2節)。そうすれば、永遠の命に与(あずか)ることができます。