『キリスト新聞』
本書は三つの点で、とても珍しい本である。まず第一に、著者の名前が珍しい。私市元宏氏という。私市は「きさいち」と読む。私には初めて出会った名前である。第二に、私市氏は現在甲南女子大学文学部英文学科の教授をされておられる英文学者であり、牧師でも神学者でもない。その方がかくも深く神学や聖書学に通じておられるだけでなく、衆人にも理解し得る平易な表現をもって貫かれているのには舌を巻く。そして第三には、私市氏が本書において取り上げている問題が、現代の教会の言うならば、「最先端」の事柄であるということである。
『本のひろば』
ファンダメンタリズムや、それと対局にある現代の聖書の批判的研究をわかりやすく紹介し、その問題点を指摘する著者の手法は見事である。評者としても、難解なバルトやブルトマンの神学を、素人にもわかりやすく説明しようとする著者の誠意には敬意を覚えた。学問的な聖書学を専門にする人々と、聖霊運動にたずさわっている人々との橋渡しをしようとする著者の努力は成功している。まさに英文学を専門分野としておられる著者によってこそ、このような仕事がなされ得たと言うべきであろう。
リバイバルのためのクリスチャンジャーナル『ハーザー』
「あの教会はリベラルだ」 しばしばこのような表現が用いられる。「リベラル」という語は、「霊的」という概念と対比されることが多いが、これはそもそもいかなるものであり、「霊的な聖書解釈」と呼ばれるものとどのように異なるのであろうか。本書はそのような疑問に理解の糸口を与えてくれるものである。・・・・・聖書に対する釈義的な知識は読みの可能性を広げてくれはするが、聖書の真理を知るためには、自らその中を歩むことによって初めて得られる霊的な理解が不可欠である、という主張には説得力がある。聖霊体験のある人にこそ現代の聖書学を学んでもらいたいという著者の主張にも共感できる。