31章 イエスと復活信仰

■『モーセの遺訓』9章
 『モーセの遺訓』と『モーセの昇天』は、ラテン語の写本で、ミラノのアムブロシウス図書館で発見されました(1861年刊行)。これらの写本は5世紀頃にギリシア語から訳されたものですが(写本は6世紀末のもの)、その原本はヘブライ語かアラム語だと推定されます。「遺訓」と「昇天」との関係は、同じ文書の前半と後半とにそれぞれ与えられた名前だとする説と、全く異なる文書であるとする説と、「遺訓」あるいは「昇天」のどちらかがほんらいの名称だとする説とがあるようです。
 著作年代は、紀元7〜30年の間だと推定されます。これの内容は、マカバイ戦争直前(5章)、アンティオコス4世の迫害時代(8〜9章)、ハスモン王朝以後の時代(6章)という見方があります。しかし、8〜9章は、アンティオコス4世時代の内容と見るよりも、歴史的終末を一般的に描いているという見方が強いようです〔『聖書外典偽典』(補遺T)土岐健治/小林稔訳註159〜60頁〕。
 『モーセの遺訓』には四福音書と同じような表現が多くでてきます(7章4節「大食漢で酒飲み」/8章1節「世の初めからなかったほどの困難」/10章の終末など)。その9章に「タクソ」という人物が登場します。彼の時代に、第一のバビロン捕囚の苦難にも匹敵する第二の苦難(アンティオコス4世の迫害)が訪れます。その時、タクソの7人の息子たちは、「父祖たちの神の戒めを踏み外すよりも、むしろ死のう」(9章6節)と告白しますから、ここにも無実な者たちの死が神の裁きをもたらすという思想が表われます。「わたしたちの血が主の御前で報いを求める」(9章7節)のです。「報いを求める」とは、カインに殺された弟アベルの血が神に叫ぶ(創世記4章10節)と同じ意味で、これは第二マカバイ記7章17節/同19節と同じです。
 ここで注意したいのは、第二マカバイ記と『モーセの遺訓』との類似だけでなく、両者の違いです。第二マカバイ記の殉教は武力による抵抗を導き出しますが、『モーセの遺訓』では、最後まで無抵抗の非暴力に徹して、終末の裁きに身を委ねていることです〔『聖書外典偽典』(補遺T)概説163頁〕。ここでの非暴力が、例えば現代のガンジーやキング牧師の唱える<積極的な>非暴力思想と同じかどうかは、確かでありません。また、ここにでてくるタクソは「メシア」ではありません。殉教者たちは敵の手から取り去られて「諸星の天」に住まい(10章9節)、地上では終末の時に罪人らが滅びるのですが、殉教者の復活は語られません。しかし、『モーセの遺訓』には、非暴力の殉教と、死後の救済と、迫害された義人の身の証が語られており、しかも、世界を創造された神は、「すべてのことを世々にわたって予見しておられる」(12章13節)のです。
■1世紀のユダヤ教の復活信仰
 1世紀前後のヘレニズム世界には、エジプトのイシス神話、ギリシアのエレウシス祭儀に起原をもつよみがえり神話、ディオニューソスのよみがえり神話、アドーニス伝説の再生神話、また、小アジアやマケドニア地方では、太母神キュベレのよみがえり神話などが再生とよみがえりの永生宗教の背景をなしていました。これと共にギリシア哲学(プラトニズム)に基づく「魂の永遠/不滅性」を唱える哲学も存在していました。この哲学は、アプレイオスの『黄金のろば』に収録されているエロースとプシュケーの神話にみごとに結晶しています。また、パレスチナの東方では、かつてのペルシア帝国の時代にさかのぼるゾロアスター教の影響が強く残っていました。パレスチナの人たちもこれらのヘレニズム思想や宗教の影響を受けていたのは間違いありません。
 したがって、ユダヤにおいても、魂の不滅や霊的生命の永遠性を信じる思想家たちがいました。特に、パレスチナ以外のヘレニズム世界に住む「離散のユダヤ人」(ディアスポラ)の間では、ユダヤ教の信仰に基づきながらも、ヘレニズムの影響を強く受けていたと思われます。アレクサンドリアのユダヤの思想家フィロン(前20〜後45/50年)は、これの代表的な人物だと言えましょう。
 パレスチナのユダヤ教においても、そこには復活信仰が息づいていたとは言え、その信仰は決して一様ではなく、これに関して幅広いバリエーションが共存していました。だから、サドカイ派は復活を否定する一方で、霊魂不滅説や天使の永遠性や天体(恒星や惑星)の永遠性にあやかろうとする人たちもいたと考えられます。
 このような思想的宗教的状況の中で、ユダヤにおいて独特の復活信仰が生まれたのは、すでに見てきた通り、イザヤ書、『第一エノク書』、ダニエル書、知恵の書、第二マカバイ記など、書き記されたユダヤ教の聖典が受け継がれていたからです。ユダヤ教の復活信仰の特徴は、「からだの復活」です。この信仰は、マカバイ時代のハシディーム(敬虔な人たち)に起源するファリサイ派に受け継がれました。復活信仰はまた、ファリサイ派のそれとはやや異なる形で『第一エノク書』やダニエル書の黙示的終末思想としても受け継がれました。
 ただし、すでに見てきた通り、パレスチナのユダヤ教の復活信仰を全体として見るならば、民族的にせよ選民的にせよ、なんらかの<共同体的な復活>であり、それも、終末の裁きを待ち望む<未来の復活>信仰の傾向が強かったと言えます〔Keener. The Gospel of John.(2)1175-77.〕〔TDNT (1)369-70.〕。オリーブ山の西斜面、すなわちエルサレム神殿に面する斜面には、終末での復活を待ち臨むユダヤ人の墓でびっしりと覆われていました〔一世紀のユダヤの墓については四福音書補遺「一世紀のユダヤの墓」参照〕。
イエスに始まる最初期のキリスト教とこれに基づく新約聖書の復活信仰は、このようなパレスチナ・ユダヤ教の伝統的な信仰から生じたものです。しかし、その信仰は、イエスの場合にはっきりと見られるように、上に述べた二つの点で、すなわち「共同体的」と「未来の終末」の二つの側面で重要な変容を遂げました〔Keener. The Gospel of John.(2)1175-77.〕。なぜなら、キリスト教の復活信仰は、イエスという<歴史上の個人の>復活であり、しかもそれが<すでに起こった>出来事であったからです。
■マルコ福音書とイエスの復活信仰
〔人の子とメシア〕
 イエス自身が、受難と復活を預言したかどうかは、マルコ福音書8章31節にもでてくる「人の子」預言と関係します。マルコ福音書のイエスは、旧約聖書の預言者像を超えるメシア的存在ですが、それでも、そのイエス像には、終末的な預言者像を見ることができます。イエスが宣べ伝える「神の国の福音」(マルコ1章14節)は、イザヤ書61章1節や同52章7節と関連します。しかしマルコ福音書では、神から遣わされて福音を伝える預言者と、伝える預言者自身が実はその福音の内容でも<ある>という、二重の意味での「メシア的預言者像」が形成されています〔コリンズ『マルコ福音書』47頁〕。

 『第一エノク書』37〜71章の「たとえの書」(前1世紀末〜後1世紀初め?)には、単数の「義人」「選ばれた者」がでてきます(『第一エノク書』38章1〜2節など)。この「選ばれた者」は、イスラエルの王位に即位しますが、彼は「知恵の啓示者」とも呼ばれていて(『第一エノク書』51章3節)、「人の子」(同46章1〜3節)と同一視されています。しかもそこに出てくる「人の子」は死者の復活と新天新地を待望させる新たな時代(アイオーン)をもたらすのです。さらにこの「人の子」は、「世の初めから隠されていた者」ですから、彼は、「先在の人の子」とも言われる存在です〔コリンズ『マルコ福音書』60〜61頁〕
。『第一エノク書』のこの「人の子」は、神に選ばれ贖われた共同体が、終末的な裁きに先立って、王たちや権力者たちの前に<突然の啓示>によって顕われ、権力者たちを驚かせるのです(知恵の書5章1〜9節参照)。なお「人の子」について詳しくは、第四部「人の子伝承」を参照してください。
 時期的には四福音書が書かれた時と並行しますが、第四エズラ記(ラテン語エズラ記)7章26〜44節では、メシア(キリスト)が、マルコ13章と同じ黙示的な状況にあって、彼を信じる共同体と共に終末の時に顕現します。第四エズラ記7章は、まだキリスト教の影響を受けていないユダヤ教の部分に入りますが、興味深いのは、このメシアが「死ぬ」と預言されていることです。受難の死は、伝統的に預言者に帰せられていますから、それだけここでの「メシアの死」が注目されます。しかもこのメシアは、同11章36〜39節では、邪悪な鷲(ローマ帝国)を打ち負かすライオン(ヨハネ黙示録5章5節の「ユダのライオン」を参照)の姿で顕われます。ライオンの姿をしたこのメシアは、世の初めから先在しているのです。
  このように受難のメシアと勝利するメシア、この二つの結びつきがマルコ福音書のメシア像に読み取ることができます。「受難の死の預言者」と「勝利するメシア」、この二つが結合しているのが、マルコ8章27〜33節のイエス自身による預言の言葉です。このようなメシア像は、ユダヤ教には見られないマルコ福音書独特のものだと言えますから、これこそが、ナザレのイエス自身に宿るメシアの霊性であったと考えられます。マルコは、復活信仰の視点から想起して、この事態を「メシアの秘密」として描いていますが、マルコ福音書のペトロには、受難と勝利の<このような結びつき>を理解することができません。こうしてマルコ福音書では、伝統的な「人の子」が「神の子」と同一視されるのです。
〔山上の変貌〕
   マルコ9章2〜8節の山上での変貌記事を読みますと、この出来事が、イエスのほかの出来事と結びついているのを読み取ることができます(変貌については共観福音書の講話と注釈の「山上の変貌」を参照)。一つは、変貌の際の天からの声とイエスの洗礼の時の天からの啓示の声です。二つの天の声は、イエスの変貌がその洗礼と対応していることを示唆するものです。次に、ここの変貌が、イエスの復活の出来事と対応していることです。変貌記事それ自体がほんらい復活の記事であったのではないかとさえ言われていますが、復活にモーセとエリヤは出てきません。復活は、変貌に見るような<輝く栄光>を伴って描かれることがありません。また、四福音書を通じて、復活と変貌では語り方がずいぶん違っていますが、イエスの洗礼と復活がこの変貌の出来事と関連づけられることは確かです。なぜなら、イエスにあって働いていた聖霊がイエスを復活させた神からの御霊だということは、イエス復活以後になって初めて弟子たち全員に知らされたことですから。
 ここで注意しなければならないのは、マルコ福音書やマタイ福音書がこの変貌の出来事で伝えようとしているのは、それがイエスの復活を伝える意図から出ているものでは<ない>ことです。そうではなく、変貌記事は、イエスがまだ地上にいた間に、イエスの霊性がモーセやエリヤの神的な臨在を伴うものであったこと、まさに<このこと>が三人の弟子たちに啓示されたことに変貌記事のほんらいの意義があるのです。だからイエスは、「わたしが復活するまでは、あなたがたが見たことをほかの弟子たちにさえ話してはいけない」と命じられたのです。マルコ福音書はイエスがメシアであることを最後まで秘密にしていたと言われています。それなら、地上のイエスはただの人間であって、復活して初めて神の霊性を表わす者とされた。このような誤解を招く恐れがあります。そうではなく、地上で弟子たちと共に過ごしていたすでにその時に、イエスの霊性には神自身の聖霊が働いていたこと、<そのことが>三人の弟子だけに啓示された。イエスの霊性が隠されていたことをも含めて、まさに<このこと>が、イエス復活以後になって初めて、使徒たちを含む弟子たちに啓示された。これがマルコ福音書の変貌記事の真意です。したがって、変貌記事は、復活顕現以前の在世当時のイエスの霊性を探る上できわめて貴重な証言であることが分かります。
〔最後の晩餐〕
 「受難の僕」伝承は、イザヤ書に始まり『第一エノク書』や知恵の書や第二マカバイ記を通じて、イエスの最期の晩餐につながります(受難の僕については第三部「受難の僕伝承」の特に「僕の歌」を参照)。マルコ10章45節「人の子は・・・・・多くの人の贖い代として自分の命を捧げるために来た」は、最後の晩餐において、イエスが自分を受難の僕(イザヤ書53章10〜11節)と同一視していることを伝えています。イエスは、この伝承に従って、その活動の初めから、進んで殉教に臨み、自らの死が、イスラエルの民に対する神の怒りを宥(なだ)める信仰に生きたのです。それはイエスが見出した「新しい契約の民」を贖い出すためです。
 ヨハネ福音書はもとより、共観福音書においても、最後の晩餐が<過越の小羊の意義>を帯びていたことを否定することができません。イエスは、伝統的な過越の食事から、パン裂きとぶどう酒の二つを採り、これに全く新しい意義を与えたのです。そこには、イエスが自分の死をどのように意義づけているのかがはっきり告げられています。「肉/からだ」「血」「注ぐ」などの殉教用語が示すように、血を表わす盃(さかずき)は、神の裁きを招く殉教者の血であり(マタイ23章35節/ルカ11章51節)、マカバイ記にある民を贖う殉教者の血です。
 しかし、パンとぶどう酒についてのイエスの言葉は、それまでの伝統的な殉教解釈を超えて、イザヤ書に預言されている受難の僕による贖いを指し示しています。その「血」は、出エジプト記24章8節の「契約の血」であり、イエスは、新たな神の民を贖い出す新たな契約の血を流すために死地に臨んだのです。だから、イエスが言う「わたしのからだ」と「わたしの血」は、伝統的な過越の食事が指し示す通りの比喩(暗喩)的な意味であり、弟子たちも<この意味で>理解していたのは間違いありません。
 イエスはおそらく、過越の食事の伝統に従って、三度目あるいは四度目の盃をば、先ず両手でぶどう酒の大きな盃を持ち上げて、それを食卓から手ほどの高さに持ち上げ、右手でこれを支えながら「感謝の祈り」を捧げたのでしょう。しかし、その後で、弟子たちと共に神の国が成就するまでは、再びこの盃を口にしないと告げて、「主の死を告げ知らせた」(第一コリント11章26節)のです。これに続いて賛美(詩編118篇25〜26節)が歌われますが、そこには受難も含まれます(同22節)〔Keener. The Historical Jesus of the Gospels. 299-301. 〕。
〔受難と勝利のメシア像〕
 このようにイエス自身が、自分の死と復活を預言したことは、マルコ福音書8章31節にでてくる「人の子」預言(『第一エノク書』37〜71章/ダニエル書7章13節参照)が示しています〔TDNT(1)370.〕。これをマルコの創作だとする説もあるものの、「史的イエスが自分の死について預言したとすれば、それはこの意味でのメシアの受難を覚悟していたことになります」〔コリンズ『マルコ福音書』403頁〕。マルコ9章9節もおそらくイエスの語った言葉にさかのぼるのでしょう〔TDNT(1)370.〕。
 使徒言行録では、イエスの死と復活が、「予め神によって定められたご計画による」ものとされています(使徒2章30〜32節参照)。言い換えるとこの出来事は、生前のイエスの弟子たちも、そして福音書と使徒言行録の記者ルカ自身さえ「思いもしなかったこと」であるとルカは伝えているのです。だからこれは、「ナザレのイエスは、自分の行為がもたらす結果を予知することができず、このために、その結末を避けることができなかった哀れな人物だ」という見解に反論して、イエスを弁護しようとしていると受け取るべきではありません。それどころか、「神はすべてをご存知で、そのご計画通りに実行された」とルカは語っているのです〔バレット『使徒言行録』(1)143頁〕。ルカがここで言おうとしているのは、ルカ自身を含む後の教会が<イエス自身が知らなかったこと>を後で創出したのでは<ない>ということなのです。
■イザヤ書の受難の僕とイエス
 ここでナザレのイエスとイザヤ書の「受難の僕の歌」との関係について考察したいと思います。現在、この問題について、大きく三つの説があります。
【A】僕の歌に限らず、旧約聖書全体をナザレのイエスあるいはこれに関する新約聖書の証言から完全に切り離して考える視点です。この場合、僕の歌は直接には、ナザレのイエスとは全く無関係に、それが書かれた時代背景と文学類型などによって分析します。バルツァーの『第二イザヤ書注解』はこの視点に近いと言えましょうか(僕の歌の注釈の結びで、この歌とイエスの関係に触れていますが)。主の僕の歌を前5〜4世紀の祭儀劇と見なして、これをヘレニズムのギリシア劇やオリエントの類似の祭儀的文書との関係に置いて読み解こうとしています。
【B】僕の歌を新約聖書と結びつけて見ていますが、これを直接ナザレのイエス自身と関連づけるのではなく、イエス自身はどこまでも歴史的な一人の人間であり、それ以上の存在ではなかったという前提から出発します。したがって、僕の歌は、イエスの十字架刑の後で生じたイエス復活信仰を根拠づけるために、イエス以後のキリスト教会がイエスのメシア性を立証するためにこの歌をイエスの生に反映させたと見るのです。
【C】「僕の歌」を直接ナザレのイエス自身と結びつける見方です。この場合、イエスは自分の生き方を僕の歌で預言されている神の意志と受けとめて、これに最後まで服従したことになります。この立場が新約聖書が証ししている通りの「僕の歌」とナザレのイエスとの結びつきです。
 筆者(私市)の視点は【C】ですから、この視点から、【A】と【B】を考察することにします。【A】の場合は、そもそもイエス・キリストが旧約聖書で預言されていたメシアであるという新約聖書の使信それ自体を無視するか否定する立場から僕の歌を解釈します。ただしこの場合でも、「僕」が「<神>の僕」であるという視点は変わりません。しかしこの場合の「神」とは、その時代の歴史的状況に限定された人間の側からの神<信仰>のことであって、新約聖書が伝える「メシアを預言する神」を指すものではありません。神<信仰>は、時代により場所によりそれぞれ多種多様ですから、歴史的な視点から「その時代の」信仰としてもこれを扱うことができます。だから、第一イザヤと第二イザヤでは、その神はすでに異なるし、まして、第二イザヤの神概念をはるか後の時代のイエスの神概念と結びつけることはしません。学問的な立場の歴史学では、それぞれの時期の神信仰/概念を区別することから分析を始めるからです。
 ここで注意したいことがあります。注釈を読めば分かるように、バルツァーは主の僕像に終始一貫してモーセ像を読み込んでいます。この視点は、新約聖書へのメシア預言、あるいは予型・対型のタイポロジー的な関係と矛盾するものではなく、またこれを否定するものでもなく、むしろ、メシア預言への洞察を深めてさえくれます。このように学問的な考察は、霊的な内容を汲み取る場合に今まで気づかなかった意義や視野を与えてくれます。ただし、すでに指摘したように、モーセ像だけを主張すると、様々な人物像が複合的に含まれている霊的な重層性を見誤る恐れがあります。
 次に【B】と【C】の関係について考察します。【B】では、イエス自身はただの人間にすぎませんから、イエス自身は、僕の歌を意識することもなかったであろうし、ましてこれを自分の有り様と関連づけようなどとは考えていなかったことになります。イエスは一人のガリラヤの木工職人として、彼なりの宗教的使命感を帯びてその信念のもとに行動したのですが、その生は、挫折と無残な死によって終わったことになります。このイエスを彼の信奉者たちが復活信仰によって神話化するところから、第二イザヤの僕の歌がイエスの生き方に適用されて、イエスのメシア信仰が形成されるようになったと見るのです。
 この【B】の視点から見れば、イエスは普通の人間として自己の意志に基づいて行動したのですから、そこに僕の歌が働く余地はありません。なぜなら、僕の歌は、そもそもの初めから、「主の御霊が注がれる」ことで僕が召命を受けるところから出発するからです。これに対して、イザヤ書が伝える「僕の生き方」は、終始<人間の>それではなく、徹頭徹尾主の意思に沿ったものであり、主の霊の働きによって生じる出来事です。僕の成長も卑下も受難もこれを耐え忍ぶ力も彼の死も、その後の神の手による高挙も、これを目撃する者たちの驚嘆と悔悟も、ことごとく神の働きによる介入によって起こる出来事だからです。
 したがって、【B】の説に対して一つの疑問が生じます。それは、新約聖書が証ししているイエス自身の受洗の際の<聖霊体験>をこの説はどう評価するのか?と言う疑問です。イエスの受洗とこれに伴う聖霊体験それ自体を歴史的に事実無根だと否定するのなら、イエスの受洗と聖霊体験を「史実でない」と見なすこと自体が大きな困難を生じることになりましょう。イエスの受洗と聖霊体験は、歴史的に見てほぼ確実な事実であることが広く認められているからです。
 さらにもう一つの疑問は、そもそもイエスの頃のユダヤ教に僕の歌がメシア預言としてどの程度まで認められていたのか?という疑問です。ダビデ的なメシア像やモーセが預言したメシア像、あるいはエリヤ的メシアであれば、イエス以後の教会が、これをイエスの神格化のために借用することもありえたでしょう。しかし、イザヤ書の僕の歌が、はたしてそれほどメシア預言として当時知られていたのかが疑問なのです。だとすれば、わざわざこのようなメシア像におよそ不適切な僕像を教会が後になってイエスのメシア像のために借用したという想定は一層困難になります。
 もしもイエスが聖霊体験を経ているのなら、それ以後のイエスの生き方(これは明らかにそれ以前とは著しく異なることがナザレでの出来事などから確認できます)は、はたして、<人間イエス自身の>意志とイエスの<人間的な>力によって説明できるのか?このことが【B】節に向けて問われることになります。【B】と【C]】との最大の違いがこの点にあります。【B】によれば、地上のイエスの生は、一人の「弱い?」人間の悲しくも悲劇的な生き方に終始します。<そこに>イエスのメシア性を認めると言うのであれば、これは主の僕の歌が証ししている内容とは<全く正反対>です。なぜなら、僕の歌は、僕がヤハウェの意志に沿ってその霊が注がれ、終始<人間の目からは>信じられないほどの忍耐をもってその受難を体験した後で、その死後に、神の手によって、高挙され栄光化されることが証しされているからです。聖霊体験の直後の荒れ野の誘惑体験から、最期の十字架の死にいたるまで、ナザレのイエスは終始神の御霊に導かれて、己の意志によらず神の意志を選び取ることにおいて最期まで従順であった。これが新約聖書が証ししているイエスの生き方です。
 ちなみに、イエスの聖霊体験は、【A】の説で指摘した<神概念>にもついても言えることです。【A】では、「神」それ自体は、その時代ごとに区別される人間の神信仰に規定された歴史的所産ですから、新約聖書が証しするように、第二イザヤが預言した僕に降ったヤハウェの御霊とイエスが体験した神の御霊とは連続した継承関係にあるのではなく、二つは非連続の非継承関係に置かれることになります。ここでは、「神」とその御霊という神概念それ自体が問われることになります。もしもイスラエルの歴史を一貫する「神」が存在するという前提に立って見るのならば、現代の歴史学的な旧約解釈は成り立たないことになりましょう。
 以上をまとめると、僕の歌は、後の教会がこれをメシア像としてイエスに適用したと見ることも、逆にイエス自身が、僕の歌を自分が見習うべき規範としてこれを真似た/再演したと見ることも、どちら正しいとは言えません。イエスは自分に与えられた聖霊体験から、イザヤ書の僕の歌を自分に与えられた使命だとある程度自覚していた可能性があります。そのことは彼がしばしば、自分の受難予告を弟子たちに語っていたことからもうかがわれます。だから、人々の批判とエルサレムでの苦難の中でも、「主ヤハウェが助けてくださる。だからわたしは恥じることがなかった」(イザヤ50章7節)、あるいは「主なる神がわたしを助ける。誰がわたしを罪に定めえよう」(同9)という思いに支えられていたと推定することが許されると思います。また、自分が世から去った後に、主なる神が自分の義を立証してくださるという信仰を抱いていたとも考えられます。しかし、それ以上のことは、イエス自身の自覚にも<なかった>のではないかと思われます。なぜなら神の御心に従うことで、その最終的な意義を「悟る」ことこそが、まさに僕の歌が預言していることにほかならないからです。
■まとめ
 以上をまとめると、先ず復活について以下の三つの点を確認したいと思います。
(1)最初期に伝えられた福音の本質は、<ナザレのイエスの復活>にあります。福音のすべてが<この出来事>に含まれていると言っても過言ではありません。
(2)弟子たちがイエスの復活を信じることができたのは、イエスの顕現を初め種々の復活体験に接したことによるものですが、これらの顕現や体験は、<イエスがその生前に>、自分を含めて復活について語った言葉に基づいていると見るべきです。
(3)イエス自身のこのような復活信仰は、旧約聖書の時代からイエスにいたるまでの間、<イスラエルに受け継がれてきた復活伝承>に基づいています。
 次に新約聖書が証しするイエスの復活信仰の特徴として、以下の三つの点を指摘したいと思います。
(1)イエスの人格的霊性の現われとしての<からだの復活>であること。
(2)ナザレのイエスという歴史上の<個人の復活>であること。
(3)復活は<すでに起こった出来事>であること。
 次にイエスの復活信仰は、新約聖書において、次の三つの点で変容の過程をたどることになります。
(1)復活が、「からだ」の復活であると同時に「霊的な」復活であること。
(2)復活が、個人の復活であると同時にエクレシアを含む共同体的な復活であること。
(3)復活が、すでに起こった出来事であると同時に終末において成就する出来事でもあること。
 「変容の過程」と言いましたが、このことは、イエス自身が、復活に含まれる二重性を自覚していなかったという意味ではありません。そうではなく、復活が、「からだ」であると共に霊的な有り様であること、「人の子」とは、イエス個人にかかわるだけでなくイエスを信じるすべての人たちをも含む共同体的な意味をもつこと、そして「人の子」とは、イエス自身のことであると同時に、未来に顕われる人の子でもあること、このような復活の秘義を、イエスは自分に授与された霊性によって覚知していたと思われます。
【補遺】イエス復活のヴィンディケイション
                 ヘブライの伝承へ